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5.暗闘
➃ 壱蔵の焦燥
しおりを挟む鶴丸らが漸く熱田に至ったと、壱蔵が下忍からの繋ぎを受けた夜、とうとう御子柴が小夜姫の婿を見つけ出して来たのであった。
先方は大給松平の血を引く名門の旗本ながら、代々小普請組という出世とは縁遠い家柄であった。
その三男坊に白羽の矢を立てた御子柴に、先方は二つ返事で快諾したと言う。
「急げと、燦蔵に伝えい」
「それが、御伽衆に網を敷かれ、燦蔵様も突破の手段を決めかねている所でございます」
「あいつらしくもない」
「しかし、船といい馬といい、間道から獣道まで、一目でそれと解る風魔の手の者がひしめき合うように……せめて、仁介様の御加勢があれば」
「あの馬鹿は何を致しておるかッ」
思わず、壱蔵は私室の文机に扇を叩き付けた。
何事かと、宿直の藩士が声をかけて来たが、壱蔵は蚊がいたと下手な言い訳をして追い払った。
宿直が去ると、天井の板目から再び枯草色の忍装束に身を包んだ下忍が音も無く降り立った。
「燦蔵に伝えよ。何としても、一両日中には江戸へ鶴丸君をお連れせよと。但し、鶴丸君の御容姿は、誰も知らぬ、とな」
着かなければ、非常手段として壱蔵の手で十五歳の天涯孤独の少年を『鶴丸君』として担ぎ出し、跡目相続の手続きをさせる……壱蔵の非情なまでの覚悟を、下忍は無言の頷きで受け取った。
御子柴は強引に小夜姫と松平家の三男坊との縁組みを進めるだろう。再び床に伏した千代丸の病状に、嬉々としているに違いない。
「若君の御志を何としても全うせねば」
千代丸廃嫡を願い出る藩主明憲の書状は、城代家老の八千沢が押さえてくれている。
千代丸はまだ、厳然たる水目藩加山家の嫡子であるから、小夜姫に婿取りをしようとも、その婿を跡目にすることは出来ない。
だが、千代丸の命の灯火はもう限界である。その火が消えてしまう前に速やかに改嫡の届けを出さなくては、柳沢に格好の口実を与えてしまう。
明憲の子として今現在公儀に認知されているのは、千代丸、そして小夜姫だけである。
小藩を取り潰して公儀の財源と成すことにやっきとなる柳沢ら側近の目が光り、今や大名の嫡子の新たな認知には厳しい審査を経なくてはならない。鶴丸を嫡子として新たに届けようにも、本人が邸内にいなくては、到底手続きは叶わないのである。
壱蔵に、焦りが生じていた。
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