【完結】ツンな猫君の恋愛事情

結城れい

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49 穴があったら入りたい

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 しばらく黙り込んでいた迅は、下を向いたまま、樹へ小さな声で話しかけた。

「――トイレ借りてもいいか?」
「あ、うん、いいよ」

 フラフラと立ち上がった迅は、部屋の扉を開けてトイレまで歩いていった。トイレに入って扉を閉めた迅は、カラカラと乾いた音を立てながらトイレットペーパーを手で取り、鼻水と涙を拭き取る。それらを水で流した後、迅は両手で顔を覆い、天を見上げた。

――勘違いだったのだ

 恥ずかしくて、今すぐ消えてしまいたい気分だった。一体自分が何をしたのか、思い返すこともしたくない。かっこよさとは真逆の行いばかりだ。

 樹が無事だったのは本当に良かった。いや、体調が悪いので無事ではないが、一先ひとまず死んでしまうようなことはない。
 そんな体調の悪い樹の家にいきなりやってきた迅は、何度もチャイムを鳴らし、出てきた樹を抱きしめながら号泣している。しかも、外でだ。
 家に入ってきても樹からしたら頓珍漢とんちんかんなことばかり言っていただろう。いきなり薔薇の花束を渡したかと思えば、愛の告白をして泣き出す男なんて恋人としてひどすぎる。
 迅は穴があったら入りたかった。いや、今すぐ山へ駆け出して行って、そこに穴を掘って埋まりたい。埋めてもらってそこから芽を出して、育った植物を樹に世話してもらおう。迅は遠い目になり、樹に水やりをしてもらう自分を想像した。それでいいのかもしれない。もはや挽回ばんかいすることなどできないほどに醜態しゅうたいをさらしている。

 そもそも、朋也から聞いた後に一度でも調べればよかったのだ。ウォンバット獣人について調べるのではなく、愛をスムーズにかっこよく伝えるためのことばかりを調べていたからこんな事態になっているのだ。迅は反省しながらも、朋也に対しての怒りが込み上げてきた。元はと言えば、朋也が迅に間違った知識を入れてきたのが悪いのだ。自分の失態を棚に上げ、友人を責めた迅は、次の瞬間には冷静になり、上がっていた肩を落とした。いくら朋也を責めたところで、この状況は良くならない。

――この空間から出たくない

 できれば樹が今日の記憶をなくしてくれないかな、と思いながら、迅は頭を搔きむしった。今まで頑張ってきたことがすべて水の泡だ。樹の前ではかっこよくいようと頑張っていたのに、泣いて叫んで、もう最悪だ。嫌われてしまったに違いない。絶対にそうだ。
 先ほどまでの絶望とは違う方向の絶望に、迅はまた泣きたくなった。

 いくら考えたところで、どうにもならないと半ばやけくそになりながら、迅はトイレから出る。気まずさから、足音を立てずにそっと部屋へと戻り、クローゼットを覗き込むと樹は横になり、荒い息をしながら丸くなって目を閉じていた。

 辛そうな樹の状況を見た迅は、冷水を被ったときのように頭が一瞬で冷えた。

(一体、俺は何をしているんだ――)

 樹は、熱を出して苦しんでいるんだ。自分の行いを反省するよりも先にやるべきことがある。

 樹の首元を触り、再度熱の高さを確認した迅は、立ち上がりキッチンへと向かった。あまり使われていなさそうなキッチンの横に置かれている小さめの冷蔵庫に手をかける。勝手に樹の家のものを空けてしまうことに、心の中で謝罪をしながら扉を開けた迅は驚いた。慌てて冷凍庫も空けるが、こちらも目を見開く結果だった。

 空っぽだ。いや、辛うじて水のペットボトルや少しの調味料などは入っているが、ほとんど空いている。冷凍庫には冷凍食品が一つ入っているだけで、氷枕や保冷材は一つもなく、製氷皿も見当たらない。


 迅は近くのドラッグストアまで走った。
 とにかく必要そうなものをすべて買い込んだ迅は、ビニール袋2袋分の荷物を持ち、走って樹の部屋まで戻る。

 玄関扉に手をかけた時に、迅はおのれの失態に気がついた。
 樹のアパートはオートロックではない。それなのに、鍵を開けたまま出て行ってしまっていたのだ。慌てて部屋へ入り、樹が無事か確認に走る。開け放たれたままのクローゼットで樹が寝ていたことに安堵した迅は、自分の失態のせいで変なやからが入り込んでいないか確認するために、すべての扉を開けて確認していった。

 バタバタと家の中を動き回って確認していた迅は、途中で買ったものを冷蔵庫に入れていなかったことを思い出し、慌てて玄関に置きっぱなしにしていた袋を回収し、氷などを冷凍庫へ入れていく。
 脳がパニックを起こしているようで、何も上手くできていない。自分のできなさ加減にイライラと舌打ちをしながらも、迅は動き続けた。

 買ってきた氷をいくつか袋に詰めて、布で包み樹の額に当てる。ただ、すぐに落ちてしまうため、首元に移動させて、額に貼ってあった冷却シートを取り換える。
 樹はどうやら汗をかいているようだったので、洗面所で濡らしたタオルで見える範囲だけでも拭いていった。目が覚めて喉が渇いていた時にすぐに飲めるように、買ってきたスポーツドリンク、お茶、水のペットボトルを頭の近くに並べて置いていく。

 何時間か座って樹の様子を見守っていると、徐々に寝息が安らかになっているように感じて迅はホッと一息ついた。
 もしかしたら、今日で樹をじっと見ることができるのは最後かもしれない。振られるまでは恋人だからと誰にともなく言い訳をした迅は、ずっと樹の熱い手を握り、見続けた。

 ブランケットをかけなおしたり、氷を取り換えたりしていた迅は、段々と眠気に襲われてきた。昼前にここへやってきたが、外はもう暗くなっている。よく考えれば、昨夜は一睡もしていない。樹からのメッセージの返事を待ち続けていたら朝になっていたからだ。きっと体調が悪く、スマホを見ていなかったのだろうと思いながら、迅は、大きな欠伸をした。
 看病中に寝てしまうなど、絶対にダメだと思えば思うほど、眠くなる。頬をつねり白目をむきながらも耐えていた迅だったが、とうとう体が横に倒れてしまう。樹の暖かな手を握りしめたまま、迅の意識は一瞬で落ちていった。
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