新訳ルヴィナス・レコード

弧月残雪

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紅き光と滅びの門

『第六章 崩れゆく物』

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 アスラは翠緑色の海を渡った。
 陽が差す白き浜辺に降り立つ。

 島の中心部をみやる。

 煙があがっていた。黒い煙だ。

 家々を燃やし尽くした火は、あの日の嵐で鎮まった筈だから、恐らく島民の死体でも焼いているのだろう。
 送葬の火が起こす黒煙。
 色が黒なら、油を使っている。焼き払ったか。

 やはり、送葬と言っても、慈悲からくる行為ではないのだろう。
 死体は疫病の発生源となる。アスラの仕える主は若いが学はあったから、疫病の恐ろしさをよく知っている筈だった。

 視線を眼前に戻す。浜からは道が一本、島の中心部へと伸びていた。
 鉄灰色のフードを深くかぶり直し、歩を進める。

 道の左右には大陸では見ない独特の樹木が生い茂っていた。物珍しく興味を示す仲間達もいたが、アスラは特に樹木には感慨を抱かなかった。

 島の中心に近づくにつれ、焼け落ちた家々の跡が姿を現してきた。
 アスラはやはり、それにも何も感じなかった。

  見慣れない物も、見慣れすぎた物も、興味がない。

 やがて、かつてあった村の広場へと辿り着いた。

 焼き尽くされた広場には、煤と赤黒い血の跡が到る所に点在していた。

 軍用の天幕が幾つか張られている。
 鈍色の鎧兜に身を固めた兵士達が、暑さに汗をかきながら出入りしていた。

 そして、彼等はアスラの姿を認めると慌てて視線を逸らしてきた。
 見てはいけない物を見てしまった、そんな反応だ。
 まるで、姿を見ただけで災厄が降りかかるとでも思っていそうだった。

 それはあながち間違いとも言い切れなかった。
 アスラの姿を見た者は、その多くが、死ぬのだから。

 故についた渾名が死神。
 陳腐な名称だが、自分には適しているだろうと、アスラはそう思っていた。アスラは斬新さなど求めない。求めるのは正確さ、確実さ、信頼性だ。陳腐な男だと自認している。だからそれで構わない。

 だが時として、確実性を追求し続けてきた死神の鎌をも潜り抜ける強かな人間が居る。アスラが島に戻ったのはその人間を報告する為だった。

 広場に張られている天幕の中でも、一際大きな物の入り口を、アスラは潜った。

 薄暗い天幕の中には卓と寝台が置かれ、卓には白銀の鎧に身を固めた男が座っていた。

 まだ若い、恐らく三十には達していないであろう男だ。厳めしい武具には似つかわしくない秀麗な眉目と、雪のように白い肌を持つ。
 おおよそ武人とは思えぬ外見の男だ。しかし、アスラはこの男が自分に匹敵する技量を誇る剣士である事を知っていた。
 セラフィックロード神皇国オルド侯爵にして裂震聖騎士団団長、ヴァンラルディ・ヴィスハーツ・オブ・オルド。
 アスラの主である。

「首尾は?」

 涼やかな声。

「完遂出来ず」

 淡々と、無機質な声音でアスラは答えた。

「原因は?」

 失敗した、と聞いてもヴァンラルディは表情一つ変えなかった。その理由だけを尋ねてくる。

「目標が逃走中、旅の者と思われし男女と遭遇。これが目標に加勢。一度目の遭遇で隊の二名が死亡、一名が重症。目標は逃走、追撃をかけるが橋を落とされ、奪取ならず。二度目、アハトの森で奇襲をかけるも勘付かれ撃破される。二度目の交戦で五名が死亡。目標は水竜神殿へと逃げ込み、追撃は不能と判断。帰還した」
「水竜神殿か、ならばお前でも迂闊には手は出せぬな」
「否、命令あらば、可能」

 アスラは例え目標が水竜神殿に逃げ込んだとしても、警備を掻い潜って潜入し目標を攫う自信がある。目標は油断している可能性も高く、成功率は高い。
 だが水竜神殿で騒ぎが起これば、それは政治問題となる。だから主からの許可が必要だった。

「水竜神殿と敵対するのは得策ではない」

 ヴァンラルディはそう述べつつ、

「しかし、面白い事を言ったな」

 彼は口元に薄く笑みをひいた。

「旅の男女か。そのたった二人が、アズライール十人を相手にしてそのうち七名までをも死亡させたと?」

 アズライール。
 アスラの所属する特殊部隊の通称だ。
 キルクルス教の経典の中に伝わる告死天使の名を取って命名されたらしい。

 これもまたなんとも陳腐な名だとアスラは思う。だがこれも、その程度が自分達にはお似合いだろう。上層部もそう思ったから、その名をつけたと考えるのは考え過ぎだろうか。

 冷静に考えればありえない。
 法皇庁のほとんどは敬虔なキルクルス教徒であり、彼らは経典をこのうえなく神聖な物としている。名誉でも賜ったつもりなのだろう。

「まさかとは思うが、油断でもしたのか?」
「否」
「ではその二人は鬼神か」
「否、人の子と見受ける。されど鬼神の如き手練なり」
「お前がそこまで言う程の相手か…………どんな奴等だ?」
「女は外見年齢十代後半、金髪碧眼、身長3クビトゥス5ディジット(約160センチ)前後、肌の色は白。名は不明。水神教徒の神官戦士の装い。弓と魔法の使い手、剣術もかなり使う。弓射に比類なき精度。水と氷の術法を扱う事を確認。男は外見年齢十代後半、黒髪黒瞳、身長3クビトゥス1ペデス(約180センチ)前後、肌の色は白。青の外衣に身を包み蒼き光の剣を振るう。名を、ケルンと」

 ヴァンラルディが表情を一変させた。

「ケルン…………だと?」
「是」

 聖騎士団長は何かを考えるように沈黙していたが、

「ふっ……」

 口を綻ばせるや否や、不意に強い調子で笑い声をあげ始めた。
 大声で、天幕の外に鳴り響く程だった。

 ひとしきり笑ってから再び視線を向けてくる。

「面白いな……アスラ、それはかつて我が国を救った英雄の名ではないか」

 セラフィックロード神皇国には伝説が無数にある。数ある伝説の中でも比較的新しいのが、四十年前に破壊の精霊を退けた英雄達の話だ。
 その英雄達の筆頭が魔剣士ケルン=ルーインブレイクである。真銀の魔剣ヴァナルガンドを操り、若き青年のその剣は次元をも斬り裂いたと謳われる。

「是、されど年齢は一致せず。英雄ケルンは存命とて齢六十を超える老人なり。同一人物である可能性は皆無」
「レーザーブレードを操るのにか? 光の魔法剣を操るケルンが二人もいるものか! あれは破滅砕きの剣聖とその剣を学んだという魔剣士ケルンにしか使えぬ」
「否定要素と競合した場合、それは根拠としては極めて薄弱」
「ああ、そうか、お前は知らないのだな…………私は父に聞いた事がある」

 ヴァンラルディの父ダロットもまた救国の英雄と伝えられていた。

「魔剣士ケルンは時の輪から外れた。彼は不老なのだという」
「…………俄かには信じ難し」
「だろうな、私も信じてはいなかったよ。父の戯言だとな。だが、思えば父はくだらぬ嘘をつく男ではなかった」

 ヴァンラルディは席から立ち上がる。

「面白い! 破壊の精霊を押し返した英雄が相手か! これは法皇庁の連中の言葉を借りれば神が与えたもうた試練といった所か」

 男はアスラを見据え、ニヤリと笑った。

「黴の生えた英雄には御退場願おう。行くぞ」
「何処へ」

 アスラの短い問いに、ヴァンラルディもまた短く答えた。

「水竜神殿だ」









 水竜神殿で面倒を見てもらう事になってから一ヶ月、エル=カルナはケルンとレティシアの指導でメキメキと実力をつけていた。
 教えているケルンが驚く程だ。砂漠に降った雨が砂に吸い込まれてゆくかのように、エル=カルナは技術と知識を吸収してゆく。

 才能だろうか。無論、それもあるだろう。だが、ケルンには彼女の持つ執念とさえいえる程の熱意が何よりも大きいと感じていた。

 何がそこまで駆り立てるのか、エル=カルナは朝日が昇り日が沈むまで剣を振り続ける。夜になれば燭台に火を灯し、ケルンとレティシアから魔法の講義を受ける。その日の訓練や講義が終った後でも一人、魔法に関する事のかかれた本を読んでいた。
 熱心なのは良い事だが、身体を酷使し過ぎなのではないだろうか。ケルンには少し心配であった。

 今も神殿から当てあられた自室に篭って、エル=カルナは魔法の勉強をしている。
 エル=カルナの部屋はケルンに当てられた物と同様の造りで、部屋の隅にベッドがあり、中央に小さなテーブルと燭台が置かれていた。
 応接間とは違い、燭台以外の家具は蒼水晶製ではなく、普通の材質だ。恐らく外部から運びこんだ物なのだろう。

 ベッドにエル=カルナが腰掛け魔導書を読んでいる。テーブルにはレティシアがつき、手にカードを持って渋い顔をしていた。ケルンは同じくカードを幾枚か持って、レティシアの対面の椅子に腰掛けている。テーブルの上にはカードが幾枚か放りだされていた。

「ケルン、ちょっといいですか?」

 エル=カルナが本から顔をあげてケルンを見る。

「ああ、なんだ?」

 ケルンはカードを一枚捨てて、卓上に置かれた札の山から一枚ひく。それを一瞥してからケルンはエル=カルナに視線をやった。

「火矢の術の片手印、これであってますか?」

 エル=カルナが片手で複雑な印を切ってみせる。概ね正しかった。

「ああ、大体あってるが…………それでも良いんだが、三順目はこうの方が良いかな」

 動作を実演してみせる。

「……こう?」

 エル=カルナが改めて印を切る。
 ケルンはその動作をじっと確認し、頷いた。

「ああ、それでOKだ」
「ありがとう」

 エル=カルナは満足そうに微笑むと再び、本に視線を落とした。
 レティシアは手持ちのカードを五枚、全部捨てて場からカードを引く。相変わらず豪快な奴だとケルンは呆れにも似た感慨を抱いた。

「ストレート」
「…………ブタ」

 互いにカードを見せ合う。レティシアは役なしだったらしい。ポニテ女は「あぁぁぁ負けたっ」と叫びながらテーブルに突っ伏す。
 全部交換なんかすれば当然だ。毎回毎回運だけで乗り切られてたまるか。ケルンは胸中で呟く。
 へこんでいる女を横目に見ながら、エル=カルナに声をかける。

「なぁエル」
「ん、なんですか?」

 答えるエル=カルナは本から視線を外さなかった。

「片手印よりはまず両手印を学んだ方が良いぞ。片手印は長いし、複雑だし、難しい」
「えー、両手で印を切ったら剣を振るえないじゃないですか。片手印のが実戦的だと思うのですけど」

 ようやく本を読むのを止めてエル=カルナは顔をケルンへと向けて来た。

「何事も場合による。お前は女にしちゃ力がある方だが、片手で長剣をぶん回すのはまだ無理だろ。下手に片手印を使うと、その隙にばっさりやられるぞ」
「じゃあ陣図を教えてください。それを使えば印を切らなくても呪文を短縮できるんでしょ?」
「そうだが、両手印を基本、片手印を上級技とするなら、陣図は最上級技だ。お前にゃまだ早い」
「ケチ」

 エル=カルナはあからさまに不満を顔に現した。

「ケチってお前な…………」

 怒りよりも呆れがケルンは先に立った。溜息が一つ洩れる、

「別に俺は教えないって言ってる訳じゃない。まだ早いって言ってるんだ。自爆したいのか」

 魔法は不完全な形で発動すると暴走する危険性がある。下手をするとそれで死ぬ。

「剣を抜いた状態で魔法を使う場合は、印を使わずに印略式でしっかりと呪文の全文を唱えろ。そうでない時は両手で印をきれ」
「…………でも、それであいつらみたいなのと渡り合えるの?」

 エル=カルナが上目遣いに問いかけてくる。

「あいつらって、あのフードの連中の事か? 奴等は戦いのプロだ。まぁ片手印くらいは切れないと無理だろうな」
「じゃ、駄目じゃないですか」
「だからな~! 何事も段階があるんだよ。お前、連中と戦うどころか、ゴブリンとだって戦えるかどうか解からんぜ」

 すると少女は酷くショックを受けたように。

「…………私って才能ない?」
「お前、訓練始めてまだ一ヶ月やそこらだろうが。才能があるとかないとか、それ以前の問題だ。焦るな」

 押し黙り俯くエル=カルナ。
 あああ、ガラスハートだなぁとケルンは歯噛みする。
 自分の言い方が悪いのかもしれないが、ちょっと繊細過ぎやしないか。いや、十六歳の娘っていったらこんなものなのか?
 などとケルンが唸っていると横から相棒が助け舟を出してくれた。

「まぁでもエルって結構才能あると思うわよ? 頑張ってるし、ゴブリンくらいならもう倒せるわよ」

 慰めるように微笑んでレティシア。

「そうかな…………」

 そうだぞ、とケルンは頷く。

「本当の意味で才能があるか無いかなんてな、実際にとことんまでやってみなけりゃ解からん。答えが欲しい気持ちは解かる。無駄な努力なんて誰だってしたくないだろうからな。だが、答えなんてそう簡単に見つかるもんじゃない。それに例え結果が望んだ通りにならなくても、まったくの無駄にはならない場合もある。勿論、無駄になる事もある。結局の所、何がどうなるかなんて解からんさ」
「…………ケルンでも解からないんですか?」
「俺に解かる事なんてたかが知れてる」

 一応は六十と二年、自分なりに必死に生き抜いてはきたが、それでも知らない事、解からない事など山程あった。あるのだと思い知らされた。
 ケルンが知っている事など、世界を天をも貫く白霊山とするならば、その麓の僅か一部分に過ぎない。確かに解かった事と言えば、自分は無知なのだという事ぐらいだった。

「…………そうなんですか?」

 エル=カルナは今一信じきれないのか、疑わしげな顔で見る。

「ああ」

 銀髪の少女はしばらくケルンの顔を眺めていたが、やがて思考を打ち切るように息を一つ吐くと、

「まぁ…………結局、私には選択の余地なんてないですし」

 どういう意味かと思い、ケルンが疑問の視線をやると、

「目の前で、大切な物が壊れてゆくのに、何もできないのは嫌なんです。こんな思いは、もう沢山だ。なら、強くなるしかない。才能があろうがなかろうが、強くなるしかない。絶対に、もう二度と、こんなのは、だから…………」

 少女は俯き、膝の上に置いた手を強く握りしめる。

 こういった時はどう言って慰めれば良いのだろうか。
 ケルンは視線を彷徨わせた。
 上手い言葉は、見つからなかった。

「御免なさい、こんな事いって、困るよね」

 十六の少女は顔をあげ、苦笑してきた。

「いや…………」

 ケルンは自分の言葉の少なさを苦々しく思いつつ首を振った。

「まぁともかく!」

 レティシアが湿っぽくなった空気を振り払うように声を張り上げる。

「エル! 強くなりたいのならあたしに任せておきなさいっ!! これからもビシバシ鍛えてあげるからっ!!」
「あたしに任せておきなさいって、実際に剣とか魔法とか教えてるのは俺じゃねーか」

 安請け合いするレティシアをケルンは半眼で睨む。

 剣はレティシアよりケルンのほうが得意なので自然、ケルンが教える事になったし、魔法もまた同様だった。
 魔法それ自体はレティシアの方が得意なのだが『びゅーとやってぐーっと溜めてばーんと放つ』という説明では流石のエル=カルナも理解が不能だったのだ。
 優れた術者だとしても必ずしも優れた教師となるとは限らないようである。

「そこはそれよ!」
「どれだ」

 何故か胸を張ってレティシアが威張り、ケルンが問うと、エル=カルナはくすくすと口元から笑い声を洩らした。

「ったくよ」

 ふん、とケルンは鼻を鳴らした。笑い者にされるのは好きではないが、まぁエル=カルナに笑顔が戻ったのだから良しとしよう。
 人を笑顔にするのは、それほど嫌いでもなかった。

 そんなやりとりを交わしていると、不意に部屋の扉をノックする音が響いた。
 硬く乾いた音が連続して鳴る。

「少し、良いですか?」

 扉ごしに女性の声が発せられる。
 ケルン達は視線を交わしあった。夕食ならばもう済ませた筈だが。こんな時間にいったい何の用なのか。

 だがまぁ駄目と言う訳にもいかない。

「どうぞ」
「失礼します」

 部屋の主であるエル=カルナが言うと、ゆっくりと扉が開かれる。
 現れたのは中年の女神官だった。

「あら、アンジェラじゃない、どうしたの?」
「夜分遅くにすみません。水源公が皆さんをお呼びです」
「ヴィクターが? 私たち全員?」
「はい、至急との事で…………」

 アンジェラの表情にも困惑が見られた。

「一体なんでしょう?」
「さぁ、暇だからゲームでもやろうとか」
「お前じゃねぇっての」

 大神殿を直接治め、各地の水竜神殿も間接的に統括しているヴィクターに暇などそう出来る物ではない。

「まぁヴィクターが急いでこいっつってんだから、それなりの用件なんだろう」
「まー、そうなんでしょうねー」
「では、皆さんこちらへ」

 ケルン達はアンジェラの案内に従って、ヴィクターの元へと向かった。







「水源公、皆さんをお連れしました」
「入れ」

 低い声が扉の向こうから響いてくる。
 扉が開かれ、アンジェラは無言で一礼して去って行った。

 ケルン達が中へと入るとヴィクターと見知らぬ男が一人、立っていた。

 白銀の鎧に身を固めた長身の若い男。整った顔立ちは無機質で冷めた印象。しかし、切れ長の黒い瞳には、全体の印象に反するように男の強い意志の光がギラギラと宿っていた。若さのエネルギーが満ちている。

――何処か見覚えがある。

 ケルンはそんな事を感じつつ、男に向かって一つ会釈をしてからヴィクターに話しかけた。

「ヴィクター、どうした? 至急との事だったが……」
「ああ……」
「ヴァン……?」

 戸惑いを孕んだ女の声があがった。
 エル=カルナだった。

「ヴァン? ねぇあなた、ヴァンでしょ!」

 驚きが強く滲んでいたが、喜びも含まれている声のようにケルンには聞こえた。

「…………やはりお前だったのか、エル」

 男は涼やかな声を赤服の少女へと向かい発した。

――知り合いなのか。

 ケルンはエル=カルナと男に視線を走らせる。

「この御嬢さんとは面識があるのか?」
「うむ、内海で遭難した時に、少しな」

 老人と男が言葉をかわす。
 ヴィクターは何処か落ち着かない様子だった。表情も渋い。

「御嬢さんの持つペンダントの事で少し話がある。今持っておるか?」
「はい、持ってますけど…………?」
「エルのペンダントがどうかしたの?」

 ヴィクターはレティシアの問いに動作で頷いてみせたが、それには答えずに別の事を言った。

「こちらは…………ヴァンラルディ・ヴィスハーツ・オブ・オルド殿じゃ」

 男が会釈した。

「御初にお目にかかるな、魔剣士ケルン、竜神官レティシア」
「ああ、ダロットの所の餓鬼か…………でかくなったな」

 ケルンの言葉に男――ヴァンラルディは訝しげな表情を浮かべる。

「お前がまだ生まれて間もない時……一度会った事がある。まさかあの赤ん坊がここまで大きくなるとはな。時の流れってのは不思議なもんだ」

 ケルンは笑った。
 だが、男を見据える己の双眸が鋭くなってゆくのを感じていた。

「本来なら再会を喜びたい所だが……解せんな。何故お前がここに居る。ヴァンラルディってのは確か、俺の戦友の息子の名であると共にセラフィックロードのオルド侯、烈震聖騎士団団長の名でもなかったか」

 キルクルス教の剣たる聖騎士が、いかな父の友人だった男が治める地とはいえ、異教、水神教の総本山たる水竜神殿に何の用もなしにやってくるとは思えない。

「確かに私はダロット・ヴィスハーツ・オブ・オルドの息子であり、オルド侯爵そして烈震聖騎士団の団長だ。本日、異教の地に足を踏み入れたのは他でも無い『鍵』を受け取りにきた」 

 何故。

 ケルンの脳裏に浮かんだ言葉はそれだった。

 何故、ヴィクターが治めている筈の水竜神殿で、ケルン達を狙っている男が目の前に居るのだろうか。
 何故、敵が目の前に居るのにも関わらずヴィクターは動こうとしないのだろうか。
 何故、ヴィクターはこんなにも辛そうな顔をしているのだろうか。

「……ヴィクター?」

 問い掛ける。
 老人は顔を伏せ、言葉を発しない。

「ヴィクター!」

 ケルンは叫んだ。
 ヴァンラルディが指を一つ弾いた。乾いた音が鳴った。

 部屋の左右の扉が勢い良く開け放たれ、鉄灰色のフード付きクロークに身を包んだ複数の男達がなだれ込んで来た。
 中には見覚えのある体格の男も居た。

「お前は――」
「また会ったな」

 アスラと名乗った偉丈夫だった。

「なんで、こいつらが?!」

 エル=カルナが叫ぶかたわら、レティシアが呪文の詠唱を開始している。

「待てレティシア!」

 ヴィクターの声が飛んだ。

「この神殿内での戦闘行為は許さん」

 レティシアは詠唱を中断した。
 そして、泣きそうな顔でヴィクターを見た。

「…………なぁ、ヴィクター」

 ケルンは静かに問いかけた。

「これは、どういう事だ?」

 周囲を見回す。
 抜き身の白刃を手に携えた鉄灰色のクロークの男達が室内にひしめき、ケルン達を幾重にも取り囲んでいた。

「神皇国は強大な国じゃ。大陸で随一と言って良い」

 老人の声は、岩を転がしたように、低く、重かった。

「北に八ヶ国連合があるが、あれはその名の通り八つの国の連合。単独では神皇国に比肩する国はない。神皇国は強大な国なのじゃよ。とても、とてもな…………」
「そんな事は知っている!」

 たまりかねてケルンは叫んだ。

「つまり、その御嬢さんを狙っている軍というのは、セラフィックロード神皇国の軍だった、という事じゃ」

 ヴィクターは目を細めてケルンを見据えていた。

「そんなの今周囲を取り囲んでるフードの連中をみりゃあ猿だって解からぁ、ヴィクター…………」

 力ない笑いが零れた。
 信じられない思いだった。

「ヴィクター、俺は、お前を友達だと思ってたんだけどな」

 四十年以上、少年の頃から、ずっと友人だった。親友だとさえケルンは思っていた。レティシアと並んで、こいつだけは裏切らないと信じ込んでいた。

「儂もじゃよケルン、儂は今でもお前さん達を友人だと思っておる。共にあの苦しい戦いを、最後まで戦い抜いた仲じゃからな」
「ああ、そうか、それは嬉しいよ。本当に、このうえなく嬉しい言葉だ。だがヴィクター…………」

 ケルンは叫んだ。

「お前は友人を軍に売るのかッ!!」

 それは怒号だった。音量に部屋が震える。
 ヴィクターは答えなかった。唇を真一文字に引いて、口を閉ざす。

「ヴィクター!! 答えろ! 答えろよヴィクターッ!! お前は……! お前は…………っ!!」

 段々と声は震え、掠れてゆく。自分の声ではないかのようだ。
 ケルンは己の足元を支えていた何かが、音を立てて崩れてゆくのを感じていた。

「ケルン…………儂はお前さんの友人だ。それは間違いない。しかし、友人だが、同時に儂は水源公でもある」
「ヴィクターッ!!」
「儂はな……今ではもう水源公なのじゃ!!」

 ヴィクターはかぶりをふって叫んだ。

「この水神教の長たる水源公なのじゃ! 解かるか?! 儂の決断に水神教徒、百万の命がかかっておる!! お前なら解かってくれるじゃろ!? 百万という命の重みが!!」

 ケルンはその叫びに息を呑む。

「けどっ!!」

 レティシアが叫んだ。

「それが水源公の選択なの?! 神殿は常に世俗の権力からは中立であるべき、なのに大国に脅されてその軍門に降るというの!? それが水神教の長、水源公として正しい在り方なの!?」
「水源公の椅子から逃げ出したお前が水源公の何を語るっ!!」

 語気荒くヴィクターが言う。

「あたしは逃げ出した訳じゃない!」
「では何故水源公にならなかった!」
「常識的に考えてあたしなんかよりあんたの方が遥かに水源公に向いてるでしょうが!!」
「向いている? お前より? 儂がか!」ヴィクターは鼻で笑う。「ならばこの選択も正しいという事になるな!」
「それは…………」
「儂に全てを押し付けて、儂を見捨ててケルンと共に世界へと飛び出しおって。何度お前を恨んだ事か……!」

 ケルンは初めて見た。ヴィクターがこんなに暗い瞳をしているのを。その視線の先にレティシアが居るのが信じられなかった。

「あんた…………」レティシアの声も表情も、まるで何時もの覇気がなかった。「あんた、水源公になりたくなかったの?」
「儂が、権力を望むとでも思っていたのか」

 吐き捨てるように言う。

「だって、あんた、大神官に自分から立候補してたじゃない…………」
「儂はな、レティシア、お前さんの力になれればと思っておっただけなんじゃよ…………俺は、俺はなっ!! ただ、お前の側に居たかっただけなんだレティシアッ!!」
「ヴィクター…………!」

 レティシアが驚愕に目を見開く。迸る激情の為か、ヴィクターの口調は四十年前のそれに戻っていた。

「俺を意気地の無い男と蔑むかレティシアッ!! 戦わずしてセラフの軍門に降った男と。けどな、俺はもう戦えない。俺はもう、若くはないんだ。人は老いる、老いれば衰える。見ろ、この枯れ木のような腕を。これでは到底昔のように鎚など振るえない。時の輪から外れたお前等二人とは違う。俺はただの人間なんだ。お前等二人とは違うんだ……っ!」

 ヴィクターの目が赤く染まり始めていた。涙が一筋、その皺の刻まれた頬を滑り落ちる。

「神殿の神官達もそうだ。知っているか? 最近の若い神官達は水竜刃の術すら使えない。破壊の精霊との戦いにおいて、その精強さを大陸中に轟かした水神の神官がだ! 歴戦の勇者達は皆、年老い、刃は錆び折れ、鎚は砕けた。張子の虎も良い所。今の神殿ではセラフィックロードと戦う力など、何処を探しても見つからない…………」
「ヴィクター…………」

 呟いたレティシアの声はまるで、死人のようだった。
 ケルンは頭の何処かが酷く痛んだ。
 知らなかった。自分は知らなさ過ぎた。神殿の現状も、老いるという事も、ヴィクターがずっとレティシアへと抱いていた想いも。自分はヴィクターの事を何も解かっていなかった。

「それで、ペンダントを大人しく渡してくれるか」

 それまで成り行きを見守っていたヴァンラルディが言った。冷めた眼差し。

「そのペンダントさえ渡してくれれば、貴方達には危害は加えない。それが水源公との盟約だからな」

 ケルンは無性に腹が立ってきた。そのスカした面に鉄塊を叩き込んでやりたくなる。
 ヴァンラルディを睨みつけてケルンは言った。

「断る、と言ったら?」
「首の無い人形が三つ、出来上がるだけだ。つけ加えるならば、異教の徒達の人形も、それは多数生産されるだろう」

 暗に水竜神殿を攻撃すると述べるヴァンラルディ。オルド侯爵でありセラフィックロードの聖騎士団団長でもある彼ならば、それも可能だろう。

「はっ……! まったく頼もしい限りだなヴァンラルディ。なんとも小賢しい! ダロットの奴も天国で大いに喜んでるだろうよ! 素敵な息子を持ったってな!!」
「お褒めに預かり恐悦だな、魔剣士ケルン。私は父を尊敬していたよ。あの頑迷なまでの実直さをね。ただ、私は宮中で謀殺されたくはない。私は父の死から学んだのだ」

 皮肉交じりに笑うヴァンラルディ。そして彼はエル=カルナに視線を向ける。

「さて…………御喋りはこれまでにしようか。エル、ペンダントを渡してくれないか? 私はお前を殺したくない」
「ヴァン、貴方が…………なんで、どうして…………」

 エル=カルナは呆然としているようだった。

「こんな事を言っても信じてもらえないかもしれないが、私は兵士にはお前だけは殺さないようにと厳命していた」

 エル=カルナはその言葉に弾かれたようにヴァンラルディを睨みつけた。

「島の皆を殺しておいて何を……っ!!」
「エル、お前の島の人達はとても律儀な人々だったな。特にあの長老、お前は私の処刑を思いとどまるように言ってくれたが…………最後に振る舞われた料理、あれに毒が盛られていたとは流石の私も気づかなかったよ」
「なっ……?!」
「知らなかったのか? ご丁寧に帰りの船で海に突き落とそうとしてくれる始末。私が毒に耐性のある身体でなければ、こうして再び話す事はなかっただろう。痺れる身体では、冥府へと導こうとしてくれる船頭を海に突き落とすのが精一杯だったよ。本来なら斬り殺してやりたかったのだが。まぁもっとも、彼と長老には後でたっぷりと返礼させてもらったがな」

 愉快そうに喉で笑うヴァンラルディ。瞳には暗い光が宿っている。

「そんな…………そんな、そんなの嘘だ!」

 エル=カルナは叫んだ。

「嘘に決まってる!」
「お前に私が嘘をつくと思うか」

 ヴァンラルディは笑みを消した。
 少女は息を呑んだ様子だった。

「さぁエル、渡せペンダントを。あの島で、お前だけは私を助けてくれた。私はお前を殺したくないんだ」
「なんで…………なんで、そんなにこのペンダントを欲しがるの? なんで、島の皆を殺してまで、それは復讐? そんなの違う、長老達が本当に貴方を殺そうとしたのだとしても、島の多くの人達は、少なくとも姉さんは、貴方を殺そうとなんてしていなかったのに!」
「復讐か、それは勿論あったさ。だがそのペンダントの価値に比べればそれすらもちっぽけな物…………」
「貴方、まさか、滅びの力を…………」
「知っているなら話は早い。私はその力を手に入れる」
「馬鹿げてる」

 ケルンは吐き捨てた。

「アークティカに敗れ去ったとは言え、その超文明に対抗した民が扱えないと判断した力だぞ。だから封印したんだ。現代の人間に扱えると思っているのか」
「何事も試してみなければ解からないだろう? それにだからこそだ。古の民でさえ恐れた程の力、それこそ私の求める物だ」
「そんなもん手に入れて何をする気だ。世界征服でもする気か」
「まさにその通りだ」

 ケルンは正真正銘絶句した。

「天下を取る。その力を用い、セラフィックロードが大陸を統一する。それこそが私の夢だ」
「…………夢を語る男にゃ、ろくなのがいねぇと、聞いた事がある。そんな事はないと思ってたが、どうやら事実だったらしい。お前……その長老に毒盛られて頭の配線がイカれたのか? それとも元からなのか? どっちだ」
「ふむ…………ケルン=ルーインブレイク、貴方はこの大陸の現状をどう思う?」

 ヴァンラルディはケルンの言い草に笑みを浮かべてみせると、逆に問い返してきた。

「国々はあい争い、辺境では魔物が跳梁跋扈し、絶えず人が死んでゆく。戦、戦、また戦だ。民の嘆きは天地を覆い、生きながらに怨霊と化した人々が街を彷徨う。知っているか、前線の街では骨と皮だけになった子供が親の死肉に齧り付いて生きている。私は驚いたよ、人はあんな状態でも動けるのだと、叫べるのだと、生きようとするのだとね」

 知らない筈がない。
 だからそれを嘆く気持ちも解らないでもない。
 しかし。

「大陸がセラフィックロードによって統一されれば、あんな地獄のような光景は姿を消す。消さねばならない。大陸がセラフィックロードによって統一されれば、経典にもある理想郷を、この世にもたらす事ができるのだ」
「…………夢だけに、夢想だな」

 ケルンは首を振った。

「ダロットの奴は馬鹿正直で、どうにもこうにも、もうちょっと上手くやれよと思う事がままあったが、それでも奴は現実的だったぞ。現実から決して目を背けず、常に真っ直ぐに前を見て進んでいた」
「…………何が言いたい?」
「まず一つ、大陸が統一されれば全てが良くなると本気で思っているなら甘過ぎる。人は死ぬ。地獄は消えない。平和はただじゃない、例え戦は起こらずとも、常に何処かで誰かが、何かが、犠牲になってるんだ」
「悲観的だな」
「二つ、そもそもに…………滅びの力ってのが、なんなんだか解かってんのか?」
「ではお前には解かっているとでも言うのか?」
「俺もカルフの民が守っていた力というのがなんなのかは知らん。だがな、アークティカの時代に封印された物ってのは、大抵どいつもこいつもろくなもんじゃない。お前の親父が、ヴィクターが、レティシアが、俺も含めて、英雄なんて呼ばれるようになった原因――あの傍迷惑な破壊の精霊の現出も、アークティカ時代の封印を、とある魔術師が解いた事によって起こった。『門』だ、あれと同種のもんだったらどうするつもりだ。それこそ、この大陸は地獄と化すぞ」
「それは確かに歓迎するべき事態ではないな」

 ヴァンラルディは笑っている。

「だが、貴方の手に入れたその不老という力、そしてその魔剣。それもアークティカの遺跡より得た物だろう? 父より聞いたぞ、貴方達はアークティカの遺跡で女神より加護を受けたのだと」

 ケルンは舌打ちした。
――ダロットの野郎、口は硬い方だと思ってたんだが。やっぱ自分の餓鬼相手にゃ軽くなるのか。
 胸中で毒づく。

「遺跡には力がある。可能性がある。ならば、それを確かめてみるのも一興だ」
「過去には未来はねぇよ」
「過去があるからこそ、未来が訪れるのではないか?」

 呻き声が洩れた。
 一理は、あるのだ。ヴァンラルディの言葉にも。

「可能性…………」

 エル=カルナの呟き声が部屋に響いた。

「もしかしたら、という事、もしかしたらの為に、貴方は島の皆を、殺したの……?」

 ヴァンラルディは答えなかった。

「ヴァン! 貴方にとっては、仇とも言える人もいたし、そうでなくても取るに足らない人達だったのかもしれない。けど、私にとっては大切な人達だったのよ? かけがいのない人達だったのよ? それを、それを、貴方は…………!」
「エル、話はここまでだ。そう言ったにも関わらず、随分と無駄話をしてしまったようだな……ペンダントを渡せ」
「大陸の統一を願う、何度も島にいる時に聞いたよ。争いのない世界を作る、それが夢だって、とても素敵な事だと思ったよ。世界の皆が幸せに生きられるように…………凄いって思ったよ」

 エル=カルナの瞳から涙がこぼれる。

「けど貴方、そう言いながら、やってる事は人殺しじゃないかっ!!」

 エル=カルナの絶叫が響き渡る。
 ヴァンラルディから表情が消えた。

「何事にも多少の犠牲はつきものなのだ。犠牲なくしては何も達成できない」
「矛盾してるじゃないか?! 皆が幸せに生きられるようにするんじゃなかったの?! それとも島の人々は『皆』に含まれていなかったの?! 多少の犠牲……っ?! ええ、ええ、確かに貴方から見ればそうかもね! けどっ! その『多少』の犠牲にされた方からすればそれが『全て』なんだよっ!!」
「……なるほど、会話はもはや、無駄だったようだな。残念だ」

 ヴァンラルディは腰から長剣を引き抜いた。

「エル、ペンダントを渡せ。私にお前を殺させるな」
「ふざけないでっ! 多少の犠牲というなら! 私も殺しなさいよっ!!」
「エル!」

 レティシアが制止する。しかしエルはそれを振り払って、なおも狂乱したように叫んだ。

「殺しなさいよ! 島の皆を殺したように! 私も! 剣で断ち切りなさいよ!!」

 少女のその様子にヴァンラルディは一瞬、怯んだ様子を見せた。
 だが次の瞬間、口の端を吊り上げ笑みを象る。

「良いだろう、だがお前を殺すとは言っていない…………殺すのはこいつだ」

 空を鋭く切り、鈍く光る白刃が、ヴィクターの喉元に押し当てられた。
 若き聖騎士団団長の動作は石火のごとくに素早かった。

「ヴィクター!!」
「貴様……!」

 ケルンは憤怒を双眸に閃かせ、ヴァンラルディを睨み据えた。視線で人を殺せるのならばどれだけ良い事だろう。
 ヴィクターは息を呑み、硬直している。

「さぁエル、渡せ!」

 エル=カルナは目を見開きまじまじとヴァンラルディの顔を見ていた。
 そして次の瞬間、まるですべての力が抜けたかのように肩を落とした。
 少女は顔を酷く歪めていた。

「ヴァン…………」

 小さく、ポツリとした呟きが響く。

「さぁ…………!」
「解かったよ…………渡すから、ヴァン、だから、誰も傷つけないで…………」

 エル=カルナは涙声で言うと、胸元からペンダントを取り出した。
 紅の水晶が光を透かし、輝いている。

「おお、それが鍵……!」

 ヴァンラルディは心奪われたように呟くと、顎をやってそれまで微動だにせずに佇んで居たアスラに命令する。

「アスラ」
「御意」

 鉄灰色の偉丈夫は、エル=カルナに近づくと少女の手からペンダントを奪い取った。
 そして赤い宝石のはまったそれをヴァンラルディへと手渡す。

「フ……ペンダントは確かに受け取った…………盟約は守ろう、神殿にもお前等にも手は出さん」

 ヴァンラルディは長剣を降ろす、一歩、二歩と背後にさがると、

「さらばだ」

 身を翻し、部屋から出て行った。その背後に鉄灰色の男達が続く。
 部屋にはケルン達四人だけが残された。
 ケルンは部屋の天井を仰ぎ見た。蒼水晶で造られた天井は当然、蒼かった。
 エル=カルナの啜り泣きが聞こえる。

――こいつ、よく泣くよな。

 ケルンはそんな事を思った。

「ケルン」

 ヴィクターが言った。

「なんだ」

 ケルンは天井を眺めたまま答えた。

「これからお前達には地下牢に入ってもらう」

 視線を天井からヴィクターへと移す。
 ヴィクターは無表情だった。

「何故だ」
「盟約だからだ」
「そうか」

 ケルンは頷いた。
 なんだか全てが、どうでも良くなってしまったような気がした。
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