この大きな空の下で [無知奮闘編]

K.A

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[最終章]心の拠り所

定食屋の悲劇

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最終日の仕事が無事に定時を迎えた。


明後日は引っ越し、遠方の新天地に異動になる。


私「飯食って帰るか」

妻「唐揚げ定食も最後になるかもね」

私「そうだな、明日は荷物出しで忙しいからなぁ」

定食屋が見えてきた。
が、著しく様子がおかしい。

店の前にパトカーが二台止まっていた。
制服の警察官とそれにおぼしき係員が数人見えた、その中にババァの姿が見えた。

ババァは自力で立つのも難しいのか、両脇を婦人警官に支えられ店先の隅にいた。

話しかけるのも難しい状態だった。


「昨日の閉店後に店の中荒らされて売上金を根こそぎ持っていかれたらしい」
いつの間にか隣に腕組みをした大将がいた。

私「空き巣か!」

大将「どうやらそうみたいだ。中条さんも古い気質の人だからねぇ、銀行をあまり信用してなかったのが仇になっちまったな」

妻「中条さん?」

大将「あぁ、あそこの女将、中条さんって言うんだよ。知らなかったか?」

私「まったく」

妻「私も」

純「お父さん、今日お店どうするの?」
純ちゃんがやってきた。

大将「今日は臨時休業だ。暖簾仕舞って貼り紙してきてくれ」

純「うん、わかった」

大将「その後にまた戻ってきてくれ、中条さんの手伝いするから」

純「うん」

大将「中条さんには色々世話になったからな、こんな時くらい微力でも支えになってやらなきゃな」

純「わかってるって、じゃ貼り紙してくる」

私「最後にババァの唐揚げ食べたかったなぁ」

大将「最後?」

私「えぇ、明後日異動なんですよ」

大将「そうだったのか!じゃあちょっと来い」

言われるがままに大将の後ろを付いていく。

大将「入りな」

居酒屋の店先で臨時休業の貼り紙とセロテープを持った純ちゃんと鉢合わせの格好になった。

純「あれ?お父さん戻ってきたの?」

大将「あぁ少しだけな」

店内に入り、座れと促される。
大将は厨房で何やら作業を始めた。

そして十分も待っただろうか。

大将「お待ち、食べてみな」
出てきたのは唐揚げ定食だった。

私、妻「頂きます」

唐揚げを口に放り込む。

私「ん!」

妻「え!」

大将「わかるか?」

私「定食屋の唐揚げと味付けが全く同じだ」

大将「中条さん直伝の唐揚げだ」

妻「直伝?」

大将「あぁ、この店も今年十二年目だけど唐揚げを作る度に思い出すよ、開店準備の頃を。定食屋の営業時間外で毎日顔出してくれていろいろアドバイスもらったもんだよ」

純「ついでに宿題教えてもらったのよ」

大将「ここいらの飲食店はほとんど中条さんの世話になってるんじゃないかな」

妻「凄い人だったのね」

大将「この駅前周辺で最初の飲食店だって聞いてるからなぁ、たしか.....今年三十五年目じゃなかったかな」

妻「三十五周年!凄すぎる」

私「節目の年じゃないか」


その時、ガラガラと扉が勢いよく開いた。


「純先輩!!」

美奈ちゃんだった、かなり息を切らしている。

私「おぅ、久し振り!」

美奈「あ、Kさん、奥さん、お久しぶりです。それよりも...」

私「定食屋の事か?」

美奈「警察がいっぱい来てて...何があったんですか!」

大将がいきさつを説明する。

美奈「なんで.....なんでオーナーのお店がこんな目に遭わなきゃいけないんですか!」
拳をギュッと握り締め激昂する美奈ちゃん、目には涙が今にも溢れそうになっている。

私「落ち着け、犯人は警察が捕まえる」

美奈「でも!」

私「いいから座れ!」

美奈「でも!」


バァン!
カウンターを両手で叩き

私「座れ!」

純「後は警察に任せましょ、私達素人が手出ししちゃダメよ」

我慢の限界が来たのか涙を流し始めた美奈ちゃん。

私「羨ましいな、そんな余裕があるんだな」

妻「余裕?」

私「泣く余裕があるんだな、俺にはそんな時間ない」

妻「解釈が違うでしょ!」

私「何が違うんだよ!じゃあ今この瞬間にメソメソ泣いてれば何か解決するのかよ!」

純「そんなにキツい言い方しなくてもいいじゃない!」

私「じゃあ、そこでずっと泣いてろ。大将、ごちそうさまでした」

妻「どこ行くの!」

私「帰るんだよ!」

妻「これだけの人達が悲しんでるのに?」

私「もういいから警察に任せろ!」

妻「でも」

私「俺は帰る!ババァには申し訳ないけど俺らは明後日いなくなるんだよ、そんな人間に何が出来る?何をしてやれる?俺だって悔しいし何か力になりたいと思うよ、でもその時間がもうないし、警察もあんなに沢山来て調べてる。どこにも出番はないだろ?」

店を出る。
妻は付いてこない。

定食屋の前を通る。
まだ大勢の警察が店の中を調べている。



.....悔しくない訳がない。

.....俺だって何とかしてやりたいさ。

.....でも、もう時間がないんだよ。

......ババァ、ごめんな。

.....あれほどの美味い唐揚げにはもう出会えないかもな。

まっすぐ部屋に帰り、布団に潜り込む。
いつの間にか眠ってしまっていた。


どのくらい眠っていただろうか、時計を見たら丁度日付が変わる頃だった。

タバコを吸おうと布団から這い出す。

タバコを手に取るが空っぽだった。
戸棚を見るとコーヒーも空だった。

タバコを買いに外へ出る。
靴を履く時に妻の靴が見当たらない事に気付く。

外はひんやりとしていた。
コンビニに差し掛かろうという時にFとJにばったり出くわす。

私「こんな夜中に珍しいな」

F「明日の午前中に帰るから最後に軽く飲もうかと思って」

J「定食屋が開いてなかったからさ。ところでKはいつ行くんだよ」

私「俺は明後日の午前中」

J「そっか」

F「寂しくなるね」

私「そんな事ないさ、これからパパになるんだろ?忙しくなるぜ」

F「仕事も見つかりそうだし、たしかに忙しくなりそうだね」

J「最後にKも一緒に飲もうぜ、電話する手間が省けた」

私「いいの?」

J「なんせKは命の恩人だからな」

私「やめろって」

J「どこか行くんなら話は別だけど」

私「いや、コンビニにタバコ買いに行くだけだよ」

J「それなら自分の分買って俺の部屋に来なよ」

私「わかった、すぐ行くよ」

二人と別れコンビニに向かい、タバコ二つと缶ビール数本を買う。

お金を払ってお釣りを受け取ろうかという瞬間に店の外に人影が通りすぎるのが見えた。

コンビニを出た。
その人影はまだ遠くには行ってなかった。

少しだけ付いていってみた。

後ろ姿に見覚えがあったからだ。

四、五百メートルも追跡しただろうか、あまり通らない道に入っていった。

堪らず声を掛けてみる事にした。


私「美波ちゃん」


人影が振り返り、私と目が合った。
予想通り美波だった。

私「どうしたのこんな時間に?もう電車もないだろ」

美波「いや...美奈先輩の所へ行こうかと....」

明らかに挙動がおかしい、目が完全に泳いでる。

私「それなら変だな、美奈の家はこっちの方向じゃないよ」

美波「え.....いや、先輩と待ち合わせしてるんです」

私「こんな電車もなくなった夜中にか?美奈がそんな呼び出しするとは考えられないんだが」

美波「あの....すいません...急いでるので」
急に話を遮り、早足で歩き始めた。


.....明らかにおかしいだろ、こんな時間に。


もう少しだけ後を付ける事にした。


途中、美波が急に振り返り
美波「ついてこないでください!」

と言って牽制するが

私「偶然だな、俺もこっちに用事があるんだよ」

とそれを制する。


そんなやりとりが数回続いた後に美波は袋小路が密集するエリアに差し掛かり、とある角を曲がった。


そこで追跡をやめた。


袋小路から出てきたら必ず私が現在立っている地点を通るからだ。
まぁ、まず美奈はこんな所を待ち合わせ場所には指定しないだろう。


タバコに火を点け、そのタバコを吸い終わるかというタイミングで美波が入って行った道の奥から男女の声が聞こえた。

男「いいんだよ!黙ってたらわかんねぇんだから」

女「だからってお店の中を滅茶苦茶にしなくてもよかったでしょ!お金だけが目的だったんだから」

男「うるせぇ!あんな定食屋なんかあってもなくてもどうでもいいだろうが!」

女「だったら、私今から警察に行く。それで全部話す!」

男「そんな事させるかよ!」

女「キャァ!何するのよ!」


密会にしては聞くに堪えない会話である。

でも会話の中の単語は少し引っ掛かる。

男「警察になんか行かせるかぁ!」


...なんか物々しい雰囲気だな、たぶん女の方は美波だな。
声に聞き覚えがある。

...まったく、若い男女の夜中の密会なんだからもう少し色気のある話くらいしろよ。

軽く自分勝手な失望をしながら奴に近づいて話しかけてみた。


私「こんな夜中に楽しそうだな、でも女の子と外で楽しむにはちっと寒くないかい?」

男「誰だ!てめぇ!」

私「人の事をてめぇなんて呼ぶ奴に名乗る名前なんてねぇよ」

男「何!この野郎!」

私「だからぁ、人に物を尋ねる時はもう少し丁寧に言わなきゃ」

男「んなこたぁどうだっていいんだよ」

私「ところで美波」

美波「......」

私「返事くらいしなさい!」

美波「....はい」

私「君はさっき美奈と会うって言ってなかったっけ?」

美波「いや....それは.....」

私「さっきから会話聞いてたんだけど、ひょっとして定食屋にあんな酷い事したのはお前らか?」

男「だったらどうした!この野郎!」

私「美波、お前もグルか?」

美波「.....」

私「美波!答えろ!」

男が口を挟む。

男「あぁそうだよ!この女が裏口の鍵パクってきて店閉まってから入ったんだよ!おかげですんなり事は運んだぜ!」

私「うるせぇ!てめぇに聞いてねぇんだよ!雑魚は黙ってろ!美波!返事できないのか!」

男「雑魚だと!この野郎!」

刃物をチラつかせて威嚇している。

私「お!その刃物見つかったのか!よかったな!いやーよかったよかった」

男「は?」

私「一年前くらいだったかなぁ、そこの公園で女子高生ナンパしようとして誰かにぶっ飛ばされなかったか?」

男「それがどうした」

私「その時[覚えてろ]って言われたから律儀に顔覚えておいてやったのに薄情な奴だなぁ」

男「公園.....あの時の!」

私「思い出したか、でも時間掛かりすぎ」

男「ちょうどいいや、あの時の借りを今ここで返すぜ」

私「やれるもんならやってみな、ただし今回は一切手加減なしだ」

男「うるせぇ!こらぁ!」

男が刃物を振り回してこっちに向かってきた。


....その時


私の右脇を一瞬....風が通り抜けた。


ビシッ!
バシッ!
ドンッ!


あっという間の出来事だった。
私が感じた風は人影となり、具現化して私の数歩前に仁王立ちしている。

私「おい、誰だ」

人影「これで泣いていた時間を少しは取り戻せましたよね?Kさん?」
そう言いながら人影が振り返る。


まさかの美奈だった。

私「美奈?」

美奈「日課のトレーニングの最中に怒鳴り声が聞こえたので来てみたら話が聞こえちゃって、我慢できなくなっちゃいました」

私「一瞬しか見えなかったが、さっきの動きは八極拳か?」

美奈「えぇ、小さい頃から当時住んでいた近くの道場に心身鍛練って事で父に連れられて中国拳法をずっと習ってたんです。そこで八極拳を習いました、今でも通ってますよ。でもよく知ってましたね。これでも黒帯なんですから見くびらないでくださいね」

私「いや、動きが早くて俺でもさっきのは回避できるかわからんよ」


男は三段目の当て身で吹っ飛び、近くの電柱に激突して失神したのか、まだ起きてこれない。

それを横目に見て、美奈は美波に近づいた、そして...


パァン!


美波の顔をひっぱたいた。


美奈「なんであんな酷いことしたの?よりによって何であのお店なの?あなただけは絶対に許さない!何回謝っても絶対に許さない!あなたをあの店に連れていくんじゃなかった!」

もう一発叩こうかと振り上げた手を制する。

美奈「何するんですか!」

私「その辺にしておけ」

美奈「でも!」

私「じゃあ、あと一発叩いたら全て水に流せるのか?違うだろ?」

振り上げた手を仕方なく下ろす美奈。

わあっと泣き崩れる美波。

私「美波、あの定食屋の件にこの男とお前が絡んでいる、それで間違いないな?」

静かに頷く美波。

私「お前、大変な事しでかしちまったぞ。この話が町中に広まったらマジでこの町歩けないぞ」

美波「私は...脅されて....」

私「脅されてやったにせよ、加担したのは事実だろ?」

美波「...はい」



美奈「なんで...なんでそんな酷い事できるのよ.....」
力なく泣き崩れる美奈。


私「.....警察呼ばなきゃな。美奈、お前は帰れ」

美奈「いえ、私も警察来るまで....」

私「武道の有段者とこの状況が揃ってるのはまずい。奴は俺がぶっ飛ばした事にするから帰れって、親父さん心配するぞ」

美奈「でも.....」

私「いいから、後は俺と警察に任せろ。お前はババァのケアしてやれ。あの姿は流石に見てらんないよ」

美奈「わかりました、明日早速オーナーに電話してみます」

ペコリと頭を下げ、走り去る美奈。
よく見たらジャージ姿だった、本当に毎日トレーニングしてるのだろう。



通報してすぐに警察官が二人来た。

警察官「あなたが通報者ですか?」

私「えぇそうです。ちなみにそこに転がってる男と脇に座り込んでる女の子が定食屋荒らしの犯人ですよ」

警察官「え?それは本当ですか?」

私「本人の口から聞いたから間違いないと思いますよ」

私の言葉を聞いて警察官が頻りに無線でやりとりを始めた。
そして数分後、パトカーが二台やってきた。
更に救急車も呼ばれ、男が収容されていった。
美波もパトカーに乗せられ警察署に連れて行かれた。


....美奈を怒らせるとあぁなるんだな、覚えとこ。



警察官「あ、君も署まで」

私「え?俺?」

警察官「あくまで参考人として聴取させてください」

私「あぁ、それなら」

警察官に促されパトカーに乗り込む。



パトカー車内。

警察官「あの男に面識は?」

私「いや、知らない人ですね。女の子の方はあの定食屋でバイトしてた娘です」

警察官「え?自分のバイト先を荒らしたの?」

私「そうみたいですよ」

警察官「世も末だなぁ」

私「全くです」




夜中にもかかわらず、数時間の聴取を受け警察署を出る。




警察署の入り口にJとFが立っていた。


J「おい!いつまで待たせるんだよ、奥さんも待ってるぞ」

F「まったく、最後の最後までほんとに忙しい人だ」

私「なんでここに?」

F「さっき美奈ちゃんから電話があったんだよ」

私「そうだったのか、でもすっかりビールがぬるくなっちゃったよ」

J「タクシー待たせてるから早く行こうぜ、ビールは氷入れればいいだろ」

私「うん、サンキュー」




タクシーは妻の待つ寮へと運んで行った。
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