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第4話
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――ええか。久しぶりの連絡がこんなことになってしまって申し訳ないんやけど、心して聞いてくれ……。親父が死んだらしい。
久しぶりに父が死んだ日の夢を見た。夢というにはあまりにもあの日の記憶と相違がなさ過ぎて、再上映といった方がしっくりくるものだが。
――気を付けて帰ってこい。気をつけてな。もしお前まで死んだら、家族が壊れる。それくらいの気持ちで、ゆっくり帰ってこい。
精いっぱい冷静を装う兄の声を聴きながら、私は急いで身支度をし、電車に飛び乗った。
私は父と反りが合わなかった。反りというか、そもそも父は家族から見放された人間だった。兄の頃はそうでもなかったそうだが、私が生まれてからは育児に一切参加せず、よそに女を作っては別れを繰り返していたそうだ。そうだ、となってしまうのは、ものごころが着いてからほとんど私と父は会話をしたことがなかったからだ。
私は父という人間のほとんどを、口ごもる母の伝聞で知っていった。いつも夜明け前に2階の自室から出て仕事へ向かい、私が眠った後に帰宅し、一直線に自室へと戻っていく。食事は外で済ませてくるか、母が部屋の前まで運んでいくかのどちらかだった。私は父という生き物が実は未確認の化け物なのではないかと疑ったことさえあった。
乗り換えのホームでバイト先に電話し、少しの間休みをもらう旨を伝える。私は震えていた。頭がかっとして、何に対してかわからない焦燥感が襲ってくる。それは恐怖などではなく、自分の父親が自殺したという、ショッキングでセンセーショナルな不幸が自分の身の上に降って湧いたという、高揚感に近いものだった。
最寄り駅に着いた頃には午後7時を回っていた。兄の車種など覚えてはいなかったが、車内灯を煌々とつけた軽自動車が1台、異様な空気でロータリーに止まっているのが目に入った。それが兄の車だった。
助手席の窓をノックすると、兄はゆっくりと窓を開け「おかえり」と言った。自分たちはまだ、日常の中に身を置いているのだと確かめるような、つとめて平静な声だった。
トランクを開けてもらい荷物を詰めていると、後部座席から母の頭の先だけが見えた。「お母さん」と声を掛けても反応がなく、わざと後部座席にバッグをぶつけてやろうかと思ったが、もしそれをきっかけにして母が崩れ落ち、二度と起き上がらなかったらどうしようと不安になり、そのままバッグを置き、そっとトランクを閉めた。
助手席に乗り込み「お母さん」と再度声を掛けると、今私に気が付いたように母はゆっくりと顔を上げ、力なく「おかえり」と言った。そこからは誰も口を開かなかった。事前に兄から「まだ誰も親父に会ってない」とは聞かされていたため、私は余計なことを言って事実を確定してしまわないように、助手席で目を閉じて、ただじっと、右折や左折の回数を数えていた。
遺体安置場に着くと、白髪に細い金縁の眼鏡をかけた老人が「この度はお悔やみ申し上げます」と言いながら私たちを出迎えてくれた。その瞬間、私たちを覆っていた大きな膜がぱちんと弾け、現実の前に下ろされたような感覚がした。
おぼつかない足取りの母に肩を貸しながら中に入り、私達は父の死に顔を見た。一切の血が抜けて枯れたようなその顔を見て、私はやっと、父の顔がどんなものであったかを思い出すことができた。
「ちょっとだけ、ふたりにさせて」
母がそう呟き、父の前から動かなくなった。私はその「ふたり」を言葉通りに受け取り「じゃあ私が出るから、兄貴が付いていてあげて」というと、兄は虚を突かれたように目を丸くし「いや、俺も出るけど」と言った。そこで、なるほど父とふたりということかと気が付いた。母の中で、父の亡骸はまだ人なのだ。
何も告げずにそのまま建物外へ歩いて行った兄を見送り、私は背中をぴったりと壁につけて母を待った。ガラス越しに、どこかに電話をする兄が見える。親族と連絡を取り合っているのだろうか。長男の仕事は思いの外多いらしく、末の娘である私はただただ受動的に、父の死が開けた穴に引きずり込まれるように加速したそれぞれの時間の経過を眺めているしかなかった。
母は15分ほどして出てきた。また椅子までは肩を貸して運んでから、交代で私が部屋に入った。入らないわけにはいかなかった。悲しみに暮れる家族の中で、私だけがその枠から外れるわけにはいかなかったのだ。とりあえず父の死に顔をもう一度見て「へんな顔」とだけ言って、踵を返した。
別に恨み言も贈る言葉もありはしない。ただ、あまりに早く出るのも母や兄を傷つけてしまうだろうと思い、不謹慎ながらも中をぶらぶらと歩きまわり、時間をつぶしてから外へ出た。兄は何十分とそこから出てはこなかった。
かわいそうだと思った。すべてが。
急遽のことだったので葬式は家族だけで行うこととなり、当日は兄嫁と甥っ子の優輝も含め5人だけで父を見送ることとなった。お経が唱えられる中で優輝が「じーじーはもう動かないの?」と聞いてくるので、私は「そうなの。でもきっとじーじーは、優輝のことを見守ってくれているよ」と言った。兄ならこういうだろうと思ったから。優輝は私のことを慕ってくれている。だからこそ、余計なことを言ってしまってはいけない。ひねくれた価値観を与えてしまっては、取り返しがつかないのだ。
お骨まで拾って一連の儀式を終えた後、私は居てもすることがないので最寄の駅から大阪へ帰ることにした。
帰路では兄からずっとLINEで「帰ったら必ず連絡しろ」「これからは毎日LINEするから見たら返事だけでいいからしてくれ」と送られてきた。どうやら私のそっけない態度を心神喪失と受け取ってくれているらしい。そんな状態の妹を送り出すなよと思わないでもないが、私は早く一人になりたかったので好都合だった。
大阪に戻り、私はアルバイトに傾倒し始め、呪いのように生きた。呪いのようにというのは「最も精力的に生きていた」という意味だ。講義が始まる5分前に教室へ滑り込み、終わればまた走って飛び出し。バスの待ち時間すら煩わしく、大学へはいつも自転車で通った。その方が早かった。
ねじが外れて、私たち家族はばらばらの部品になった。母はいつまでも母であり、兄は息子であり兄、私は娘であり妹であるわけだが、あの日から唐突に私たちは個人になって、その関係性の距離感がつかめずに、半年ほど私たちは茫然としていたのだ。
ふと、今日はあまりにも夢から覚めないなと思っていると、景色がまた遺体安置所に切り替わった。寒気がして振り返ると、死装束のまま父が、棺桶に足を突っ込んで立ち上がっている。私と顔を合わせた父の遺体はカッと目を見開き、私に向かって「元気にしてるか」と問うてきた。
「元気だよ」
「ご飯はしっかり食べてんのか」
「急に贖罪みたいに父らしく振舞わなくていいから。要件はなに」
夢の中の父には、不貞腐れた物言いも表情も素直にそのまま出すことができて驚く。私はこの夢を、社会の中では発散できなくなったストレスが溜まりすぎて非常事態になった時にだけ、無意識に脳が見せる自己防衛措置だと思っていた。だから決して、父が私のために夢に現れてくれたという美談にするつもりはない。母や兄にはこれまでの夢も、ましてや今回のことなど話す気は一切ない。
「俺が死んだとき、うれしかったか?」
「別に。何も感じなかったよ」
「お前が、俺を殺せてたらよかったのにな」
「人を殺したくなるような激情、私はあんたには向けない」
父が死ぬまでは誰彼構わず死んでしまえばいいと、心から憎む対象もいたはずなのに、そんな感情は父が死んでから一切といっていいほど湧かなくなった。死を身近で経験したから、そんなことを軽々しく言葉にしてはいけないと思ったわけではない。激しい感情が湧き起ころうとすると、そのすべてが飲み込まれてしまうのだ。父の死というたった一つの事実に。ドーナツホールのように、私の心に存在するその事実に。
「ざまぁみろ」
夢の父は捨て台詞のようにそう言った。私は、父が自身を刺した包丁をいつの間にか手に持っていて、彼の眉間に突き刺した。そこで夢は終わった。
目が覚める頃、私は涙を流していた。隣では戸倉君が眠っている。私は激情をすべて、父に吸い取られている。たとえば欲情も、破滅願望も、幸福感にしてもそうだ。溢れる前に栓が外れて、排水溝へと感情が流れ出していく。
私は戸倉君を起こさないようにそっと洗面台に行き、顔を洗った。彼は幸せそうな顔でまだ眠っていて、少しだけ救われたような気持ちになった。
「やっぱり私、誰かを特別に思うことはもうないみたい。よかったね、戸倉君」
久しぶりに父が死んだ日の夢を見た。夢というにはあまりにもあの日の記憶と相違がなさ過ぎて、再上映といった方がしっくりくるものだが。
――気を付けて帰ってこい。気をつけてな。もしお前まで死んだら、家族が壊れる。それくらいの気持ちで、ゆっくり帰ってこい。
精いっぱい冷静を装う兄の声を聴きながら、私は急いで身支度をし、電車に飛び乗った。
私は父と反りが合わなかった。反りというか、そもそも父は家族から見放された人間だった。兄の頃はそうでもなかったそうだが、私が生まれてからは育児に一切参加せず、よそに女を作っては別れを繰り返していたそうだ。そうだ、となってしまうのは、ものごころが着いてからほとんど私と父は会話をしたことがなかったからだ。
私は父という人間のほとんどを、口ごもる母の伝聞で知っていった。いつも夜明け前に2階の自室から出て仕事へ向かい、私が眠った後に帰宅し、一直線に自室へと戻っていく。食事は外で済ませてくるか、母が部屋の前まで運んでいくかのどちらかだった。私は父という生き物が実は未確認の化け物なのではないかと疑ったことさえあった。
乗り換えのホームでバイト先に電話し、少しの間休みをもらう旨を伝える。私は震えていた。頭がかっとして、何に対してかわからない焦燥感が襲ってくる。それは恐怖などではなく、自分の父親が自殺したという、ショッキングでセンセーショナルな不幸が自分の身の上に降って湧いたという、高揚感に近いものだった。
最寄り駅に着いた頃には午後7時を回っていた。兄の車種など覚えてはいなかったが、車内灯を煌々とつけた軽自動車が1台、異様な空気でロータリーに止まっているのが目に入った。それが兄の車だった。
助手席の窓をノックすると、兄はゆっくりと窓を開け「おかえり」と言った。自分たちはまだ、日常の中に身を置いているのだと確かめるような、つとめて平静な声だった。
トランクを開けてもらい荷物を詰めていると、後部座席から母の頭の先だけが見えた。「お母さん」と声を掛けても反応がなく、わざと後部座席にバッグをぶつけてやろうかと思ったが、もしそれをきっかけにして母が崩れ落ち、二度と起き上がらなかったらどうしようと不安になり、そのままバッグを置き、そっとトランクを閉めた。
助手席に乗り込み「お母さん」と再度声を掛けると、今私に気が付いたように母はゆっくりと顔を上げ、力なく「おかえり」と言った。そこからは誰も口を開かなかった。事前に兄から「まだ誰も親父に会ってない」とは聞かされていたため、私は余計なことを言って事実を確定してしまわないように、助手席で目を閉じて、ただじっと、右折や左折の回数を数えていた。
遺体安置場に着くと、白髪に細い金縁の眼鏡をかけた老人が「この度はお悔やみ申し上げます」と言いながら私たちを出迎えてくれた。その瞬間、私たちを覆っていた大きな膜がぱちんと弾け、現実の前に下ろされたような感覚がした。
おぼつかない足取りの母に肩を貸しながら中に入り、私達は父の死に顔を見た。一切の血が抜けて枯れたようなその顔を見て、私はやっと、父の顔がどんなものであったかを思い出すことができた。
「ちょっとだけ、ふたりにさせて」
母がそう呟き、父の前から動かなくなった。私はその「ふたり」を言葉通りに受け取り「じゃあ私が出るから、兄貴が付いていてあげて」というと、兄は虚を突かれたように目を丸くし「いや、俺も出るけど」と言った。そこで、なるほど父とふたりということかと気が付いた。母の中で、父の亡骸はまだ人なのだ。
何も告げずにそのまま建物外へ歩いて行った兄を見送り、私は背中をぴったりと壁につけて母を待った。ガラス越しに、どこかに電話をする兄が見える。親族と連絡を取り合っているのだろうか。長男の仕事は思いの外多いらしく、末の娘である私はただただ受動的に、父の死が開けた穴に引きずり込まれるように加速したそれぞれの時間の経過を眺めているしかなかった。
母は15分ほどして出てきた。また椅子までは肩を貸して運んでから、交代で私が部屋に入った。入らないわけにはいかなかった。悲しみに暮れる家族の中で、私だけがその枠から外れるわけにはいかなかったのだ。とりあえず父の死に顔をもう一度見て「へんな顔」とだけ言って、踵を返した。
別に恨み言も贈る言葉もありはしない。ただ、あまりに早く出るのも母や兄を傷つけてしまうだろうと思い、不謹慎ながらも中をぶらぶらと歩きまわり、時間をつぶしてから外へ出た。兄は何十分とそこから出てはこなかった。
かわいそうだと思った。すべてが。
急遽のことだったので葬式は家族だけで行うこととなり、当日は兄嫁と甥っ子の優輝も含め5人だけで父を見送ることとなった。お経が唱えられる中で優輝が「じーじーはもう動かないの?」と聞いてくるので、私は「そうなの。でもきっとじーじーは、優輝のことを見守ってくれているよ」と言った。兄ならこういうだろうと思ったから。優輝は私のことを慕ってくれている。だからこそ、余計なことを言ってしまってはいけない。ひねくれた価値観を与えてしまっては、取り返しがつかないのだ。
お骨まで拾って一連の儀式を終えた後、私は居てもすることがないので最寄の駅から大阪へ帰ることにした。
帰路では兄からずっとLINEで「帰ったら必ず連絡しろ」「これからは毎日LINEするから見たら返事だけでいいからしてくれ」と送られてきた。どうやら私のそっけない態度を心神喪失と受け取ってくれているらしい。そんな状態の妹を送り出すなよと思わないでもないが、私は早く一人になりたかったので好都合だった。
大阪に戻り、私はアルバイトに傾倒し始め、呪いのように生きた。呪いのようにというのは「最も精力的に生きていた」という意味だ。講義が始まる5分前に教室へ滑り込み、終わればまた走って飛び出し。バスの待ち時間すら煩わしく、大学へはいつも自転車で通った。その方が早かった。
ねじが外れて、私たち家族はばらばらの部品になった。母はいつまでも母であり、兄は息子であり兄、私は娘であり妹であるわけだが、あの日から唐突に私たちは個人になって、その関係性の距離感がつかめずに、半年ほど私たちは茫然としていたのだ。
ふと、今日はあまりにも夢から覚めないなと思っていると、景色がまた遺体安置所に切り替わった。寒気がして振り返ると、死装束のまま父が、棺桶に足を突っ込んで立ち上がっている。私と顔を合わせた父の遺体はカッと目を見開き、私に向かって「元気にしてるか」と問うてきた。
「元気だよ」
「ご飯はしっかり食べてんのか」
「急に贖罪みたいに父らしく振舞わなくていいから。要件はなに」
夢の中の父には、不貞腐れた物言いも表情も素直にそのまま出すことができて驚く。私はこの夢を、社会の中では発散できなくなったストレスが溜まりすぎて非常事態になった時にだけ、無意識に脳が見せる自己防衛措置だと思っていた。だから決して、父が私のために夢に現れてくれたという美談にするつもりはない。母や兄にはこれまでの夢も、ましてや今回のことなど話す気は一切ない。
「俺が死んだとき、うれしかったか?」
「別に。何も感じなかったよ」
「お前が、俺を殺せてたらよかったのにな」
「人を殺したくなるような激情、私はあんたには向けない」
父が死ぬまでは誰彼構わず死んでしまえばいいと、心から憎む対象もいたはずなのに、そんな感情は父が死んでから一切といっていいほど湧かなくなった。死を身近で経験したから、そんなことを軽々しく言葉にしてはいけないと思ったわけではない。激しい感情が湧き起ころうとすると、そのすべてが飲み込まれてしまうのだ。父の死というたった一つの事実に。ドーナツホールのように、私の心に存在するその事実に。
「ざまぁみろ」
夢の父は捨て台詞のようにそう言った。私は、父が自身を刺した包丁をいつの間にか手に持っていて、彼の眉間に突き刺した。そこで夢は終わった。
目が覚める頃、私は涙を流していた。隣では戸倉君が眠っている。私は激情をすべて、父に吸い取られている。たとえば欲情も、破滅願望も、幸福感にしてもそうだ。溢れる前に栓が外れて、排水溝へと感情が流れ出していく。
私は戸倉君を起こさないようにそっと洗面台に行き、顔を洗った。彼は幸せそうな顔でまだ眠っていて、少しだけ救われたような気持ちになった。
「やっぱり私、誰かを特別に思うことはもうないみたい。よかったね、戸倉君」
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