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まるいち。集団疎開
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「プリント渡ったかー?」
9月。残暑は引かない。
冷房の効きが悪い教室で、マスクの中が汗で滲むのを感じる。
「新城、ほい」
「さんきゅ」
前の席に座る有本からプリントが渡された。
一番後ろの席に座る私は、それを受けとるだけでいい。
「ついにきちゃったねー、集団疎開」
「やっと、って感じでしょ」
椅子をゆらゆらと傾けながら有本がぼやく。
揺れるポニーテールをぼんやりと視界に入れながら、プリントに軽く目を落とす。
『菅凪高校集団疎開について』と書かれたこのプリントには、配られる前からわかっていた数行の文章が書いてある。
「ついにか」「やべーよ俺まだ荷物作ってない」と教室はざわめき始め、担任が静かにー、と声を上げる。
「以前から詳細は話していたし、ニュースサイトやなんやで散々話題にされているから集団疎開については知っての通りだと思うが、菅凪にやっと順番が回ってきた。といっても早い方だからな。交渉していただいた校長先生に感謝しろよー。日付については書いてある通りだ。今日は5日だから……1週間あるな。しっかり準備しておけよ」
教室のいろんなところでざわめきが止まない。私はプリントをもう一度しっかりと読む。集団疎開は1週間後。疎開地は、思っていたより遠いけれど、知っている土地だった。
「ここ……ミトばあちゃんちがあるな」
「なに?新城行ったことあるの?」
有本が小さなつぶやきに振り返ってくる。
「あると言えば……ある?」
「なにそれ」
「小さい頃すぎて覚えてない。ひいばあちゃんちだから」
「あー、なるほどね。私は完全に初めてだ。ちょっと旅行気分」
「私もほぼ初めてみたいなものだし、そうなるのも仕方ないよね」
集団疎開なんて言葉に、現実味がない。少し長めの修学旅行みたいなものだろう。有本に限らず、教室のほとんどがそんな風に捉えている、そんな感じがした。
少し浮わついた空気に、担任がため息をついた。
「お前ら、釘をさしておくがこれは旅行じゃないんだからな。学校ごと移動するからあまり実感はないかもしれないが、親御さんや他の高校の友達とはしばらく会えないと思った方がいい。ついでに菅凪の生徒として恥ずかしくない行動を常に心掛けてくれよ。もう慣れてしまったとは思うが、お前たちの顔を覆うものが、非常事態であることを思い出すんだ。疎開したからと言って安全であるとは限らない。残された1週間をしっかり準備して過ごすように」
そんな言葉でも浮ついた空気は収まることの無いまま、HRが終わった。
帰る準備をしながら有本が話しかけてくる。
「新城って他校の友達いるの?」
「んー、周りにはあんまりいないや。中学から引っ越してきたし」
「そう言えばそうだったね」
「有本は?」
「一応……幼馴染はいるけど、疎開するかどうかとか、その前に会うとかそういう話は全然してないんだよね。そもそも下に移動してからどこにいるかもよくわかってないからねぇ」
「連絡ぐらいしておいたら?もしかしたら一生会えないかもだし」
「そうなんだよねー。先のことはわからないからねー」
「ね。先輩たちとか大変そう」
「それなー。てかうちらも進路どうするんだろ」
「とりあえず今は考えようにも考えられないし頭の中に入れないようにしてる」
「あは、新城らしいや」
話題をクルクルと変えながら、リュックを背負って制服を整えた。
話しながら教室を出る。もうしばらく、部活は行っていない。出来ないから。疎開先ではできるのだろうか。
そんな話を有本としながら、下駄箱へと向かう。廊下で誰かとすれ違っても話題は集団疎開の話ばかりだ。みんな持っていくものとか、誰に別れを告げるだとか、そんな話ばかりしてる。
教室の隅で泣きながら電話しているのは、他校に恋人がいる子だと思う。そもそもこんな世の中で遠距離恋愛が上手くいくとは思えないけど、ああいうのはどうするのだろう。別れるのかな。
下駄箱で靴を履き替え、手袋をし、ゴーグルをはめる。まだこんなに厳重にしなくても良いだろう、なんて思いながら、どぎつい黄色と赤ででかでかと注意書きがしてある張り紙に苦笑いする。もうほとんど表情が見えない有本と話しながら校門を潜って、アクリル板のような透明の壁で覆われた道を進んで地下へと降りていく。
この生活とも、あと1週間でお終いだと、壁の向こうの世界を眺めながら、思った。
この国が急に変わったのは、3年ほど前のことだ。いや、本当は変わり始めていたのはもっともっとずっと前のことらしい。
都会で植物が上手く育たなくなった。
都会で虫や鳥みたいな小さな生き物が突然死んでいくことが増えた。
大雨や竜巻が増えて、たくさんの街が被害にあった。
いつの間にか、体の弱い人やお年寄りが急に死んでしまうことが増えた。
それらのほとんどが原因不明の謎の有害物質『フォルテ』によるものだった。
それから、地下に避難施設ができて私たちは順番にそこに移り住んだ。急ごしらえの地下空間は『フォルテ』が与える影響よりも子供たちの健康に悪いとのことで、子供たちは太陽の光を浴びるために防護マスクをしながら特殊な加工が施された壁に囲まれた専用通路を通って学校に通うようになった。
あれから目まぐるしく生活は変わったけれど、人間というのは『慣れ』の生き物らしく、私たちは元の生活を恋しく思うことはあれど、すっかりこの状況を見慣れてしまった。文化も考え方も常識も短期間ですっかり変わってしまったけれど、もうすでに元からあったもののようだった。
しかしこの状況は『都会』だけのもの。
『田舎』では悪天候や自然災害は以前の通り来るものの、有害物質の被害はないと言っていいほど少なかった。日本が誇る森林はしっかりとこの島を覆っていて、日本古来の生き物や自然環境は残されたままだという。
子供たちだけでも生活環境の悪い地下空間ではなく、本来の地上の生活をするべきとかで、国の偉い人たちは学校単位で『集団疎開』を行い始めた。
無期限の地方での集団生活。
それが私の人生を変えるなんて知らずに、私は両親と準備を淡々と進めていた。
9月。残暑は引かない。
冷房の効きが悪い教室で、マスクの中が汗で滲むのを感じる。
「新城、ほい」
「さんきゅ」
前の席に座る有本からプリントが渡された。
一番後ろの席に座る私は、それを受けとるだけでいい。
「ついにきちゃったねー、集団疎開」
「やっと、って感じでしょ」
椅子をゆらゆらと傾けながら有本がぼやく。
揺れるポニーテールをぼんやりと視界に入れながら、プリントに軽く目を落とす。
『菅凪高校集団疎開について』と書かれたこのプリントには、配られる前からわかっていた数行の文章が書いてある。
「ついにか」「やべーよ俺まだ荷物作ってない」と教室はざわめき始め、担任が静かにー、と声を上げる。
「以前から詳細は話していたし、ニュースサイトやなんやで散々話題にされているから集団疎開については知っての通りだと思うが、菅凪にやっと順番が回ってきた。といっても早い方だからな。交渉していただいた校長先生に感謝しろよー。日付については書いてある通りだ。今日は5日だから……1週間あるな。しっかり準備しておけよ」
教室のいろんなところでざわめきが止まない。私はプリントをもう一度しっかりと読む。集団疎開は1週間後。疎開地は、思っていたより遠いけれど、知っている土地だった。
「ここ……ミトばあちゃんちがあるな」
「なに?新城行ったことあるの?」
有本が小さなつぶやきに振り返ってくる。
「あると言えば……ある?」
「なにそれ」
「小さい頃すぎて覚えてない。ひいばあちゃんちだから」
「あー、なるほどね。私は完全に初めてだ。ちょっと旅行気分」
「私もほぼ初めてみたいなものだし、そうなるのも仕方ないよね」
集団疎開なんて言葉に、現実味がない。少し長めの修学旅行みたいなものだろう。有本に限らず、教室のほとんどがそんな風に捉えている、そんな感じがした。
少し浮わついた空気に、担任がため息をついた。
「お前ら、釘をさしておくがこれは旅行じゃないんだからな。学校ごと移動するからあまり実感はないかもしれないが、親御さんや他の高校の友達とはしばらく会えないと思った方がいい。ついでに菅凪の生徒として恥ずかしくない行動を常に心掛けてくれよ。もう慣れてしまったとは思うが、お前たちの顔を覆うものが、非常事態であることを思い出すんだ。疎開したからと言って安全であるとは限らない。残された1週間をしっかり準備して過ごすように」
そんな言葉でも浮ついた空気は収まることの無いまま、HRが終わった。
帰る準備をしながら有本が話しかけてくる。
「新城って他校の友達いるの?」
「んー、周りにはあんまりいないや。中学から引っ越してきたし」
「そう言えばそうだったね」
「有本は?」
「一応……幼馴染はいるけど、疎開するかどうかとか、その前に会うとかそういう話は全然してないんだよね。そもそも下に移動してからどこにいるかもよくわかってないからねぇ」
「連絡ぐらいしておいたら?もしかしたら一生会えないかもだし」
「そうなんだよねー。先のことはわからないからねー」
「ね。先輩たちとか大変そう」
「それなー。てかうちらも進路どうするんだろ」
「とりあえず今は考えようにも考えられないし頭の中に入れないようにしてる」
「あは、新城らしいや」
話題をクルクルと変えながら、リュックを背負って制服を整えた。
話しながら教室を出る。もうしばらく、部活は行っていない。出来ないから。疎開先ではできるのだろうか。
そんな話を有本としながら、下駄箱へと向かう。廊下で誰かとすれ違っても話題は集団疎開の話ばかりだ。みんな持っていくものとか、誰に別れを告げるだとか、そんな話ばかりしてる。
教室の隅で泣きながら電話しているのは、他校に恋人がいる子だと思う。そもそもこんな世の中で遠距離恋愛が上手くいくとは思えないけど、ああいうのはどうするのだろう。別れるのかな。
下駄箱で靴を履き替え、手袋をし、ゴーグルをはめる。まだこんなに厳重にしなくても良いだろう、なんて思いながら、どぎつい黄色と赤ででかでかと注意書きがしてある張り紙に苦笑いする。もうほとんど表情が見えない有本と話しながら校門を潜って、アクリル板のような透明の壁で覆われた道を進んで地下へと降りていく。
この生活とも、あと1週間でお終いだと、壁の向こうの世界を眺めながら、思った。
この国が急に変わったのは、3年ほど前のことだ。いや、本当は変わり始めていたのはもっともっとずっと前のことらしい。
都会で植物が上手く育たなくなった。
都会で虫や鳥みたいな小さな生き物が突然死んでいくことが増えた。
大雨や竜巻が増えて、たくさんの街が被害にあった。
いつの間にか、体の弱い人やお年寄りが急に死んでしまうことが増えた。
それらのほとんどが原因不明の謎の有害物質『フォルテ』によるものだった。
それから、地下に避難施設ができて私たちは順番にそこに移り住んだ。急ごしらえの地下空間は『フォルテ』が与える影響よりも子供たちの健康に悪いとのことで、子供たちは太陽の光を浴びるために防護マスクをしながら特殊な加工が施された壁に囲まれた専用通路を通って学校に通うようになった。
あれから目まぐるしく生活は変わったけれど、人間というのは『慣れ』の生き物らしく、私たちは元の生活を恋しく思うことはあれど、すっかりこの状況を見慣れてしまった。文化も考え方も常識も短期間ですっかり変わってしまったけれど、もうすでに元からあったもののようだった。
しかしこの状況は『都会』だけのもの。
『田舎』では悪天候や自然災害は以前の通り来るものの、有害物質の被害はないと言っていいほど少なかった。日本が誇る森林はしっかりとこの島を覆っていて、日本古来の生き物や自然環境は残されたままだという。
子供たちだけでも生活環境の悪い地下空間ではなく、本来の地上の生活をするべきとかで、国の偉い人たちは学校単位で『集団疎開』を行い始めた。
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