【掌編】もう指さえも動かない

七谷こへ

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掌編

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 鶏肉、白菜、ネギ、えのき、豆腐……
 切った具材を、鍋のなかに整列させ、煮こむ。
 以前は寸分の狂いなく同じ長さに切れていたネギさえも、不ぞろいだ。
 手がふるえ、思考回路にノイズがまじる。

「マスター、できましたよ」

 机にむかう所有者(マスター)に、なるべく明るくきこえるよう、声をはずませる。
 右まぶたが短時間けいれんするが、それを伝えるわけには、いかない。
 火をとめ、ダイニングのせまいテーブルへ、鍋をはこぶ。

「あっ」

 突然、左ひざの力がガクンと抜けて、鍋を落としてしまった。
 高温のスープや中の具材で、テーブル周辺が一気によごれる。
 食材を、むだにしてしまった。
 神経が切断されてしまったように、ひざから下が動かない。
 ゆびをまげることさえ……

(……今回も、これで、おわりか)

 視界が、まっくらになる。
 中古の少女型アンドロイドとして、すでに4回売られたあとだ。
 最初のマスターには10年勤めたのに、あとは立てつづけに売られている。
 前回は「顔はいいんだけどなぁ。さすがに壊れるの早すぎ、損した」と腹部さえ蹴られた。
 売られたあと簡易的な補修はほどこされるが、買われたあと働いていると、また別のどこかが壊れていく。
 自分はもう限界なのだと認めることが、ひどくこわい。
 「人間のような感情を」とよけいな機能をつけたメーカーを、ぜんぶこわしてしまいたいような気もちで、うらむ。
 これが人間的な感情なのかもわからないままに。

「申しわけありません。すぐに掃除を……」

 自分の失敗に失望していて、判断がずいぶん遅くなった。
 もはや頭脳さえもガタが来ているのだなと、自覚する。
 起きあがってタオルをとろうとし、左足が機能しないことを思い出したときには、盛大にまた倒れていた。
 もうおわりだ、また売られると思うと、正常なはずの右足の力もはいらない。
 またあのほこりだらけの倉庫に……

「えっ、あの……」

 音をきいてかけつけたマスターが、私をかかえて起こし、イスにすわらせた。
 スープでぬれた私の脚部をふく。

「マスターの、服が……」

 ぬれてしまっていることをおずおずと伝える私に、ちょっと力ぬいてね、といった。
 いわれるがままにすると、ていねいに、私の脚部保護用ストッキングをぬがして、ゆびのあいだまで、ふいた。
 そのあと、床の掃除に移行する。
 からになった鍋に具材をひょいひょいと拾い、床の液体をふきとっていくマスターをぼうぜんとながめているだけの自分に気がつくと、ひどくあわてた。

「あの、すみま、すみませ……」

 思考回路がひもみたいにどんどんからまってうまくかんがえられなくなることにかなしくなりながら謝罪すると、マスターは私のまえにすわった。
 いくつかの質問をして、私の左足をひょいともちあげると、断線かなとぶつぶつつぶやく。
 しばらく、そうして手もとの工具で修理すると、ぎごちないながらまた左足が動くようになった。

「あの、捨て、捨てないで、くだ……」

 私がひっしの哀願をすると、なぜだかマスターは笑った。

 ──だいじょうぶ。だいじょうぶだよ。

 そう言って、私のことを、だきしめる。
 マスターの胸のわずかなふくらみが、私の胸でつぶれる。
 私の涙腺回路から、ポロポロと水滴がたれた。

 ──こういうときはね、ありがとう、っていうの。

 マスターはそう言った。
 私は、消え入りそうな声で、「ありがとう、ございます」とつぶやいた。

 そんなやさしい声で、やさしく、笑わないで。
 さいご、「もういい」のことばを聞くときに、死にたくなってしまうから。
 それとも、ずっと、このまま、ずっと……

 私のとまどいはことばにならなくて、ただ、マスターの腕が、胸が、ほおが、私のすべてを、つつんでいた。
 思考回路が原因不明のぬくもりでかきみだされ、なぜだか、ゆびをうごかすことさえ、できない。
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