私が生け贄では不満ですか?

久留茶

文字の大きさ
10 / 11

【9】リュミエールの怒り

しおりを挟む
 泉の奥底の穴ぐらでリュミエールは谷の異変に気付きピクリと身体を起こした。

「何だ?」

 不穏な空気を感じ、リュミエールは嫌な予感にゆっくりと穴ぐらから移動する。

「龍神様~!!」

 自分を呼ぶその声に聞き覚えがあり、リュミエールはげんなりとした様子でその場に留まった。

「また、伯爵か。あいつもしつこいな。どうせ雨が止んだからあの娘同様、また雨を降らせと言いに来たんだろ」

 理由は分かりきっているが、しかし妙な胸騒ぎは収まらず、リュミエールは穴ぐらへ引き返そうとした身体をもう一度地上へと向かって移動し始めた。


 (姿は見せない。少し様子をみよう)


 リュミエールはそう決めると泉の中で伯爵の様子を伺った。


「龍神様!  大変申し訳ありませんでした!  貴方様から逃げ出した生け贄の娘の代わりに新たな生け贄をご用意致しました!」

「何だと?」

 伯爵の言葉にリュミエールがピクリと反応する。

 (逃げ出した?  あの娘が私から逃げたというのか?)

 リュミエールの中で苦い感情が押し寄せ、無意識にリュミエールの眉間に深い皺が刻まれる。

「ふ、ふん。先にあいつを拒絶したのは私だ。あいつが勝手に諦めて伯爵の所に帰っただけのことだろ。何故、私はそれを気に入らないと思っているのだ」

 リュミエールは自分の初めて経験する感情に僅かながらに戸惑い、必死で気にしていない風を装った。

「龍神様、何卒次の生け贄をお納め下さい!」
「嫌よ!  離して!!」

 伯爵とは別に切迫した若い娘の声にリュミエールが意識を地上へと戻す。

「あの娘の姉妹か」

 (確か、金髪で青い目の美人と言っていたような……)

 リュミエールはもやつく気持ちを奥に押し込め、新しい娘の存在に気持ちを切り替えると、新しい生け贄の娘の顔を拝もうと、水面からこっそりと顔を覗かせた。

「ん?」

 リュミエールの顔が険しくなる。
 伯爵に無理やり連れて来られたのであろうその娘は、逃げ出さないよう金色の髪の毛を伯爵に掴まれ、アメリアが美しいと言っていた顔は半分が殴られ赤黒く腫れ上がり、とても見れたものではなかった。

「愚かな。どうして伯爵家はこうも醜い娘しか用意出来ないのだ」

 (……そして、何と汚い気を放つ娘なのだろう。この娘は私に悪い気を与える)

 リュミエールは溜め息を吐くと、興が削がれた様子でがっかりしながら泉の中へと顔を戻した。
 そして、二度と伯爵の声には耳を貸さないと決め、再び穴ぐらへと戻ろうとしたその時だった。

「逃げ出した娘は私が先程谷で始末致しました!  どうかお怒りを鎮めて下さい!!」

 一向に姿を現さないリュミエールに痺れを切らした伯爵が、アメリアについて自分が手を下したことを告げた。

「何だと?」

 その瞬間、リュミエールの内側から激しい怒りの感情が沸いてくる。

 (始末しただと?   折角私が神力を注いで綺麗にしたというのに、またあいつを醜く汚したのか……)

 リュミエールの身体から放たれる神力で泉がゆらりと不穏に波打つ。

 泉の変化に勘違いした伯爵は龍神からの反応があったことに喜び、更に言葉を続けた。

「龍神様がお望みなら逃げ出した娘も差し出します。始末したとは言いましたが、まだ僅かばかりですが、息はしております。亡骸となる前にこの場にお連れ致します!!」
「ひ、ひぃ!」  

 狂気じみた伯爵の言葉に隣にいたベラが恐怖の悲鳴を上げた。
 そんな二人の目の前で泉の揺らぎは一層強くなり、やがて水面が空に向かって弧を描くように巻き上がった。
 そして、谷の上空には暗い雲が覆い、雷鳴が轟き始めた。

「お、おお。ついに龍神様が雨を降らせてくれるぞ」

 空の様子を見た伯爵が歓喜の表情で龍神が姿を現すのを今か今かと待ちわびた。

『愚かな人間よ。お前は人の道を踏み外した。お前の要求は到底叶えてやれるものではない』

 伯爵の望み通り、水柱の中から龍へと姿を変えたリュミエールがその姿を現したが、その姿から放たれた言葉は伯爵が望むものではなかった。

『お前はこの国と共に勝手に滅びるがいい』
「そ、そんな龍神様!  私は貴方に言われるがままに私の娘達を差し出したのです!  貴方の言っていることは滅茶苦茶だ!」
『うるさい!  』

 ピシャーーーン!!

 リュミエールの一喝と同時に伯爵の身体に雷が落ちる。

「がっ!!!」

 雷に打たれた伯爵は身体が焼け焦げ、白目を剥いてその場に倒れ込んだ。

「キャアアア!!」

 隣にいたベラが黒焦げとなった伯爵の姿を見て、半狂乱に悲鳴を上げる。
 リュミエールはそんなベラを無視し、すぐにアメリアの気配を注意深く探り始めた。

 (どこだ?  どこにいる?  まだほんの僅かでも息があるなら助けることが出来るはず……)

 リュミエールは焦る気持ちを抑え、神経を研ぎ澄まし、アメリアから僅かに洩れる気配を辿った。そして遂にボルド谷の入り口付近で彼女の姿を見つけることが出来た。


 アメリアは伯爵に左胸を銃で撃たれ倒れていた。


 リュミエールは龍の姿から青年の姿に変化すると、いつかの時のように再びその両腕にアメリアを抱き寄せた。

「おい、しっかりしろ! 聞こえるか? 」

 リュミエールはぐったりしているアメリアに向かって必死に呼び掛けた。


「おい、私の声が聞こえるか?  聞こえているなら私にお前の祈りを捧げろ!  今の私ではお前を助けてやれる力がないのだ!  お前の気を私に注いでくれ! 」

 青白いアメリアの顔を見下ろしながらリュミエールが何度も呼び掛けた。
 その一方でリュミエールは何故自分がこんなにも必死でこの娘を助けようとしているのか、戸惑っていた。

 (こんな小娘一人、死のうがどうなろうが知ったことではない。
 しかし、何故私は何度もこの娘を救おうとするのか……)

 酷く罵り拒絶しても決して非道な神を見捨てず、 己を犠牲にしても国や家族を救おうとする尊い魂の持ち主。

 そんなアメリアからもたらされる祈りの力はリュミエールが今まで味わったことがない程上質で、甘美なものだった。

 (こんなにも自分の神力を極上に引き上げてくれる存在には今迄出会ったことがなかった)

 アメリアを失いそうなこの瞬間、漸くリュミエールは気付いた。

「そうか、お前こそが真に私の番となるにふさわしい存在だったのか……」

 リュミエールは一向に反応のないアメリアに向かってポツリと言葉を呟いた。

  (出来損ないの私に足りないものを埋めてくれる存在……)

「おい、よく聞け。私にはお前が必要だ。お前が側にいてくれれば私は最高の神になれる。死んだ大地でも何でも蘇らせられる。お前さえずっと私の側にいてくれれば……」

 
    リュミエールはアメリアに語りかけながら、アメリアに対する自分の感情についてようやく自覚した。
    リュミエールにとってアメリアは、初めて生きていて欲しいと願った人間だった。

「死ぬな」

    リュミエールは引き寄せられるようにアメリアへと顔を近付けると、その色を失い薄く開かれた唇に、自分の唇をそっと重ねたのだった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

旦那様は、転生後は王子様でした

編端みどり
恋愛
近所でも有名なおしどり夫婦だった私達は、死ぬ時まで一緒でした。生まれ変わっても一緒になろうなんて言ったけど、今世は貴族ですって。しかも、タチの悪い両親に王子の婚約者になれと言われました。なれなかったら替え玉と交換して捨てるって言われましたわ。 まだ12歳ですから、捨てられると生きていけません。泣く泣くお茶会に行ったら、王子様は元夫でした。 時折チートな行動をして暴走する元夫を嗜めながら、自身もチートな事に気が付かない公爵令嬢のドタバタした日常は、周りを巻き込んで大事になっていき……。 え?! わたくし破滅するの?! しばらく不定期更新です。時間できたら毎日更新しますのでよろしくお願いします。

さようなら、たったひとつの

あんど もあ
ファンタジー
メアリは、10年間婚約したディーゴから婚約解消される。 大人しく身を引いたメアリだが、ディーゴは翌日から寝込んでしまい…。

能ある妃は身分を隠す

赤羽夕夜
恋愛
セラス・フィーは異国で勉学に励む為に、学園に通っていた。――がその卒業パーティーの日のことだった。 言われもない罪でコンペーニュ王国第三王子、アレッシオから婚約破棄を大体的に告げられる。 全てにおいて「身に覚えのない」セラスは、反論をするが、大衆を前に恥を掻かせ、利益を得ようとしか思っていないアレッシオにどうするべきかと、考えているとセラスの前に現れたのは――。

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

公爵さま、私が本物です!

水川サキ
恋愛
将来結婚しよう、と約束したナスカ伯爵家の令嬢フローラとアストリウス公爵家の若き当主セオドア。 しかし、父である伯爵は後妻の娘であるマギーを公爵家に嫁がせたいあまり、フローラと入れ替えさせる。 フローラはマギーとなり、呪術師によって自分の本当の名を口にできなくなる。 マギーとなったフローラは使用人の姿で屋根裏部屋に閉じ込められ、フローラになったマギーは美しいドレス姿で公爵家に嫁ぐ。 フローラは胸中で必死に訴える。 「お願い、気づいて! 公爵さま、私が本物のフローラです!」 ※設定ゆるゆるご都合主義

 怒らせてはいけない人々 ~雉も鳴かずば撃たれまいに~

美袋和仁
恋愛
 ある夜、一人の少女が婚約を解消された。根も葉もない噂による冤罪だが、事を荒立てたくない彼女は従容として婚約解消される。  しかしその背後で爆音が轟き、一人の男性が姿を見せた。彼は少女の父親。  怒らせてはならない人々に繋がる少女の婚約解消が、思わぬ展開を導きだす。  なんとなくの一気書き。御笑覧下さると幸いです。

『二流』と言われて婚約破棄されたので、ざまぁしてやります!

志熊みゅう
恋愛
「どうして君は何をやらせても『二流』なんだ!」  皇太子レイモン殿下に、公衆の面前で婚約破棄された侯爵令嬢ソフィ。皇妃の命で地味な装いに徹し、妃教育にすべてを捧げた五年間は、あっさり否定された。それでも、ソフィはくじけない。婚約破棄をきっかけに、学生生活を楽しむと決めた彼女は、一気にイメチェン、大好きだったヴァイオリンを再開し、成績も急上昇!気づけばファンクラブまでできて、学生たちの注目の的に。  そして、音楽を通して親しくなった隣国の留学生・ジョルジュの正体は、なんと……?  『二流』と蔑まれた令嬢が、“恋”と“努力”で見返す爽快逆転ストーリー!

ついで姫の本気

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
国の間で二組の婚約が結ばれた。 一方は王太子と王女の婚約。 もう一方は王太子の親友の高位貴族と王女と仲の良い下位貴族の娘のもので……。 綺麗な話を書いていた反動でできたお話なので救いなし。 ハッピーな終わり方ではありません(多分)。 ※4/7 完結しました。 ざまぁのみの暗い話の予定でしたが、読者様に励まされ闇精神が復活。 救いのあるラストになっております。 短いです。全三話くらいの予定です。 ↑3/31 見通しが甘くてすみません。ちょっとだけのびます。 4/6 9話目 わかりにくいと思われる部分に少し文を加えました。

処理中です...