大好きなあなたを忘れる方法

山田ランチ

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15 募る不安

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「イーライいるんだろう!? この寝坊助! 今すぐ起きなさい!」

 早朝から昼まで何度も園芸室に訪れては扉を叩いている学園長の姿に、朝練からその様子を目にしていた学生達は驚きを隠せないでいた。

「……起きたってば。起きてますよぉ。はいはい」

 絡まった長い髪の隙間から恨めしそうに扉を開けたイーライは、裸にガウンの姿で大欠伸をした。

「僕さっき寝たばっかりなんだけど?」

 その瞬間、学園長は部屋の中に滑り込むと扉をピシャリと閉めた。

「メリベル・アークトゥラスに何を飲ませたんだ」

 問われている意味が分かっていない様子で目を点にしているイーライは、もう一度欠伸をしようとした所で両頬を思い切り掴まれた。

「何を飲ませたのかと聞いているんだが? 場合によってはあの温室は没収だよ」

 その瞬間、事の重大さに気がついたのか、イーライはバシバシと学園長の腕を叩いた。

「メリベルに飲ませた物ってもしかして魔廻の回復薬の事か? あんな物がどうしたってんだよ。医務室にもあるだろ」
「昨晩から目を覚まさないそうだよ」
「……ただの寝坊助じゃなくて?」
「お前と一緒にするな。その回復薬で目が覚めなくなるなんて事があるのかい? それとも間違って別の薬を渡したとかは?」
「僕が? ある訳ないだろ!」
「そうだな。いくらなんでも薬を間違えるようなお前ではないか。学園の外にアークトゥラス侯爵家の馬車が待ち侘びているよ。すぐに向かおう」

 するとイーライはガウンを脱ぎ捨てながら階段を駆け上がった。

「馬車じゃなくてここから行った方が近い」

 その背中を学園長が追う。螺旋階段を一段抜かしで五階分上ると広い部屋に出た。乱雑な一階とは違い、綺麗に掃除され高価な調度品で揃えられた家具。奥の衣装部屋に行くと、黒のスラックスと白のシャツ、銀色のジャケットに袖を通し、両手を擦るように合わせて何事かを呟きそのまま髪を撫でた。
 長かった前髪はすんなりと後ろに伸びていき、絡まっていた灰色の髪はジャケットのようにキラキラと光を反射する銀髪に変化し、後ろに撫でつけられた。そして長い髪で隠されていた金色の瞳が顕になった。

「ちょっと待ってくれ。イーライッ」

 息を切らしながら後を追い掛けて来た学園長はやっと到着すると、膝に手を着いて息を整えていた。そして身なりの変化したイーライを見て小さく溜息を吐いた。

「本当に、普段の姿からは想像出来ないね。さすがは大魔道師様だ」
「自分だって学園長なんて似合わない事しているだろ。ここからの方がアークトゥラス侯爵邸には近いから通るだけで、あんたまで一緒にいると目立つんだけど?」

 扉に手を掛け、開ける前に嫌そうに睨めつけた。

「どちらにしても君が歩いていたら目立たない訳がないだろう? なんなら園芸員の姿で行けば良かったんじゃないのかい?」
「あんなのすぐ警備兵に捕まる。面倒くさい」
「……あれが酷いっていう自覚はあったんだね」
「グダグダって言ってないでほら行くぞ」

 扉の向こうは王城内に続いていた。
 イーライの部屋は離れの塔にあり、魔術塔と呼ばれる場所で、歴代の大魔術師が塔主を務めていた。
 魔術師の頂点に立つのが大魔術師で、その中でもイーライは歴代最強との呼び声高い魔術師だった。
 イーライが扉を開けて現れた瞬間、塔から本城へと続く空中廊下の警備をしていた兵士は息を止めて驚いていた。それもそのはず、普段この扉は開かずの扉と思われている。イーライは神出鬼没でどこにいるか分からない。部屋から出ていなくても国王と謁見している時もあれば、呼び出された軍事会議に参加している時もある。とにかく実在しているのかさえ怪しい存在になりつつあったイーライが、今目の前を通過していく姿に、警備兵達は敬礼するのも忘れて見とれていた。もちろんその隣りを歩いているノルン大公の事も視線を上げて見送ってしまった事に、後から気が付いた時にはもう遅かった。

「男性までも虜にしてしまうなんてやっぱり君は凄いね。さすがはルナ神のご加護を受けた者は違うなぁ」

 大股で足早にイーライが歩けば、ノルン大公の方がやや遅れてしまう。使用人や官僚達は久しぶりに王城内で見つけた珍獣ならぬ珍しい二人の姿に慌てふためいていた。

「アークトゥラス侯爵には使いを出さないといけないな。きっと今も首を長くして学園の門前で待っているだろうから。それで、目を覚まさない理由に心当たりはあるのかい?」

 足早に歩いているせいかノルン大公の息がやや切れ気味になっていく。偶然鉢合う令嬢達や侍女達からは、通り過ぎる度に歓喜の声が上がり、その声には軽く手を上げて答えていた。

「無駄に愛想を振り撒くな、大公の威厳がなくなるぞ」
「いいんだよ、私は博愛主義だからね」


 イーライ達に遅れる事数十分。知らせを受けたアークトゥラス侯爵とメラニーを乗せた馬車は突入するように門を通って中に入って行く。慌ただしい足音をさせながらメリベルの部屋の扉が勢いよく開いた。
 息を切らしたアークトゥラス侯爵は、メリベルが眠っているベッドに飛びつくと落胆したように肩を落とした。ベッドの近くにはイーライとノルン大公が並んでいる。しかしじっと見つめているだけで何か治療をしているようには到底見えなかった。

「イーライ殿! あなたは一体娘に何を飲ませたんですッ!」

 するとイーライは押し付けられるように袋に入った丸薬を突き返された。

「意識を失うなんて異常ですよ。娘に何が起こったのか説明をお願いします!」

 イーライは顎先を押さえながら考え込んでいた。

「何錠飲んだか知っている者はいるか?」 
「……一錠だけです。朝にまた出すように言われましたが、その一粒で目を覚まされなくなってしまわれました」

 答えたメラニーの声が震えている。

「それなら取り敢えずは大丈夫だろ。その内に目を覚ます。そうだな、大体二、三日ってところか」
「困ります! それでは、遅過ぎます……」

 身分が遥か上の高い者に声を上げてしまった事に怯えながら、それでもメラニーはイーライへ近づいた。

「お嬢様は明日、大事なパーティーがあるんです。とても大事なパーティーなんです」
「イーライ殿、本当に娘は数日で目覚めるんでしょうな?」
「おそらくだが、メリベルは魔廻を損傷している。それも根深く」

 その言葉に一同は言葉を失った。メリベルが試合中に受けてしまったのはクレイシーの火魔術の掠り傷だけ。その程度で魔廻という器官が傷つくなど、ここにいる者達には到底理解出来なかった。しかしイーライだけは珍しく深刻そうな顔でメイベルの寝顔を見つめていた。

「一粒ならむしろ損傷を修復出来ずに終わるだろう。かと言って毎日飲み続ければずっと眠ったままになる。魔廻を修復しようとして体の全ての回復力が魔廻に集められるだろうから」
「だとしたらどれくらい掛かるのでしょうか」
「分からないが、おそらく数年から、下手をしたら数十年かもしれないな」
「そんな! 一体どうすれば……」
「とにかくメリベルは目覚める。そしたら僕の所に来るように言っといてくれよ。診断はそれからだな。それ以上は今は何も視えん」

 イーライはそのまま部屋を出かけて、そして振り返らずに言った。

「侯爵、もしかしたらメリベルは何か病を患ってはいないか? もしくはおかしな兆候でもいい。気になった事は?」
「……兆候も何も、娘は至って普通の元気な娘です。魔廻の損傷だなんて言われても全く思い当たりませんよ」
「そうか。それでは目覚めるまでの辛抱だな」
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