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あの時(真の凛編)/クローンに殺される私……

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「システムはマニュアル操作による緊急停止に入りました」

 得体の知れないガラスの筒の中。
 固いベッド状の物の上に私を固定していた枷が外れた。
 床から浮いた状態で、足を開かされて固定されていた私の体は突如、自由の身になった。
 足を閉じ、着地する精神的余裕も無かった私は、ふいに与えられた自由に体勢を整える事もできず、床に倒れ込んだ。
 慌ててついた手。
 四つん這いの状態で、精神的にはほとんど放心状態の私に思考が蘇ったのは、私を閉じ込めていたガラスの筒が上方に引き上げられた時だった。

 殺されなかった。
 でも、自由になった訳じゃない。

「システムに異常が発生しました」

 部屋に流れた新たな音声に、私は四つん這いのまま、顔を上げた。
 点滅を始めた部屋の中は赤色灯が、危機感を煽る。
 そんな時、ガラスの向こうの部屋につながるドアをスライドさせ、中に入って行く全裸の少女の後ろ姿を見た。
 後ろ姿なので、それが誰だか分からない。
 でも、きっと私と同じような目に遭っていた人のはず。

 一緒にいたい。そんな思いがこみ上げてきた。
 でも、私も全裸。その少女が全裸なのを気にしていなかったとしても、私は気にせずにいられない。とてもじゃないけど、その後を今すぐ追っていく勇気は無い。
 何か着るもの。そんな思いで、私が部屋の中を見渡した時、片隅に置かれた籠の中に、私が着ていた服が置かれている事に気づいた。

 ガラスの向こうに目を向け、男たちの様子をうかがった。何かもめているようであって、私の事なんか、誰も気に留めてはいない。私は目立たないよう、四つん這いのまま服が置かれているところまで進んで行った。
 姿勢を低くしたまま服を着終えると、辺りを見渡してみた。
 何かの装置らしきものが多く置かれた部屋の壁に沿って視線を移動させてみても、ドアのようなものは少女が使ったドアの他に見当たらない。ここに連れてこられた時は余裕が無くて、分からなかったけど、きっとあの子が開けたドアを通って、ここに来たとしか考えられない。
 としたら、あの子のところに行くにしても、一人で逃げるにしても、あのドアを通るしかない。

 このまま、ここにいたって、いずれは男たちがやって来て、捕まってしまうだけ。
 だとしたら、一人でも仲間が多い方がいい。
 今すぐ、あの子の所に行って、ここから逃げるために、二人で力を合わせるしかない。たとえ、成功する確率が低くても、それ以外に道がないのだから。
 そう結論を出した私はすくっと立ち上がった。の、つもりだったけど、足ががくがく震えているのが分かる。

 しっかりしてよ! 私!

 そんな思いで、太ももの横の辺りを両手で数回叩く。震えは止まっていないけど、歩くことはできる。ここでぐずぐすなんかしていられない。
 あの子が使ったドアを目指して歩いていく。大きなガラスの近くでは、とりあえず身をかがめて、通り過ぎて、ドアの取っ手に手をかけた。

 うっ!

 想像していた以上にドアは重かった。
 体重をかけて、ドアをスライドさせる。
 ズルズルと鈍い音を立てて、ドアが開いていくと、部屋の中の音が聞こえ始めてきた。

 どさっ!

 それが私が最初に聞いた音だった。何か重いものが落ちたかのような音に、開いたドアから顔をのぞかせて、中の様子を確認した。
 私をここに連れてきた男たちと、この部屋の中で何かもめている風だった男たちの壁の向こうの床に一人の男の人が倒れていた。服装から言って、この部屋でもめていた男たちの一人っぽい。
 ついにもめ事が暴力沙汰に。危険すぎる。

 あの子はと言うと、男たちの壁の後ろに立っていて、裸のまま立っている。いいえ、立ち尽くしていた。その少女のところに駆け寄ろうと、男たちの様子を確認した。
 男たちはすでに私の事に気づいていて、なんでこいつがここにいる? 的な視線を私に向けている。

「ねぇ。あなた、一緒に逃げよう!」

 そう叫びながら、私に背を向けたままのその子の所に駆け寄ろうとした時、その子は振り向いた。振り返ったその子の顔は鏡でも見ているのではないかと言うほど、私そっくりだった。
 特に感情を見せる事もなく、私を見つめるその子の目。
 私は全てを悟った。私を使って、この人たちはクローンを作っていたんだ。
 この子は私のクローン。私と同じ顔をした人形。
 そんな存在、見ていたくない。
 私は立ち止まり、後ずさりしながら、嫌悪と恐怖で顔を両手で覆った。
 私がその子の素性を悟った時、その子も自分の意味を悟ったらしい。

「何、この子。
 これが私のオリジナル?」

 感情も動揺もない冷たい口調。

「しかも、逃げよう?
 震えてるし」

 よく分かんないけど、何か攻撃的、いいえ私を蔑んでいる?
 その子、私のクローンは顔を覆っていた私の両手の手首の辺りを掴んだ。
 両手を顔から離せば、私は現実世界で無防備になってしまう。
 そんな思いが、私の両手に力を込めさせる。

 私のクローンはその私の両腕を力任せに押し開こうとしてきた。
 その動きを感じた私が腕にさらに力を込めて、抵抗したけど、力はクローンの方が強かった。
 開こうとする力に抗しきれず、覆っていた両手は私の顔から離されてしまった。
 目の前に自分のクローンがいると言う現実が私を襲う。

「嫌!」

 自分と同じ顔をしたクローンを見たくなくて、顔を背けた。

「私の方が嫌よ。
 こんな弱虫で、情けない生き物が私のオリジナルだなんて」

 吐き捨てるようにそのクローンは言った。

「私だって嫌よ。
 私のクローンだなんて。その顔、私に見せないでよ!」

 クローンのくせに、生意気な言いぐさが私に感情を吐き出させた。
 涙で視界がにじむ中、そのクローンの顔に怒りが浮かんだのを感じた。

「そう。
 だったら、見ないで済むようにしてあげる」

 私のクローンは、つかんでいた私の手首から手を離して、肩から少し離れた腕に一瞬の内に持ち替えた。

「死ね。
 もう二度と会う事はないから、安心しなさい」

 私のクローンがそう言った瞬間、「ぐちゅぐちゅ、ぼきぼき」と腕の中が骨ごと圧潰する嫌な振動と、激痛が私に伝わって来た。
 次の瞬間、目を見開いて、自分の腕を確かめた。
 私の腕があったところには何もなく、血が噴き出していた。

 そして、目の前に立っていた私のクローンの手の中に、さっきまで私の腕だったはずの物体が握られていた。

「ふん」

 そんな言葉を吐き捨て、私のクローンがその腕を投げ捨てると、私の腕だったものは床の上を転がっていった。
 その様子を、私の視覚はまるでスローモーションのように捉えていた。

 私の体とつながっていたであろう部分から、弱々しく流れ出す赤い血が床の上に真っ赤に血の模様を描いていき、5本の細い指は私の意思とは関係なく、ぴくぴくと小さな振幅を繰り返していた。

 自分の腕が無くなった恐怖。
 腕から伝わる痛み。
 私の視界に映っていた両腕から噴出していた血の勢いが弱まっていくのに合わせて、私を包んでいた恐怖と痛みも薄れてきた。

 それは決して、安堵や治癒なんかじゃない。私の意識が闇に引きずり込まれていっている。

 寒いし、暗いし。
 私は死ぬらしい。
 自分のクローンに殺されて。

 そして、その闇は私の足の力をも引きずり込みはじめ、自分の体がゆらりと崩れ落ちるのを感じた。

 それが、私が最後に感じた感覚だった。
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