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第一章

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「あ、あの!お会計は!」
「そんなものとっくに払った。ほら、行くぞ?」
「ちょっ!ちょっと待ってください!」

  個室を出て、レストランの出口へと向かう不破さんについていく。出入口近くにあるレジの前で止まるだろうと思い、鞄の中から財布を取り出そうとすると「何をしてるんだ?」と不破さんが心底不思議そうな表情で聞いてきた。

「何をって、お金を。」
「お金?何かほしいものでもあるのか?あぁ、テイクアウトのケーキが欲しいのか?気が利かなくて悪かった。見に行こうか?」
「へっ?え、いや違いますよ!食べた分のお金を!」
「俺がデートに誘ったのに、どうして千佳子がお金を払うんだ?」
「ええっ……。」

 不破さんの表情を見ると、どうも冗談で言っているという感じではない。この人は本気でそう思ってる。

(そんなに安いところではないと思うけど!?)

 それに一体いつ会計を終わらせたのかも分からない。自分はお手洗いに1度しか立っていないし、そんなに長い時間はかかっていないはずだ。私がグダグタと考えているうちに、不破さんは既に色とりどりのケーキが並んだショーケースの前に移動して、私のことを手招きしている。

「いっいらないですから!食事代まで払っていただいて申し訳ないです!」

 慌てて不破さんに駆け寄り、立派なスーツの袖口を軽く引っ張り出口へと促す。しかし、不破さんは動いてくれようとしない。

 
「千佳子は甘い物好きじゃないのか?」

「いえ、甘い物は好きですが、それとこれとは話が別です。」

「そうか……。焼き菓子は食べられるか?」

「えぇ、もちろんですが。でもいらないですからね!ご飯までご馳走になってるんですから!」

  そうやって釘を指した後、改めてショーケースの中を覗き込む。

(うわぁ、ちょっとお値段高め……。)

  それにしてもどれも美味しそうだ。定番の大きなイチゴが乗ったショートケーキ、艶めくチョコレートでコーティングされた ザッハトルテ、たくさんのフルーツが飾られたタルトに、シュークリームやプリンなどが所狭しと並んでいる。しかし、いざ値札に目を向けてみると、どれもこれも、ケーキやお菓子にしてはちょっと躊躇してしまうようなお値段だ。

 

「そうか、分かった。すまん、この焼き菓子のセットを1つもらえないか? 会計は不破に付けといてくれ。」

「かしこまりました。」

「え?」

 

 店員から焼き菓子が入ったオシャレな紙袋を受け取った不破さんが「行くぞ。」と言って私の腰に手を回し、店を出る。そしてそのままエレベーターに乗せられた。

 

「あ、あの、不破さん?」

「ケーキだったら持ち歩くのに大変だろ? これなら小さいし、いつでも食べられる。今日の記念にもらってくれないか? 」

「いや、あのいらないってさっき!」

「迷惑か?」

「ひゃあ!」

 不破さんの体がどんどん近づいてくるかと思うと、壁際に追い詰められ、とうとう両手を壁につかれて、その中に囲われてしまった。

 「お菓子、迷惑か?」

「め、迷惑とかじゃなくて、あの……。」

 追い詰められて、うつむき加減になっている私の顎に不破さんがそっと手を添える。

 「千佳子、顔見せて。」

「っうう~~!」

 耳元で低い声で囁かれ、顔が茹でダコのように真っ赤になってしまう。

「千佳子……?」

「なっ何ですか!」

 この人のことだ。顔を上げるまでその低い声で囁き続けるだろう。えいや!と心の中で気合を入れて顔を上げる。

「そんな顔で見ないでください!」

 不破さんの顔を見て、さらに赤くなってしまう。まるでこの世で一番愛しいものでも見るような蕩けた表情で、こちらが落ち着かなくなってしまう。

 「そんな顔って?」

「っ~~!」

「千佳子、お菓子嫌いなのか?」

「好きですから! もう、ちゃんといただきます! ありがとうございます!」

「貰ってくれてうれしい。」 

 不破さんがにっこり笑ってお菓子の袋を眼前に差し出してくる。それと同時に、エーターが1階へと到着した。

 
「さぁ、行こうか。」

「不破さんって、マイペースって言われません?」

「俺? そんなことないけど? 」

 本人は大きな目をぱちくりさせている。もう考えても無駄だと思い、小さくため息をついてエレベーターを出る。

「あぁ、千佳子待って。」

 不破さんが私を追い掛けてきた時。

 

「あれ、京一? 」

 
 体のラインが強調されるマーメイドドレスを着た、ゴージャズな女性が不破さんに話しかけた。不破さんは一瞬だけ顔を彼女に向けたが、軽く笑って会釈をしただけで、またすぐに私の方へと寄ってこようとする。

 「ちょっと待ってよ、京一! 」

  そんな不破さんの腕をとって、女性が強引に引き留めに掛かった。

 
「まさか私のことを忘れた訳じゃないでしょ? 」

 真っ赤なルージュを引いた唇が彼の頬に寄せられる。


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