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30.カゼのいる生活
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この日を境に、カゼはたびたび居留地に遊びに来るようになった。
スタッフも次第に慣れ、居留地でカゼとすれ違っても、
「ハーイ。カゼ」
と、挨拶を交わすまでになっていた。
ケムワも、その一人だ。
銃さえ持っていなければ、カゼは警戒しない。
それがわかって、ケムワは嬉しそうだった。
だが、カゼが姿を現さない日もある。
そんな日は、なんとなくスタッフ皆の元気がないように感じた。
ある夜、スタッフの一人が、紘一の撮影に付き添った。
夜間活動する動物の撮影だった。
紘一とスタッフは、夜間用ビジョンをかけていた。
光量の少ない夜でも、よく見えるように、ビジョンを眼鏡のようにかけている。
すると、スタッフは、そのビジョンを通して、カゼを見つけた。
カゼは、ブチハイエナの群れから、ヌーの子供を守っていた。
ハイエナは、死肉を食らうイメージがあるが、自ら狩りをすることもある。
右へ、左へ、と立ち回り、立派にヌーの子供を守りきったカゼは、またどこかに走り去っていった。
その様子に驚いたスタッフは、居留地に戻り、カゼの活躍を身振り手振りで吹聴したものだ。
それ以来、カゼが居留地にいないときは、
「カゼは、パトロールに行っている」
というのが、スタッフ間の合言葉になった。
それに、カゼが居留地に来てくれるようになり、わざわざ信二が、出かけなくともよくなった。
カゼが、居留地にいなければ、〔パトロール〕に行っているのだ、と思えば、ストレスも溜まらない。
そんな時は、信二は、のんびりと居留地で、カゼを待っていればよかった。
カゼは、居留地にいる時は、いつも信二の側にいた。
しかし、たまに信二の側にいないこともある。
そんな時、大抵カゼは、悪戯をしでかしていた。
その日も、カゼは大瓶を抱え、広口に頭を突っ込んでいた。
「あら。カゼ」
と、突然後ろから声を掛けられ、カゼはビクッとした。
清子だった。
「あんた、何してるのよ」
と、清子が覗き込む。
カゼが、威嚇するように低く唸る。
だが、清子は意に介さず、カゼの前に回り込んだ。
「あんた。これ、ニャンちゃんのマルーラ酒じゃない」
カゼが抱えていたのは、オニャンゴが大切にしている、マルーラという果物を浸けた果実酒だった。
オニャンゴは、マルーラ酒が大好きで、夕食後に必ず、このマルーラ酒を飲む。
前に、酔っぱらったオニャンゴが、
「カゼ。お前も飲め」
と、飲ませたことがある。
どうやら、それでカゼはマルーラ酒の味を覚えたらしい。
「カゼ。それ、ニャンちゃんからもらったの?」
と、清子が聞くと、カゼは、コクコクと頷いた。
「嘘おっしゃい。そういうところは、お父さんそっくり」
と、清子は笑った。
そこへ、たまたまオニャンゴが通りかかった。
「あー!僕のお酒!」
叫び声を聞いて、カゼは素早く逃げ出した。
だが、酔っぱらったのだろう、次第に千鳥足になり、ふらふらと草原に消えていった。
清子とオニャンゴは、大笑いした。
また、ある時は、カゼと紘一が言い争っていた。
いや、言い争う、というより紘一が一方的に喋っていた。
「カゼ。お前、人間の言葉、わかっているだろ」
と、紘一が語り掛ける。
カゼは、
(せっかく木陰で休んでいるのに)
というように、紘一を迷惑そうに見上げていた。
「そう、その目だよ。全部わかっているんだろ。俺の言っていること」
車椅子のリクライニングを倒し、カゼと一緒に昼寝を楽しんでいた、信二が怒鳴った。
「うるさい!眠れんじゃないか!」
そこへ、夕食の支度をしていた、オニャンゴが通りかかった。
オニャンゴは、初日の昼食から始まって、ずっと、うどんやカツ丼に、オムライスやラーメンまで、信二のリクエストに応えて、毎日料理の腕を振るっていた。
信二が感心したのは、例えばカレーライスとしても、本格的なスパイスの効いたインドカレーではなく、まるで日本の食堂で出しているような、日本人の舌に合わせた味付けだったことだ。
最近の信二は、オニャンゴに、
「それは無理です」
とでも言わせたいのか、ムチャを言うようになった。
しかし、オニャンゴは、どのようなリクエストでも、
「それは無理です」
とは、一度も言ったことはなかった。
しかし、これは、信二とオニャンゴ間での遊びのようなものだ。
そんなオニャンゴの手には、皮むきをしたタロイモを入れた籠があった。
今晩は、信二のリクエストに応えて、山芋かけご飯を出すらしい。
オニャンゴが、
「カゼのほうが、コーイチより賢いよ、きっと」
と、タロイモをカゼに向かって、放り投げた。
カゼは、器用にタロイモを咥えると、紘一を見ながら、ニチャニチャとタロイモを食べ始めた。
「それそれ、その目だよ。人を小馬鹿にしたような目。
お前、今のオニャンゴの言葉が、わかったんだろ」
「違う」
と、寝ていたはずの信二が答えた。
「カゼは、人間の言葉が、わかるんじゃない。
心が、わかるんだ」
紘一もオニャンゴも、信二の言葉を頭の中で、繰り返していた。
言われてみれば、確かにそんな気もする。
「……ねぇ」
と、オニャンゴが、口を開く。
「シンジさんとカゼが、そうしていると家族みたいだね」
その声を受けて、紘一は、あらためて信二とカゼを見た。
信二は、車椅子に横たわり、その横には、木陰涼みをするカゼがいる。
そのカゼをじっと見つめていた紘一は、
「俺のほうが、お兄ちゃんだからな」
と、思わず出た自分の言葉に、真っ赤になり、慌てて立ち去った。
一瞬驚いたような表情をしたオニャンゴが、爆発したように笑いだした。
木陰を作る大木を見上げたまま、信二は微笑んだ。
スタッフも次第に慣れ、居留地でカゼとすれ違っても、
「ハーイ。カゼ」
と、挨拶を交わすまでになっていた。
ケムワも、その一人だ。
銃さえ持っていなければ、カゼは警戒しない。
それがわかって、ケムワは嬉しそうだった。
だが、カゼが姿を現さない日もある。
そんな日は、なんとなくスタッフ皆の元気がないように感じた。
ある夜、スタッフの一人が、紘一の撮影に付き添った。
夜間活動する動物の撮影だった。
紘一とスタッフは、夜間用ビジョンをかけていた。
光量の少ない夜でも、よく見えるように、ビジョンを眼鏡のようにかけている。
すると、スタッフは、そのビジョンを通して、カゼを見つけた。
カゼは、ブチハイエナの群れから、ヌーの子供を守っていた。
ハイエナは、死肉を食らうイメージがあるが、自ら狩りをすることもある。
右へ、左へ、と立ち回り、立派にヌーの子供を守りきったカゼは、またどこかに走り去っていった。
その様子に驚いたスタッフは、居留地に戻り、カゼの活躍を身振り手振りで吹聴したものだ。
それ以来、カゼが居留地にいないときは、
「カゼは、パトロールに行っている」
というのが、スタッフ間の合言葉になった。
それに、カゼが居留地に来てくれるようになり、わざわざ信二が、出かけなくともよくなった。
カゼが、居留地にいなければ、〔パトロール〕に行っているのだ、と思えば、ストレスも溜まらない。
そんな時は、信二は、のんびりと居留地で、カゼを待っていればよかった。
カゼは、居留地にいる時は、いつも信二の側にいた。
しかし、たまに信二の側にいないこともある。
そんな時、大抵カゼは、悪戯をしでかしていた。
その日も、カゼは大瓶を抱え、広口に頭を突っ込んでいた。
「あら。カゼ」
と、突然後ろから声を掛けられ、カゼはビクッとした。
清子だった。
「あんた、何してるのよ」
と、清子が覗き込む。
カゼが、威嚇するように低く唸る。
だが、清子は意に介さず、カゼの前に回り込んだ。
「あんた。これ、ニャンちゃんのマルーラ酒じゃない」
カゼが抱えていたのは、オニャンゴが大切にしている、マルーラという果物を浸けた果実酒だった。
オニャンゴは、マルーラ酒が大好きで、夕食後に必ず、このマルーラ酒を飲む。
前に、酔っぱらったオニャンゴが、
「カゼ。お前も飲め」
と、飲ませたことがある。
どうやら、それでカゼはマルーラ酒の味を覚えたらしい。
「カゼ。それ、ニャンちゃんからもらったの?」
と、清子が聞くと、カゼは、コクコクと頷いた。
「嘘おっしゃい。そういうところは、お父さんそっくり」
と、清子は笑った。
そこへ、たまたまオニャンゴが通りかかった。
「あー!僕のお酒!」
叫び声を聞いて、カゼは素早く逃げ出した。
だが、酔っぱらったのだろう、次第に千鳥足になり、ふらふらと草原に消えていった。
清子とオニャンゴは、大笑いした。
また、ある時は、カゼと紘一が言い争っていた。
いや、言い争う、というより紘一が一方的に喋っていた。
「カゼ。お前、人間の言葉、わかっているだろ」
と、紘一が語り掛ける。
カゼは、
(せっかく木陰で休んでいるのに)
というように、紘一を迷惑そうに見上げていた。
「そう、その目だよ。全部わかっているんだろ。俺の言っていること」
車椅子のリクライニングを倒し、カゼと一緒に昼寝を楽しんでいた、信二が怒鳴った。
「うるさい!眠れんじゃないか!」
そこへ、夕食の支度をしていた、オニャンゴが通りかかった。
オニャンゴは、初日の昼食から始まって、ずっと、うどんやカツ丼に、オムライスやラーメンまで、信二のリクエストに応えて、毎日料理の腕を振るっていた。
信二が感心したのは、例えばカレーライスとしても、本格的なスパイスの効いたインドカレーではなく、まるで日本の食堂で出しているような、日本人の舌に合わせた味付けだったことだ。
最近の信二は、オニャンゴに、
「それは無理です」
とでも言わせたいのか、ムチャを言うようになった。
しかし、オニャンゴは、どのようなリクエストでも、
「それは無理です」
とは、一度も言ったことはなかった。
しかし、これは、信二とオニャンゴ間での遊びのようなものだ。
そんなオニャンゴの手には、皮むきをしたタロイモを入れた籠があった。
今晩は、信二のリクエストに応えて、山芋かけご飯を出すらしい。
オニャンゴが、
「カゼのほうが、コーイチより賢いよ、きっと」
と、タロイモをカゼに向かって、放り投げた。
カゼは、器用にタロイモを咥えると、紘一を見ながら、ニチャニチャとタロイモを食べ始めた。
「それそれ、その目だよ。人を小馬鹿にしたような目。
お前、今のオニャンゴの言葉が、わかったんだろ」
「違う」
と、寝ていたはずの信二が答えた。
「カゼは、人間の言葉が、わかるんじゃない。
心が、わかるんだ」
紘一もオニャンゴも、信二の言葉を頭の中で、繰り返していた。
言われてみれば、確かにそんな気もする。
「……ねぇ」
と、オニャンゴが、口を開く。
「シンジさんとカゼが、そうしていると家族みたいだね」
その声を受けて、紘一は、あらためて信二とカゼを見た。
信二は、車椅子に横たわり、その横には、木陰涼みをするカゼがいる。
そのカゼをじっと見つめていた紘一は、
「俺のほうが、お兄ちゃんだからな」
と、思わず出た自分の言葉に、真っ赤になり、慌てて立ち去った。
一瞬驚いたような表情をしたオニャンゴが、爆発したように笑いだした。
木陰を作る大木を見上げたまま、信二は微笑んだ。
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