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お祭り
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その頃、タクトがいなくなった孤児院は寂しさを抱えつつもいつものように皆が元気に過ごしていた。
エミリは卓人から教わった冷却の魔法を自在に使えるようになり、頻繁に料理にこの魔法を用いた。地下の氷室でもいいのだが、思ったように冷やせるのはやはり魔法ならではだ。子供たちが好きなお菓子をいろいろ冷やしてみるとおいしくなるものがあった。ただ、甘みを感じにくくなるので高価な砂糖を多めにしなければならないのは困った問題だった。最大の発見は、卵をゆでて魔法で即座に冷やしてやると殻が簡単にむけるようになるということだった。これには子供たちも驚いて、するするとむける卵の殻が面白くて一時期は毎日のようにゆで卵を食べていた。
兄が自分のもとを去ってもう二週間になろうとしている。その前は一年も会わない生活をしていたのだから慣れてもよさそうなものだが、それでもやはり虚しいものがある。兄のために料理をつくりたかった。兄に自分の成長を見てほしかった。
「お祭りだ!」
この孤児院から山を下った集落には四〇軒ばかり二〇〇人ほどが暮らしており、少し汗ばむこの時季になると豊穣の女神アドギリスを祭った催しが行われる。飲んで食っての二日間を過ごし、孤児院の子供たちも呼ばれる。
集落の里長がやってくるのがその報せとなっている。
まだ重ね着の欠かせない気候の下、いつものように白衣一枚(正確には下着も着ているが)で過ごすナタリアの職業は巫女であり、この地域に根付く多神教宗教の祭祀一切をとり仕切っている。ちなみに、孤児院の監督も巫女としての仕事というか慈善事業の一環である。ただしナタリアの日頃の服装は巫女という職業に一切関係ない。
里長はナタリアと祭りの打ち合わせにきたのだ。そしてもう一人若いのを連れてきていた。
「あら、ヨシフ」
「やあ。大きくなったね、エミリちゃん」
細面の二十二歳はいかにも素朴な男だ。
「おばさんは元気?」
「あはははは、商売敵が増えちゃったから困っているよ」
ヨシフはそう言ってエミリを指さした。
三年ほど前、エミリはこのヨシフの母のところへ機織りと刺繍を習うために毎日通っていた。その期間は一ヶ月ほどだったが、その間にヨシフともよく話し、遊んだりした。その頃の親切だが頼りない印象と変わってはいないが、ちょっとだけ逞しくなった感じがする。
「エミリちゃんは、今年が成人だね」
「え? ……そうか」
里長に言われるまでまるで考えたこともないような口ぶりだ。この地域では十五歳を成人として独立を促される。タクトが兵学校に行くことを決めたのも成人を迎えたからにほかならない。
「今年のお祭りはね、エミリちゃんが主役だからね」
「主役?」
「そうだよ。神様たちに成人したことを報告しなきゃならない」
エミリは思い出した。
星空の下、篝火に照らされて美しく舞う女性の姿を。
「え、私がやるんですか?」
「うん。同い年の子はいないわけじゃないけど、みんな結婚しちゃってるからね。お役目は未婚の女性と決まっているんだ」
エミリは三つのことに驚いた。
自分に舞の奉納のお鉢が回ってくるとは思っていなかったこと。
同い年の子たちがみな結婚してしまっていること。
そして、自分がそう言った年齢に達してしまっていること。
ここの高地性集落では住民たちだけで生活していくだけのシステムをつくりあげてきた。それぞれの家が農業、建築業、衣料製造など役割分担をし、時として互いに協力しながら家業を代々受け継いできた。もちろん山を下って街で品物を調達することもあるが、基本的にはその地域だけで生活は完結してしまうため人生の選択肢は極めて少ない。そのことに不満もないし、まして住民すべてがそれを当たり前だと思っているため人生の決定も早い。
だから十五歳までに結婚することはここに暮らす女子としては普通のことである。この観点でエミリはすでに適齢期であり、もっと言えばナタリアはかなり行き遅れてしまっているということになる。当のナタリアはそれを気にし
ている風ではないが。
祭りでは、集落は色とりどりに飾り付けられ、中央広場には切り出した大きな木を塔にして神々を祭る。男子は大人も子供もレスリングや腕相撲をして競う。女子はみんなで集まって食事をつくる。家族的な雰囲気の中、みんなが楽しそうに過ごす。日が暮れたころ、篝火が灯され、塔の下に設けられた舞台で美しい衣装をまとった少女の舞いが披露される。
エミリはその美しさには心惹かれた。
その他の人々も声を失ってしまったかのように見入り、音楽の演奏だけが流れる。舞いが続くうちにいつの間にか、少女はどこからともなく集まってきた精霊たちと戯れているかのようにさえ見えた。
豊穣の女神様もきっと喜んでいるに違いない、自分もあんな風に精霊たちと会話をしてみたい、きれいな衣装を着てみたいと思った。しかし孤児院で暮らす自分はお客として祭りに参加させてもらっているだけなので、決してあの舞台に立つことはできないと思っていた。
ところがそのお役目が自分に回ってきたことに心は高鳴った。
「舞はナタリアさんがしっかり教えてくれるからね」
「任せときな」
「あはは、お祭りはいつですか?」
「一週間後だよ」
「え? それだけしか時間がないんですか」
「なに、ほかの子なら一ヶ月仕込まないといけないことでも、エミリなら一週間あればできるはずだよ。いっつも踊ってるんだから」
なんとも無茶を言う。多分、急遽自分に白羽の矢が立ったのだろう。ということは、本来の子はせっかくこの役目が当たったというのに、結婚してその資格を失ってしまったということなのだろうか。
――自分なら絶対に役目をしてから結婚するんだけどな。
しかしどんな事情であっても機会を与えられたことはとてもうれしいことだった。
エミリは卓人から教わった冷却の魔法を自在に使えるようになり、頻繁に料理にこの魔法を用いた。地下の氷室でもいいのだが、思ったように冷やせるのはやはり魔法ならではだ。子供たちが好きなお菓子をいろいろ冷やしてみるとおいしくなるものがあった。ただ、甘みを感じにくくなるので高価な砂糖を多めにしなければならないのは困った問題だった。最大の発見は、卵をゆでて魔法で即座に冷やしてやると殻が簡単にむけるようになるということだった。これには子供たちも驚いて、するするとむける卵の殻が面白くて一時期は毎日のようにゆで卵を食べていた。
兄が自分のもとを去ってもう二週間になろうとしている。その前は一年も会わない生活をしていたのだから慣れてもよさそうなものだが、それでもやはり虚しいものがある。兄のために料理をつくりたかった。兄に自分の成長を見てほしかった。
「お祭りだ!」
この孤児院から山を下った集落には四〇軒ばかり二〇〇人ほどが暮らしており、少し汗ばむこの時季になると豊穣の女神アドギリスを祭った催しが行われる。飲んで食っての二日間を過ごし、孤児院の子供たちも呼ばれる。
集落の里長がやってくるのがその報せとなっている。
まだ重ね着の欠かせない気候の下、いつものように白衣一枚(正確には下着も着ているが)で過ごすナタリアの職業は巫女であり、この地域に根付く多神教宗教の祭祀一切をとり仕切っている。ちなみに、孤児院の監督も巫女としての仕事というか慈善事業の一環である。ただしナタリアの日頃の服装は巫女という職業に一切関係ない。
里長はナタリアと祭りの打ち合わせにきたのだ。そしてもう一人若いのを連れてきていた。
「あら、ヨシフ」
「やあ。大きくなったね、エミリちゃん」
細面の二十二歳はいかにも素朴な男だ。
「おばさんは元気?」
「あはははは、商売敵が増えちゃったから困っているよ」
ヨシフはそう言ってエミリを指さした。
三年ほど前、エミリはこのヨシフの母のところへ機織りと刺繍を習うために毎日通っていた。その期間は一ヶ月ほどだったが、その間にヨシフともよく話し、遊んだりした。その頃の親切だが頼りない印象と変わってはいないが、ちょっとだけ逞しくなった感じがする。
「エミリちゃんは、今年が成人だね」
「え? ……そうか」
里長に言われるまでまるで考えたこともないような口ぶりだ。この地域では十五歳を成人として独立を促される。タクトが兵学校に行くことを決めたのも成人を迎えたからにほかならない。
「今年のお祭りはね、エミリちゃんが主役だからね」
「主役?」
「そうだよ。神様たちに成人したことを報告しなきゃならない」
エミリは思い出した。
星空の下、篝火に照らされて美しく舞う女性の姿を。
「え、私がやるんですか?」
「うん。同い年の子はいないわけじゃないけど、みんな結婚しちゃってるからね。お役目は未婚の女性と決まっているんだ」
エミリは三つのことに驚いた。
自分に舞の奉納のお鉢が回ってくるとは思っていなかったこと。
同い年の子たちがみな結婚してしまっていること。
そして、自分がそう言った年齢に達してしまっていること。
ここの高地性集落では住民たちだけで生活していくだけのシステムをつくりあげてきた。それぞれの家が農業、建築業、衣料製造など役割分担をし、時として互いに協力しながら家業を代々受け継いできた。もちろん山を下って街で品物を調達することもあるが、基本的にはその地域だけで生活は完結してしまうため人生の選択肢は極めて少ない。そのことに不満もないし、まして住民すべてがそれを当たり前だと思っているため人生の決定も早い。
だから十五歳までに結婚することはここに暮らす女子としては普通のことである。この観点でエミリはすでに適齢期であり、もっと言えばナタリアはかなり行き遅れてしまっているということになる。当のナタリアはそれを気にし
ている風ではないが。
祭りでは、集落は色とりどりに飾り付けられ、中央広場には切り出した大きな木を塔にして神々を祭る。男子は大人も子供もレスリングや腕相撲をして競う。女子はみんなで集まって食事をつくる。家族的な雰囲気の中、みんなが楽しそうに過ごす。日が暮れたころ、篝火が灯され、塔の下に設けられた舞台で美しい衣装をまとった少女の舞いが披露される。
エミリはその美しさには心惹かれた。
その他の人々も声を失ってしまったかのように見入り、音楽の演奏だけが流れる。舞いが続くうちにいつの間にか、少女はどこからともなく集まってきた精霊たちと戯れているかのようにさえ見えた。
豊穣の女神様もきっと喜んでいるに違いない、自分もあんな風に精霊たちと会話をしてみたい、きれいな衣装を着てみたいと思った。しかし孤児院で暮らす自分はお客として祭りに参加させてもらっているだけなので、決してあの舞台に立つことはできないと思っていた。
ところがそのお役目が自分に回ってきたことに心は高鳴った。
「舞はナタリアさんがしっかり教えてくれるからね」
「任せときな」
「あはは、お祭りはいつですか?」
「一週間後だよ」
「え? それだけしか時間がないんですか」
「なに、ほかの子なら一ヶ月仕込まないといけないことでも、エミリなら一週間あればできるはずだよ。いっつも踊ってるんだから」
なんとも無茶を言う。多分、急遽自分に白羽の矢が立ったのだろう。ということは、本来の子はせっかくこの役目が当たったというのに、結婚してその資格を失ってしまったということなのだろうか。
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楽天ブックス: https://books.rakuten.co.jp/rb/18361791/
【作者より、感謝を込めて】
この日を迎えられたのは、長年にわたり、Webで私の拙い物語を応援し続けてくださった、読者の皆様のおかげです。
そして、この物語を見つけ出し、最高の形で世に送り出してくださる、担当編集者様、イラストレーターの市丸きすけ先生、全ての関係者の皆様に、心からの感謝を。
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