魔王殿

神泉灯

文字の大きさ
上 下
46 / 72

46・初めての友達

しおりを挟む
 オットーはその後も、マリアンヌの追憶をすぐ側で見ているような体験を続ける。
 光の戦士アルディアスは、忠実に勤務に励み、マリアンヌの近辺の安全に心を砕いた。
 だがマリアンヌ自身が、その警備網から脱出する事件を何度も起こす。
 衛兵や護衛兵は其の度に大慌てでマリアンヌを探し、そして無事発見するたびに、なんとかして王女の行為を止めさせようとするが、マリアンヌが諫言を聞き入れることはなかった。
 城壁は高く強固で、敷地外へ出るなど始めから不可能なのだ。
 ただ一日中傍らに付いて回る煩わしい従者たちの目を逃れて、一人になりたかっただけだ。
 それは同時に寂寥の裏返しでもあった。
 友達のいないマリアンヌは、周囲を憂慮させ騒然とさせることで、心の空虚を埋めようとしていた。
 だけど、彼女は分かっていた。
 皆の愁思がマリアンヌ本人の為ではなく、王女殿下という地位の人物に対してであるということが。
 もし仮に、マリアンヌが王女でなくなり、他の人が王女になれば、皆はその人に忠誠を尽くすようになり、自分には見向きもしなくなるだろう。
 マリアンヌは孤独の病に陥っていった。
 だが不意に変化が訪れる。
 ある日、外出と自由行動が許されたのだ。
 勿論警護をつけ、城下町に行動範囲を限定する条件だったが、それでも王城の外を自由に歩き回るのは初めての経験で、なぜ外出許可が下りたのか、そんな疑問すら浮かばないくらい、マリアンヌは喜んだ。
 外の世界は好奇心を刺激し、興味を掻き立てられる出来事に満ち溢れていた。
 やがて護衛を邪魔だと感じ始め、隙をついて逐電し、一人で城下町を探検するようになる。その頃にはマリアンヌに笑顔が戻っていた。
 ある日、町の一角で、同年代の子供たちと知り合った。
 その子達はマリアンヌを良家のお嬢様と思ったらしく、しかし彼らにも既にそれに類する子は含まれており、出自を気にせずに仲間に迎え入れた。
 マリアンヌは彼らと遊んだ。
 貴族や富豪が興じる遊戯とは全く違う、単純だが素朴な遊びに、彼女は没頭した。
 なによりみんなと一緒に遊ぶのが楽しく、遠くから羨望するだけだったその中に自分が入っていることが嬉しくて仕方がなかった。
 それからというもの、城下町に外出するたびに彼らに会いに行った。
 だがいつ真相が知られるか、マリアンヌは常に恐れていた。
 今はただの貴族か金持ちのお嬢さんとしか思われていないが、いつか秘密は発覚する。
 その時、彼らはどうするのだろうか。
 考えるだけで不安で堪らなくなる。


 一カ月ほど経過したある日、子供の誰かが些細な疑問を口にした。
「ねえ、マリアンヌはどこの子なの?」
 その何気ない質問は、マリアンヌの不安を極限まで引き上げた。
 いつかは告げなければならないことだ。
 だが、教えればどうなるだろうか。
 今までのように接してくれるだろうか。
 マリアンヌにはとてもそうは思えなかった。
 今までマリアンヌのことを知っている人間で、友として思ってくれる人は誰もいなかった。
 だが、知らないままでは本当に友達とは言えない。
 それは理解していた。
 人生は選択肢の連続なのだと、父王は以前マリアンヌに教えたことがあった。
 その意味を本当に理解できたのか、何年も前の自分にはわかっていなかっただろう。
 だが、今は理解できた。
 選択とはこういうことなのだ。
 少ない選択肢の中から、絶対に選ばなければならない。
 そして、選択したのならば、絶対に取り返しは付かない。
 それでも選ばなければならない。
 本当の選択とは強制的に訪れ、先送りする余地なく強いられるものだ。
 今の選択肢は二つ。
 1・適当なことを言ってやり過ごす。
 2・真実を告げる。
 マリアンヌは決心し、勇気を振り絞り、それでも告げた声は小さかった。
「王女です」
 遊び仲間は、なにを言ったのかわからないようだった。
 そして次には笑い出す。
「もー、冗談がうまいんだから」
 どうやらただの冗談だとしか思わなかったらしい彼らに、王女は次には明確に告げた。
「私は本当にマリアンヌ王女です」
 マリアンヌはどこか怯えが混じった、だが同時に期待した顔で、遊び仲間の反応を待った。
 子供達はまだ冗談なのかと思っていたようだが、しかしマリアンヌのその顔に、やがて真実なのだと理解し、誰もが笑みを落とした。
 その表情にマリアンヌはなにを思ったのか。
 あまりにも強烈な感情は、むしろ他者には理解できない。
 わかるのは、けして良い感情ではないこと。
 絶望、落胆、虚脱感。
 負の感情がマリアンヌの心に押し寄せる。
 遊び仲間の殆どが衝撃を受け、態度が一変しマリアンヌを避けるようになった。
 子供はちょっとした有力者程度なら気にも留めないだろう。
 しかしあの山の如き巨大な王城に象徴される、王家という強大な権力者にはさすがに恐怖し、仲間として対等な関係を持つのに尻込みしたのだ。
 何人かは逃げるようにその場を離れ、しばらくとどまっていたものもいたが、視線は王女に向けられず虚空を彷徨い、少ししていつものように別れの挨拶をしてその場を去ると、二度と王女に会おうとしなかった。
 だけど、三人だけだが、以前と変わらず接してくれる友達が残った。
「まあ、正直驚いたけどよ、でもおまえはおまえだろ。別にいいんじゃねえか。王女でもなんでも、遊びに来たかったらいつでも来れば良いじゃねえか。それだけだろ」
「昔の人が言ってましたよね。その人の地位や身分を聞いて変わるのは、聞いたほうで、その人自身じゃないって。つまり、君が王女だってことを知って、今までの君とは違って見えるのは、それは知った人が違う見方をするようになったからで、でも君自身は変わらないって事だよ」
「そうよ。確かに始めから王女だって言われたら、きっとこんなふうにできなかったと思う。でも、あなたのことを知った後だから、だから、うーん、上手く言えないけど、でも、とにかくあなたはいつものあなたなのよね。なら私は問題なし」
 いつも願っていたことが叶えられたことにマリアンヌは涙が出るほど嬉しかった。
 変わらない関係を続けてくれる友達ができたと思った。


 その様子を見ているオットーは、知らずに微笑んでいた。
 自分にもこんな友達がいるだろうか。
 なにも覚えていない自分を励まし、助けてくれる友達。
 一人いる。
 オットーは自分より年下の時の友達を微笑んで見ていた。


 それからマリアンヌを含めたその四人組は、町のちょっとした名物になった。
 王女の友人として、三人は自由に王城に出入りできるようになり、城下町と王城は四人の遊びの舞台と化した。
 一般の民に王城入出許可が下りるには、貴族や騎士といった信頼性のある保証人を必要とする。
 だがそんな手蔓も縁故もないただの子供が入出の自由を許され、あまつさえ権力の象徴である王城で遊び回るのには爽快感があったのだろう。
 時折、度が過ぎて四人仲良く叱られることもあったが、それさえもマリアンヌは楽しくて仕方がなかった。
 その頃には、アルディアスは護衛の任を解かれ、聖騎士を叙勲していた。
 そして入れ替わりに、世界最高にして最強の魔術師が家庭教師に迎え入れられる。
 聖騎士が王女に拝謁した時と同じ部屋で、マリアンヌにその女性が紹介される。
「始めまして、マリアンヌ様。家庭教師の任命を拝承致しました、魔術師サリシュタールで御座います。今後とも、よろしくお願い致します」
 その麗人にオットーは背筋が寒くなるような感覚を覚えた。
 瞳は真紅の闇の如く、黒髪は流水ように艶やかで、朱色の唇は嫣然とし、全てが雪白の美肌に良く映える。
 絶世の美女とはこの人のことを言うのではないだろうか。
 マリアンヌも同じ感想を抱いたのだろう、絵にも描けない美貌の持ち主がこの世に実在するのが信じられないように、茫然と凝視していた。
 しかし多大な労力を払って気を持ち直し、受け答えを行う。
「あ、始めまして、サリシュタール様。御噂はかねがね耳にしておりますわ。世界最高にして最強と皆がおっしゃっておりました。あなたのような方が私の教師になってくださるとは、本当に光栄です」
 魔術師は本来、魔術という特殊戦闘技能はあくまでも魔物に関してのみに使用されるべきだとして、基本的に世俗の権力とは乖離されている。
 だから彼女が家庭教師の任を受諾する必要性は全くない筈なのだが、この純美の魔術師はなにを思ったのか了承したのだ。
 この日から、サリシュタールの教えを受けることになった。
 しかし少し期待外れだった。
 世界最高の魔術師、しかも同性をも魅了するほど綺麗な人なのだ。
 その授業はどんなものだろうかと期待し楽しみにするのが人情というもので、それは王女だって変わらない。
 だが授業は普通だった。
 つまり退屈で、つまらなかった。
 また、美人は三日ですぐ飽きるというが、彼女の美貌も見慣れてしまい、一ヶ月もしないうちに全てが倦怠に充ちた。
 そして脱却の挑戦をマリアンヌは開始する。
 つまり仮病を使って休講するなどの類のことだ。
 しかし世界最高の魔術師に、それらの試みは殆ど見破られてしまい、たっぷり叱られた後、普段より多く授業を受ける破目になるのだった。
 特に困ったのが、サリシュタールはマリアンヌが王城から外出するのを快く思っていないようで、できるだけ友達を呼ぶようにさせていた。
 しかしこの試みは、今度は魔術師のほうが出し抜かれてしまい、友達が外部から手引きして脱出することに何度も成功している。
 結局サリシュタールはマリアンヌを王城に閉じ込めておくのを十日で諦めた。
 ただ警護人員の増加を上申したようで、付いてくる護衛兵の数が多くなった。
 鬱陶しいので既に慣れた城下町の地理と、生来の俊足を生かして撒いてしまうのだが、しかし連絡網が形成されて、すぐに居場所が発見されてしまうようになった。
 だが教会の鐘楼や屋根に上って景色を観賞するなどの、危険を伴う遊びはこれで大幅に制限されてしまった。
 監視する大人が危険だと判断した行為は、注意され禁止されるからだ。
「私はアルディアス聖騎士と違い、見逃すなどという甘い考えは持っておりません。ご友人とお会いになるのは構いませんが、王女という立場の重要性と危険性を自覚してくださいませ」
 サリシュタールのこの言葉で、半年前の外出の一件が彼の懇篤だと察した。
 もしかすると友達の出会いも、アルディアスの計画によるものだったのかもしれない。
 自分も、そして三人にも気づかれないように仕組んだ、善意の罠だ。
 そして自分が聖騎士となったアルディアスになにも告げていないことを思い出し、いつか再会する時、感謝の言葉を告げようと心に決めた。


 しかしマリアンヌはそれで反省することはなく、悪戯の類は決して止めることはなかった。
 事前に計画しておけば護衛兵を出し抜くのは可能だったし、彼らを遊びに参加させることも思いついた。
 勇者ゴッコなどの、誰もやりたがらない脇役に抜擢するのだ。これは三人も喜んだ。
 マリアンヌにとってこれほど純粋に喜びを感じたことはないのかもしれない。
 孤独を埋められたことは。
 マリアンヌはいつでも三人と一緒にいたがり、遊びに連れ回った。
 夏には王家の避暑地に招き、海水浴を楽しみ、砂浜で球技に興じ、花火を楽しんだ。
 冬の山荘では、スキーで雪まみれになり、一晩中カードゲームに熱中し、吹雪の怪談に身を震わせた。
 初めて友達ができたことでマリアンヌは、友人との享楽を求める歯止めが利かなくなった。
 あるいは、始めて経験することだから、限度というものを知らなかったのかもしれない。
 完全に知らなかったために、予測することも、対処することも考えなかった。
 そして、あの事件を起こす。
 ある日、城下町で売られていた玩具を見かけた。
 その玩具で友達の三人と一緒に遊びたくなり、しかし自由に使える個人的に所有する金品などをじつは一切持っていない王女は、一計を案じ、王城の地下倉庫に保管されていた物品を持ち出した。
 高価な宝物だと大騒ぎになるだろうから、あまり価値のなさそうな陶器の花瓶を選んだ。
 そしてそれを骨董屋で売り払い、狙い通りさしたる値は付かず、しかし欲しい物は手に入れたのだった。
 三人の友達はそれを知って、王女に感謝することなどなく、非難した。
「なんてことしたんだ! おまえは!」
「そんなことして手に入れた玩具で遊んだって楽しくないよ」
「わからないの? あなた、最低なことしたのよ」
 王女は友達の言葉にうろたえて、心の安定を失ったマリアンヌは、なにをすれば良いのかわからなくなってしまった。よかれと思ってした行動は、友人を失う恐怖につながった。
 そしてその一件はサリシュタールの耳に入り、彼女は激怒した。
「あなたは御自分がなにをしたのかわかっているのですか! あの花瓶は安価とはいえ公共の財産なのですよ! それを勝手に持ち出して売り払うとは、それは窃盗罪というのです!」
 今まで声を荒らげて叱ったことのないサリシュタールの凄まじい剣幕に、最初は驚愕のあまり硬直し、次第に泣き始め、唇を戦慄かせて謝罪した。
 自分の非を認め、動機を告白し、二度と行わないと誓った。
 サリシュタールはその言葉が真実かどうか念を押して確認し、しかし再度過ちを犯した場合、家庭教師を辞職し、国王と王妃に最後報告する評価は最低にする旨を伝えた。
 自分の過ちを認識したマリアンヌは、三人にどうするべきか相談した。
 大愚な自分の話を聞いてくれるか心配だったが、彼らはマリアンヌが反省しているのを知って話を聞き、助言を伝えた。
 マリアンヌは助言に従い、玩具を返品し、そして骨董屋で頭を下げて原価で買い戻し、王城の地下倉庫に戻したのだった。
 そしてサリシュタールは悔悟の念が著しいことを認め宥免し、そして三人の友達は絶交せずにいつもと変わらず遊んでくれた。
 全て元の状態に戻ったのだ。
 それ以後、マリアンヌは二度と窃盗を働くことはなく誓言を守った。
 そして四人は再び友達に戻った。
 いい友達だとオットーは感じた。悪いことに誘う者は多く、しかし正しい助言をする者は少ない。
 マリアンヌは得難い友達と一緒にいる。
 しかし悪戯や危険な遊びだけは止めないのだった。それは子供にとって至高の快楽なのだから。
しおりを挟む

処理中です...