ウィッチアタック・ギャラクチカ

まんなかは恥ずかしい

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その1

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『ジャコスン御光臨事件』というものが、かつてあったのだという。
 地味で退屈な地方都市に、華やかな専門店街と都会的なアミューズメントを兼ね備えた複合商業施設が進出してきたことが、地域住民から光明のごとく歓迎されたというだけの話ではない。この遠浜市で開店した大型ショッピングモール『ジャコスン・トーバマ』は、『光臨』の字面のとおりに、光に包まれてこの地に降り立ったのである。
 もちろん、更地に突如として建物が出現したわけではない。建設工事は完了し、テナントも入り、一週間のプレオープン期間も終え、いよいよグランドオープンを迎えるのみという、すっかりお膳立てが整った状況での出来事であった。
 それでも、オープン当日の未明に、謎の発光現象が遠浜の夜を照らしたことは、あまりにもセンセーショナルだった。
 目撃証言により、発光現象はまさにジャコスンの敷地内で発生したと推定された。ジャコスン側は関与を否定。メディアでも取り沙汰されたが、実害は認められず、また続報もなかったため、初夏の珍事としてほんの一時世間を賑わせたに過ぎなかった。
 どこの誰かは知らないが、代わりにでかい花火を打ち上げてくれたのだろう――と、そんなふうに受け止められたのだったが、まさかそれがジャコスン・トーバマの先行きを暗示するものだったとは。
 話題になったことは追い風になった。スタートは順調。しかしその分だけ息切れも早くなってしまったのか、初めこそ連日の大賑わいだったものの、ほどなくして客足が伸び悩むようになる。どうにか盛り返そうと苦心するも、空回るばかりで一向に好転しない。
 そうして結局、昨年末をもって営業終了。盛大に咲き開いた花火の輝きは、儚く短い。あとには茫漠とした駐車場と、がらんどうの建物だけ。
 開店当初の勢いに乗じて、周辺一帯は開発が進められていたが、はしごを外された格好となった。一旦始められた計画を止めるわけにもいかず、今なお粛々と進行されているが、肝心の中心部が空っぽではいかにも心もとない。
 巷では、別資本によるリニューアルが検討されているなどと噂されてはいるが、信憑性に欠ける。市民のほとんどは、再開したところでどうなるものかと冷めた目で見ていることだろう。
 そんな折に、ということになる。
 ジャコスン・トーバマに引導を渡す事件が発生する。いつか見た謎の光が、再び遠浜の夜を照らしたのである。
 発生地点は、やはりジャコスン。ただし、前回とは決定的に異なる点があった。
 閉店してから放置されていたジャコスンの建物の一部が消失してしまったのである。
 倒壊や崩落ではなく、『消失』。誇張されたわけでもなく、文字どおりに建物がえぐれて断面が露わになっており、しかし瓦礫の類は一切見当たらない。
 事件は大きく報じられた。上空にはヘリが飛び交い、周辺は封鎖され、近隣の学校は数日にわたって臨時休校となった。
 けれどもそんなのはたいしたことじゃない。某国の兵器でも不可知の隕石でも冥界からの干渉でもなんだっていい。まあ世の中にはたまに不思議なことがありますよね、といった程度の些末な出来事。



 そんなことより藤野凛花のことだ。
 藤野は高校のクラスメイトである。席も近い。なので素知らぬ顔でちょっと聞き耳を立てていれば、彼女についてある程度のことは知ることができた。
 藤野は高校進学のタイミングでこの遠浜市に越してきたそうで、半分くらいは中学から繰り上がってきたようなこの教室内にあって、一人も知り合いがいなかった。本人が言うには心細かったし友達ができるか不安だったそうだが、非常に人懐こい性格をしている彼女はあっという間に周囲に馴染み、ちょっと目を離した隙にも次々と友達を増やしていった。本人にとってみれば人見知りしないことと友達ができることとは別問題だろうし、杞憂で済んだのならそれに越したことはないのだが、こちらの事情としては少々さみしくしてくれたほうが好都合だったのになどと思わないでもない。
 さておき、越してきたばかりの藤野だが、実はまったく見知らぬ土地というわけではないのだという。両親はもともとこの辺りの人で、藤野自身も生まれはこちら。小学校に上がる前はこちらで暮らしていたが、親の仕事の都合で引っ越すことになり、同じ理由でまた戻ってくることになった。
 当時、仲良くしていた友達もいた。だから、もしかしたら再会できるかもと期待してもいたのだが、残念ながら肩透かしに終わったらしい。
 藤野は新しく友達ができるたび、その話をした。聞き耳を立てる俺は、そのたび痛恨の思いに駆られてうめいた。
 藤野の言う、当時仲良くしていた友達とは、どうやら俺のことらしかったからだ。



 春先、中学の卒業式を終えてまもなくのことである。
 家でダラダラしていたところ買い出しを厳命されたので渋々遂行していると、不意に声をかけられた。肩に手を置かれる。振り返ると、その手は遠慮がちに引っ込んだ。因縁をつけられたわけではないとわかる。なにより、その手は女の子のものだった。同じ年頃の、きれいな顔をした女の子である。おどろいたように、とまどったように、目を大きくしてこちらを見ている。
「コウちゃん……、コウちゃんよね?」
「……?」
 いかにも俺はコウちゃんであったが、そう呼ばれる心当たりはあまりない。親戚の誰かだろうかとも考えるが、やはり思い当たらない。
 記憶をほじくり返しながらまじまじと見返していると、彼女は不意に胸の前で手を合わせ、喜色を露わにした。
「ああ、やっぱりコウちゃんだ。もしかしたらと思ったら、すごいわ、本当に会えるなんて。あんまり変わってないのね、そのまま大きくなったみたい。でも元気になったんだね、よかった」
「……えっと、うん、そうそう、おかげさまで」
 困惑しつつも適当に相槌を打つ。とりあえず、話を合わせてみることに決めた。
 昔、俺は身体が弱かった。小さかった頃のことでまったく実感がないのだが、それを知っているということは人違いをされているわけではないのだろうし、その頃に会っただけだからおぼえがないのかもしれない。話しているうちに脳細胞が活性化して記憶が呼び覚まされることに期待したい。なにより、女子に笑顔を向けられているのに無下にするなんて、率直に言ってもったいないではないか。こんな機会、そうそうあるものではないのだ。
「実は、コウちゃんのこと探してたのよ。っていっても、子供の頃以来だからどこがどこなんだか全然わからないし、もう途方に暮れてうろうろしていただけなんだけど、でもおどろいたわ、会えちゃった。すごい偶然」
「いやーホントホント。で、今日はどうしたの?」
「そうそう、あのね、私、今度またこっちで暮らすことになったのよ」
「へえ!? あ、ホントに? ほほー、それはまた、どうしてそんなことに?」
「前とおんなじよ、お父さんの仕事の都合。それで、ずっとほったらかしにしていた家にまた住むことになるから、あらかじめ様子を見ておこうっていうことになって、私もついてきたの」
「ふーん、そっかー。どんな感じだったか、全然おぼえてないな」
「それはそうでしょう。コウちゃんは外に出られなかったんだから、私の家に来たことなんてあるわけないじゃない」
 む、そうなのか。あまり余計なことは言わないほうがよさそう。
「十年ぶりくらいになるのかな。一応親戚の人にお願いしてあったみたいなんだけど、やっぱりちゃんと見ておいたほうがいいじゃない? 聞いただけじゃわからないこともあるし、どこか駄目になっていたりするかもしれないし」
「虫とかいっぱいだったりしてね」
「いやー、やめてー」
「ははは」
「そんなになっていたら絶対住まないし。まあ、大丈夫だったけどね。そっちのほうは一段落したから、ちょっと時間をもらってうろついていたの。コウちゃんに会えないかなーって思って。今日わざわざついてきたのも、自分の部屋になる場所がどんなふうか見ておきたかったっていうのもあったけど、実はそのためだったの。よくよく考えてみれば無謀なんだけど、とにかく行けばなんとかなるような気がしてね。ほら、子供の頃って、自分の知っている範囲が世界の全部みたいに思うじゃない? 行ったことがある場所だけ、会ったことがある人だけ、みたいな」
「あー、そうね。知らないことを想像するだけの材料が、まだないっていうか」
「そうそう。だから、コウちゃんの家までの道順とか、具体的にはおぼえてないのに一直線にたどり着けるような気持ちでいたのよ、なぜか。実際に来てみたら、見覚えがあるのなんて家のすぐそばくらいで、あちこち歩き回ってみてもちっともぴんと来ない。まあしょうがないわよね、小さかったし。もう戻ろっかなって思ってたら、そしたら、いるんだもの、コウちゃん。びっくりしたわ」
「びっくりなのはこっちだけどね。昔とはだいぶ違うんだと思うよ。この辺りも相当変わったんだろうし。ちょっと前まで、近くにジャコスンがあってさ、今はもう潰れちゃったんだけど、繁盛してた頃にその勢いに乗っかっていろいろできたって聞いた」
「……へえ。ジャコスン。そう、ジャコスンねぇ……」
「……? どうかした?」
「ううん、なんでもないわ」
「まあ、これから引っ越してくるのに残念な話かもだけど、でも別のトコが買い取って再開するっていう噂もあるし。それより、これからどうするの? ああ、そうそう、俺のこと探してたんだっけ。どうしたの? そんな、わざわざ」
「うん……それなんだけど。実は私ね、あれからずっと気になっていて……」
「え……」
 意味深。これは極めて意味深であるといわざるをえない。
 察するに、これは引っ越しして別れてしまった幼なじみとの再会というシチュエーションであるようだ。マンガでよく見るヤツだ。たいていのケースにおいて、なんやかんやあって結婚、となる。いやーまいったなー。しかしまんざらでもないぜ。
 問題は、このラブコメ世界からの刺客を前に、何も思い出せないでいることだった。まったく、爪の先ほどの引っかかりもない。
 この状態でクリティカルな話題に言及するのは避けたい。今日のところはさっくりとした小気味の良いトークでお茶を濁して、名前と連絡先なんかを頂戴して次回につなげたい。
 そう、名前もわからないのだ。しかしこの流れで今さら聞くなんてできない。
「……気になってたって、何が?」
 決まってる。コウちゃんのことが、って言うに決まってる。わかっていても、白々しくも聞き返すほかない。乗り切るしかない。
 彼女はじっと見つめてくる。目が泳ぎそうになるのを懸命にこらえて、黒い瞳を見つめ返す。
 でも、と彼女の唇が小さく動いた。同時に、視線がするすると逃げていく。
「おぼえていないのなら、すぐに言ってほしかったわ。ああ、でも私が勝手にぺらぺらしゃべっちゃったのか。そうか、ごめんね」
「えっ、と……」
「なんでもないのよ、本当に、なんでもないから。ちょっと、自分ではよくわからなかっただけで、でも忘れちゃっているのならしかたないわよね、うん」
「ま、待った。ちょっと待った」
 彼女が今にも背を向けて去ってしまいそうなのを見て取って、俺はあわてて制止した。
「確かに、俺は君が誰なのかわからない。思い出せない。それなのに適当に話を合わせたのは悪かった。ごめん。でも、十年も前なんだろ? 見た目だけじゃわからなくたってしょうがなくないか?」
 すると、彼女は目をしばたかせる。
「あれ、もしかして私、自分のこと何も言ってなかった? あの、でも、べつに私、忘れられて怒っているとか、そういうわけじゃないのよ?」
「いいから! いいからとにかく名前を、名前を聞けばきっと……」
「なんか、そんなふうに言われて名乗るのも恥ずかしいけど……藤野凛花、です」
「フジノ、リンカ……フジノ……リンカ…………」
 この時、俺の脳は過去最大の回転数を記録したはずだが、空回りに終わった。
「……あの、本当に、気にしないでね。小さい頃のことなんだから」
 おずおずと、なんだか申し訳なさそうに彼女は去っていって、俺は目の前が暗くなってそれ以上引き留めることはできなかった。



 そして、今なお思い出せずにいる。あれから三ヶ月になろうというのに、これっぽっちも手応えがない。靄がかかっているようだとか、喉元まで出かかっているとか、そういうレベルでは全然ない。カップ麺のスープの底を箸で掬っている感じ。
 入学した高校で、割り振られた教室で、藤野の姿を見つけたときの心境は筆舌に尽くしがたい。とにかく話をせねばと思った。それ以外のことは考えられなかった。何と言って彼女の前に立ったのか、だからおぼえていない。
「わ、すごい。偶然って続くものね。これからよろしくー」
 ひらひらと手を振って、彼女は近くにいた女子との会話に戻っていった。なんとも味気ない。いかにもそっけない。内心では怒っているのではなかろうか。怒っていないと言っていたが、怒っている奴はたいてい口では怒っていないと言うものだ。
 それとも、すっかり呆れられてしまっているのだろうか。そう考えると、そう思えてくる。きっと藤野にとっては心待ちにしていた再会だったわけで、しかも何の当てもなかったところをばったりと出会ってしまったのだから、これはもう運命といって差し支えあるまい。むしろ運命以外のなにものでもない。それなのに、それなのに俺ときたら……!
 台無しである。幻滅されてもしかたない。
 挽回したい。どうにかして関係修復を図りたい。
 そしてあわよくばお付き合いしたい。
 だってさ、すごい好みなんだよ、この子。



「怒ってねーってんなら、怒ってねーんじゃねーの」
 あーちゃんはごく簡単に言い放った。ついでにいえば、かなりどうでもよさそうでもあった。
「違うんだよそうじゃないんだよ。あーちゃんはわかってない。てゆうかもっと興味もって。ちゃんと考えて」
「ほどほどにちゃんと考えてる」
「嘘だ。あーちゃんも見たろう、あのそっけなさ。あからさまに冷たいじゃないか、俺への態度が、まなざしが」
「普通だろ。べつに冷たくもそっけなくもない。西山が過剰な期待を抱いているだけとしか思えん。そもそも、それほど親しくするような間柄だったのかどうか疑わしい」
「それは確かに、思い出せないしそうなのかもしれないんだけど。でも違ったんだよ、あのときは」
「あ、その話、もう聞き飽きたから言わなくていいぞ」
「いいや言うね。そう、あの日あのとき、俺たちは運命の再会を果たしたんだよ」
「ひー、やめて恥ずかし」
「やめない。いいかあーちゃん、俺だって何の手応えもなしにこっぱずかしい単語を連呼しているわけじゃないんだ。あのときの藤野は、今の藤野とは違ったんだよ」
「たまたま十年越しの友達と出くわせばテンション上がるくらいするだろ。それ以上でも以下でもない」
「違うよそうじゃない、そういうんじゃないんだよォ。もっと、なんていうか、熱っぽいっていうか、けなげ感があるっていうか、そういう感じ。わかる? わかるだろう? 抑えきれない感情で胸がいっぱいになって、思わずあふれでてきちゃう感じだよォ」
「だから、それがお前の妄想でしかないんじゃねーのかと言ってんだよ。あととても気持ちが悪い」
「……うん、ごめん。確かに、今ちょっとだけ気持ち悪い感じになってた気がする」
「ま、妄想かどうかはともかく、そうやって前のめりになって変にからむから引かれてるんじゃねーの?」
「え、俺、引かれてる?」
「知らんけど。ただ、西山が藤野さんの態度に思うところがあるってんなら、怒ってるってよりかはそっちなんじゃねーかと僕には思えるけどな」
「……なるほど」
 と、俺は考え込む。さすがあーちゃん、的確な指摘である。
 呆れ果てた藤野は、俺を突き放しているものと思っていた。いかなる釈明も受け付けないという意思表示、つまり怒っているのだと。
 ところが、あーちゃんはそうとはかぎらないだろうという。彼女に怒る理由はあるのか、俺の勘違いではないのか。
 要するに、特に脈はない、と。
 理路整然としている。
 そうね、まあ一理あるかな。しかし当面はその方向には考えないようにしていきたい。
 思い出せないことがすべての元凶なのだ。当時藤野とどんな間柄だったのか、どんなやりとりがあったのか、それが明らかになるまでは結論を急ぐべきではない。焦らずとも、真実はいずれ明らかになる。なに、おおむね目星はついている。どうせ「コウちゃん」「リンちゃん」などと呼び合ってたりしてたいそう仲睦まじく、なにか二人の将来に関する大事な約束をしてたりするに決まってるんだ。きっとそうだ。そうであれ!
「なーんか、終わりになりそうな気配」
 あーちゃんがつぶやく。バスケ部の練習のことだろう。俺も顔を上げる。
 存分に議論を深めていたが、今は放課後で、実は部活動の時間である。バスケ部員である俺とあーちゃんも一応練習中の身なのだが、こうして体育館の隅っこで何をするでもなく突っ立っている。コートの中ではレギュラー陣が試合形式の練習をしているので、サボっているわけではないのだが、積極的な姿勢とはいえない。
 端的にいえばやる気に乏しいのだが、これでも中学時代の三年間もバスケ部員として過ごした実績がある。特に成果は残していない。もともと運動は得意ではないのだ。それなのになぜ運動部に入っていたかといえば、運動部員であることは校内ヒエラルキー的に有利だとあーちゃんに誘われたからだった。どうしてバスケだったのかは、確か二人で相談して決めたのだったが、理由は忘れた。たぶんなかったと思う。
 高校でも、同じ理由で続けてはみたものの、どうやらこの部にヒエラルキー的な恩恵は期待できないことがわかった。弱小だからだ。
 練習スペースを区切るネットのそばで、部長が女子と話している。女子バレー部の部長で、彼女たちは県大会上位の常連と聞いている。今年こそは優勝と意気込む自分たちのために、練習場所を明け渡せと要求されているに違いない。いつものことなのだが、いつもよりも時間が早い。先日の『ジャコスン消失事件』の影響で臨時休校となり、当然、部活動もできなかったからだろう。夏の大会を目前に足踏みさせられて、気が逸っているのだ。
 予想どおり、バスケ部員にはすみやかに撤収するよう号令が下り、体育館を後にすることになった。そのまま解散。ここで基礎トレーニングなどのメニューに移行しない潔さこそが、弱小たるゆえんである。
「それじゃあ、さくさく帰ろうか」
 さっきまで上級生に混ざってコートの中にいた夏目が、こちらにやってきて俺たちをうながす。強引に練習を切り上げさせられたわけだが、恨み言をこぼすでもなく、いたってさわやかな顔である。
 夏目もまた、俺やあーちゃんと同じ中学で、同じバスケ部だった。違うところは、彼はチームの中心選手で、進学直後でも上級生に混ざれるくらいの実力があること。弱小バスケ部であることを差し引いてもそれは変わらず、本来ならもっとまともな部のある高校に行くべきと俺などは思うのだが、本人にそこまでの情熱はないらしい。もったいない話だ。
「志津木さんに伝えなくていいのか?」
 先に立って歩く夏目の背中に、あーちゃんが呼びかける。志津木というのは夏目の彼女だ。夏目はそそくさと連絡を取り始める。
「一緒に帰るから、校門で待っててってさ」
「藤野は?」
「え? わからないけど、一緒じゃないんじゃない?」
「だろうな。一緒だったら、部活を切り上げて帰らないだろ。普段あんなにしつこく誘ってんのに」
「それもそうか……。そんじゃあな夏目、俺らは先に帰るから。あーちゃん、どっか寄ってく?」
「ちょっ、待った待った。なんでさ、一緒に帰ろうや」
「いやねぇ、お邪魔になってもいけませんしねぇ……」
「ええ? 何言ってんの今さら」
 不満げに口を曲げる夏目。
 夏目と志津木は、中学二年の終わりくらいから交際している。俺やあーちゃんも知らない仲ではないし、こうして男三人でいるところに志津木が合流するパターンはしょっちゅうなので、今さら気を遣うでもないことではある。もともと二人が幼なじみということもあり、恋人同士という関係になってもあまり粘着質にならない様子だったので、俺たちも別段気を回すことなく普通にしていられた。
 ところが昨年末、夏目が志津木との約束をすっぽかす事件が起こった。加えて、その件に俺たちも深く関与してしまっていた。夏目によればとっくに和解したらしいのだが、そう思っているのはこいつだけなんじゃなかろうかと思えてならない。
「変に気を遣うのやめてくれよ。あいつも気にしないから」
「えー、でもさー……」
「いいから、大丈夫だから。な、頼むよ」
 結局、志津木が校門に現れるまで夏目にしつこく引きとめられ、なしくずしに一緒に下校することになった。普通なら、頼まれてしかたなく二人きりにしてやるものだと思うのだがね、まったく理解に苦しむ。



 志津木茜は現れるやいなや、眉をひねくれた形にした。
「なんで運動部のくせに日が高いうちに帰ってんのよ」
「日が高いのは、もう夏だからだぞ」
 言い返すと、鼻で笑われた。
「文化部より早く終わるなんてやる気あるのかって言ってんの」
「もっともだけど、俺に言うなよ。あとやる気もない。運動部だからって全部がゴリゴリの体育会系である必要はないだろ」
「スポーツとレジャーは区別すべき」
 あーちゃんが重ねて言う。うむ、広く世に問うべき提言である。
 ぞろぞろと帰路に着いた。四人とも徒歩圏内である。俺やあーちゃんは、適当なレベルの高校が都合よく地元にあったので、進学先は半自動的に決まったが、夏目はそうでもない。この夏目元晴とかいう男は、背が高くてバスケもうまくて顔も良いくせに、勉学まで優秀でいやがるのである。にもかかわらず、たいして考えるでもなく手近なところに収まってしまった。それ自体は本人の自由なのでかまわないのだが、俺たちがそそのかしたかのように言われるのは釈然としない。特にこの志津木が、そういう根も葉もないことを平然と言う。ちなみに彼女の頭脳の具合は、よく知らないけどたぶん普通。
 志津木としては、やはり夏目と二人きりで恋人らしいことをしたいのではなかろうか。つまり、俺たちは邪魔者。憎まれ口のひとつも叩きたくなるだろう。
 ただ問題にすべきは彼氏であるところの夏目の態度だ。幼なじみから発展した間柄だからか、志津木と付き合っているという自覚が足りないように思える。どうにも彼女そっちのけで俺たちと遊びたがる傾向があって、志津木はそれに不満を感じている。そのはけ口が主に俺に向いている。いい迷惑。
 海沿いの道に出た。堤防に沿って広い歩道が続いている。このところ降り続いていた雨は今朝になってようやく上がり、雨雲を押しのけて照りつける日差しが地上にたまった数日分の湿気をすっかり拭い去ったようだった。
 通りがかったコンビニで飲み物を買う。
「西山、また甘いやつ買ってるー。女子か」
 から揚げ串を振り回して、志津木がからんでくる。それ、差別発言だと思うんですけど。
「うっさいな、いいだろべつに。……ところで、それより、藤野は? 今日は一緒じゃなかったのか?」
 そう、そんなことより藤野凛花のことだ。
「凛花? 凛花なら、今日は書道部。般若心経を写経するんだって言ってた」
「何をやっているのあの人……」
「変な子だよね。ほとんど日替わりで違う部に行ってるんだって。手品部にも誘ってるんだけど、ほとんど来てくれないんだよね」
 文化系の部活は零細であることが多いので、積極的に兼部を奨励していると聞く。そのため、活動で使う用具類にわざわざ『お客様用』を準備している部も少なくない。藤野はそれを有効活用し、昨日はあちら今日はこちらと手広く活動しているらしい。おかげで、弱小バスケ部に見切りをつけ、彼女とお近づきになるべくして部活動の時間をともにするといった手を打てずにいる。
 何かを察したように、志津木は眉をひそめた。串先を向けてくる。
「あのさぁ、凛花につきまとうのやめなよ。キモいよ?」
「べつにつきまとってないし……え、キモい? 俺、キモいかな……?」
「あ、や、キモいは言いすぎかもだけど。小さいころ友達だったっていうやつ? そういうのにこだわるのってどうかなって思う。忘れたならそれでいいじゃん。凛花だって気にしてないみたいだし」
「あーちゃんと同じことを言う……」
「めずらし。相川の言うことなら何だって聞くのに」
「あーちゃんの言うことはたいてい正しいからな」
「今回は違うってわけ?」
「正しいことと俺が望むことが、違うことだってある」
 すると志津木は、うわぁ、という顔をした。口に出しても言った。
「やっぱりキモい」
「なんだろね、こういうとき女子ってさ、コイバナ大好き感を前面に押し出して無責任に応援してくれたりするもんじゃないの?」
「いやぁ……無理ぃ」
「おい、本気で引くなよ」
「凛花と西山じゃ釣り合わないし」
「それは……そうでしょうね。残念ながら」
「でしょーう!」
 全力でダメ押しされて若干ヘコんでいると、後ろを歩いていた二人から声がかけられた。二人とも顎を上向けて、空を指さしている。
 見ると、頭上で黒い影が旋回していた。けっこう大きい。
「トンビ?」
「そのから揚げを狙ってるのでは?」
 すばやく串を腹の辺りでかばう志津木。
「あれ……人に見えるのは僕だけか……?」
 手で庇をつくるあーちゃん。確かに、鳥が羽を広げているにしては厚みがある。立ち木にとまった鳥がそのまま飛んでいるような輪郭である。しかし人かといわれると……
「……?」
 ふと視線を落とすと、志津木が足音もなく離れていく。するりと夏目の背後に隠れた。
「どうした?」
「……べつに。なんとなく」
 きっと本当になんとなくそうしたのだろうが、まるで予見したように適切な行動だったことになる。何とも勘の良い女だと、余裕があれば感心することしきりであったろう。余裕があれば。
 そんなものはなかった。
「っ!?」
 と、誰ともなく声にならない声が上がる。俺の口からもきっと出ていたはず。平然となんてしていられたはずがない。
 不意に地面が消えた。そう思ったのは錯覚で、地面はちゃんとある。ただ、足がついていなかった。
 言いようのない不安感が背筋を駆け上がり、わたわたと手足をばたつかせる。足裏が地面を蹴った。反動で後ろにひっくり返る。しかし尻餅をつかない。仰向けになり、ハンモックに揺られているような状態。もちろん、道端に何の支えもなしにハンモックなんてない。
 宙に浮いている。
「えぇぇ……?」
 三人とも、あ然として俺を見ている。その視線が、上を向いていく。上昇を始める俺を追っているのだ。
 そのまま、どんどん地上を離れていく。だんだん頭が下になっていって、完全に逆さまになったところで止まった。視界の上側に青い海が広がっている。見上げる地面は、けっこう遠い。三人が小さく見える。何か叫んでいるようだが、よく聞き取れない。
「見つけましたよ、お師匠」
 代わりに高い声。逆さ海の背景に横入りしてきたのは、女の子だった。
 小学生くらい、十歳かそこらに見える背格好。ハロウィンの時期を勘違いしたような、妙な扮装をしている。
 そして、これはきっと重要なことだが、当然、空に浮かんでいるわけである。
 ただし、この少女は俺のように逆さまにはなっていない。重力の方向に従って、きちんと足を下に向けている。けれどもいかなる事情によってか、重力自体は無視することが許されているようである。長い棒状のものにまたがっているので、それが理由だろうかと推測してみるが、少しも現実的でない。そういう絵姿に見覚えがあるから、そう連想しただけのこと。
 小さな、魔女みたいだな、と。
 彼女がまたがる棒も、箒ではないが、似た形状ではある。片側の先端が広がっていて、網目のような構造になっている。ラクロスのラケットに似ている。きっと杖とでも呼ぶべきものなのだろう。
 俺が動いたのか少女が動いたのかわからないが、顔の高さが合わさった。
 正面に、逆さまの少女の顔。強く風が吹いて、長い髪が流れる。
 その髪と、俺をにらみつける大きな瞳は、海よりも空よりも淡い色合いだったが、確かに青かった。



 風の加減か、遥か地上にいる友人たちの声が空まで届いた。熱い血潮を感じる力強い声は、たぶん夏目のものなのだろうな、「西山ァ―――――!!!!」と叫んでいるのが聞こえた。この状況の助けには、まったくならない。気持ちはうれしいけどね。
「さあ、きりきり帰りますよ、お師匠。観念してください」
 少女が俺に向かって言う。確かに下校中だったが、たぶんそういう意味では言っていない。謎の棒にまたがって空を飛ぶ青髪青目の少女が、ありふれた日本家屋に帰らせてくれると思えない。
「帰ったら、いくらお師匠でも絶対怒られますからね、覚悟しておいてくださいよ。お師匠が急にどこかに行っちゃったせいで大変なことになってるんですから。わかってます? まあ、私は正直よくわかってなかったんですが、リゼリヤお姉さまがそう言ってました。おぼえてますよね、リゼリヤお姉さま。私より何人か前の弟子だそうですけど、全宙連の人がお師匠と連絡が取れなくなって、それでわざわざ様子を見に来てくれたんです。いったいどういうつもりなんですか。誰にも何にも言わずに急にいなくなるなんて」
 少女がまくしたててくるが、全然頭に入ってこない。主に逆さ宙吊り状態のせいで。
 ただ、ひとつ確かそうなのは、彼女が俺のことを誰かと勘違いしているらしいことだ。
「……おししょうって、誰だよ?」
「え、なんです?」
「人違い、だ。俺は、お前なんて、知らん」
「……しらばっくれるつもりですか」
 少女の青色の目が険しくなる。
「お師匠にも何か事情があるのかもしれませんが、他人様に迷惑がかかるようなのは駄目です。お姉さまからは、どんな言い訳も聞き入れるな、絶対に情けをかけるなって言われてます。お師匠がそういうつもりなら、私にだって考えがあるんですから」
「いいから、はよおろせ、ばか」
「いいですとも」
 言うが早いか、俺の身体は地面に向かう。とはいえ、言い方には気を遣うべきだった。どうにも、素直に下ろしてくれるようには思えない加速度を全身に感じる。落下ですらなく、投げつけられるような勢い。
「……っっ!!!」
 悲鳴を上げる間もなく地面に衝突――の、寸前にぴたりと停止。一瞬遅れて頭に血が集まり、目の前が真っ赤になった。視覚的には、ほぼ死んだような演出効果。けどまだ生きてるっぽい。
 指先が地面に届いた。そのまま滑り落ちるような感覚があって、手をついて踏ん張る。さっきまでは無重力さながらに身体全体が浮きあがっていたのだが、今は足を掴まれてぶら下がっている感じ。地面に降りてはいても、逆さ吊りから逆立ちに変わっただけで頭に血が上るのには変わりない。
「ににに西山! だ、大丈夫か! なんだこれ、どうなってんだ!」
 夏目が駆け寄ってくる。数歩遅れてあーちゃんも。志津木は目を見開いて立ちすくんだまま。
 しかし二人の前を、少女が急降下してきて遮った。
「近づかないでください。この人は私のお師匠です。魔女です。みなさんは騙されています」
「な、え、なに? なんだって?」
「ちょっと、ねえ、なんなのこの子。浮いてるし、髪青いし、地毛?」
「……魔女?」
 三人が口々に述べた感想を無視して、少女は、たぶん、俺に何かした。足を掴まれたような感覚はそのまま、ぐるぐると視界が回る。おそらくはバトントワリングのように、俺の身体はくるくると回転しながら空高く放り投げられ、放物線を描いて落ちてきたところをキャッチ。そんなふうに物言わぬ棒切れの気持ちを何度か繰り返し味わわされたあと、平面人間とすべく前後からぎゅうぎゅう圧迫されたり、雑巾のように絞られて人体の可動域の限界を探られたりした。
「いたっ、痛い、あばばばば、やめ、やめて、痛いって!!」
 正直、こんなのんきに痛がっていられる自分が不思議である。死んでないどころか、今のところ骨折の気配もない。吐いてないし、失禁もセーフ。
「嘘に決まってます。しらじらしい、こんなの本当は全然平気なくせに!」
「嘘なわけないだろ! やめて、ホントやめて、痛いから! すっごい痛いから!」
「本当に痛いのなら、おとなしく一緒に帰ってくれますよね?」
「だから何の話だよ、誰なんだよお前!」
「とぼける余裕があるのは、痛がってるふりだってことでしょう! お師匠ですから一応手加減してましたけど、必要ないみたいですね!」
「何言ってんの! ホントなんなの! ぅぁぁああああ痛い! 痛ぁい! 死ぬぅ!」
 少女の瞳がぎらぎらと輝き、俺を締め上げる力が増していく。
 その後ろで、あ然とした志津木がどこかのんきにつぶやく。信じられないものを目の当たりにし、おどろきを通り越して、手品でも眺めているような調子である。
「ねえ、あれ、この子がやってるの?」
「馬鹿言え、そんなわけねーだろ。そんなふうにしか見えねえけど、そんなことあるわけねーし、そんな馬鹿なこと……」
 いつも冷静なあーちゃんも若干バグっている。夏目が少女の背後に近づき、肩を掴んだ。
「おい、やめろ! なんだかよくわからないけど、とにかく西山に何かするのをやめるんだ!」
「なんですかあなたは。邪魔しないでください」
 少女は夏目の手を払いのけ、するすると手の届かない空中に逃げる。もちろん、その間も俺をきりきり絞る力は緩まない。
「やっぱり浮いてる。すごーい。とんでるー……!」
「どう見ても飛んでるんだよなぁ……どうなってんだろうなぁ……」
「二人とも何ぼけっと見てるんだよ! 早く何とかしてやらないと西山が……!」
「そうは言ってもどうしたものやら」
「同じく」
 おいおい、とんだ薄情野郎どもだな。でもしかたないかも。当の俺にだって、どうしてもらえば助かるのか皆目見当がつかないし。
「くっそ……!」
 ただ一人抵抗の意志を見せる夏目は悔しげに少女を見上げていたが、やがて何かを思いついたらしく、背負っていたリュックを放る。
「どうするつもり?」
 という志津木の問いには答えず、大きく息を吐く。そうして高跳び選手がするように数回身体を揺らしたあと、堤防に向かって猛然とダッシュ。ほぼ垂直の壁を駆けあがり、三歩目で身を翻して跳びあがる。変身ヒーローのような小気味良い掛け声とともに全身を伸ばし、最高点に到達した両手が、空中の少女の両足首をがっちり掴んだ。どうなってんだこいつの運動神経は。
 そのままぶら下がる。反動で下半身が大きく振れた。長身の夏目の体重を、少女はまたがった杖との接点で受けることになる。
「いだだだだだだだだだだだ!!?!!!」
 少女はなすすべなく墜落。一拍遅れて、謎の万力地獄から解放された俺も地面に落下。無慈悲無造作な重力が、こんなに愛しく思えた瞬間はいまだかつてない。
「ちょっとー! 女の子になんてことすんのよ!」
 抗議の声をあげるのは、悶絶する当人ではなく、志津木。



 青髪青目の少女は、志津木に背後からホールドされ、ややふてくされたような顔で気をつけの姿勢を強いられている。拘束したところでどれほど行動を制限できるのかまったくの未知数だが、かといって自由にしておくのは不安がある。この得体の知れない危険な存在に相対するに際し、意外にも志津木は積極的に役目を買って出てくれた。いたいけな少女に行った仕打ちについて、同性として配慮すべきという使命感に駆られたのか。また、それを行ったのが自らのパートナーであることに自責の念を抱いてもいたのか。
 見た感じには、単に機嫌を損ねた子供に抱き着いてあやしている図である。
「あなた名前は? あたしは茜。そっちのお兄さんたちは……まあどうでもいいよね。ねえ、教えてくれる?」
 普段聞かないような声色。幼児にするような接し方だけど、少なくとも小児くらいではあると思う。それに言っちゃなんだけど、小柄な志津木とではそこまでの年齢差があるようには見えない。
「……シルシュ、です」
「シルシュ? カタカナだよね、やっぱり外国人なのかな。日本語すらすらだね」
「んなことよりもっと問題にすべきところがあるだろ」
 きっぱりと言い切るあーちゃん。そうだぞ、まったくそのとおりだ。なごやかに歓談してる場合じゃないだろホントにもう。そして夏目が、少女シルシュの前にずいと進み出る。
「で、どうして西山にあんなことしたんだ?」
「……あの人がお師匠だからです。私はお師匠を連れ戻しに来たんです」
 会話に応じるということは、とりあえずおとなしくしてくれるつもりらしい。シルシュは目線だけこちらに向ける。俺は起き上がる気力もなくて、ちょっと離れた場所で無造作に寝転がっている。さらに離れると、ちらほらと人の姿があった。浜に打ち上げられた哺乳動物を見物する様子に似ている。俺が大変な目に遭っていた場面も鑑賞されただろうか。でも今はどうでもいいや。
 夏目の眉間にしわが寄った。
「西山が? どういうことさ?」
「さっき魔女とか言ってたが、師匠ってのは、つまり魔法の師匠とか?」
 あーちゃんが問いかけを継ぐと、そんなところです、とシルシュはあいまいに頷いた。
「待て待て。何言ってんだよ。西山が魔女なわけないじゃんか。よく見なよ、どう見ても男だし」
「え、そこ? あのさ、そもそも魔女とか魔法とか、本当なの? 信じるの?」
 常識的な志津木。それに対し、あーちゃんはあっさりと応じる。
「信じるかどうかはさておき、目の前で実際に起こったことだからなぁ、それに類するものはあるんだろ、知らんけど」
「でもほら、何か仕掛けがあるとか。イリュージョンよ、イリュージョン」
「手品部員なら可能だと?」
「う。ムリだけど。で、でもさぁ、うーんんん……」
 うなりながら沈んでいく志津木。これはあーちゃんとの器量の差が出ましたな。まあ、冷静にさえなればこんなもんですよ。
 とにかく、と夏目が声を荒げる。
「そんなことはどうでもいい。とにかく人違いだから、妙なことに西山を巻き込むんじゃない」
 有無を言わせぬ口調の夏目を、シルシュがにらみあげる。
「これを見てください」
 そう言うと、両腕を抑えられているシルシュの懐から、何やら見慣れない物体がもぞもぞとひとりでに出てきて、ふわふわと浮き上がる。鼻先スレスレまで迫ってこられ、寄り目になってのけぞる夏目。
「ほらほら相川、これくらいなら手品でもできそうじゃない?」
「おー確かに。今度やってみせてくれ」
 志津木がうれしそうにシルシュを強く抱きしめる。でもこれもきっとタネも仕掛けもない魔法とやらなんだよな、不思議。
 で、その魔法の手で取り出されたのは、あからさまに不可解な代物だった。見たまんまでいえば、ソフトボールくらいの大きさの球形の虫カゴである。材質は、金属とも樹脂とも異なる雰囲気。そのカゴの中に、スライム状の物体が漂っていた。宇宙ステーション内での液体のふるまいを思わせる。
「なんだこりゃ? クラゲ?」
「これは魔力を探知する道具です」
「ほお」
 あーちゃんが顔を近づけて覗きこむ。
 スライムは、狭いカゴの中をくるくると回遊していたが、不意に一方に向かってべったり張り付いた。ぐもぐもとうごめいて、隙間から出てきてしまいそうなものだが、不思議とそうはならない。
「これはつまり、このブヨブヨが示す方向に魔力があると?」
「そうです」
「ふーん、コンパスみたいなもんか」
「知りませんけどたぶんそうです」
 いいかげんに請け合うシルシュ。ともあれこのスライムの挙動を根拠に、俺はひどい目に遭わされたらしい。憎たらしい。
「それなら、なんでこれは君を指さねーんだ? 君だって魔力を持ってるわけだろ?」
 鋭い指摘。さすが。あーちゃんさすが。
「この探知器は、範囲内にある一番大きな魔力量の在りかを指し示すようになってます。お師匠は私よりずっと大量の魔力を持ってますから、私より優先してお師匠を指すはずです。この世界に魔法はないようですし、お師匠以上の魔力量の持ち主がいるとは思えません。だから、あのヒトがお師匠で間違いありません」
「すこぶる論理的だ」
「なんか賢い子だねぇ」
 あーちゃんと志津木が、それぞれに感心する。
「いやいや待てって。だから西山は男じゃんか。探してるのは魔女なんでしょ? おかしいじゃん」
 夏目がさきほどの指摘に立ち戻る。そうだ、おかしいだろ、もっと言ってやれ。
「魔女なんですから、そんなの関係ありません」
「関係ないってどういうことだよ」
「西山に化けてるってことじゃねーの? 見た目なんてどうにでもなるんだろ、たぶん」
 代わりに答えたあーちゃんに、こくこくと頷くシルシュ。こころなしか、あーちゃんを見る目に信頼の光が宿っているような。
 要するに、俺が実は偽物という話のようだ。俺の正体は怪しげな魔女とやらで、平凡な男子高校生の姿は世を欺く仮の姿だと。当たり前だがそんなわけがない。おかしな言いがかりはよしてもらおう。
 しかし自分で反論しないと偽物に決定されてしまいそうな話の流れを感じる。いつまでも寝そべっていられない。
 そう思って、腑抜けた足腰に気力を注入していると、でもさ、とあーちゃんが話をつないだ。
「君は、いなくなった魔女の師匠を、探し出して連れ戻しに来たんだよな?」
「そうですけど」
「魔女は帰りたくなくて、隠れている。適当な誰かになりすましていることも充分にありうる。だから、見つかったとしてもしらを切ることもあると思って西山を拷問にかけたわけだ。魔女のほうも、誰かが自分を探しに来ることは想定してたんじゃねーかと思うが?」
「だと思います」
「で、そのときにはこういう道具が使われることだって予想できたんじゃ?」
 神妙な面持ちになるシルシュ。あーちゃんは続ける。
「ってことは、普通に考えれば、そのための対策くらいするだろ。でなきゃすぐに居場所がばれるし、現にこうして見つかってるし、誰かになりすます意味もない」
「そう言われると……そう、ですよね。あれ? でもそれじゃ、私どうすれば……」
「まあ、魔女が行き当たりばったりで後先考えずに逃げてるだけってんなら話は変わってくるけどな」
「あ、いえ、お師匠はそういうタイプじゃないです。滅法こずるくてひねくれてるんです。あれこれ小細工していてもおかしくありません。いいえ、きっとしてるでしょうね、してるに決まってます」
 よくわからなかったが、どうやら俺の偽物疑惑は晴れたらしい。せっかく見つかったと思った探し人が別人とわかり、シルシュは大きく肩を落として嘆息する。疲れているともあきれているともいえない、子供らしからぬ皮肉めいた仕草である。
「それに、そのお師匠ってのがどんな人か知らんが、普通は弟子にあんなていたらくは見せねーだろうよ」
 あーちゃんが、いまだに四つん這いがせいぜいの俺を指さす。
「なるほど、それもそうですね」
 小さく吹き出し、納得顔のシルシュ。おいおい、自分でやっておいて、それはちょっとひどくないか? しかも人違いなんだぞ?
「ちょっと待って。じゃあさ、なんで西山はその魔力ってのがあるの? 普通の人間じゃないってこと?」
 シルシュを拘束していた腕を解いた志津木が声をあげる。そうだ、なんでだ。加害当事者は説明責任を果たせ。
「西山は囮役にされたんだろう」
 簡単に答えるあーちゃん。それを受けてシルシュが続ける。
「ですね。探知器の反応を攪乱するために、大量の魔力を注入されたんでしょう。あのヒト、お師匠と会っているはずです」
 え、そうなの? まったく心当たりないけど。
「まさか……魔女の居所を吐かせようと、また西山を拷問したりするんじゃ……!」
 え、うそ、やだやめてホントやめてお願いします何でもしますから。
 ところがシルシュは、ひらひらと手を振ってまるっきり執着しない。すごんでいた夏目もやや拍子抜けの様子。
「しませんよ。そんな手がかりを残すとは思えないですし」
「はっ。それってつまり、ひょっとして記憶を……?」
「はい。魔女ですから、それくらいは」
 あっさりと肯定されてしまい、志津木は顔を引きつらせる。なにそれちょっと待って。俺、記憶を消されてるの? 冗談でしょ。いくら魔法だからって無茶苦茶すぎでしょ。だいたいさぁ、そんな非常識な出来事、簡単に忘れられるわけなくない? だって魔女に会って魔力だかを注入されて、記憶まで消されてるんだよ? 一生話題に困らない鉄板ネタでしょ、どう考えても。おぼえてそうなもんだけどなー。



 魔女っ子シルシュは夕空に去った。
「すみません、私の早とちりでご迷惑をおかけしました」
 丁寧にお辞儀して、またあの謎の棒だか杖だかにまたがったのだったが、すこし離れた場所でアンヨは上手状態の俺には詫びのひとつもない。べつにいいけど。
 彼女の姿が見えなくなるまでぼんやり空を眺めて、また四人でぽつぽつと雑談しながら帰路に着いた。
 別れ際にあーちゃんが、
「あいつ、紗莉さんに似てたよな」
 と、ためらいがちに言った。正直に言って、俺にはまじまじと顔を見る余裕もなく、すでにどんな顔をしていたかうまく思い出せない。そのまま伝える。そりゃそうか、とあーちゃん。
 紗莉というのは俺の姉である。ふたつ上で、同じ高校に通う三年生。俺との共通点は少なく、何より美人と評判な点が決定的に異なる。おかげで中学時代には、姉との接点を求めて弟に近づく輩が相当数現れたものだった。俺を巡って骨肉の争いが繰り広げられたこともある。高校では、今のところそのような手合いには出くわしていない。短い平和にならないことを祈っている。
 帰宅して自室に戻ると、その評判の姉が、俺のベッドに寝そべって参考書を広げていた。彼女は受験生なのである。勤勉で大変結構なことであるが、なぜ弟のベッドの上なのか、そこに必然性を見出すのは難しい。
「おかえりなさい、孝平」
 寝そべったまま、顔だけを向けてくる。いつものぽそぽそとした喋り方で、悪びれるそぶりもない。常習者の態度である。
「早かったんだね。部活は?」
「あったけどなくなった」
「そうなんだ」
 説明になっていない説明に、こだわりもせずうなずく紗莉。特に関心があって尋ねたわけではないのでスルーしたように思えるが、しかし一事が万事、だいたいこんな調子の姉である。何を考えているのかよくわからない。こうして弟の留守を狙って部屋に入り込むことも何度となく繰り返されているのだが、どういうつもりかまったくわからないし、聞いても答えはない。
 クールでミステリアス。紗莉に執心する輩がよく用いる形容である。ものは言いよう。
「そのわりには、疲れているみたい」
 紗莉は身体を起こして、こちらを見上げる。いつもの無表情ながら、眉がわずかに下がる。
「それは……なんというか、なんとも言いがたいことがいろいろあって」
「ふぅん?」
 そうして、じっと覗きこんでくる。しばらくは耐えたが、長くはもたなかった。
「……なに? 着替えるし、出てってほしいんだけど」
「夕ごはんまで、少し寝たら? あと今日は夜更かしもしないで」
「何を言うかと思えば。はいはい、わかったから出てけって」
「うん」
 ごねたりもせず、紗莉は素直に部屋を出ていく。本当に、なんのつもりなのやら。
 子供の頃、俺は身体が弱かった。小学校に上がる前にはそこそこ丈夫になって、不自由なく学校に通えるようになったのだが、姉として使命感を抱いてでもいたのか、紗莉はやたらと俺を気遣い、できる限り目を離さないようにしていたようだった。いつ頃からか、以前のように心配する必要はないとわかったのか、そうすることもなくなっていったが。
 からかわれることも少なくなかったので、それでやめてしまったのかもしれない。俺も、周りからどう見られているか、だんだん気になるようになっていたので、紗莉が距離を置いてくれたことには少なからず安堵したものだった。
 だから、もしかしたら、紗莉はまだ弟離れが済んでいないのではと考えることがある。無断で部屋に入ってくつろぐのも、弟をかまう代替行為なのかも、かまわれる機会をつくっているのかも、と。そんなことを思いついてしまうと、むしろ俺のほうこそ姉離れできていないみたいに思えて恥ずかしくなる。
 そんなわけで、姉と話す機会は減っていく。姉にしても、無理に話そうなんてしないから、自然と離れていく。それでも世に聞く限りには、近しいほうだと思うけど。
 紗莉が俺を心配するようなことを言うのも、けっこう久しぶりのような気がする。にわかに気恥ずかしさが込み上げてくる。
 ふと、あーちゃんが言っていたことを思い出した。紗莉とシルシュが似ているという。
 あの魔法少女の顔立ちを思い出そうとしても頭の中でまともなかたちにならず、般若の面を被っていたのではとしか思えない。マイルドに言い換えれば、顔の造作よりも表情しか見えてなかった感じ。お互いに平静な状態であれば、あーちゃんが言うくらいだし、ひょっとしたら紗莉に似て見えるのかもしれない。あるいは紗莉のほうで、表情のバリエーションを増やしてくれたら。
 無愛想とは、ちょっと違うんだよなぁ。トゲトゲしてない。けど、気安いわけでもない。そのあたりの塩梅に、クールかつミステリアスの秘訣があるに違いない。
 そのあとはいつもどおりに過ごした。ちょっと寝て、家族で夕飯を食べて、風呂に入って、適当に夜更かししてからベッドに横になった。何事もなく平和な夜。しかし思い返せばひどい一日だった。まぶたを閉じると、目の前がぐるぐる回る錯覚に襲われたり、不意の落下感覚に全身がこわばったりしたので、否が応にも思い返さずにいられなかった。どこも痛まないのが不思議なほど。
 魔法。信じられないけど、嫌というほど味わわされてしまった。それに魔女。俺は魔女に会っているのだそうだ。そして、そのことを忘れさせられている。記憶にないのだから実感の湧きようもない。違和感もないし、生活に支障があるわけでも――
「あっ……」
 いや、あった。支障、あるじゃん。藤野のこと。藤野凛花のことを思い出せないのは、このことと関係があるんじゃないのか? いや、あるだろ。あるに決まってる、タイミング的に。ないわけがない。
 あああ、しまった。なんてこった。だいたいさぁ、記憶を消されたっていうんなら元どおりに戻すのが筋だろうに。それをあいつ、さも当たり前のように言うだけ言って、そのくせ完全に放置してどっか行きやがって。ちくしょう。よしんばまったく無関係だったとしても、人違いの詫びに魔法で藤野のことを思い出させろと要求することだってできたはずなのに。くっそぅ、失敗したぁ!
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