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8 男の苦悩
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深夜の庭でトリスタンは剣を振っていた。
正直、コレットが休学してまで親類の領地に行くとは思いもしなかった。手紙を受け取った時は、止めなかったロシニョール家の当主に腹が立ったし、手紙一通で旅立ってしまったコレットにも憤りを感じていた。それでも一ヶ月もすれば帰ってくると高を括っていたのに、コレットから届いた手紙は信じれないものだった。
――やりたい事が見つかったのでしばらくグレンツェ領にいます。両家に迷惑を掛けるような事は致しませんので、結婚について進捗があればご連絡下さい。
やりたい事があろうとなかろうと、これがいずれ夫になる相手への手紙だろうか。まるで業務連絡のような手紙の内容を思い返していると、ふと後ろに気配を感じた。
「勝手に出歩かないで下さい。護衛の仕事が増えます」
剣が風を斬る音も気にせず、トリスタンの横に来たクレマンは読めない表情で言った。
「そんなに帰りたいかい?」
ぴくりと反応したが、その背が振り返る事はない。
「別に一年八ヶ月振りの再会という訳でもないんだから、そこまで急がなくともいいだろう?」
するとトリスタンは苛立ったように剣をしまった。
「一年八ヶ月振りですよ」
「いやいや、会いに行っていただろう?」
クレマンはしばらく考えた後、小さく吹き出した。
「もしかして会っていないのか? 手違いがあって会えなかったとか?」
返事はない。
「もしかしてだけど、本当に会っていないの?」
「会いには行きましたよ。ただ直接は会えなかっただけです」
「うん? 意味が分からないのだけれど。会いに行ったのに会えなかった?」
「声を掛けられなかったんです。姿は見ました」
いつも饒舌な方ではないが、こんな気弱なトリスタンは珍しい。
「それはつまり、こっそりコレットの様子を見てきただけという事でいいのかな?」
返事はない。しかしこくりと小さく頷いた。その瞬間、クレマンは声を出して笑った。王太子が人前でこのように笑う事はない。気心の知れたトリスタンの前だからという事を差し引いても、トリスタンはピクピクと口元を引きつらせていた。
「すまない、別に可笑しくて笑った訳ではないよ」
「へぇ?」
「本当さ。でもまさかお前が婚約者に声も掛けられず帰ってきたのかと思うと、幼い二人を知っている私からしたら、なんとなくそう……愛おしかっただけだ。だからそう怒らないでくれ」
クレマンは小さく咳払いをして顔から笑みを消した。
「それならそばにいたシモン・グレンツェも見ただろう?」
「片っ端から女に声を掛けていた男の事ですか? 容姿はジャンに似ていなくもなかったですが、性格はまるで違いました」
「グレンツェ家にこれ以上の力を持たせるのは危険だと陛下は判断している」
「なぜそれを俺に?」
先程とは打って変わり真面目な顔をしたクレマンに、トリスタンも心ばかり姿勢を正した。
「今の所近隣諸国とは均衡を保っているおかげで、辺境伯にもさほど負担は強いていると思っていない。それどころか、レア王国、ギレム王国と隣接しているグレンツェ領は、辺境どころか常に経済的に潤っている状況だ。侮れない程にね」
「そこへコレットが成し得た功績が決め手となった訳ですか」
「ロシニョール家、グレンツェ家に莫大な利益がもたらされれば、国内の均衡が崩壊してしまうかもしれないと杞憂されているのさ」
「両家が王家に反旗を翻すと?」
「さすがにそこまでにはまだ至っていないよ」
「まだ、ね」
「このままだとコレット嬢の身も危ないんじゃないかな」
珍しく不安の色を顔に滲ませたトリスタンを見て、クレマンは小さく笑った。
「お前がロシニョール家の手綱を握るんだ。今の所レア王国の品々の専売契約を結んだのはあくまでコレット嬢なのだから、コレット
嬢をこちらに抱き込んでしまえば、グレンツェ家は手出し出来なくなるだろう」
「俺からコレットに探りを入れろと?」
トリスタンの鋭い視線にも笑みを崩す事なく続けたクレマンは、更に続けた。
「このままでは王家はもちろん、君のお父上であるデュボワ家当主もロシニョール家の令嬢との婚姻は認めないだろうね。万が一の事があれば共倒れしてしまうだろうから」
「……それはお願いというよりは脅迫ですね」
「私達王族は国内の均衡を保ちたい。お前はコレット嬢を守りたいし結婚したい。利害は一致していてると思うけれど、違ったかな」
「……コレットの事業を結婚後は共に運営するように話をしてみます」
「聞き分けが良くて助かったよ。でももし上手くいかない時は、コレット嬢の件は任せてもらう事になるからね」
「任せるとは?」
すると、今日一番の満面の笑みが返ってきた。
「もちろん、コレット嬢と結婚するのはお前ではなく私という事になる。内々の話だけれど、王太子妃はここの所体調が優れなくてね。世継ぎの為には第二妃や側室はやむを得ないという話になっているんだ。コレット嬢なら身分も問題ないし、少々私の趣味ではないが、まあ許容範囲だろう」
その瞬間、トリスタンは勢いクレマンを睨みつけた。
「だからそうならない為にもお前が頑張るんだよ、トリスタン」
クレマンは来た時と同様爽やかに立ち去って行った。
正直、コレットが休学してまで親類の領地に行くとは思いもしなかった。手紙を受け取った時は、止めなかったロシニョール家の当主に腹が立ったし、手紙一通で旅立ってしまったコレットにも憤りを感じていた。それでも一ヶ月もすれば帰ってくると高を括っていたのに、コレットから届いた手紙は信じれないものだった。
――やりたい事が見つかったのでしばらくグレンツェ領にいます。両家に迷惑を掛けるような事は致しませんので、結婚について進捗があればご連絡下さい。
やりたい事があろうとなかろうと、これがいずれ夫になる相手への手紙だろうか。まるで業務連絡のような手紙の内容を思い返していると、ふと後ろに気配を感じた。
「勝手に出歩かないで下さい。護衛の仕事が増えます」
剣が風を斬る音も気にせず、トリスタンの横に来たクレマンは読めない表情で言った。
「そんなに帰りたいかい?」
ぴくりと反応したが、その背が振り返る事はない。
「別に一年八ヶ月振りの再会という訳でもないんだから、そこまで急がなくともいいだろう?」
するとトリスタンは苛立ったように剣をしまった。
「一年八ヶ月振りですよ」
「いやいや、会いに行っていただろう?」
クレマンはしばらく考えた後、小さく吹き出した。
「もしかして会っていないのか? 手違いがあって会えなかったとか?」
返事はない。
「もしかしてだけど、本当に会っていないの?」
「会いには行きましたよ。ただ直接は会えなかっただけです」
「うん? 意味が分からないのだけれど。会いに行ったのに会えなかった?」
「声を掛けられなかったんです。姿は見ました」
いつも饒舌な方ではないが、こんな気弱なトリスタンは珍しい。
「それはつまり、こっそりコレットの様子を見てきただけという事でいいのかな?」
返事はない。しかしこくりと小さく頷いた。その瞬間、クレマンは声を出して笑った。王太子が人前でこのように笑う事はない。気心の知れたトリスタンの前だからという事を差し引いても、トリスタンはピクピクと口元を引きつらせていた。
「すまない、別に可笑しくて笑った訳ではないよ」
「へぇ?」
「本当さ。でもまさかお前が婚約者に声も掛けられず帰ってきたのかと思うと、幼い二人を知っている私からしたら、なんとなくそう……愛おしかっただけだ。だからそう怒らないでくれ」
クレマンは小さく咳払いをして顔から笑みを消した。
「それならそばにいたシモン・グレンツェも見ただろう?」
「片っ端から女に声を掛けていた男の事ですか? 容姿はジャンに似ていなくもなかったですが、性格はまるで違いました」
「グレンツェ家にこれ以上の力を持たせるのは危険だと陛下は判断している」
「なぜそれを俺に?」
先程とは打って変わり真面目な顔をしたクレマンに、トリスタンも心ばかり姿勢を正した。
「今の所近隣諸国とは均衡を保っているおかげで、辺境伯にもさほど負担は強いていると思っていない。それどころか、レア王国、ギレム王国と隣接しているグレンツェ領は、辺境どころか常に経済的に潤っている状況だ。侮れない程にね」
「そこへコレットが成し得た功績が決め手となった訳ですか」
「ロシニョール家、グレンツェ家に莫大な利益がもたらされれば、国内の均衡が崩壊してしまうかもしれないと杞憂されているのさ」
「両家が王家に反旗を翻すと?」
「さすがにそこまでにはまだ至っていないよ」
「まだ、ね」
「このままだとコレット嬢の身も危ないんじゃないかな」
珍しく不安の色を顔に滲ませたトリスタンを見て、クレマンは小さく笑った。
「お前がロシニョール家の手綱を握るんだ。今の所レア王国の品々の専売契約を結んだのはあくまでコレット嬢なのだから、コレット
嬢をこちらに抱き込んでしまえば、グレンツェ家は手出し出来なくなるだろう」
「俺からコレットに探りを入れろと?」
トリスタンの鋭い視線にも笑みを崩す事なく続けたクレマンは、更に続けた。
「このままでは王家はもちろん、君のお父上であるデュボワ家当主もロシニョール家の令嬢との婚姻は認めないだろうね。万が一の事があれば共倒れしてしまうだろうから」
「……それはお願いというよりは脅迫ですね」
「私達王族は国内の均衡を保ちたい。お前はコレット嬢を守りたいし結婚したい。利害は一致していてると思うけれど、違ったかな」
「……コレットの事業を結婚後は共に運営するように話をしてみます」
「聞き分けが良くて助かったよ。でももし上手くいかない時は、コレット嬢の件は任せてもらう事になるからね」
「任せるとは?」
すると、今日一番の満面の笑みが返ってきた。
「もちろん、コレット嬢と結婚するのはお前ではなく私という事になる。内々の話だけれど、王太子妃はここの所体調が優れなくてね。世継ぎの為には第二妃や側室はやむを得ないという話になっているんだ。コレット嬢なら身分も問題ないし、少々私の趣味ではないが、まあ許容範囲だろう」
その瞬間、トリスタンは勢いクレマンを睨みつけた。
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