理系少年の異世界考察

ヴォルフガング・ニポー

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モーセ効果

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 迫りくるデンギスの周囲で突然風が巻き起こる。

「こんな風で止められるかよ!」

「今だ! やりなさい、ルイザ!」

 父の風の魔法のおかげで、デンギスの足元周辺の水が吹き飛ばされていた。これならば少々強力な雷撃を放っても、周囲が感電することはない。

「くらいなさい!」

「ぐあああああ!」

 雷撃は確実にダメージを与えたが、動きを鈍らせるまでにとどまった。屋内全体が濡れた中では、電気を集めることが難しいのだ。

「やりやがったな。このクソ女が!」

 狂乱する武器をもった男に対して、この広間にいる者たちはすべて武器をもたない。魔法で対抗する以外に術はない。

 アフレディアニ伯はさっとルイザの前に出て、娘の盾となる位置を取った。

 その眼光に射抜かれると思ったのか、デンギスは足を止めた。

 いや、止めたのは正解だった。いかに剣をもっていても、ルイザや卓人だけではない、アフレディアニ伯を始めとする正規軍人が姫を守るために揃い踏んでいるのである。何人かを斬ったとしても、取り押さえられるのは目に見えている。

「あっはっはー! 最初からこうしてればよかったんだぁ!」

 足元の水が渦を巻き始め立ち上がり、ルイザや姫を含んだ八十名ほどがいる関係者席に襲い掛かる。この水を浴びて凍らされたら、ひとたまりもなく大勢が死ぬことになる。

「まだです!」

 マリア・ベルンシュタインが魔法で水を押し返す。

「ちいっ!」

 だが次の瞬間。

「ううっ」

 魔法研究者は膝を折ってしまった。軍人ではない彼女はこれだけ攻撃的な魔法を経験したことがなく、精神的にすでに疲弊しきっていた。徐々に魔法は弱まり、水は蝕むようにそこにいる人たちの足元を濡らし始めていた。

「うははっは! じゃあ、次行っちゃうからな!」

 デンギスは喜び勇んで次の水柱を立ち上げる。

 卓人は期待すべきことが起こることを待っていたが、未だにそうなる気配はなかった。

 ヤノはうまくっやってくれただろうか?

 それでも自分の考えが間違っていれば期待通りにはならない。

 どちらにしても敵の攻撃は迫っていた。

「ルイザ、この剣を借りる!」

「タクト? それは飾りの剣よ」

「それでいい! エミリ、この剣を磁化してくれ!」

「だけど! お兄ちゃんの手が!」

 先ほどの徽章を強力に磁化したせいで卓人の手はやけどを負っていた。エミリはそれを見ていた。兄を傷つけるという選択肢は彼女にはない。

「いい! それはあとでどうにでもなる! 最大限の力でやってくれ!」

「でも!」

「やるんだ!」

 エミリの迷いなど関係なしに、デンギスは次の水柱を姫たちのいる群衆へ放った。

 卓人は先頭に立つと、斬っても叩いても意味のないはずの水柱に剣を打ちつけた。

 エミリは覚悟を決めざるを得なかった。

 その瞬間、襲いくる水柱は剣によって真っ二つに切り裂かれた。

 ばっくりと切り開かれた怒濤は、見事に姫たち八〇人を避けるように広がって床に打ちつけられた。

「なにいいい!? まだまだだぁ!!」

 水も水銀の三分の一ほどではあるが反磁性をもつ。

 強力に磁化された剣によって水柱は反発し、真っ二つに裂ける。これをモーゼ効果という。

 水は直接剣に当たってはないが、反作用は確実に卓人の肉体を破壊しようとしていた。一秒でおよそ風呂桶一杯分、三百キロほどの水が連続的に襲ってくる。

 関節が外れてしまうほどの力に筋肉が逆らおうとしてズタズタにされてゆく。

 それでもここで負けてしまうわけにはいかない。

「うっしゃあああああああああ!」

 鍛えた体幹は勢いに負けることなく、足腰でしっかりと地面をつかみ、剣で受け止め続けた。

 あとは意地と根性だ。卓人の意地が声になって現れた。

 十秒ばかり耐えたのち、攻撃は収まった。

 後ろにいた人たちで水をかぶった者は誰もいなかった。

 切り裂かれた水は壁に当たって大きなしぶきを上げて、周囲の水を攪拌していた。

「こ、この野郎!」

 デンギスはすぐに次の攻撃の姿勢に転じていた。

 対する卓人は、先の攻撃を受け止めたせいですでに肉体が軋んでいた。なおかつ、磁化の魔法によって熱をもった剣をしっかりと握っていたせいで、手のひらは焼けただれ固着していた。動くかどうか確かめるために手を開いてみると、ぐちょぐちょと音を立てて皮がはがれた。

 こんなの、エミリに見せるわけにはいかない。

 だけどこの激痛にどこまで耐えられるか。

 誰かが有効な攻撃を仕掛けない限り、次も同じように防御しなければならない。

「けっ、頑張ったって顔には出ちまってるぜ。次はもう耐えられないだろう?」

 そうかもしれない。

「うはははは! ナナリのタクトは絶対に殺す!」

 デンギスは魔法を使うべく手を動かした。

 それでも卓人は歯を食いしばって剣を握り直した。

「あれ?」

 デンギスは動揺を隠せなかった。

 魔法を使っても水柱が立たなかった。

 何度試みても、水はわずかに盛り上がる程度で先ほどまでのように自在に動きはしなかった。

「おい! なんで?」

 デンギスは見るからに狼狽していた。

 見ると水面にはつぷつぷと泡が立っている。いや、先ほど大きな水塊が飛んでいった壁のほうでは多量の泡ができて山のようになっていた。

 卓人はこれを待っていたのだった。

「もう、水の魔法は使えませんよ」

 敢えて見下ろすようにそう言ってみせた。その言葉に、デンギスだけでなく、周囲も驚いた。

 厳密には正しくない。水を動かすほうの魔法は封じることができたのであり、水を瞬間的に凍らせるほうは使えるはずだ。

 しかし、今は敵に絶望感を与えるほうが有効であろう。
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