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第六章「異世界にて」
chapter49「*episode山下武『山下武の最期(前編)』」
しおりを挟む「逃げるぞ……!」
背後から聞こえるアキラの声に、俺は静かに振り返る。
神倉が木剣を構えるのが見えた。
俺はそれを手で制す。
「俺が行く」
「おい!」
「タケシ……!」
真っ直ぐに見つめるアキラの眼。心配そうなケイトの顔。
それでも俺は覚悟をきめる。
「あんたはここでみんなを守っててくれ」
神倉に言伝する。
「まぁ、念のためな」
そう言って俺は人型の存在に近づいていった。
薄汚ないローブ。そのフードの影に隠されてて、しっかりとは顔が見えねぇ。
けど、爛々と輝く赤い瞳は暗闇の中でしっかりとこちらを見据えていやがる。
まるで値踏みするみてぇにな。
「よぉ、はろー」
まだ遠い。
白兵戦の射程圏外。
槍でも一足飛びじゃあ届かない。どころかまだまだ開戦前ってな距離だ。
ゆっくりと向こうさんも近づいて来やがる。
もしかしたら普通の奴かもしれない。そんな楽観的な考えも確かにあった。
けど、ここは見たことも無ぇ草花が存在する明らかに異常な場所だ。
こいつが人間であるとも限らない。
ゴブリン。
最初に浮かんだのがそれだった。
人型でやや小柄な、ファンタジーゲームではお馴染みの雑魚キャラ。
だが、もし実在したら?
雑魚キャラなんてとんでもねぇぜ。
だってよ、良く考えてみりゃわかる。
ゴブリンってのはとどのつまり、原始的な武器で武装した原始人みたいなもんだ。
ナイフを持ってたとしても、そこらのチンピラじゃかなわねぇだろうよ。
狩りをして――つまりは生き物と戦って、殺して生きている“武装した蛮族”なんだからな。
筋肉の発達具合だって違うだろう。
野生で生きてるって時点で戦闘センスや感覚だってきっと鋭い。
そこらのチンピラじゃあとてもじゃないが太刀打ちできるはずもない。
俺だって馬鹿じゃねぇ。
危険なのはわかってる。
そんなのは百も承知さ。
けどさ。だからこそなんだ。
そんな危険なとこにダチを行かせられるか?
あいつらはろくに喧嘩だってできねぇひ弱な現代っ子なんだぞ?
だったら、俺が行くしかねぇだろ。
怖くないかって言われりゃ、そりゃあ怖いさ。
けどよ。罠かもしれなくたって、何のヒントも無いこの状況……行くしかねぇだろ?
こんな薄気味悪い暗い森の中で彷徨い歩き回って、手がかりの一つも無いままに進んできて……感じるんだ。わかるんだよ。
もう、多分だけどよ。みんな心が折れかかってるんだよ。
このまま森の中を延々と彷徨い続けるんじゃないのかって。
んで、そのまま遭難して死んじまうんじゃねぇかって……。
ネガティブで最悪な予感に心が潰されかけてるんだよ。
だからよ……チャンスかもしれねぇってんなら、行くしかねぇだろ!
「おーい。エクスキューズミー? 言葉ワカリマスカー?」
なんとか情報収集しようと声をかける。
しかし伝わってないのか? 耳が不自由なのか?
返答は無い。
声の一つも返してきやがらねぇ。
喋れない? 村から廃棄された障害者とかなのか……?
文明レベルが中世とかだってんならありえるのかもしれねぇ。
それともまさか、会話の文化が存在しないほどに文明が低いのか?
「オーウ、ワターシ、怪しいもんじゃアリマセーン。ただの異世界転移者デース」
返事が無い。されど屍にあらず。
槍の間合いよりもまだ大分遠い。
まだ射程圏外。
見た目、どうやら武器は持ってないようだ。
じわじわと相手も近づいてきている。
せめて、浮浪者とかであって欲しい。
森に住んでる隠遁者とかだったりよ。
そうすりゃ、近くに町でも村でもあるって可能性が高まる。
なんなら教えてもらえるかもしれねぇ。
少なくとも人里から遠い場所にわざわざ住む奴なんてそういる訳もねぇからな。
隠遁者だったとしても、行く先ぐらい教えてくれるはずだ。
だから、その場合は希望が持てる。
会話さえ出来れば、無害な存在でさえあれば――。
――近づいていく。
白兵戦よりやや遠い、槍の間合いよりちょい遠目の距離。
再度声をかける。
「もしもーし。そろそろ何か話してくださいませんかねー」
その声に応えるように、目の前の人型は静かに音を発した。
「モギュル……パブンニギ……ノグン・モッチャガ……」
マジかよ……。
何言ってんのかさっぱりわかんねぇ。
異世界転移物のセオリーとかガン無視かよ……。
言葉がわからねぇとか、会話が成立しねぇって一体なんなんだよ……。
ここは普通アレだろ? 不思議ぱぅあーとかの効果で会話とかは通じるパターンだろぉが。
こりゃあれか?
ゴブリン語は別途取得が必要だとか、セージ技能を1レベルとか取っとかないとダメってなパターンか?
「ノグン・ジュッグギョッ・ボッゴルグブン・ヌンダ……!」
さらに近づいてくる。
白兵戦の遠間の距離。槍なら間違いなく射程圏内だ。
……そこで、ようやく気付いた。
――あ、これやべぇ奴だ。
近くで見て理解した。
眼がやべぇ。
これはアレだ。
人殺しの眼だ。
殺す側の眼。
野生の狩人の眼だ。
小学生くらいの時に動物園で見たライオンの目。虎の目。命を狩りとって喰らう野生動物の目。
獣の眼だ。
それはまるで空虚。
感情のともなわない黒く冷たい無の瞳。
獲物を見据える狩人のそれ。
生物を生物として認識していない、物でも見るかのような――。
――殺人者特有の目。
ビリビリと肌が何かを感じ取る。
感じ取る……?
違う……? 何かに反応して肌が逆毛だっているのか……?
感じているんだ……恐怖を。本能的に。
殺意? 殺気?
変な圧力を感じやがる。
これが……オーラって奴なのか? 普通の人間が放つもんじゃねぇぞこれ……!
くそ、やっぱりかよ――!
身構える。
左足を前に右足を後ろにして体を正面に向けない、やや斜めに向けた、いわゆる半身に近い立ち方。
前に出した左手は肘を水月の高さに、開手にして立てた手は指先を鼻の高さに置く。
右手は腰の位置で拳を下に向けた引き手状態でスタンバイ。
俺が本気で戦う時にだけ使う、全力の構えだ。
名前はまぁ、多分どっかの流派が適当に何か付けてあるんだろうけど、俺はこの構えの名前を知らねぇ。
素手喧嘩で戦りあっているうちに自然と身についた、一番使い勝手の良い、相手を全力でぶちのめす必要がある時用の構えだ。
推定ゴブリンがゆっくりと近づいてくる。
白兵戦の距離。長剣とか刀の距離って所か。
ここまで近づいて、ようやくフードの中の顔を拝む事ができた。
――それはもはや、人ではなかった。
人に似た形の顔ではあるものの、ギョロリとした眼は瞳が大きく、白目など見当たらないほどに赤い瞳だけで覆われていた。
眉は無し。鼻はやや鉤鼻気味。これが種族特徴なのか個性なのかはまだわからない。
けど、おそらく種族特徴なのであろう異形が見て取れる。
それは不気味な筋だ。
顔中を部族の化粧が如く覆う無数の筋。
口の横に、眼の辺りに、額に、頬に、まさに化け物です、って感じに浮かんでいる筋、筋、筋。
まるで下手なハリウッドメイクだ。
映画なんかの二足歩行系人外の異形にありがちなそれが、目の前にいた。
さら近づいて来る。
格闘戦圏内一歩手前……!
もう少し近づいてくれば踏み込んでの射程内――。
「ジョグ! ザダン! ジャッギャッジョゴ!!」
――突如、推定ゴブリンが謎の奇声を発した!
そしてローブの中、腰元に右手を入れると、素早く踏み込んできた!
伸ばしてきた右手にはボロボロのナイフ――!
いや、包丁か……!?
とにかく、短めの刃物めいた何か!
それは一直線に俺の腹めがけて伸びるように迫る!
俺はそれを下段払いで受け流す。
前に出していた左手を下に向けて払い、武器を握っている相手の手よりも奥。手首を狙って手を打ち付けるように刃を持った腕を横に反らせる。
そして――。
俺は空手を解禁する。
今まで喧嘩する時は相手の事を考えてなるべく使わないようにしてきた。
下手すっと殺しちまうかもしれねぇからだ。
それに、破門された身だ。
喧嘩のために使うのもなんていうか気が引ける。
だから空手の技はなるべく捨てて戦っていた。
まぁそれでも、たまに自然と蹴りとかで出ちまうんだけどよ。
けど、今は話が違う。
殺さなきゃ――殺られる!!
殺すつもりで――殺る!!
すっと右足の膝を高く上げ、スナップを利かせた前蹴りを水月へと叩き込む。
水月。つまりは鳩尾だ。
親指の付け根部分をめり込ませるように、全力で打ち抜く。
全力と言ってもあくまで自然に、無駄な力は抜いて、いつもやってる練習どおりにぶちこむ。
叩き込んだ足の指先に、何かを踏みつけるような不快な感覚と、何かが押し潰れるような嫌な感触がした。
「ギャバァァッァア!!」
体をくの字に曲げながら吐瀉物を吐き出しながら奇声を発する推定ゴブリン。
俺は右手を高く掲げる。
左手は当然、相手の獲物を持った手首を掴んでいる。
そして俺は相手の鎖骨があるであろう場所へと全力の手刀を叩き込む。
「ギュィィィッグ!?」
悲鳴が森の中を木霊する。
振り下ろした先に、確かな手ごたえ。
――折った。
確実に相手の骨らしき何かをへし折った感触がした。
相手はそのまま武器を持った右手をダラリと下げ、ナイフらしき刃物を地面へと落とす。
――だが、まだ生きてる。
「セイッ!!」
腹から力一杯の呼吸を吐き出しながら、俺はいつも通りのフォームで、体に染み付いているその動作で、技を繰り出す。
左正拳突き!!
そいつを顔面に叩き込む!!
パキャッと乾いた音を立てながら相手の顔が後方へと吹き飛ぶ。
鼻骨を砕いたであろう感触。
中空には歯であろう黄ばんだ白っぽい何かが飛散している。
だが――。
――まだ、生きてる!!
右足を上げ、普段の訓練どおりに、それを行う。
三日月蹴り。
腹辺りの高さまで上げた膝、そこから先、三日月を描くように蹴り脚が伸び、スルッと相手のわき腹目掛けて親指の付け根が叩き込まれる。
「ゴバァッ!!」
顔に腹にと攻撃を受け、たたらを踏んで立ち続ける相手に向けて俺は――。
背を向ける。
そして――。
――まだだ。まだ、生きてる……!!
全力で後方に振り上げた足裏を叩きつける。
上段後ろ回し蹴り!!
「ギッ……!」
側頭部に直撃を受けた推定ゴブリンは体をピンと伸ばした姿勢のまま倒れこむと、ビクンビクンと数度跳ねるような動きで痙攣を繰り返し、やがて小さな痙攣をえて、ブルブルと震えた後に――全身を弛緩させ、動かなくなった。
「押忍!」
構え、残心を決める。
そして、相手が完全に動かなくなった事を確認する。
――やった……のか?
後ろ回しは俺の必殺技とも言える技だ。
全力で放てば――打ち所が悪けりゃ、多分だけど、下手すりゃ死ぬ。
だから普段は手加減して使ってきた。
それを今日は全力だ。
これで、敵対勢力排除――。
「タケシ! 危ない!!」
ケイトの声に我を取り戻し、前方を見るとそこには――。
二体の人型の影があった。
森の中。
左右から。
フードを被ってないさっきのと同じようなローブ姿の奴と、腰ミノ一丁の大きい奴がゆっくりと歩いてくるのが見えた。
その手には棍棒と――手斧。
「チッ……おかわりもあるってのかよ……!」
俺は再び身構えると、新たに現れた二体のゴブリンらしき輩へと対峙した。
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