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7 白い結婚生活
しおりを挟む「うーん……」
仕事を終えた透子は帰り支度を整えると、店の前で純太の名刺をポケットから取り出しては引っ込めるを繰り返していた。
いくら常連さんで顔見知った人だとしても、今日初めてまともに話した相手と急に飲みに行ってもいいものだろうか……。いや、男性だし、人妻的にはアウトでしょ。
でも、ずっと誰にも言えなかった悩みを聞いて欲しい気もする。何より男の人からの意見を聞きたい。他に相談できる男友達もいないし……。
~♪
そうこう悩んでいると透子のスマホにメッセージを告げる着信音が鳴り響いた。
確認すると新からだった。
『今日は商店街の仲間と飲んでくるので夕飯はいりません』
既読したので透子は素早く返信する。
『了解しました』
短い文章と共に可愛らしいスタンプも添付する。
こういう時にスタンプは便利だな、と透子はつくづく思った。短い言葉の本音が隠せるから。
商店街の飲み仲間の中には決まって理花もいることは今迄の経験で分かっている。
二人きりで会うわけじゃないのだから別に心配することはない。大丈夫。
透子は不安を掻き消すようにいつものように自分に言い聞かせた。
「大丈夫……」
ポツリと呟いた透子だったが、言葉とは裏腹に、ポケットに閉まった名刺に自然と手が伸びていた。
* * *
週末のムードたっぷりのダイニングバーはカップルで溢れ返っていた。
「連絡ありがとう。正直このまま無視されると思ってた」
カウンター席に座る透子の右隣。片肘をつく姿勢で純太は透子へと身体を向けて嬉しそうに語りかけた。
(本当はそうしようとも思ってたけど……)
透子は勢いのままに純太に連絡してしまったことを今更ながらに後悔していた。
生真面目な透子は店内に商店街の知り合いがいないか確認し、出来るだけ目立たないように身体を小さく萎めて座っていた。
「それじゃあ、改めてまして。むらせ食堂の隣の大手食品メーカーで広告担当をしています、入社ニ年目の桜井純太と申します。24歳です。よろしくお願いします」
純太はそんな透子の様子に気付いていながらも、お構い無しに自己紹介を始めた。それから上機嫌で透子の持っていたグラスに自分のグラスをカチンと合わせる。
「う、…わ、私は知ってると思いますけど、むらせ食堂で働いています、村瀬…じゃなくて、藤沢透子と言います。25歳です」
そう言うと透子もおずおずと自分のグラスを純太のグラスと合わせる。
端から見たらどう見ても合コンの乗りだ。
透子はやはり後ろめたい気持ちになって俯いた。
「透子ちゃん俺の1歳年上で合ってる? 俺平成11年の6月生まれなんだけど」
「あ、私は11年1月の早生まれだから年上で合ってます」
「年上なのに敬語使うの? 」
「し、知り合ったばかりですし…」
「ふは、やっぱり真面目だな~」
純太が面白そうにケラケラと笑う。もともと童顔な顔立ちをしているが、笑うと一層幼く見えた。
「――んじゃ、さっそく本題。何で結婚生活上手くいってないの? 」
「ふぇ? 」
唐突に話題の核心に触れられて思わず透子の口からおかしな声が洩れる。
笑いが消えた真面目な顔で、純太はじっと透子を見つめていた。
透子は途端に落ち着かない様子で、グラスを持つ手がモジモジと動く。
「えっと…。何から話せばいいのやら…。単刀直入にお話しすると、多分私の夫、浮気してるんだと思います」
「…相手を知ってるの? 」
何となく予感していた内容に、内心腸が煮えくり返りそうな勢いの純太であったが、努めて冷静に透子へと質問を重ねた。
「は、はい。同じ商店街の私達の仲を取り持ってくれた方の娘さんで、その、二人は小さい時から特別な関係を築いていたみたいです」
それから透子は理花の年齢や、結婚式で晶から受けた忠告の話、ほぼ毎日掛かってくる理花からの電話とその後度々出掛ける夫の話等を辿々しくも純太へと説明した。
純太は一通り透子の話を聞いた後で、う~ん、と顎に手を当てながら捻るよう言葉を返した。
「まあ、確実に黒っぽいけど、兄妹みたいな関係っていうなら、本当に相談してるだけかもよ。その、身体の関係とかは抜きにしてさ」
「そう、かも知れません。……いえ、そうだといいです」
祈るように振り絞る透子の声が痛々しい。
透子のそんな様子を見て、純太は透子がまだ隠している事実があることを直感的に感じ取って再び質問を重ねた。
「あのさ、非常に聞きにくいことなんだけど、透子ちゃんと旦那さんって、夜の営みはあるの? 」
ぴくり、と透子の指が震える。純太はそれをしっかりと視界に捉えて透子の答えを待った。
「……い、いいえ」
「まじかー!! 」
透子の答えに瞬間純太がガタリと大声を上げて立ち上がった。あまりの純太の雄叫びに隣に座っていた透子は思わず座っていた椅子からお尻が浮くほど驚いた。
店内の客達も何事かと二人に注目の視線を向ける。
「か、帰りますっ!! 」
注目されたことと、カミングアウトしてしまった内容が居たたまれず、透子は顔を真っ赤に染めながら堪らず席を立った。
「わわ、ストップストップ!! ごめん透子ちゃん! びっくりし過ぎた。ほんっとごめん。もう絶対大声上げないからもう少しここに居て! 」
席を立ってこの場を立ち去ろうとする透子の腕を純太が慌てて掴む。
振り返って純太を恨めしそうにじとりと睨む透子の目には、恥ずかしさで涙がうっすらと滲んでいた。
「うっ、……ごめん。でも、この通り。もう少し透子ちゃんの話が聞きたい。……俺、本当に透子ちゃんの力になりたいと思ってるんだ。お願いします。座って下さい」
羞恥に震える透子の身体を、いつもの発作が発動し、思いっきり抱き締めたい衝動に純太は駆られるも、それを必死で抑え、ひたすら透子に謝罪し真摯な思いを彼女にぶつける。
純太の必死な嘆願が届いたのか、透子は大きく溜め息を吐くと、のろのろともう一度先程座っていた椅子に腰を降ろした。
思いとどまってくれた透子に純太は安堵し、先程中断した会話を再開する。
「え、っと、結婚して三ヶ月目だっけ? このご時世になんだけど、結婚初夜とかそーゆーのも無かったの? 」
出来るだけ透子を傷付けないように、やんわりと優しく純太が核心に踏み込む。
「……結婚式の夜は新さんは商店街の人達と朝まで飲んでいて、帰ってきたのは朝方近くでした。べろんべろんに泥酔状態で彼は直ぐに眠ってしまって、起きてからも酷い二日酔いで…。とてもそんな雰囲気にはなりませんでした」
透子はその時の様子を思い浮かべてゆっくりと話を始めた。
「それで、初夜を逃してからは何だかお互いタイミングが合わなくて…。そうこうしている内に理花さんとの電話や外出が徐々に増えていって、もうそういう雰囲気にもならないというか…。私は朝起きるのも早いから、新さんを起こさないように今では寝室も別にして各々で休んでいるんです」
透子だって、寝室を分けた後、いつ新が自分の寝室に来てくれるかと期待して待っていることもあったが、それは全くの杞憂に終わった。
結婚して三ヶ月。新が透子の寝室に姿を現すことは一度もなかった。
それから透子は期待することを辞めたのだった。
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