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8 試験当日
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半期に一度の試験の日を迎えていた。この日から二日間、筆記と実技の試験が行われる為、学園内は妙な緊張感に包まれていた。
テアのいるアイファー科では学力試験以外に淑女としての試験が盛り込まれており、筆記では夜会や晩餐会でのマナーや茶会の作法、手紙の書き方や、夫人同士の付き合い方、他国の貴賓との接し方など多岐に渡り、翌日からは実技が行われるのだった。実技では思いがけない揉め事やいざこざが用意されており、それらにどう対応するかも問われるのだった。その為生徒達はむしろ実技の方に戦々恐々としていた。
「キューンハイト科の筆記はどうだったの?」
試験の合間は談話室や図書室、食堂に自由に出入りが出来るので、いつもは時間をずらして授業がある為普段は会わない三つの科の生徒達が入り乱れて談笑していた。テアは図書室でカレイアとナディア達と午前に行われた筆記問題の答え合わせをしていた。
「うちは隊の組み方とか、武器の名称とか、効率的な戦い方とか怪我の応急処置とか、テアが聞いたら縮み上がるようなものばかりだった」
カレイアが苦笑しながら言うと、ナディアは憧れの視線をカレイアに向けた。
「素敵ですカレイア様。女性の身でありながら騎士道を貫き通すなんて素晴らしいです」
女性からのうっとりとした視線にも慣れているカレイアは、どこか誇らしそうに笑みを浮かべていた。
「私は嫁いでも本妻にはなれませんし、実を言うと二年からはフェルディグング科へ編入を考えているんです」
それを聞いた瞬間、テアはナディアの手を掴んでいた。
「許婿の事はどうするの?」
「本妻になれない以上両親もこの結婚に意味を見出しておりません。ですから私がもしフェルディグング科へ行きたいと言っても恐らく了承してくれると思うんです」
「……結婚は考えていないの?」
ナディアは驚いたように笑った。
「ちゃんと考えていますよ。別に長子でなくてもいいのであれば、本来私は自分の他に妻がいるなんて嫌でしたし、次男か三男かなどは関係なく、結婚したいと思う男性としたいと思っているんです」
ナディアはこの数ヶ月で見違えるように変わっていた。
学園に入学した時は貴族令嬢の鑑のような女性だった。しかしクラリッサとの問題があり謹慎処分が明けて以降は、今までの友人達とも距離を置いているようで、一人でいる事も多く見えた。それでも以前よりも楽しそうに輝いて見えるのはきっと考え方が変わったからなのだろうと思える。ナディアの手を握っていた手を離すと、テアには掛ける言葉がなかった。
「テア様、責任をお感じになられないで下さいね。むしろ私はこれで良かったと思っているんです」
するとカレイアは関心したように息を吐いた。
「ナディアの中ではもう答えが出ているようだな。君がどんな選択をしても私はナディアを応援している」
するとナディアはとても綺麗な笑顔で頷いた。
翌日の実技試験当日。
テアの試験中に起こった揉め事は、ドレスを踏まれた上に持っていたワイン(試験中は水)を掛けられたというベタ中のベタな設定だった。それでもだからこそ実際に起きやすい問題でもあり、実際に起きた時はそれなりに問題になるから厄介なものだ。その上、相手の爵位は上という追加項目付きだった。実の所、テアよりも爵位が上という事は王族以外にいない。それでも試験は試験。テアはその場に膝を折ると頭を下げて謝罪した。一瞬、試験会場にざわめきが走る。テアは相手の濡れたドレスを拭くでもなく、侍女を呼ぶでもなく、ただ謝罪をして頭を下げ続けた。
相手役の先生は一呼吸置くと手を上げて侍女役の生徒を呼んだ。
「この者のドレスが汚れてしまったわ。着替えを貸して差し上げなさい」
そういうと自身は裾が破れ、ワインの掛かった姿でその場を後にした。
何が正解なのか分からない生徒達は、固唾を呑んで成り行きを見守り、テアの試験は終了した。
「テアさん、今の意図をご説明願います」
戻ってきた先生は静かな口調で言った。
「粗相をしてしまったお相手は格上です。そうであれば、むしろ格下の者が用意した物をお召しになればご気分を害してしまう可能性がございます。という事は事実問われているのは、お相手の対応かと思いました。よってお相手の顔を立てる方法を選ばせて頂きました」
「お相手が怒ってワインを掛けてくるかもしれないし、打たれるかもしれない。捕まる可能性もあるわ。でもそれら全てを多くの貴族が目撃している。その状況を上手く利用した方法だと思います」
ワッと歓声が上がり、テアが下がるとクラリッサは力一杯の拍手を送ってきていた。
あのパーティー以降アベルとクラリッサと話す機会があまりなかった。特にアベルとは科も違う為話す事がなく、試験前という事もあり別々に昼食を取っていた為、アベルの様子はカレイアから聞くのみとなっていた。時折訓練場の方からキューンハイト科の訓練している声が聞こえてきていたが科の違う者は立ち入る事が出来ない為、アベルに会いたい気持ちを押し殺して勉強をしていた。
「素晴らしかったですテア様」
椅子に戻るとナディアが笑顔で迎えてくれる。そして数人の試験が終わった後、とうとうクラリッサの番が巡ってきた。
クラリッサへの試験内容は、茶会でのマナーのようで、テーブルセットが用意されてた場所へと移動していく。正直安堵した。茶会のマナーは基本中の基本。子供の頃から茶会をしているテア達にとってはごく当たり前の事で、夜会や晩餐会のマナーよりもずっと簡単な為、それならクラリッサもバウム男爵家で習っているであろうと思っていた。
「これならクラリッサさんも大丈夫そうですね」
ナディアも安堵したのか小声で話し掛けてくる。今回はホストがお茶を淹れるという趣旨のようで、本来ならカップなどは使用人が用意するが今回はクラリッサがカップを選び、菓子と茶葉を選ぶ所まで審査に入っているようだった。確かに事前に招待客の好みに合わせて菓子を指示するのはホストの役目だし、それにあった茶器やテーブルコーディネートもホストのセンスが問われる。それを考慮するとクラリッサにとってはとても良い試験内容に思えた。クラリッサは用意されていた幾つかの茶葉と菓子、茶器を選んでいく。配膳は使用人が行い、クラリッサはポットにお湯を注いでいた。
「大丈夫だといいけれど」
テアはクラリッサが選んだカップを見つめ、息を呑んだ。
「……あ」
試験会場に小さな声が漏れる。それはクラリッサがカップにお湯を注いだ時の事だった。
(もしかして……)
「ヒビが入ってしまいました」
クラリッサは招待客に扮している教師にそう告げると固まってしまっていた。クラリッサが用意したカップは陶器製で、場合によっては熱でヒビが入ってしまう。その場合ミルクを先に入れたり、低温でゆっくり抽出する茶葉を選ぶなど工夫が必要だった。
「先生……」
「クラリッサ様、喉が渇いてしまいましたわ」
先生は演技を止める気はないようで、クラリッサの手がカタカタと震え始めていく。一旦ポットを置いた瞬間、ガチャンという激しい音がした。震えていた為、手元が狂ったのかポットの蓋がズレて床に落ちてしまったようだった。クラリッサの視線がこちらに向く。助けを求めているようだったが、手を貸す事など出来る訳もなく、ただ他の生徒同様に見守る事しか出来なかった。
「も、もう一度やり直します!」
クラリッサは予備のポットにお湯を注ぎ、震える手でカップにお茶を淹れていく。今度は偶然にも選んだカップは陶器製ではなかったが、あまりに震えている為ポットが揺れ、注いだお茶が先生に跳ねてしまったようだった。
「ッつ」
招待客に扮した先生はとっさに目を瞑り、お茶が跳ねたであろう頬をハンカチで押さえると立ち上がった。
「もう結構です。席にお戻り下さい」
クラリッサは泣きながら席へと戻っていく。そして試験は全て終了した。
「今日のクラリッサさんは気の毒でしたね。せめて招待客役が生徒だったら少しは手を貸せたのでしょうが」
「そうさせない為の招待客役なのでしょうね」
試験が終わり、皆が鞄を取りに教室に戻ってもクラリッサが戻ってくる事はなかった。
馬車の停留所から少し離れた所で、久し振りに見るアベルと、その横には試験の後姿を晦ましていたクラリッサの姿があった。目は泣き腫らしたのか赤くなっている。そしてこちらに気付くなりアベルが勢いよく歩いてきた。
「テア、少しいいか?」
その視線はナディアを睨み付けている。恐らくアベルはナディアに良い印象は持っていない為、テアはナディアに先に帰るように言った。しかしナディアは少し離れて待っていると言い張った。
「どうかしたの?」
「どうして今日の試験でクラリッサに手を貸してやらなかったんだ? クラリッサは貴族になったばかりで不慣れだと知っていただろ」
言い方は押さえているが底冷えするような静かな怒りを含んでいる。テアは思わず息を呑んだ。アベルからこんな風に怒りを向けられたのは始めてだった。
「試験だったのよ、手を貸す事は出来ないわ」
「キューンハイトの実技試験なら仲間がやられそうだったら手を貸す事は大いにあるぞ」
「でも私達はアイファー科で……」
「もういい! 結局テアはクラリッサを認めていないんだろ。前にもクラスで平民扱いしたそうだな。もしくは下位貴族を見下しているからそんな事が言えるんだ」
「アベル待って」
しかしアベルはクラリッサの待つ所へ向かうとその肩を抱いて歩いて行ってしまった。
「テア様申し訳ありません、聞くつもりはなかったのですがお声が大きくて聞こえてしまいました」
「いいのよ。確かにあの声じゃあ聞こえるわ。……今は何を言っても無駄だと思うから後で話してみるわね」
「でも試験で手を出した方が減点になってしまいます! そもそもキューンハイト科とは採点の方法が違う訳ですし、教室内の事だってテアさんは諌めただけで何も悪くありません!」
ナディアの方が涙目になっているせいでテアは怒れなくなってしまい、丁度馬車が来た所でナディアを乗せた。
「試験勉強でずっとヘッセン先生の所に行けていなかったから今から試験の報告も兼ねて行って来るわ」
「分かりました。テア様、どうかお気になさらないで下さいね」
テアはナディアの腕を撫でると乗り込むように促した。
✳✳✳
「アベル、女子生徒がお呼びだぞ」
冷やかすような声にアベルが教室を出ると、少し離れた所で見覚えのある女子生徒が立っていた。てっきりテアが謝りに来たと思っていたアベルは、不機嫌なまま女子生徒の前に歩いて行った。
「確かナディアさんでしたね。何か用ですか? まさかテアからの伝言ですか?」
「違います。テア様は私がここに来ている事をご存知ありません」
するとアベルは更に不機嫌さを露わにした。
「それなら何の用です? こうやって会う程親しくはないと思いますが」
「昨日の件です。偶然にお話を耳にしてしまった事はお詫び致します。ですが、テア様の名誉の為に申し上げておきます。試験で手を貸さなかったのは、手を貸せばアイファー科の場合減点対象になってしまうからです。命を掛けて戦いに出る騎士様は互いに守る事も加点となるでしょうが、我がアイファー科は違います。私達の戦場は社交の場なのです。それに失敗しても上手く立ち回れば加点となる場合もあります。ですからテア様はお手をお貸しにならなかったのです」
「でも! 教室で平民扱いしたとも聞いています」
ナディアは溜め息を吐きながら言った。
「私がクラリッサさんを叩こうとした時の事をとある男子生徒に泣いてご相談されたそうです。その男子生徒が私にクラリッサさんに謝るように詰め寄ってきました。男子生徒の許嫁が教室内におりました為、テア様は平民のように男女共に仲良くというのは貴族社会では控えた方がいいと、そういう趣旨のご忠告をされました。それはこれから貴族社会で生き抜く為にも、何よりクラリッサさんが傷付かない為にも必要な忠告だったと思います」
アベルは黙ったまま放心していた。
「私今ここであなたを叩いてもいいと思える程に怒り心頭しております。それで退学になったとしても本望です。ですがテア様の為に致しません。それでは失礼致します!」
「アベル、今の話は本当か?」
ゆらりと後ろに現れたカレイアは、腕組みをして殺気立った目でアベルを見上げていた。睨めつけるその視線は野生動物のようにアベルの喉元を狙っているようだった。
「カレイア公女、先程のはつまり……俺の誤解があったのかもしれません」
「この際だからはっきり聞いておきたい。君はテアをどう想っているんだ?」
「大事に想っています」
「そうではない。婚約者に選び、本妻にする気はあるのかと聞いているんだ」
「それはもちろん! 俺にはずっとテアだけでしたし、これからもテアだけです」
するとカレイアは幾分警戒を解いたようだった。
「その言葉信じるぞ」
そういうと教室へと戻って行った。
テアのいるアイファー科では学力試験以外に淑女としての試験が盛り込まれており、筆記では夜会や晩餐会でのマナーや茶会の作法、手紙の書き方や、夫人同士の付き合い方、他国の貴賓との接し方など多岐に渡り、翌日からは実技が行われるのだった。実技では思いがけない揉め事やいざこざが用意されており、それらにどう対応するかも問われるのだった。その為生徒達はむしろ実技の方に戦々恐々としていた。
「キューンハイト科の筆記はどうだったの?」
試験の合間は談話室や図書室、食堂に自由に出入りが出来るので、いつもは時間をずらして授業がある為普段は会わない三つの科の生徒達が入り乱れて談笑していた。テアは図書室でカレイアとナディア達と午前に行われた筆記問題の答え合わせをしていた。
「うちは隊の組み方とか、武器の名称とか、効率的な戦い方とか怪我の応急処置とか、テアが聞いたら縮み上がるようなものばかりだった」
カレイアが苦笑しながら言うと、ナディアは憧れの視線をカレイアに向けた。
「素敵ですカレイア様。女性の身でありながら騎士道を貫き通すなんて素晴らしいです」
女性からのうっとりとした視線にも慣れているカレイアは、どこか誇らしそうに笑みを浮かべていた。
「私は嫁いでも本妻にはなれませんし、実を言うと二年からはフェルディグング科へ編入を考えているんです」
それを聞いた瞬間、テアはナディアの手を掴んでいた。
「許婿の事はどうするの?」
「本妻になれない以上両親もこの結婚に意味を見出しておりません。ですから私がもしフェルディグング科へ行きたいと言っても恐らく了承してくれると思うんです」
「……結婚は考えていないの?」
ナディアは驚いたように笑った。
「ちゃんと考えていますよ。別に長子でなくてもいいのであれば、本来私は自分の他に妻がいるなんて嫌でしたし、次男か三男かなどは関係なく、結婚したいと思う男性としたいと思っているんです」
ナディアはこの数ヶ月で見違えるように変わっていた。
学園に入学した時は貴族令嬢の鑑のような女性だった。しかしクラリッサとの問題があり謹慎処分が明けて以降は、今までの友人達とも距離を置いているようで、一人でいる事も多く見えた。それでも以前よりも楽しそうに輝いて見えるのはきっと考え方が変わったからなのだろうと思える。ナディアの手を握っていた手を離すと、テアには掛ける言葉がなかった。
「テア様、責任をお感じになられないで下さいね。むしろ私はこれで良かったと思っているんです」
するとカレイアは関心したように息を吐いた。
「ナディアの中ではもう答えが出ているようだな。君がどんな選択をしても私はナディアを応援している」
するとナディアはとても綺麗な笑顔で頷いた。
翌日の実技試験当日。
テアの試験中に起こった揉め事は、ドレスを踏まれた上に持っていたワイン(試験中は水)を掛けられたというベタ中のベタな設定だった。それでもだからこそ実際に起きやすい問題でもあり、実際に起きた時はそれなりに問題になるから厄介なものだ。その上、相手の爵位は上という追加項目付きだった。実の所、テアよりも爵位が上という事は王族以外にいない。それでも試験は試験。テアはその場に膝を折ると頭を下げて謝罪した。一瞬、試験会場にざわめきが走る。テアは相手の濡れたドレスを拭くでもなく、侍女を呼ぶでもなく、ただ謝罪をして頭を下げ続けた。
相手役の先生は一呼吸置くと手を上げて侍女役の生徒を呼んだ。
「この者のドレスが汚れてしまったわ。着替えを貸して差し上げなさい」
そういうと自身は裾が破れ、ワインの掛かった姿でその場を後にした。
何が正解なのか分からない生徒達は、固唾を呑んで成り行きを見守り、テアの試験は終了した。
「テアさん、今の意図をご説明願います」
戻ってきた先生は静かな口調で言った。
「粗相をしてしまったお相手は格上です。そうであれば、むしろ格下の者が用意した物をお召しになればご気分を害してしまう可能性がございます。という事は事実問われているのは、お相手の対応かと思いました。よってお相手の顔を立てる方法を選ばせて頂きました」
「お相手が怒ってワインを掛けてくるかもしれないし、打たれるかもしれない。捕まる可能性もあるわ。でもそれら全てを多くの貴族が目撃している。その状況を上手く利用した方法だと思います」
ワッと歓声が上がり、テアが下がるとクラリッサは力一杯の拍手を送ってきていた。
あのパーティー以降アベルとクラリッサと話す機会があまりなかった。特にアベルとは科も違う為話す事がなく、試験前という事もあり別々に昼食を取っていた為、アベルの様子はカレイアから聞くのみとなっていた。時折訓練場の方からキューンハイト科の訓練している声が聞こえてきていたが科の違う者は立ち入る事が出来ない為、アベルに会いたい気持ちを押し殺して勉強をしていた。
「素晴らしかったですテア様」
椅子に戻るとナディアが笑顔で迎えてくれる。そして数人の試験が終わった後、とうとうクラリッサの番が巡ってきた。
クラリッサへの試験内容は、茶会でのマナーのようで、テーブルセットが用意されてた場所へと移動していく。正直安堵した。茶会のマナーは基本中の基本。子供の頃から茶会をしているテア達にとってはごく当たり前の事で、夜会や晩餐会のマナーよりもずっと簡単な為、それならクラリッサもバウム男爵家で習っているであろうと思っていた。
「これならクラリッサさんも大丈夫そうですね」
ナディアも安堵したのか小声で話し掛けてくる。今回はホストがお茶を淹れるという趣旨のようで、本来ならカップなどは使用人が用意するが今回はクラリッサがカップを選び、菓子と茶葉を選ぶ所まで審査に入っているようだった。確かに事前に招待客の好みに合わせて菓子を指示するのはホストの役目だし、それにあった茶器やテーブルコーディネートもホストのセンスが問われる。それを考慮するとクラリッサにとってはとても良い試験内容に思えた。クラリッサは用意されていた幾つかの茶葉と菓子、茶器を選んでいく。配膳は使用人が行い、クラリッサはポットにお湯を注いでいた。
「大丈夫だといいけれど」
テアはクラリッサが選んだカップを見つめ、息を呑んだ。
「……あ」
試験会場に小さな声が漏れる。それはクラリッサがカップにお湯を注いだ時の事だった。
(もしかして……)
「ヒビが入ってしまいました」
クラリッサは招待客に扮している教師にそう告げると固まってしまっていた。クラリッサが用意したカップは陶器製で、場合によっては熱でヒビが入ってしまう。その場合ミルクを先に入れたり、低温でゆっくり抽出する茶葉を選ぶなど工夫が必要だった。
「先生……」
「クラリッサ様、喉が渇いてしまいましたわ」
先生は演技を止める気はないようで、クラリッサの手がカタカタと震え始めていく。一旦ポットを置いた瞬間、ガチャンという激しい音がした。震えていた為、手元が狂ったのかポットの蓋がズレて床に落ちてしまったようだった。クラリッサの視線がこちらに向く。助けを求めているようだったが、手を貸す事など出来る訳もなく、ただ他の生徒同様に見守る事しか出来なかった。
「も、もう一度やり直します!」
クラリッサは予備のポットにお湯を注ぎ、震える手でカップにお茶を淹れていく。今度は偶然にも選んだカップは陶器製ではなかったが、あまりに震えている為ポットが揺れ、注いだお茶が先生に跳ねてしまったようだった。
「ッつ」
招待客に扮した先生はとっさに目を瞑り、お茶が跳ねたであろう頬をハンカチで押さえると立ち上がった。
「もう結構です。席にお戻り下さい」
クラリッサは泣きながら席へと戻っていく。そして試験は全て終了した。
「今日のクラリッサさんは気の毒でしたね。せめて招待客役が生徒だったら少しは手を貸せたのでしょうが」
「そうさせない為の招待客役なのでしょうね」
試験が終わり、皆が鞄を取りに教室に戻ってもクラリッサが戻ってくる事はなかった。
馬車の停留所から少し離れた所で、久し振りに見るアベルと、その横には試験の後姿を晦ましていたクラリッサの姿があった。目は泣き腫らしたのか赤くなっている。そしてこちらに気付くなりアベルが勢いよく歩いてきた。
「テア、少しいいか?」
その視線はナディアを睨み付けている。恐らくアベルはナディアに良い印象は持っていない為、テアはナディアに先に帰るように言った。しかしナディアは少し離れて待っていると言い張った。
「どうかしたの?」
「どうして今日の試験でクラリッサに手を貸してやらなかったんだ? クラリッサは貴族になったばかりで不慣れだと知っていただろ」
言い方は押さえているが底冷えするような静かな怒りを含んでいる。テアは思わず息を呑んだ。アベルからこんな風に怒りを向けられたのは始めてだった。
「試験だったのよ、手を貸す事は出来ないわ」
「キューンハイトの実技試験なら仲間がやられそうだったら手を貸す事は大いにあるぞ」
「でも私達はアイファー科で……」
「もういい! 結局テアはクラリッサを認めていないんだろ。前にもクラスで平民扱いしたそうだな。もしくは下位貴族を見下しているからそんな事が言えるんだ」
「アベル待って」
しかしアベルはクラリッサの待つ所へ向かうとその肩を抱いて歩いて行ってしまった。
「テア様申し訳ありません、聞くつもりはなかったのですがお声が大きくて聞こえてしまいました」
「いいのよ。確かにあの声じゃあ聞こえるわ。……今は何を言っても無駄だと思うから後で話してみるわね」
「でも試験で手を出した方が減点になってしまいます! そもそもキューンハイト科とは採点の方法が違う訳ですし、教室内の事だってテアさんは諌めただけで何も悪くありません!」
ナディアの方が涙目になっているせいでテアは怒れなくなってしまい、丁度馬車が来た所でナディアを乗せた。
「試験勉強でずっとヘッセン先生の所に行けていなかったから今から試験の報告も兼ねて行って来るわ」
「分かりました。テア様、どうかお気になさらないで下さいね」
テアはナディアの腕を撫でると乗り込むように促した。
✳✳✳
「アベル、女子生徒がお呼びだぞ」
冷やかすような声にアベルが教室を出ると、少し離れた所で見覚えのある女子生徒が立っていた。てっきりテアが謝りに来たと思っていたアベルは、不機嫌なまま女子生徒の前に歩いて行った。
「確かナディアさんでしたね。何か用ですか? まさかテアからの伝言ですか?」
「違います。テア様は私がここに来ている事をご存知ありません」
するとアベルは更に不機嫌さを露わにした。
「それなら何の用です? こうやって会う程親しくはないと思いますが」
「昨日の件です。偶然にお話を耳にしてしまった事はお詫び致します。ですが、テア様の名誉の為に申し上げておきます。試験で手を貸さなかったのは、手を貸せばアイファー科の場合減点対象になってしまうからです。命を掛けて戦いに出る騎士様は互いに守る事も加点となるでしょうが、我がアイファー科は違います。私達の戦場は社交の場なのです。それに失敗しても上手く立ち回れば加点となる場合もあります。ですからテア様はお手をお貸しにならなかったのです」
「でも! 教室で平民扱いしたとも聞いています」
ナディアは溜め息を吐きながら言った。
「私がクラリッサさんを叩こうとした時の事をとある男子生徒に泣いてご相談されたそうです。その男子生徒が私にクラリッサさんに謝るように詰め寄ってきました。男子生徒の許嫁が教室内におりました為、テア様は平民のように男女共に仲良くというのは貴族社会では控えた方がいいと、そういう趣旨のご忠告をされました。それはこれから貴族社会で生き抜く為にも、何よりクラリッサさんが傷付かない為にも必要な忠告だったと思います」
アベルは黙ったまま放心していた。
「私今ここであなたを叩いてもいいと思える程に怒り心頭しております。それで退学になったとしても本望です。ですがテア様の為に致しません。それでは失礼致します!」
「アベル、今の話は本当か?」
ゆらりと後ろに現れたカレイアは、腕組みをして殺気立った目でアベルを見上げていた。睨めつけるその視線は野生動物のようにアベルの喉元を狙っているようだった。
「カレイア公女、先程のはつまり……俺の誤解があったのかもしれません」
「この際だからはっきり聞いておきたい。君はテアをどう想っているんだ?」
「大事に想っています」
「そうではない。婚約者に選び、本妻にする気はあるのかと聞いているんだ」
「それはもちろん! 俺にはずっとテアだけでしたし、これからもテアだけです」
するとカレイアは幾分警戒を解いたようだった。
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