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第一章 僕は僕ですが

第八話 進んで止まってそして巻き戻る―3

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 言葉を頭で紡ぐより先に、口から零れ落ちていた。
 僕が信頼できるのは、僕が大事にしているのは誰なのか。その結論は、僕の脳みその中で捏ねられた考えではなく、完全な直感でひねり出された。

「あの、あまり僕に構わないでくれませんか?」

「…え?………また、どうしてそんなことを言うんだよって。」

「ルークさん、あなたがいると僕はあなたに頼ってしまいます。僕は、少し昔に別れた友人を探すために旅に出るつもりなんです。そんなとき、今のようにあなたに頼りきりの生活を送っていたら、僕は一生をここでのうのうと過ごして、二度と彼女を探そうなんて気にはなれなくなってしまうと思うんです。だから、もう僕に構わないでください。ルークさん、僕はあなたの時間を奪いたくないんです。」

 ルークは、僕の告白を静かに聞いていた。
 まるで世界が制止してしまったかのように、誰も何も言わなかった。夜の冷たい風も、林に住み着いている鳥も、虫も、何も音を出さなかった。まるで時間が止まった空間にいるようだった。
 二分ほど経っただろうか、ルークはただ一言――

「…分かった。」

 それだけ言って、振り返り、歩き出した。使用人用の部屋は彼が歩いて行った先にあるので、僕は彼が曲がり角で見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。

「…後悔しても遅いか。」

 今になって発言を取り消そうとすれば、僕は確実にルークに失望されてしまうだろう。自立したいという意思、いつまでも甘えて生きていたくないという意思、迷惑をかけたくないという意思、これまで僕の心の中で渦巻いてきた数々の意思たちがやっと解放されたのだ。後悔なんてするわけがない。
 そうやって自分を奮い立たせ、僕は使用人室へ歩み始めた。


 明けて翌日、僕は昨日と同じように厨房に向かい、料理人たちを観察がてら、皿洗いにいそしむのだった。
 昨日と何一つ変わらない日常。その中で、確実に変わったことがあった。
 廊下でルークと会っても会話しなくなった。僕から願い出たことではあったが、彼と会話ができない日常は少し味気ないような感じがした。

「お前、ルーク様と何かあったのか?」

 昨日、僕と会話した背の高い料理人―――マンサクが異変に気付き、声をかけてきた。

「別に、これまでがおかしかったんですよ。王子様と使用人なんて、会話することの方が珍しいでしょ?」

「…そうか?それだけじゃない感じがするんだが…」

 この男、勘が鋭い。これ以上会話を続けるのは得策ではないと考え、僕は汚れた皿を洗剤をしみこませたスポンジで懸命に擦った。
 マンサクは、そんな僕を珍妙なものを見るような視線で見つめ、厨房を後にした。


 もう何日が経ったのだろう。一年は経っていないが、長い時間が過ぎた。もしかしたら、一か月も経っていないのかもしれない。退屈で退屈で、その時間が長く感じるだけなのかもしれない。
 この期間で、僕はある程度の料理を覚えることができた。洗濯を手伝ったので、それも覚えた。暇な時間は本を読んでいた。オーニのところへ行こうとしたことがあったが、あの塔の扉を開けた先にはあの夜空のような空間は広がっておらず、外観通りのぼろい物見用の部屋があるだけだった。
 ルークと廊下ですれ違う事もなくなっていた。明確に避けられてしまったのだと少し悲しくなったが、自分で選んだ道であるので、悲しいという感情を胸の中に押しとどめた。

 そんなある日、僕はこの王宮に仕える従者たちを取りまとめている執事長に呼び出された。使用人見習いから本格的に使用人に任命されるのかな、とか思いながら、僕は執事長の後について長い廊下を歩いた。
 やがて、執事長はほかの扉より一際豪華な扉の前で足を止めた。僕もそれに倣って足を止めた。
 彼が扉をたたくと、扉の向こう側から声がした。この数日間、一切聞くことがなかった声だ。

「ほら、入りなさい。私は中までは着いて行きませんよ。」

 そう執事長は言った。先ほど聞こえてきた声と、執事長の今の発言から、この扉の先にいる人物が誰なのかがなんとなくわかった。
 僕は深呼吸をして心を整え、豪華で重厚な扉を押した。

「―――時空の神よ、理を曲げることを許したまえ―――SocoU遡行

 部屋に入った途端、扉が閉まった。おそらく、僕が自力でこの扉を開けることは叶わないだろう。なぜならこのようなことを僕は一度経験していたからだ。

「…どこに行ってたんです?オーニさん。」

「私が研究室を開ける理由なんて戦以外にあり得ませんわよ?」

 部屋の中心で足を組み、椅子に座りながら彼女は答えた。そんなことを言われても、僕は彼女のことを全部知っているわけでもないわけで。ただ返答に困るだけだった。

「ルークさんじゃないんですね。」

「まぁ、それはそうです。とりあえず、順を追って説明します。」

 彼女のその口ぶりから、なんとなく嫌な予感がした。ただ、ここで聞かなければ後悔するような気がした。
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