愛洲の愛

滝沼昇

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16.後始末

⓵ 後始末

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 蔵の奥のはりに縄がかけられ、鶴丸は後ろ手に縛られて吊るされていた。志免が支度してくれた着物は一切剥がされ、下帯一枚となった体には、既に幾筋もの蚯蚓みみずれが出来上がっていた。
 尾張の下屋敷から舟で連れ回され、ここに吊るされてから既に一刻。絶え間なく続いていた綱誠による打擲ちょうちゃくが漸く止んだ。鞭を手にする綱誠の方が、手の痺れに興が冷めたからであった。
 望月忍の過酷な修行に耐えた体も、流石に悲鳴を上げていた。だが、自分に対して無体を重ねる男に向けての抵抗は、その目にまだ宿し続けていた。
「流石に下賤の生まれ、しぶといのう」
「生まれが高貴でも、あんたは俺以上に下衆野郎だぜ」
 口の端から血を滴らせながらも悪態を返す鶴丸に、綱誠は再び鞭を振り上げた。だが、それを振り下ろすのには飽きたか、綱誠はそのまま後方へ鞭を放り出すと、矢庭に脇差を抜いた。
「その減らず口、削ってやろう」
 刃を鶴丸の口の中に差し挟もうと近づける綱誠の目は血走り、常軌を逸していた。これは徳川の血故の狂気か、天下覇者たる家康に倒された者達の怨念がこうして末代に祟っている故か。これまで長く縁のなかった「高貴な人種」の狂態ぶりが、鶴丸には不気味であった。あの優しい五代将軍との血縁かと思うと、自分を含むこの国の人間が哀れにすら思えた。このような狂気の血を宿す者達に命運を握られ、人を人とも思わぬこれらの者を奉って米搗きバッタの如く平伏し、その頭を押さえつけられて一生を終えねばならぬとは。
「口を開けよ」
 こじ開けられそうになる口を、鶴丸は必死に歯を食いしばって耐えた。唇が、触れた刃先で微かに切れた。
「ええい、小癪な! お前と言い、保明と言い、誰も彼もが余に歯向かいおって! 」
 脇差を逆手に持ち替えた綱誠が、奇声を発して高々と振り上げた。
 ひゅん
 と、その手に小柄が突き刺さった。

一瞬、何が起こったか理解のつかなかった様子の綱誠だが、やがて右手の甲から激痛が脳天に伝ってくると、情けない悲鳴を上げた。
「い、痛い、痛い! 」
 綱誠を取り巻いていた家臣達が慌てふためいて綱誠の手の甲から小柄を抜き、血止めをした。だが、綱誠は両目を吊り上げて泣き喚きつつ、家臣達をかき分けて、小柄が飛来してきた方向へと歩き出した。
「貴様」
 いつしか朝日が昇り、開け放たれた蔵の扉から明るい陽光が差し込んでいた。その朝日を背負う様にして、一人の長身の男が立っていた。
「若君を返して頂こう」
 男はそれだけ言うと、ずかずかと蔵の中に踏み込み、呆然と立ち尽くす綱誠の脇をすり抜けて鶴丸の側まで歩み寄った。あまりに堂々たる振る舞いに、家臣達も刀を抜く事さえ忘れていたが、男が鶴丸の縄を断った瞬間、自らの役目を思い出したかの様に抜刀した。
「い、壱蔵兄貴……」
「よう耐えられましたな。さ、帰りますぞ」
 壱蔵は鶴丸を背負い、躊躇無ちゅうちょなく両肘でその傷だらけの膝の下を抱え、立ち上がった。
「苦しくはござらぬか」
 鶴丸は安堵したかの様に、壱蔵の背中でがくりと頭を垂れて失神した。
「道を空けて頂こう」
 ずいと歩みを進めようとする壱蔵の前に、綱誠の家臣団が立ち塞がった。尾張家の家臣と思いきや、どこか胡乱うろんな目つきの彼らは、おそらく綱誠が私的に飼っている尾張柳生か、正統の柳生からはぐれて暗躍する裏柳生か。
 両手が塞がっている壱蔵に、しかし狼狽の気配など無く、悠然と囲みを見渡していた。
「戸を閉めよ、袋の鼠にして膾切なますぎりに致せ」
 綱誠が叫ぶより先に、戸口に大柄の男が立ち塞がって差し込む陽光を遮った。
「な、何者じゃ、狼藉者! 」
 綱誠が、鬼の形相で立ち尽くす大男に問うた。だが大男は答えるより先に拳を振るって綱誠の頬を殴り飛ばした。鍛え抜かれた体から発した拳は、綱誠を壱蔵の足下にまで吹き飛ばした。
「おう、てめぇのチンケな策のせいで散った仲間達の仇、きっちり取らせてもらうぜ」
 鬼気迫る大男が歩を進める度に、気圧された家臣達が蔵の横壁にと下がった。
 その家臣達を吹き飛ばす様にして、横壁が爆音と共に吹き飛び、大きく開いた穴から、まるで役者のような美青年が朝日を背負うように悠然と現れた。その彼がまとう美裳の振り袖の影から、小柄な小姓が瓦礫がれきをひらりと飛び越えて、倒れる家臣団の亡骸を身軽に避けつつ壱蔵の元に駆け寄り、その背中から鶴丸の身柄を引き受けた。
「揃ったな」
 無様に腰を落としたまま震える綱誠に、四人が間合いを詰めていった。
「水目藩目付役・愛洲壱蔵あいすいちぞう。鶴丸君に加えられし恥辱をすすぎに参上」
 壱蔵が抜刀した千子正重せんごまさしげの切先が、綱誠の鼻先に当てられた。
「我は弟、愛洲仁介じんすけ。我が夫に加えられし恥辱を濯ぎに参上」
 続いて、艶やかな衣装を翻しつつ、爆破で絶命に至らずに刃を向けてきた家臣を優雅に斬り捨てながら、仁介が両刃の忍刀の切先を綱誠のびんに向けた。
「弟も弟、愛洲燦蔵さんぞういや望月忍の頭領・望月《もちづき》燦蔵よ。仲間の仇を討ちに参上」
 大男の燦蔵にむんずと胸倉を掴まれ、綱誠はとうとう失禁をした。まくれた袴の下、ふくらはぎを伝って透明な液体が蔵の床に水溜まりを作り、湯気を立てていた。
「同じく弟、愛洲志免しめ。鶴丸君を苦しめ、兄達を苦しめた報い、今こそ思い知れ」
 志免は、鶴丸の傷ついた体に自分の小袖を羽織らせ、白い肌着姿になって鶴丸を肩抱きに支え、綱誠に懐剣の刃先を向けた。
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