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第七話 森のペンダ
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「この森を抜ければ川があって、そこを上って行けばポウィスに入ります」
カドワロンが先頭を歩きながら、二人に説明した。
「ポウィスはウェールズの国だよな」
「ええ、山ばかりであまり住みよいところではありませんが、景色のいいところですよ」
カドワロンはライラの質問に丁寧に答えた。
「それは楽しみだな」
エドウィンが言った。
うっそうと続く緑。その間から木洩れ日が落ちてくるが、霧に溶け込み色を失っている。暗い獣道が続くなかで、三人は一列になって進んでいる。前がカドワロン、中がエドウィン、後ろにライラがいる。
カドワロンにとっては目を引くものなどないが、王宮育ちのエドウィンと海で育ったライラにとってここまで深い森を行くのは珍しい経験なのだ。
エドウィンはバーニシアの追っ手から逃げる時に森を通ったが、逃げるのに必死でそれどころではなかった。それにここまで深いものではなかった。
この森は深い海の底のように静かで清んでいる。
「ん、なんだ?」
ライラが立ち止まり振り返った。
「ええ、僕も感じました」
「バーニシア兵ではないようだが」
カドワロンとエドウィンも振り返った。エドウィンは静かに剣の柄に手をかけている。
ヒュンッ、ザッ。
「うわっ」
ライラの足元に矢が飛んできた。
「今のはわざと外した、こちらの言うことに従わねば体中穴だらけになるぞ」
声がしたのは、矢が飛んで来た方向とは逆だった。おそらく囲まれているのだろう。
「オレ達はただ森を通っているだけだぞっ・・・おっと」
文句を言ったライラの足元にまた矢が刺さった。
「余計なおしゃべりは遠慮してもらおうか」
「分かりました、僕達はどうすればいいんですか」
カドワロンが宙に向かって声を出した。
「話をスムーズに運んでくれると助かるよ」
声の主が姿を表した。カドワロンの前の木々がガサガサと動くとそれまでどこにいたのか分からないが人影が現われた。
「今そちらに行く」
彼はそう言うと木の枝から跳び、空中で身を捩って回転しながら見事にカドワロンの前に着地した。
「オレのは名はペンダ」
「僕はカドワロンです」
「カドワロンとその他二名、おれについて来て欲しい、事情は後で説明する」
「その他とはずいぶんな言い草じゃないか」
ペンダと名乗る青年に対してライラが文句を言ったが、彼はまともにとりあわなかった。
「まあ、殺すつもりならさっきやってるはずだ、おとなしくしていれば大丈夫だろうな」
カドワロンとライラがエドウィンの顔を見ると、エドウィンが落ち着いて言った。
こうして、三人はペンダに言われるまま森を出て、見知らぬ町へと連れて行かれた。
オズワルドが遠目でノエル騎兵隊長が帰ってくるのを見つけた。
「ずいぶん早いな・・・んっ」
馬を駆るその姿は先ほどまでの無邪気なお転婆娘とは程遠い、敵はおろか味方さえも恐れる「血染めのヴァルキリー」となっていた。何かがあったのだ。オズワルドは一気に心臓が胸を強く打つのを感じた。
「集合っ!吹笛官、笛だ、吹き鳴らせ」
オズワルドの指示で周辺にかん高い笛の音が響いた。吹笛官は部隊に複数いて、一人が吹けばそれを聞いた別の吹笛官も笛を吹く。この連鎖によって部隊が散らばっていても迅速に指示を伝えることができるのだ。
急な集合の合図は寝耳に水だった。飯を食っている途中だったのでスプーンを握り締めて全力疾走してくる者、糞をしていたのでズボンを抱えて下半身丸出しで走ってくる者など酷い有様だったが。逆に言えばそれだけ統率がとれているといえる。
オズワルドは一番早く駆けつけた者を指差しして、左手を挙げる権利を与えた。
「イエス、マイロード」
集合の合図にいち早く駆けつけることは、一瞬ではあるが兵士にとって誉れである。彼は嬉々として返事をした。
「横隊、五列」
「横隊、五列」
オズワルドの指示を復唱して、彼は右手を水平に伸ばした。そして他の兵士が駆けつける度に、横隊五列と指示をした。一番早く来た者が副長に代わり指示を伝えるのである。
先ほどまで、ほとんどピクニック気分でいた兵士達であったが、一瞬にして横隊五列が出来上がった。
「よし、隊長が来るまでそのまま待て・・・お前はズボンを履いてよし」
「イエス、マイロード」
オズワルドが下半身を出した兵士にズボンを履く許可を与えた。
彼がズボンを履き終わる頃、ノエル隊長が横隊の前に騎乗したままやって来た。
「戦でありますか」
ノエルは殺気を出したまま言葉を発さないので、オズワルドが近づいて問うた。こんなことができるのもオズワルドだけである。他の者は恐ろしくて、声などかけられない。
「ああ、我が夫とな」
「な、なんですと」
あまりに予想し得ない言葉だった。
「詳細は不明だが、我が夫レドワルドがバーニシアに下った、ケントへの謀反である」
兵士達に動揺が走った。
「しかし、私は夫の行動を認めることはできぬ、ケントへの不忠を見過ごす訳にはいかぬのだ。カンタベリーの惨劇、これを引き起こしたのはエゼルフリッドに使える魔女と聞く、まるで人と思えぬ惨状を起こすような輩に我が夫が従うなど悪夢であろう」
ノエルは目を瞑り怒りに打ち震えた。
「もしや」
口を開いたのはオズワルドである。
「その魔女に誑かされたやもしれませぬな」
「我が夫が不貞を働いたと申すかっ!」
一瞬にして、腰の剣を引き抜き、オズワルドの顔に突きつけたノエル。戦で鬼神の働きをするノエルも心の中は夫を愛する貞淑な婦人なのだ。ながく、夫と会えずにストレスも溜まっていた。
「言葉を誤りました、そういう意味ではございません」
多少、驚きはしたものの、その言葉に淀みがなかった。切っ先を眼前にしてのこの胆力。こういうところに、この男が副長を任される所以がある。
「その魔術で意のままに操られているのではないでしょうか、もしくは薬を盛られたのかと、魔女はあらゆる薬草に通じているといいますから、冷静な判断を曇らせる薬など簡単に作れましょう」
「なるほどな」
ノエルは剣を納めた。
「すまんな、早合点してしまって」
ノエルは騎乗のまま顔を手で覆うと、なにやらぶつぶつ言い始めた。
年はまだ女の盛り、男に混じって剣を振るうことに生きがいを感じるが、夫には女性として見て欲しいと願う、なかなかいじらしい女である。
オズワルドは違うというが、もしかしたら本当に魔女と不貞を働いたのではないか、などと考え始めた。年相応にやはり女なのだ。
「よし決めたぞ!」
顔を上げ、再び兵士達に向き直った。
「貴様らには夫婦喧嘩に付き合ってもらう、夫、レドワルドに味方したくばこの首をとって夫に差し出せ」
吼えた、もう力いっぱい吼えた。ノエルの胸には複雑な感情が渦巻くが、それを断ち切るように声をあげた。
それに対して異を唱えるものはだれも出ず、ノエルが率いてきたアングリアの騎兵隊はそのままケント軍に編入された。
ほどなくして、アングリアは2つに分かれてしまった。レドワルドに従うバーニシア派、ノエルに従うケント派である。
「なんとまあ、小汚い町だな、こりゃ」
頭を掻きながらライラが呆れて声を上げるが、ペンダはもう何も言わなくなっていた。いちいちライラの小言に目くじらを立ててたら、目的地に着く前に日が暮れると思ったからである。
「しかし、ところどころに神々の祠や祭壇があるな」
「エドウィン、なんでお前は目をキラキラさせてんだよ、このオーディン狂いめ」
ライラが言った。町に市場はないものの、宗教施設へ多くの人が行き交っている。
「この国にはまだキリスト教が入って来てないんですね」
カドワロンがペンダに問うた。先ほどからこの二人はどうも気が合うようで世間話をなんどもしている。
「そもそも、キリスト教なんかいらないからな、オレ達にはオーディンがついている」
「ああ、その通りだ」
エドウィンが激しく同意した、目を輝かせながら。
「まったく・・・」
除け者になったライラは面白くない。
四人は大きな屋敷の前に着いた。
「ここだ、すまなかったな、訳も言わずにここまでつれて来てしまって」
「いや、その前に矢をうったことを謝れよ」
ペンダはライラを無視して、続けた。
「お前らはカンタベリーから来た、違うか」
「ええ、その通りです」
カドワロンが答えた。
「で、お前はエドウィン王子だろう、デイラ王家の一粒種のな」
ペンダはエドウィンの方へ向いて、言い放った。
ざっ。
反射的にエドウィンは後ずさりして、剣の柄に手をかけた。
「まあ、待て」
と、ペンダが掌をエドウィンに向けた。
「僕らを殺す気ならあの森でとっくに殺されてますよ」
カドワロンが間に入った。
「すまない、話を続けてくれ」
エドウィンはゆっくりと手を離し、元の位置に戻った。
「そして、エドウィンはケントの使者として各地を回っている」
ペンダは話を続けた。
「さっきの獣道を歩いていたのは人目をさけるためだな、敵からも、そして味方からも」
「凄いな、なんでそんなことまで?」
目を丸くしたカドワロンが聞いた。
「情報を収集、整理し、推測しただけだよ」
ペンダが答えた。
「で、結局、お前はオレ達をどうしたいんだよ」
ライラが痺れをきらした。ペンダの余裕ぶった態度が気に障るようだ。
「ああ、今からある人に会ってほしいんだ、そしてその上でオレを旅の仲間に加えてくれないか」
「なにぃいいいい」
ライラがコミカルな声をあげた。
「まあ、お前のことはひとまず置いておくとして、その会わせたい人というのは誰なんだ?」
エドウィンはいたって冷静である。
「その人はマーシアの王、ケアルルだ」
マーシアの王と口にした時、ペンダの表情が少し曇ったようにカドワロンには見えた。
レドワルドはずっと緊張し続けていた。昨日の報告を聞いてから食事も喉を通らず。水ばかりを飲んでいる。酒も飲む気にはなれなかった。
「続々と離反者がでているようです」
最初の報告からやや時間が経ってから、次にオットーがそう報告してきたとき改めて妻ノエルの力を知った。いや、最初の報告を聞いたときから予想はしていたのだ。ただ、考えたくなかっただけなのである。
妻ノエルは「血染めのヴァルキリー」と見方からも恐れられる女傑。武勇を尊ぶアングロサクソン人にとっては信仰にも似たカリスマ性をもつのだ。その戦士の誇りそのものに関係する二つ名、ヴァルキリー。戦場で勇者を選定し、ヴァルハラへと導く女神はいつしか、ノエル自身と本当に同一視されて、彼女に殺されればヴァルハラに行けるなどという冗談とも本気ともつかないことを言い出す輩が現われた。
戦場特有の雰囲気がつくりだした風聞は、サウサンブリア全体に広まっていた。戦場で助かる見込みのない兵士を仲間が抱えて、彼女のもとへ連れて行き「彼をヴァルハラにっ!」と願い出るものが出てくるわ、平時においては自身の寿命を悟った老兵がヴァルハラへ往生することを願って決闘を申し出るわで、正直、人質生活をしながらも政務を担うレドワルドよりも兵士達からすれば人気があったのだ。
「私の祖父もノエル様にヴァルハラへ送って頂きましたよ」
かつてオットーがにこやかに、そう報告して来たのをレドワルドは思い出した。その時、腹のそこが抉られたような気分だった。妻のカリスマ性に嫉妬したのもあるが、妻が平時に老人と決闘しては殺している事実は気持ちの良いものではないのだ。
「ホント、馬鹿じゃねぇの」
とはオットーに言えなかったレドワルド。
そうかと表情を殺して、決闘の後はノエルと遺体を中央に親族で囲んで酒盛りをしただの、首を一撃で落としてくれたので遺体がきれいなままでよかった、お見事でしたなどと、喋りつづけるオットーの口を塞いでやりたかった。
「うちの嫁は御神体かっ、なんで遺体と一緒に囲ってんだよ」
と、声を荒げたかった。
レドワルドはコップの水を一気に飲んだ。やり場のない不安と恐怖に胃の辺りが気持ち悪い。
「レドワルド公、陛下がお呼びですよ」
そんなレドワルドを笑いに来たのかアクハが部屋に入ってきた。
入ってきた瞬間、ギロリと睨んでしまったが慌てて表情を戻し、レドワルドはアクハの後について行った。
エドウィン達が案内された部屋に入ると、既にケアルル王は待っていた。椅子に座ってぶどう酒を飲みながら。
「なんだ、まだガキじゃないか」
ケアルルの無駄にデカイ声が三人の耳に響いた。ペンダは慣れているようで、表情に変化はない。
「おい、ペンダ、本当にこいつらがエドウィン王子とカンタベリー騎士団の団員なのか?」
「ええ、本人です」
ペンダは事務的に答えた。
「で、誰がエドウィン王子なのだ?」
ペンダから三人に視線を移すとケアルルが声を荒げた。早く答えろと言わんばかりである。
「オレだ」
エドウィンが一歩前に出た。
「ほう・・・」
値踏みをするかのように見るケアルル。エドウィンはそのべっとりとした視線に嫌悪感を抱いた。
「こんなやつらがケントを出て、バーニシアと戦うだと、あのエゼルフリッドと?つまらん冗談だっ」
ケアルルの乱暴な喋り方にエドウィンはうんざりし、カドワロンは形だけの笑顔を作り、ライラは苛立った。
「まったく、ペンダがどうしても会ってくれというから、会ってみればこれだ」
ケアルルはだらしなく、椅子の上で腰をずらし寝る様な姿勢になった。
「しかしエドウィン王子はケントのベルガ女王よりバーニシア軍への遊撃を任されているとのこと、我がマーシア軍に加勢して頂いた方が・・・」
「何を馬鹿なこと申すかっ!」
ペンダの言葉にケアルルは激怒した。
「こんな小童共が我が軍に加勢して何になるというのだ、ただ飯を食うだけで役になどたつものか!」
「私のような無知が差し出がましいことをしました、申し訳ありません、少しでも王のお役に立ちたいと思ったのですが・・・」
「ふんっ、お前のような軟弱者に戦の何が分かるのか」
ケアルルの言葉、軟弱者というおよそペンダに相応しくない形容に、三人とも一様に驚いた。あのアクロバティックな曲芸を事も無げに行い、身軽な弓兵を引き連れて森の中で自分たちを尾行していた、あのペンダを軟弱者だというのはいかなることか。
「すぐに病気になるからと、都市を離れこうして森の間の保養所に移っても、お前は一向に良くならないではないか、まったくマーシア王家の血への恥さらしだ」
「おっしゃる通りでございます、そこでひとつお願いがあるのですが・・・」
「まだ、なにかあるのか」
「はい、私もこちらのエドウィン王子の旅に同行したいのです」
「ん?どうしたのだ急に?」
「軟弱なこの身を鍛えたいと思っているのですが、マーシア軍では自分にとって苛烈過ぎてついていくことはできないと思うのです。しかし、王がおっしゃる通りエドウィン王子の部隊の程度ならば、自分でも役に立つことができるかと」
「僕からもお願いします、ケアルル王よ、この森を抜けるのにもガイドが必要なので、ペンダ様に是非お願いしたいのです」
カドワロンが一歩前に出た。なんとなく、本当になんとなくだが、ペンダの思惑が分かってきたのだ。
「ああ、別に構わんよ」
勝手にしろと合図をしながら、ケアルルが言った。
これでペンダは晴れて自由の身になった。
「で、あれはなんの茶番だったんだ」
ペンダが住処とする保養所につくと、ライラが真っ先に口を開いた。それは装飾こそないもののつくりのしっかりした屋敷である。
ちなみに先ほどのケアルルがいたところは彼の別荘地で、定期的にペンダの様子を首都タワムースから見に来るのだ。そこをたまたまエドウィン達が付近を通りかかったのである。
「くっふふっ、はっははっはっはっはっは」
ペンダが顔を手でおさえ、天を仰ぎながら笑いだした。
「まあ、中に入ってくれ、話はそれからだ」
「せまいがゆっくりしてくれ」
そう言うペンダに対して、ライラはふんぞり返るようにソファーでこれみよがしにドカッと座った。
「オレはずっとあの男の手から離れたかったのだ」
「そのためにオレ達を利用したと」
ライラは怒ってはいなかった。こういう自分の目的のために他人を平気で利用するやつを既に知っていたからだ。
「オレの父はあの男に暗殺されてな、まあ、それは公になってはいないのだが」
「マーシアの先王が急死した件ですね」
カドワロンが思い出して口を挟んだ。
「なるほど、それでお前は警戒されないために無能を演じてたわけか」
ライラが言った。
「いかに怪しまれずにその手から抜け出すかを考えて生きてきた。出奔すれば報復を疑われて追っ手が来る」
「そうだな」
自分と似た境遇のペンダにエドウィンが頷いた。
「疑うもなにもそのつもりなんだろ?」
「ああ、もちろん」
ペンダとエドウィンは見つめ合って、互いの野心を確認し合った。
「で、オレらと同行するのはどういう了見なんだよ」
ライラが急くように言った。放っといたらいつまでも話が終わらないと思ったからだ。
「エドウィン王子がエゼルフリッドを倒すなら、オレはその臣下として手柄をたてる、そして誰もが認めるマーシアの新たなる王としてケアルルに正義の鉄槌を下す」
「ケアルルのもとで武名を誇れば、疎まれて殺される。ならばその手を離れたところで、つまりオレのもとで名を馳せるか、考えたな」
エドウィンがペンダに近づいた。
すると、ペンダは跪き、エドウィンは剣を抜き刃を横にして切先を彼の頭に載せた。
「我らが主神オーディンの名のもとに誓う、汝ペンダを臣下として認め、共に戦わん」
なんか似たようなのが増えたな、ライラはソファーでリラックスしながら思った。
汚泥に塗れた少年が民衆の前に放り出された。
「さあ、我が王エゼルフリッドに従うものはこのガキに唾を吐けっ」
少年を放り投げた兵士は高らかに民衆へと呼びかける。
「唾を吐いたものには銀貨を授けよう、小便をかけたものには金貨だぞ」
兵士はさらに畳み掛ける。
ここはノーサンブリアより北、アントニウスの長城をさらに越えたピクト人の村である。エゼルフリッドは既に周囲の村々を占領し、バーニシア兵が多く駐留していた。
その村々をあちらこちらに引っ張りまわされる汚れた少年。彼の名はフェイ。エゼルフリッド暗殺に失敗したピクト人の戦士だ。彼は額の龍の刺青が示すとおり、ピクト族長会議で認められた優れた勇士。そのことはピクト人ならば子供でもわかることだ。だから金をやるといわれてもだれもフェイに惨い仕打ちをするものはいなかった。フェイは彼らにとって誇りそのものなのだ。
「おい、お前こちらへ来い」
動かぬ民衆に焦れた兵士が民衆の中で一番飢えていそうな男を呼んだ。
「お前、このガキに唾を吐け」
その男に剣を突きつけて、兵士は言った。
「え、いや、あの」
「さあ、早くしろ」
兵士が詰め寄った。飢えた男だけでなく、村人達はみなバーニシアの兵士が躊躇いなく剣を振ることを知っている。
ピチャッ。
ほんとうに少しだけ、飢えた男はフェイに唾を吐いた。その時、兵士は歪んだ笑顔を見せた。
「さあ、我が王に忠誠を示した者よ、これを受け取るのだ」
兵士の手には銀貨が十枚握られていた。
「これで腹いっぱい飯が食えるな」
兵士の声は先ほどとは打って変わって優しかった。
唾を吐いた男はおそるおそる報酬を受け取った。するとすぐにその男は走り出した。バーニシアの駐屯地には食料が豊富にあり、村人はそれを買うことができるのだ。
戦によって男手が少なくなったピクトの村に食料の備蓄はなく、商人から買うか、バーニシア兵から買うか、自分で野兎でも狩るしか手段がなくなっていた。
この男だけではない、皆飢えていた。
フェイの前に村人が殺到するのにそう時間はいらなかった。
フェイは自分の身が汚されていくことに絶望したが、次第にものを考えなくなった。
次回予告
ノエル「う~~~、レドワルドはいったい何をやっているのだ、しばらく会わない間に私のことを忘れてしまったのか、それとも本当に魔女に・・・。
もうっ、イライラする!オズワルド、木剣を持って来い!稽古をつけてやるっ。
次回、『その名はアーサー』
レドワルド、私に甘えに来い・・・」
カドワロンが先頭を歩きながら、二人に説明した。
「ポウィスはウェールズの国だよな」
「ええ、山ばかりであまり住みよいところではありませんが、景色のいいところですよ」
カドワロンはライラの質問に丁寧に答えた。
「それは楽しみだな」
エドウィンが言った。
うっそうと続く緑。その間から木洩れ日が落ちてくるが、霧に溶け込み色を失っている。暗い獣道が続くなかで、三人は一列になって進んでいる。前がカドワロン、中がエドウィン、後ろにライラがいる。
カドワロンにとっては目を引くものなどないが、王宮育ちのエドウィンと海で育ったライラにとってここまで深い森を行くのは珍しい経験なのだ。
エドウィンはバーニシアの追っ手から逃げる時に森を通ったが、逃げるのに必死でそれどころではなかった。それにここまで深いものではなかった。
この森は深い海の底のように静かで清んでいる。
「ん、なんだ?」
ライラが立ち止まり振り返った。
「ええ、僕も感じました」
「バーニシア兵ではないようだが」
カドワロンとエドウィンも振り返った。エドウィンは静かに剣の柄に手をかけている。
ヒュンッ、ザッ。
「うわっ」
ライラの足元に矢が飛んできた。
「今のはわざと外した、こちらの言うことに従わねば体中穴だらけになるぞ」
声がしたのは、矢が飛んで来た方向とは逆だった。おそらく囲まれているのだろう。
「オレ達はただ森を通っているだけだぞっ・・・おっと」
文句を言ったライラの足元にまた矢が刺さった。
「余計なおしゃべりは遠慮してもらおうか」
「分かりました、僕達はどうすればいいんですか」
カドワロンが宙に向かって声を出した。
「話をスムーズに運んでくれると助かるよ」
声の主が姿を表した。カドワロンの前の木々がガサガサと動くとそれまでどこにいたのか分からないが人影が現われた。
「今そちらに行く」
彼はそう言うと木の枝から跳び、空中で身を捩って回転しながら見事にカドワロンの前に着地した。
「オレのは名はペンダ」
「僕はカドワロンです」
「カドワロンとその他二名、おれについて来て欲しい、事情は後で説明する」
「その他とはずいぶんな言い草じゃないか」
ペンダと名乗る青年に対してライラが文句を言ったが、彼はまともにとりあわなかった。
「まあ、殺すつもりならさっきやってるはずだ、おとなしくしていれば大丈夫だろうな」
カドワロンとライラがエドウィンの顔を見ると、エドウィンが落ち着いて言った。
こうして、三人はペンダに言われるまま森を出て、見知らぬ町へと連れて行かれた。
オズワルドが遠目でノエル騎兵隊長が帰ってくるのを見つけた。
「ずいぶん早いな・・・んっ」
馬を駆るその姿は先ほどまでの無邪気なお転婆娘とは程遠い、敵はおろか味方さえも恐れる「血染めのヴァルキリー」となっていた。何かがあったのだ。オズワルドは一気に心臓が胸を強く打つのを感じた。
「集合っ!吹笛官、笛だ、吹き鳴らせ」
オズワルドの指示で周辺にかん高い笛の音が響いた。吹笛官は部隊に複数いて、一人が吹けばそれを聞いた別の吹笛官も笛を吹く。この連鎖によって部隊が散らばっていても迅速に指示を伝えることができるのだ。
急な集合の合図は寝耳に水だった。飯を食っている途中だったのでスプーンを握り締めて全力疾走してくる者、糞をしていたのでズボンを抱えて下半身丸出しで走ってくる者など酷い有様だったが。逆に言えばそれだけ統率がとれているといえる。
オズワルドは一番早く駆けつけた者を指差しして、左手を挙げる権利を与えた。
「イエス、マイロード」
集合の合図にいち早く駆けつけることは、一瞬ではあるが兵士にとって誉れである。彼は嬉々として返事をした。
「横隊、五列」
「横隊、五列」
オズワルドの指示を復唱して、彼は右手を水平に伸ばした。そして他の兵士が駆けつける度に、横隊五列と指示をした。一番早く来た者が副長に代わり指示を伝えるのである。
先ほどまで、ほとんどピクニック気分でいた兵士達であったが、一瞬にして横隊五列が出来上がった。
「よし、隊長が来るまでそのまま待て・・・お前はズボンを履いてよし」
「イエス、マイロード」
オズワルドが下半身を出した兵士にズボンを履く許可を与えた。
彼がズボンを履き終わる頃、ノエル隊長が横隊の前に騎乗したままやって来た。
「戦でありますか」
ノエルは殺気を出したまま言葉を発さないので、オズワルドが近づいて問うた。こんなことができるのもオズワルドだけである。他の者は恐ろしくて、声などかけられない。
「ああ、我が夫とな」
「な、なんですと」
あまりに予想し得ない言葉だった。
「詳細は不明だが、我が夫レドワルドがバーニシアに下った、ケントへの謀反である」
兵士達に動揺が走った。
「しかし、私は夫の行動を認めることはできぬ、ケントへの不忠を見過ごす訳にはいかぬのだ。カンタベリーの惨劇、これを引き起こしたのはエゼルフリッドに使える魔女と聞く、まるで人と思えぬ惨状を起こすような輩に我が夫が従うなど悪夢であろう」
ノエルは目を瞑り怒りに打ち震えた。
「もしや」
口を開いたのはオズワルドである。
「その魔女に誑かされたやもしれませぬな」
「我が夫が不貞を働いたと申すかっ!」
一瞬にして、腰の剣を引き抜き、オズワルドの顔に突きつけたノエル。戦で鬼神の働きをするノエルも心の中は夫を愛する貞淑な婦人なのだ。ながく、夫と会えずにストレスも溜まっていた。
「言葉を誤りました、そういう意味ではございません」
多少、驚きはしたものの、その言葉に淀みがなかった。切っ先を眼前にしてのこの胆力。こういうところに、この男が副長を任される所以がある。
「その魔術で意のままに操られているのではないでしょうか、もしくは薬を盛られたのかと、魔女はあらゆる薬草に通じているといいますから、冷静な判断を曇らせる薬など簡単に作れましょう」
「なるほどな」
ノエルは剣を納めた。
「すまんな、早合点してしまって」
ノエルは騎乗のまま顔を手で覆うと、なにやらぶつぶつ言い始めた。
年はまだ女の盛り、男に混じって剣を振るうことに生きがいを感じるが、夫には女性として見て欲しいと願う、なかなかいじらしい女である。
オズワルドは違うというが、もしかしたら本当に魔女と不貞を働いたのではないか、などと考え始めた。年相応にやはり女なのだ。
「よし決めたぞ!」
顔を上げ、再び兵士達に向き直った。
「貴様らには夫婦喧嘩に付き合ってもらう、夫、レドワルドに味方したくばこの首をとって夫に差し出せ」
吼えた、もう力いっぱい吼えた。ノエルの胸には複雑な感情が渦巻くが、それを断ち切るように声をあげた。
それに対して異を唱えるものはだれも出ず、ノエルが率いてきたアングリアの騎兵隊はそのままケント軍に編入された。
ほどなくして、アングリアは2つに分かれてしまった。レドワルドに従うバーニシア派、ノエルに従うケント派である。
「なんとまあ、小汚い町だな、こりゃ」
頭を掻きながらライラが呆れて声を上げるが、ペンダはもう何も言わなくなっていた。いちいちライラの小言に目くじらを立ててたら、目的地に着く前に日が暮れると思ったからである。
「しかし、ところどころに神々の祠や祭壇があるな」
「エドウィン、なんでお前は目をキラキラさせてんだよ、このオーディン狂いめ」
ライラが言った。町に市場はないものの、宗教施設へ多くの人が行き交っている。
「この国にはまだキリスト教が入って来てないんですね」
カドワロンがペンダに問うた。先ほどからこの二人はどうも気が合うようで世間話をなんどもしている。
「そもそも、キリスト教なんかいらないからな、オレ達にはオーディンがついている」
「ああ、その通りだ」
エドウィンが激しく同意した、目を輝かせながら。
「まったく・・・」
除け者になったライラは面白くない。
四人は大きな屋敷の前に着いた。
「ここだ、すまなかったな、訳も言わずにここまでつれて来てしまって」
「いや、その前に矢をうったことを謝れよ」
ペンダはライラを無視して、続けた。
「お前らはカンタベリーから来た、違うか」
「ええ、その通りです」
カドワロンが答えた。
「で、お前はエドウィン王子だろう、デイラ王家の一粒種のな」
ペンダはエドウィンの方へ向いて、言い放った。
ざっ。
反射的にエドウィンは後ずさりして、剣の柄に手をかけた。
「まあ、待て」
と、ペンダが掌をエドウィンに向けた。
「僕らを殺す気ならあの森でとっくに殺されてますよ」
カドワロンが間に入った。
「すまない、話を続けてくれ」
エドウィンはゆっくりと手を離し、元の位置に戻った。
「そして、エドウィンはケントの使者として各地を回っている」
ペンダは話を続けた。
「さっきの獣道を歩いていたのは人目をさけるためだな、敵からも、そして味方からも」
「凄いな、なんでそんなことまで?」
目を丸くしたカドワロンが聞いた。
「情報を収集、整理し、推測しただけだよ」
ペンダが答えた。
「で、結局、お前はオレ達をどうしたいんだよ」
ライラが痺れをきらした。ペンダの余裕ぶった態度が気に障るようだ。
「ああ、今からある人に会ってほしいんだ、そしてその上でオレを旅の仲間に加えてくれないか」
「なにぃいいいい」
ライラがコミカルな声をあげた。
「まあ、お前のことはひとまず置いておくとして、その会わせたい人というのは誰なんだ?」
エドウィンはいたって冷静である。
「その人はマーシアの王、ケアルルだ」
マーシアの王と口にした時、ペンダの表情が少し曇ったようにカドワロンには見えた。
レドワルドはずっと緊張し続けていた。昨日の報告を聞いてから食事も喉を通らず。水ばかりを飲んでいる。酒も飲む気にはなれなかった。
「続々と離反者がでているようです」
最初の報告からやや時間が経ってから、次にオットーがそう報告してきたとき改めて妻ノエルの力を知った。いや、最初の報告を聞いたときから予想はしていたのだ。ただ、考えたくなかっただけなのである。
妻ノエルは「血染めのヴァルキリー」と見方からも恐れられる女傑。武勇を尊ぶアングロサクソン人にとっては信仰にも似たカリスマ性をもつのだ。その戦士の誇りそのものに関係する二つ名、ヴァルキリー。戦場で勇者を選定し、ヴァルハラへと導く女神はいつしか、ノエル自身と本当に同一視されて、彼女に殺されればヴァルハラに行けるなどという冗談とも本気ともつかないことを言い出す輩が現われた。
戦場特有の雰囲気がつくりだした風聞は、サウサンブリア全体に広まっていた。戦場で助かる見込みのない兵士を仲間が抱えて、彼女のもとへ連れて行き「彼をヴァルハラにっ!」と願い出るものが出てくるわ、平時においては自身の寿命を悟った老兵がヴァルハラへ往生することを願って決闘を申し出るわで、正直、人質生活をしながらも政務を担うレドワルドよりも兵士達からすれば人気があったのだ。
「私の祖父もノエル様にヴァルハラへ送って頂きましたよ」
かつてオットーがにこやかに、そう報告して来たのをレドワルドは思い出した。その時、腹のそこが抉られたような気分だった。妻のカリスマ性に嫉妬したのもあるが、妻が平時に老人と決闘しては殺している事実は気持ちの良いものではないのだ。
「ホント、馬鹿じゃねぇの」
とはオットーに言えなかったレドワルド。
そうかと表情を殺して、決闘の後はノエルと遺体を中央に親族で囲んで酒盛りをしただの、首を一撃で落としてくれたので遺体がきれいなままでよかった、お見事でしたなどと、喋りつづけるオットーの口を塞いでやりたかった。
「うちの嫁は御神体かっ、なんで遺体と一緒に囲ってんだよ」
と、声を荒げたかった。
レドワルドはコップの水を一気に飲んだ。やり場のない不安と恐怖に胃の辺りが気持ち悪い。
「レドワルド公、陛下がお呼びですよ」
そんなレドワルドを笑いに来たのかアクハが部屋に入ってきた。
入ってきた瞬間、ギロリと睨んでしまったが慌てて表情を戻し、レドワルドはアクハの後について行った。
エドウィン達が案内された部屋に入ると、既にケアルル王は待っていた。椅子に座ってぶどう酒を飲みながら。
「なんだ、まだガキじゃないか」
ケアルルの無駄にデカイ声が三人の耳に響いた。ペンダは慣れているようで、表情に変化はない。
「おい、ペンダ、本当にこいつらがエドウィン王子とカンタベリー騎士団の団員なのか?」
「ええ、本人です」
ペンダは事務的に答えた。
「で、誰がエドウィン王子なのだ?」
ペンダから三人に視線を移すとケアルルが声を荒げた。早く答えろと言わんばかりである。
「オレだ」
エドウィンが一歩前に出た。
「ほう・・・」
値踏みをするかのように見るケアルル。エドウィンはそのべっとりとした視線に嫌悪感を抱いた。
「こんなやつらがケントを出て、バーニシアと戦うだと、あのエゼルフリッドと?つまらん冗談だっ」
ケアルルの乱暴な喋り方にエドウィンはうんざりし、カドワロンは形だけの笑顔を作り、ライラは苛立った。
「まったく、ペンダがどうしても会ってくれというから、会ってみればこれだ」
ケアルルはだらしなく、椅子の上で腰をずらし寝る様な姿勢になった。
「しかしエドウィン王子はケントのベルガ女王よりバーニシア軍への遊撃を任されているとのこと、我がマーシア軍に加勢して頂いた方が・・・」
「何を馬鹿なこと申すかっ!」
ペンダの言葉にケアルルは激怒した。
「こんな小童共が我が軍に加勢して何になるというのだ、ただ飯を食うだけで役になどたつものか!」
「私のような無知が差し出がましいことをしました、申し訳ありません、少しでも王のお役に立ちたいと思ったのですが・・・」
「ふんっ、お前のような軟弱者に戦の何が分かるのか」
ケアルルの言葉、軟弱者というおよそペンダに相応しくない形容に、三人とも一様に驚いた。あのアクロバティックな曲芸を事も無げに行い、身軽な弓兵を引き連れて森の中で自分たちを尾行していた、あのペンダを軟弱者だというのはいかなることか。
「すぐに病気になるからと、都市を離れこうして森の間の保養所に移っても、お前は一向に良くならないではないか、まったくマーシア王家の血への恥さらしだ」
「おっしゃる通りでございます、そこでひとつお願いがあるのですが・・・」
「まだ、なにかあるのか」
「はい、私もこちらのエドウィン王子の旅に同行したいのです」
「ん?どうしたのだ急に?」
「軟弱なこの身を鍛えたいと思っているのですが、マーシア軍では自分にとって苛烈過ぎてついていくことはできないと思うのです。しかし、王がおっしゃる通りエドウィン王子の部隊の程度ならば、自分でも役に立つことができるかと」
「僕からもお願いします、ケアルル王よ、この森を抜けるのにもガイドが必要なので、ペンダ様に是非お願いしたいのです」
カドワロンが一歩前に出た。なんとなく、本当になんとなくだが、ペンダの思惑が分かってきたのだ。
「ああ、別に構わんよ」
勝手にしろと合図をしながら、ケアルルが言った。
これでペンダは晴れて自由の身になった。
「で、あれはなんの茶番だったんだ」
ペンダが住処とする保養所につくと、ライラが真っ先に口を開いた。それは装飾こそないもののつくりのしっかりした屋敷である。
ちなみに先ほどのケアルルがいたところは彼の別荘地で、定期的にペンダの様子を首都タワムースから見に来るのだ。そこをたまたまエドウィン達が付近を通りかかったのである。
「くっふふっ、はっははっはっはっはっは」
ペンダが顔を手でおさえ、天を仰ぎながら笑いだした。
「まあ、中に入ってくれ、話はそれからだ」
「せまいがゆっくりしてくれ」
そう言うペンダに対して、ライラはふんぞり返るようにソファーでこれみよがしにドカッと座った。
「オレはずっとあの男の手から離れたかったのだ」
「そのためにオレ達を利用したと」
ライラは怒ってはいなかった。こういう自分の目的のために他人を平気で利用するやつを既に知っていたからだ。
「オレの父はあの男に暗殺されてな、まあ、それは公になってはいないのだが」
「マーシアの先王が急死した件ですね」
カドワロンが思い出して口を挟んだ。
「なるほど、それでお前は警戒されないために無能を演じてたわけか」
ライラが言った。
「いかに怪しまれずにその手から抜け出すかを考えて生きてきた。出奔すれば報復を疑われて追っ手が来る」
「そうだな」
自分と似た境遇のペンダにエドウィンが頷いた。
「疑うもなにもそのつもりなんだろ?」
「ああ、もちろん」
ペンダとエドウィンは見つめ合って、互いの野心を確認し合った。
「で、オレらと同行するのはどういう了見なんだよ」
ライラが急くように言った。放っといたらいつまでも話が終わらないと思ったからだ。
「エドウィン王子がエゼルフリッドを倒すなら、オレはその臣下として手柄をたてる、そして誰もが認めるマーシアの新たなる王としてケアルルに正義の鉄槌を下す」
「ケアルルのもとで武名を誇れば、疎まれて殺される。ならばその手を離れたところで、つまりオレのもとで名を馳せるか、考えたな」
エドウィンがペンダに近づいた。
すると、ペンダは跪き、エドウィンは剣を抜き刃を横にして切先を彼の頭に載せた。
「我らが主神オーディンの名のもとに誓う、汝ペンダを臣下として認め、共に戦わん」
なんか似たようなのが増えたな、ライラはソファーでリラックスしながら思った。
汚泥に塗れた少年が民衆の前に放り出された。
「さあ、我が王エゼルフリッドに従うものはこのガキに唾を吐けっ」
少年を放り投げた兵士は高らかに民衆へと呼びかける。
「唾を吐いたものには銀貨を授けよう、小便をかけたものには金貨だぞ」
兵士はさらに畳み掛ける。
ここはノーサンブリアより北、アントニウスの長城をさらに越えたピクト人の村である。エゼルフリッドは既に周囲の村々を占領し、バーニシア兵が多く駐留していた。
その村々をあちらこちらに引っ張りまわされる汚れた少年。彼の名はフェイ。エゼルフリッド暗殺に失敗したピクト人の戦士だ。彼は額の龍の刺青が示すとおり、ピクト族長会議で認められた優れた勇士。そのことはピクト人ならば子供でもわかることだ。だから金をやるといわれてもだれもフェイに惨い仕打ちをするものはいなかった。フェイは彼らにとって誇りそのものなのだ。
「おい、お前こちらへ来い」
動かぬ民衆に焦れた兵士が民衆の中で一番飢えていそうな男を呼んだ。
「お前、このガキに唾を吐け」
その男に剣を突きつけて、兵士は言った。
「え、いや、あの」
「さあ、早くしろ」
兵士が詰め寄った。飢えた男だけでなく、村人達はみなバーニシアの兵士が躊躇いなく剣を振ることを知っている。
ピチャッ。
ほんとうに少しだけ、飢えた男はフェイに唾を吐いた。その時、兵士は歪んだ笑顔を見せた。
「さあ、我が王に忠誠を示した者よ、これを受け取るのだ」
兵士の手には銀貨が十枚握られていた。
「これで腹いっぱい飯が食えるな」
兵士の声は先ほどとは打って変わって優しかった。
唾を吐いた男はおそるおそる報酬を受け取った。するとすぐにその男は走り出した。バーニシアの駐屯地には食料が豊富にあり、村人はそれを買うことができるのだ。
戦によって男手が少なくなったピクトの村に食料の備蓄はなく、商人から買うか、バーニシア兵から買うか、自分で野兎でも狩るしか手段がなくなっていた。
この男だけではない、皆飢えていた。
フェイの前に村人が殺到するのにそう時間はいらなかった。
フェイは自分の身が汚されていくことに絶望したが、次第にものを考えなくなった。
次回予告
ノエル「う~~~、レドワルドはいったい何をやっているのだ、しばらく会わない間に私のことを忘れてしまったのか、それとも本当に魔女に・・・。
もうっ、イライラする!オズワルド、木剣を持って来い!稽古をつけてやるっ。
次回、『その名はアーサー』
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