お届けもの

𝐄𝐢𝐜𝐡𝐢

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しゃべった

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 ――なんだこれ。
 目の前に置いたダンボールを眺めながら、俺は呆然としていた。
 ごくたまにネットで買い物をするので、そういった類のものが届いたのかと思ったのだが、どうやら違うようだ。
 というか、自分で頼んだものを把握しいていないのもどうかと思うが、その辺の話はさておき。
 とりあえずは、目の前のダンボールについてだ。
 差出人不明。ロゴなどもなし。宅配に来た人は――どんな人だっけ。
 っていうか――どうして受け取っちゃったんだろう。
 そこまで考えて、自分の性格に、俺は我ながら変な笑いが漏らした。
 まあ今朝は色々あって、急いでいた。
 そんなタイミングで、家のチャイムが鳴り、ハンコは――押してねえ。
 だというのに、俺は唐突に届けられたそのダンボールを、受け取ってしまったらしい。

「まじで、なにやってんだ……」

 これが悪徳の類だったら、すっかり向こうの手の内にいるということだ。
 とはいえ、今のところなんともない。
 そのことに、ひとまず安堵し、俺は溜息をついた。
 と、そんな感じで、俺は思考の整理を済ませてみれば、今度はダンボールの中身が気になってきた。
 ちなみに、封はされていないようで。初めから、うっすらと開いている。
 こんなずさんな管理を目にしながら、今朝の自分はそのことを気にもしなかったのだから、本当にぼんやり生きてるなと、俺は再び溜息を吐いた。
 とはいえ、半開き、ということは、なんの形跡も残さず、中身を確認することができることだ。
 気になった俺は、箱を開こうとして、ふと手を止める。
 そういえば、以前買ったマジックのパーティグッズのなかに、白い手袋があったなと、部屋の収納ボックスを漁ってみた。
 ダンボールの中身がどのようなものか知らないが、万が一汚してしまったりなんかしたら大変だ。
 用心するに越したことはないと、俺は白い手袋をはめ、再び半開きのダンボールへ目を向けた。

「とりあえず……」

 俺はダンボールの箱を慎重に開いてみる。
 すると中にあったのは――黒い箱だった。
 どこのマトリョーシカだろう、と思ったが、どうやら、材質は紙ではないようで、収納につかうような箱ではなく。
 ゲーム機のような、何かの――機械のようだった。
 そして、俺がぼんやりとそれを眺めていると、


『――ドウモ! ハジメマシテ!』

「うわっ!?」

 箱が――喋った。
 まるで少女の声のような、機械音だ。
 そのあまりの衝撃に俺は後ろにひっくり返る。
 わけがわからない。
 何が起きたというのだろうか。
 混乱し、それすらよくわかっていない思考のまま、俺は上体を起こし、再び黒い箱を観察してみる。
 すると、

『アノ。ホシカワ ランタさんに――コホン。星川ほしかわ 蘭太らんたさんに、一つ、お願いしたいことがあるのですが、聞いていただけませんか?』

「わっ! 急に口調が変わった! っていうか俺の名前――」

『あの。話、聞こえてます? 私、質問しているんですけど』

「あっ、すいません……」

 ――なんで怒られてんの!?

 と、俺が内心で落ち込んでいると、機械っぽさのなくなった少女の声が、空気やわらげるかのように、ふふ、と笑った。

「っていうか、ちょっと待ってくれよ。無視したのは悪かったけど。突然のことに、ついていけてないんだ。状況を説明してくれないか?」

 なんだか釈然としないが、まあ――許そうかなと、俺はそう思い、話を進める。

『わかりました。では、星川さんから、先に質問してください』

「あ、ありがとう」

 なんで俺が感謝しているんだろう。
 そう思いつつも、俺は話を続けた。

「とりあえず、このダンボールなんだけどさ。これって、なにかの間違えとかじゃなくて、俺んちに届いたってことでいいのかな?」

『はい。ちゃんと届いてよかったです』

 心なしか嬉しそうな声で答える声。
 そんな反応に、俺は少し戸惑いを覚えつつも、それを思考から振り払う。

「そ、そっか……。でー……」

 唐突に、疑問が浮かばなくなり、俺は少し思考する。
 そして、なんだかうまいことペースを持っていかれているような気がして、少し焦りを覚えながら、あることに思い至った。

「っていうかさ、いつまでもそこにいたら窮屈だろ」

 彼女の言うとおり、そのダンボールが本当に俺宛の物なのだとしたら、変に気を使ったりする必要もない。
 俺は黒い箱を取り出そうと、箱の側面に手を触れた――その時だった。
 彼女が『――きゃ』と小さな悲鳴を上げたような気がして、慌てて俺は、黒い箱をダンボールに戻した。

「――ごっ、ごめん! なんかやばかった!? いや、ずっとその中にいるのも、どうかと思ったんだけど……」

 ――あれ?

 どうして、そんな風に思うのだろう。
 彼女は機械、つまり――ロボットだ(と思う)。
 そんな彼女をいつのまにか人間のように扱っていた自分に、俺は疑問を覚えた。
 と、そんな風に考え、俺が呆然としていると、

『いっ、いいんです。今のは私が悪かったので……。その、変な声を出しちゃって……、すみません……』

「別に、謝ることないって。けど、どうしよっか……。触るのはあまりよくないみたいだし……」

『だから、大丈夫ですって』

「へ……?」

 急に少しだけ強くなった口調に、俺は思わず聞き返す。
 また何か、怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
 動揺する俺に、彼女は少し慌てた様子で口を開いた。

『あ、いや……。やはりここ、窮屈なので、早く出して欲しいかな……、なんて』

「…………」

 彼女は少し怒りっぽい性格なのかもしれない。
 そう思った瞬間、何故か少しだけ――、

『なっ! なんか私、面白いこといいました!?』

 つい笑ってしまった俺に、彼女は声をあげる。

「いや。なんだか、人間ぽいなと思って……」

 俺は言いながら、先ほど言われたとおりに、黒い箱をダンボールから取り出す。
 だが今度は、何かしらの反応が返ってくることはなかった。

『…………』

「ん?」

 唐突に黙り込んでしまった声に、俺は疑問を覚えたが、

『ああ、いえ……、なんでも、ないです……』

「……そう? まあ、そう言うんなら、いいんだけど。っていうかさ、もう一つ質問してもいい?」

 俺が言うと、声は『はい』と答える。

「君の名前を聞きたいんだけど……」

『ああ、そうでしたね。私の名前は……、えーと……』

「いま、えーとって言った?」

『言ってません』

「いや、でも――」

『私の名前は――エイトです!』

「エイト? ……それでいいの?」

『そうじゃなくって、アルト、です』

「聞き間違えの範疇越えてない!?」

『聞き間違え、ですか?』

 はて――と、アルトは会話を流してしまう。
 とはいえ、

「まあいいや」

 このままでは話が進まなくなってしまうので、聞き流すことにした。

「で、アルトの質問って、なんだっけ?」

『へ? 星川さんからは、もういいんですか?』

「うん。まあとりあえず、ね。あとのことは、アルトの話を聞いてからにするよ」

 恐らくパニックになった拍子に、ぽろぽろと疑問が抜け落ちてしまったようで。
 気になることが、なくなってしまっていた。
 こんな性格だから、こんなことになっているのだろうが。
 そんなことは、ともかく。

『わかりました。それでは私からは、質問というより、お願いなんですけど、ちょっとしたサンプリングに付き合っていただけないかと思いまして……』

「サンプリング?」

 俺の問いに、アルトは『はい』と答えると、

『試してもらいたいものがありまして……』

「なるほど。とりあえず、その内容を先に聞きたいんだけど」

『わかりました。では、この中に、顔をいれてください』

 ――あれ?

 アルトの話が、唐突に飛んだ。
 内容の説明どころか、実践に移ろうとしているような気がするのだが。
 とはいえ、それらの疑問を俺は口にしなかった。
 驚きに、そんな場合ではなくなったからだ。
 アルトの上半分が、炊飯器のように――ぱかっと、開いたのである。
 そしてその中には、青白い機械的な光の線が幾つも流れていて、一番気になったのが、中央にぽっかりとある空洞だった。
 スイカがすっぽりと入るような穴が開いているのだが、まるで底なしのように、光を吸い込んでいるようだ。
 そんなアルトの姿に、俺は呆気にとられつつ、先ほどの台詞を思い出す。

 ――ん? この中って。

「つまり、アルトの胴体に、俺は顔を突っ込めばいいってこと?」

『いやあ……、そんな風に言うと、なんだか卑猥ですね……』

「けど、この黒い箱って、アルトの胴体なんだよな?」

 ロボットのことなんてわからないが、そういうことなんじゃないだろうか。
 そんなふうに俺が考えていると、

『それは、そうなんですけどね……。っていうか、やっていただけるんですか?』

「ん? 断っていいの?」

 なんだか断れないような会話の流れだと思ったのだが、意外と、ちゃんと選択の余地があるようだ。
 と、思ったのだが、

『さあ、この中に、早く顔をいれてください!』

「もしかして、俺の声が聞こえてないんだろうか!?」

『いえ、ちゃんと聞こえてますよ』

「だったら――」

『さあ! 早く私の中に入ってきてください!』

 炊飯器のように蓋をパカパカさせながら、叫ぶアルト。
 声は可愛い女の子の声なのに、その様子は、なんだかシュールでコミカルだった。
 そんなアルトの姿に溜息を吐きつつも、俺は思わずくすりときてしまう。

『もしかして、私のことのことバカにしてません?』

「ち、ちがうって。別に、そんなんじゃなくてさ――うわっ」

 立ち上がろうとし俺は転んだ。
 フローリングの床にたいして、摩擦の少ない白手袋でをつけたまま手をついたのがいけなかった。
 そのままつるりと滑った俺はアルトの穴へ――顔面からダイブしてしまう。

『――んっ!? ちょっ、ちょっと! そこはびんかんなとこなんですから、あまり乱暴なことをしないでください!』

「いや、ごめん! けど違うんだ! 別に乱暴なことをするつもりはなくて――って、あれ?」

 ――頭が抜けない。

「あ、あのさ……、アルト?」

『はい?』

「頭が、抜けないんだけど……」

 俺は黒い箱の側面に手をあて、強めに顔を引いてみる。
 が、

『ちょっ、ちょっと! そこは駄目ですって! あまりへんな風に触らないでください!』

「あ……、ごめん」

 わりと強めに怒られ、俺は思わずしゅんとしてしまう。
 本当に、こいつが来てからというもの、こんなんばっかだ。
 そんな風に落ち込み、俺が溜息を吐いていると、

『大丈夫ですよ。私がしっかりサポートしますから。落ちついて、ひとつひとつやっていきましょう』

「アルト……」

 俺が言うと、アルトは穏やかに、ふふっと笑った。
 なんだかアルトのペースに流されている気がしないでもないが、まあいいか、と思ってしまう。
 そして、

『ではまず、箱の正面の中央に、でかいボタンがあったのを覚えっていますか?』

「あ、ああ。確か……、これか」

 俺は記憶を漁りながら、手探りで、箱の正面についている、ピンポンだまのようなサイズをしたダイヤルのようなものを触る。
 すると、アルトは明るい声で、『はい』と返した。

『そのつまみを右に回すと』

「このつまみを……」

 ……カチカチカチ。

 回った。

『…………』

「ん? ……アルト?」

 唐突に黙ってしまったアルトの様子に、俺は不安を覚える。
 ひょっとして、とんでもない間違えをしてしまったのだろうか。
 そんな風に思い、俺は先ほど回したつまみを元に戻そうとして、

「あれ? 戻らない……。ねえ、アルト? ちょっとこれ……」

 俺は怒られるのを覚悟しながら、アルトの返答を待つ。
 だがアルトは、ふふ、と笑うと、

『まあ、やってしまったものは仕方がありません』

「あ、うん……」

 意外にも、穏やかな声が返ってきたことに、俺は安堵する。
 が、その次の言葉がなかなか返ってこず、痺れを切らした俺はおずおずと口を開いた。

「それで――」

『で、では! ぼちぼち始めちゃいましょうか!』

「いや、だから――」

『10時間経ちましたら、自動的に固定はずれますので、それまでごゆっくりお楽しみください!』

「ちょっと、まってよ。話がどんどん先に……」

 ――おい。いま、なんて言った?

「なっ、ちょっと待ってよアルト! これからなにが――」

 始まるっていうんだ、と言いかけて、それは声にならなかった。
 唐突に――目の前の世界が変わったからだ。

 そして、真っ暗だったはずの視界に、ゆっくりと何かが映し出されていく。

 何が起きたというのだろいうか。
 先ほどまであったはずの重力が、すっかり変動しており、視覚も、体感も、正しく前を向いているようだった。
 そして、そんな視界には――、

「これは……巨人?」

 目の前に見えたのはどう見ても、人だったのだが。
 そのサイズがまるで――巨人のようだったのだ。
 その巨人は、何故か俺へ向けて、手を軽く振ると、

「はーい、こんばんわー」

 その様子に、俺はなんとなく、違和感を感じる。
 それは俺へと向けられているようでありながら、俺の――向こう側へと向けられているかのようでもあった。
 そして――、

「動画を見ている皆さん、聞こえますかー?」

 そう言いながら目の前の女性は――俺を持ち上げていた。軽々と、片手でだ。
 別に、強靭な肉体の持ち主といった感じではない。
 俺とのサイズの差を無視すれば、むしろ華奢な感じで、ちょっと茶色に染めた長めの髪をした、なんの変哲もない、一般的な可愛らしい女性だ。
 そしてその女性は、俺の視線を真っ直ぐ自分へと向けるようにして、その手は俺を固定していた。
 その様子に、俺は驚き、身をのけぞらせようとして――できなかった。
 まったく動けないのである。
 身体も――視界もだ。
 まるで――“カメラにでもなったかのようだ”。
 そんな心地で俺は、目の前にいる、綺麗な女性を見ていた。
 すると、

「で、今日の動画なんですけど……。今日はですね。ちょっと、オナラを撮ってみようかなって思っていまして……」

 ――……。

 目の前の光景に俺の思考は一度停止する。
 あまりにおかしなことを耳にした気がして、思考が追いついてこないのである。
 けど、

 ――まあいいか。

 俺はこんな性格だ。
 だから、変な宅配を何の警戒もなく受け取ってしまうし。
 変なロボットに出会った。
 そして、変な場所へと連れてかれたのだ。
 そんな風に自らを省みながら、一度落ちつきを取り戻した俺は、今の状況を少しずつ理解する。
 どうやら俺は――カメラになっているらしい。
 だというのなら、ここは気持ちを切り替えて、目の前の“動画”を、楽しむ気持ちで視聴してみようじゃないか。
 俺は我ながら楽観的に、そんなことを考えていた。
 そして、その動画の内容はというと、

「――あ、そろそろ……、でそうかも……」

 女性はそう言って、俺の視界いっぱいに、自分のパンツを映した。

 ――これは……。

 思わず心臓がどきりと反応し、俺は興奮を覚えた。
 しかし、それを通り越して、なんだかいけないことをしているような気がして、胸が少し痛くなってしまう。
 だが、目を閉じることもできず、俺はひたすら罪悪感を覚えながら、目の前の光景を見ているしかなかったのだった。
 と、そのとき、

 ~ ぷううぅぅっ!

 目の前の尻から、音が鳴った。
 それはどう聞いても、オナラの音だ。
 とはいえ、それを出そうとしていることは今の流れで把握していたので、驚きはしなかったが、

 ―― 臭!

 酸味のある、大根を連想させるようなその臭いに、俺は驚愕した。
 視覚も聴覚も嗅覚もリアルだったのに、なぜか他人事のように目の前の光景を見ていた俺だったが、今になって、とんでもない事実を思い知らされることとなり。
 目の前の女性がオナラをすれば――臭い。
 そんな当たり前のことに、ようやく気づいたのだ。
 本当に、ぼんやりしているなと、我ながら思うが。
 目の前の光景に現実味がないので、それもしょうがないんじゃないだろうかと、自問自答をした。
 と、そんな混乱の中。

 視界が――暗転する。

「なんだよこれ……。っていうか、まだ鼻がじんじんして……」

『――わっ!』

「ぎゃあああああああああああああっ!!」

 唐突に横からアルトの声がして、俺は驚いた。
 だが、姿は見えない。
 電気が消えた、というより、視覚の機能ごと停止しているような感じで、音だけが、まるでイヤホンから流れてくるように、耳元で聞こえてきたのだ。
 だから、

『――ふう~』

「ああああああああああああああああっ!!」

 聴覚を使っていたずらをされてしまったら、驚くしかないような状態なのだった。
 そこで、俺はこんな状況に放り込んだ張本人へ、視覚は使えないので、心中で、じとっとした視線をむける。
 すると、

『なんですか、その目は』

「……は?」

 意外なアルトの発言に、俺は呆然と声を漏らす。
 そして、そんな俺の反応に、アルトは『ふふ』と笑みをこぼした。

『ちなみに、私からは、ちゃんと見えていますよ』

「うわっ、まじかよ……」

 あまりに不公平感のある状況に、俺が表情を歪めていると、アルトは楽しそうにけらけらと笑った。
 そんな彼女の様子に思わずむっとしてしまう俺だったが、今はそんな場合ではない。
 俺は気を取り直すと、

「それよりも――」

『はーい! 休憩おしまいでーす。それでは次の場所へ……』

 パチン、と指を鳴らす音と共に、視界に何かが映し出されていき、アルトの唐突な行動に不満を覚えつつも――それどころではなくなってしまう。
 そして、今度の場所は――、

「――っていう感じのタイミングで、ぷう、って音が出ちゃってさぁ。ホント、人生終わったわあ、って感じだったんだけどね。よーく回りを見てみると――」

 と、なにかの体験談のような話をしていたのは、女子大生っぽい綺麗なショートカットの女性だった。だが、周囲に別の人影はなく、彼女は一人で話しているようだった。
 おそらくパソコンを使って――生放送的な、なにかをやっているのだろう。
 その辺の知識が薄いので大雑把にしか状況を把握できないが、なにやら彼女は今、体験談か何かを、インターネットを通して話してるようで、またしても、俺はオナラ関連の場に来てしまったらしく、

「うっそ、まじで? じゃあアンケートとってみて――」

 ふと、彼女の話を聞き流していた俺は、何かがおかしいことに気づく。
 俺のいる場所はその女性の口の前。
 まるで――マイクにでもなったかのうに、俺はその場所にいた。
 今度はひょっとして、カメラになっているわけではないのだろうか。
 俺がそんな風に考察をしていると、

「じゃあ、やってみるわ」

 そんなことを言いながら、その女性が俺の身体を持ち上げた。
 突然どうしたというのだろうか。
 なぜ持ち上げられたのか理解できずに要ると、突然、視界いっぱいに――パンツに包まれた尻が広がった。
 そして――、

「あ、いける……、かも……」

 ~ ぷう

 可愛らしい高音だった。
 それから少しして、暖かい空気がむわっと俺の顔を包んだ。

 ――臭い。

 音に似合わず、臭いは強烈な便臭のような臭いだった。
 そのあまりの臭いに、意識がふわっと宙に浮かぶようになる。
 本当に、その女性が出したのか、疑いたくなるような臭いだ。
 それから少しして、

 再び――視界が暗転する。

「…………」

 俺は息を殺して、気配を探る。
 恐らく近くにアルトがいると、二度目になるのこの状況について、理解したのだ。
 そうして、しばらく無言でいたあと、

「アルト?」

 痺れを切らした俺は、その名前を呼ぶ。
 だが、一向にアルトが声をかけてくるような気配がない。
 そうして、俺が息を飲んでいるあいだに、視界は明るくなってしまった――。

 ――いや、せめて出てこいよ。

 俺は心中でげんなりすると、ため息をついた。
 そして――今度の場面は、というと、

「止まらないわよ! ゴーゴー!」

 ~ ぶびりりぃぃっ!

 今度は――出だしから屁、といった感じのようで、やたらハイテンションな女性が目の前でオナラをしている。
 俺はそんな場面を、今度は第三者視点――恐らくカメラのように見ているらしい。
 もう少し詳しいことを言うと、その女性が――外国人風男性の顔にまたがってオナラをしているようで、俺はそれを呆然と見ていたのだった。
 ちなみに、先の二度の場面とは違い、今回は女性との距離があるので、俺の嗅覚に届く臭いの量はそれほどでもない。だが、その女性の下にいる男性のほうは、

「ノーモア、プリーズ!」

「……ふんっ!」

 ~ ぶううぅぅうぅっ!

 英語はよくわからないが、やめてくれと言っているような外国人風男性にたいして、女性は屁で答えているかのような、そんな感じだ。
 俺は漂っている臭いから、その男がかまされている屁の濃度を想像して、気の毒だと、彼にたいして思った。
 というか――やはり、今度もオナラ関連のもののようだ。
 と、俺は目の前の光景を見ながら、一連の流れから、意図的なものを感じていた。
 そして、映像なのかなんなのか、よくわからないが、俺はこれからしばらく、オナラ関連の場面を、恐らく――10時間ほど、目の当たりにし続けなければならないのかもしれない。と、そんなふうに、俺は今の状況を考察する。
 本当に、気の遠くなるほどの時間だ。
 とはいえ、俺はそのことを、それほど深刻には感じていなかった。
 別に、俺のメンタルが強いとか、そういう話ではない。
 この空間だと、なぜかお腹が空かなかったり、眠気の加減も、ここへ入ったときの状態がキープされているようなそんな感じで、トイレなども、同様の理由で大丈夫そうなのである。
 不思議な現象だが、体感しているのだから、すんなりと受け入れられた。
 つまり、この空間にいるだけで、様々な欲求を満たせるので、長時間も、それほど辛くないのだ。
 なので、

「私のプリップリップーを、嗅ぎなさい!」

 ~ ぶぼおおぉぉ!

「グアアァァ! ノーモア!」

 見せられているものが、オナラ関連ということだけが、俺にとってネックなことなのであった。
 それにしても、どういう身体をしているのか、女性が何発もオナラをするものだから、漂っているぶんだけでも流石に、

 ――臭え。

 そのあまりの臭いに、視点があの男性でなくて、本当に良かったと、俺は溜息を吐いた。
 と、そんな感じで、俺は今の状況を少しずつ理解していると――ぱっと、場面が切り替わった。
 まるで映像作品か何かの、シーンの移り変わりのように、俺の目の前に突然――パンツに包まれた大きな尻が現れたのだ。
 ちなみに、その尻は先ほどとは違う女性のもののようで、

「ほら、嗅ぎなさいよ!」

 ~ ぶううぅぅううぅぅ!

 ――っ!?

 臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い。
 臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い。
 臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い。

「――がっ、ぎゅっ!? 鼻がっ! お、終わり! 頼むよアルト! もう、終わりにしよう!」

『だーめ。終わらせない』

 ふふ、と笑うアルトの声。
 どうやら今俺は、あの真っ暗な空間に戻ってきているようだ。しかし、先ほど感じた卵臭さのせいで、アルトに返事をする余裕はなく。
 そんな俺へ、アルトは何かのものまねをするように、不自然なハイテンションで言った。

『こんなんじゃ、帰らせないわよ! ごーごー!』

 と、そんなアルトの声のあと――また視界に映るものが変わっていき、

「――それじゃあ、オナラがでそうになりましたら、撮っていきますね」

 可愛らしいミディアムヘアーの女の子が、俺に向かって笑顔で言った。
 どうやら、また俺は――カメラになっているようだ。
 そして、

「あっ、ちょっと……、出るかもしれません……」

 その女の子は、俺を尻の前までもって行き、俺の視界には、デニムのショートパンツの尻が広がった。
 俺がこの先の流れを想像して、嫌な予感を覚えていると、

 ~ ぷううぅぅううぅぅっ!

 目の前の尻から鳴ったその音に、やっぱりか、と俺は溜息をつく。
 ただ――今度は、そんなに臭くなかった。
 もしかして、薄めているのだろうか。あるいは空気を――。
 まあ、よくわからないが、恐らく単純に、その子のオナラがそれほど臭くないというだけなのだろう。
 と、俺は解釈し、

 ――こんなこともあるのか。

 と安堵した。
 俺だって、屁ひとつで目くじらを立てたりはしない。
 それほど臭くないというのなら、冷静に堪えるだけだった。
 そんな風に俺が思っていると、唐突に――視界が暗くなり、

『……面白くない』

「――っ! ア、アルト! びっくりするから、耳元で急にしゃべるなよ!」

『じゃあ、次行くね』

「次って――」

 と、驚いているうちに――俺はまた別の場所にいた。

 ――勝手だな……。

 とはいえ、なんだかんだ、この良くわからない状況に、俺は慣れつつあった。
 こんなおかしな状況で、平然としていられるのだから、慣れというのは、恐ろしいものだと、俺は肩をすくめ――いや、今はすくめる肩がないので、心中で苦笑いをする。
 そして――さて、と。
 俺は目の前に意識を向ける。
 今度は、金色の髪をした――海外の女性のようだ。
 彼女は色っぽい下着だけの格好で、俺へと尻を向け、

「――――」 

 なにやら喋っていた。
 俺には英語がわからない。
 なので、何を言っているのかさっぱりなのだ。
 ただ、その身振り手振りで、言わんとしていることは、なんとなく察することはできる。
 要は――、

 ~ BRAAAAAPPPPAPPPPPPTT!

 と、やはり彼女も――オナラをしようとしていたのである。
 今回も俺は、どうやら彼女の尻を映す――カメラのように、その場所にいて、その派手な音を間近で聞いていた。
 そして――、

 ――っ!?!?

 臭いも派手だった。
 音だけの見せかけではなく、卵に少し近い、肉っぽさのある腐ったような臭気が俺の嗅覚を襲ったのだ。

 ――これは……。

 思わず精神的に参ってしまいそうになるような、胃の中のものを吐いてしまいそうになるような臭いだ。
 ただ、不思議なもので、今は――嘔吐するための口の感覚がなく、食堂の感覚や胃の感覚もなく、俺は改めて、この状況の異常さを強く意識する。
 と、俺がそんなことを考えているあいだにも、目の前の金髪美女は、なにやら喋っており、腹に突然――ぐっと、力をいれると、

 ~ BRUUUUMMPPPPTTT!!

 強烈な臭いを。

 ~ PPPPRRRRMMMMPPPPFFFFTTTT!!

 連発し。

 ~ PPPPHHHHOOOORRRRTTTT!!

 さらに連発し、それが過ぎ去ったあと――。

「――んがああああっ! ぐっ……!!」

 臭いとか、考えていないぐらいに、俺の思考は、チーズのようにとろけてしまう。ダイナミックなそのオナラは、臭いの方もダイナミックだったのだ。
 そうして、俺が苦しんでいるあいだに、

『おかえりー』

 どうやら、俺はあの真っ暗な空間に戻ってきたようで、アルトの声が出迎えてくる。だが、今の俺にはそれに反応するだけの気力がなった。
 ちなみに、今度は耳元ではなく、ちゃんと――正面から、声が聞こえてきていた。
 設定的な何かを変えたんだろうか。それができるなら、初めからそうしてほしい。
 と、俺が溜息をついていると、

『なにさ。戻ってきて早々溜息だなんて』

「あ、いや……」

『はーい、言い訳はききません。では――次へ参ります』

「ちょっ……」

 ――待って!

 と、俺はまた、言いたいことを言えないまま、別の場面へと映されてしまい、

 ――やばい……。

 俺は心中で、焦りを覚える。先ほどのを引きずっていて、少しだけ、この状況が怖くなってきてしまっているのだ。
 というか、空腹や嘔吐の感覚がないのに、視覚や嗅覚、焦燥感などはしっかり感じているのは、どういう理屈なんだろうと思うが――それはさておき。
 次の場面はというと、

 …………。

 さらりとした髪の長い女性が、目の前でくつろいでいた。
 綺麗な女性だ。
 とても先ほどみたいな臭いオナラなど、するようには思えないような、ふんわりとした雰囲気を漂わせている。
 今回は――“あたり”だろうか。
 まあ、あたりもはずれもないが。
 嘘みたいに臭いとかではなければいいなと、俺は青ざめるような緊張感を感じながら、その女性を観察する。
 その女性は、雑誌をぱらぱらとめくり、なにかを読んでいた。そこから何かをするような気配はなく、今回はもしかして、特に何も起きないのだろうか、と俺が疑問に思っていた――そのときだった。
 その女性はおもむろに、俺の身体を掴んだ。
 そして、俺を自分の尻の前へと持っていくと、

 ~ ぶううぅぅううぅぅ……

 わりと長めの一発が、俺の顔を包んだ。
 ちなみに、その風はなかなか熱かった。
 そのことに俺はぞくりとしたものを感じつつも、呼吸するしかなく――、

 ――っ!?!?!?!?!?!?

 衝撃。
 脳がしびれるような勢いで、卵臭さが、鼻腔を通るような感覚があり、まるで頭頂部へと矢が通り抜けるかのような、ガツンとしたものが走ったのだった。

 ――臭い臭い臭い臭い臭い。

 そのあまりの臭いに、どうにか、この一発で終わりにしてくれないか、と俺はアルトにたいして祈りながら、暗闇の空間に戻るのを待った。
 しかし、

 ~ むぶううぅぅううぅぅっ!

 そして、俺はその出された屁にたいして、生理的に――呼吸をするしかなく。

 ――――

 思考が止まる。
 あまりの臭いに、脳内にある考えるためのスペースが、なくなってしまったのだ。
 ここまでくると、

 ――臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い。
   臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い。
   臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い臭い。

 思考はそれだけで埋め尽くされ、なにも考えられなくなってしまうようで。
 そこへさらに、

 ~ む――すううぅぅううぅぅ……

 ――――

 ~ も――ふううぅぅううぅぅ……

 ――――

 ~ す――かああぁぁああぁぁ……

 スカシの連発、という。
 恐ろしい時間を味わうことになってしまう。
 もし口があったなら、声があったなら、絶叫してしまっていたか――あるいは、声すら出せないほどに参ってしまっていたかどちらかだったと思うが、今は口も声もなく、俺はただ置物のように、それを受け止めるしかないのだった。
 そして――もう限界だ。
 そう思ったどころで――、

『――おかえりなさい』

「…………」

『星川さん?』

「ア、アルト……」

 俺は荒い息をつきながら、名前を呼ぶ。
 すると、アルトは『なんですか?』と、今度はちゃんと話を聞いてくれたので、俺はそのことに安堵しながら、口を開いた。

「頼む……。ギブアップさせてくれ……」

『へ? ギブアップ、ですか?』

「うん、頼むよ。っていうか、もう少し散ってくれたりしてたら、まだなんとかなったかもしれないけど。目と鼻の先であんなんかまされたら……、流石に、しぬって……」

 その時のことを思い出し、俺は寒気を覚えながら、必死に説明する。
 が、アルトの反応は軽く、それどころか、

『あはは、しぬって、おおげさですよ。たかがオナラですよ? オ・ナ・ラ。どうやって、しぬんですか?』

「そ、それは……」

 アルトの言葉に、俺は言い返せなくなる。
 確かに、そういわれてしまえば、納得するしかない、と思ってしまったからだ。
 そこで、俺は改めて言葉を選ぶと、

「確かに、しにはしないだろうけどさ。あんなのをずっと嗅いでたら、本当に気が狂っちゃうって」

『けどそれって、今嗅いだやつのことをいってるんですよね?』

「いや、その一個前の子だって、なかなか――」

『何を心配しているのか知りませんが、あんなのは、そうそう出ないですって。たまたま運が悪かったんですよ。だってそれまでも、結構嗅ぎましたが、平気そうだったじゃないですか』

「でもそれは……、――っていうか、なんで俺! こんな目にあってるのさ!」

 俺はそこでようやく話の論点が違うと、考えを思いなおしたのだった。当たり前のように現状を受け入れてしまっていたが
、そもそもそれがおかしいのである。
 俺がそのことについて言うと、

『蘭太さんが間違って、ダイヤルを回しちゃったからでしょうがぁっ!』

「あっ……、いや、でもそれは……」

 再び、俺は何も言えなくなってしまう。
 間違ってはいない、というのもあるが、怒られると思ってなかったので、少し驚いてしまい、その拍子に、考えていたことが、真っ白になったしまったのだ。
 俺が言葉に詰まっていると、アルトは『はっ』我に返った様子で、呟き、

『す、すみません! 言い過ぎました……。私の説明が足りなかったせいなのに……』

「い、いや、いいって。だからそんな落ち込まないでよ。っていうか、ごめん。俺も……、なんか悪かったかも……。とりあえずさ、もう少し詳しい説明を――」

『ありがとうございます! では――次に行きましょう!』

「え!? はっ!? ちょ――」

 ――待ってよおおおおおぉぉぉぉ!

 と、再び俺は次の場所へと、飛ばされてしまう――。
 そして、それからもそんな調子で、結局、計10時間、一連の流れと同じような体験を繰り返し、オナラを嗅がされ続けてしまったのだった。
 ちなみに、後半の記憶は朦朧としていて、覚えておらず、俺が気付いたのは――、

「――はっ!」

 目が覚めた。
 そんな感覚の中、俺は黒い箱から――すぽっと、頭を抜いた。
 それから俺は、自分に手があること、顔があり、口があることや、「あー、あー」と声が出ることなどを確認し、

「た、たすかった……」

 俺は安堵しながら、カーテンに遮られた、窓のほうへと視線を移す。
 そして、外が黒い箱に顔を入れたときと同様、暗いことをを確認し、俺は慌ててスマホの時計を見た。俺はあの空間に、十時間いたのだ。つまり外が暗いということは、

「――って、あれ?」

 日付は、黒い箱に顔を入れたときと、変わっていなかった。なんなら時間も、六時間ほどしか経っておらず、俺は首をひねり、その疑問について、しばらく考えてみる。
 すると、なんとなくであるが、思い当たる節が浮かんできた。
 俺は後半――あまり思い出したくないが、あの時は確か色々あり、気絶まで追い込まれた気がするのだが、その気絶ぶんだけを考えれば、そのときの精神的な苦痛から考えて、六時間くらい意識を失っていたと考えっても不思議でのではないかと思い。そして、空腹を感じなかったり、やトイレに行きたくならなかったりしたのは、時間が止まってたからなのではないかと、俺は仮定してみた。
 と、無理やりではあるが、俺そんなふうに、自分が納得できるよう、理屈を組み立てていくと、妙にかっちりと、思考の中ではまっていった気がした。
 それと同時に、もう一つ、思いついたのが、

「ひょっとして、アルトも別の場所から……」

 いや――それは考えすぎだと、俺は心中で、その発想を否定する。あの空間にいた俺の状況と、少しだけ似ていなくもない気もするが、アルトの場合喋れたり、まあ、色々と違うわけで。
 なんとなく違うと思った。
 とはいえ、俺の推測が間違っているとも限らないわけで、そんな疑問を、なぜか先ほどから大人しくしているアルトに、尋ねてみることにした。

「アルト」

 が、

「……アルト?」

 アルトからの反応は一切ない。
 というか、蓋はまだ開きっぱなしなのだが、青白い光の線が消えていて、なんだか魂が抜けたかのような、そんな状態になっているのだ。
 突然のできごとに、俺は驚き、正面側に幾つかある謎のスイッチに触れようとした――が、やはり、あの体験がトラウマになっていて、それはやめておくことにする。
 そこで俺は、恐る恐るといった手つきで、寝てる人を起こすように、ぽんぽんと、黒い箱の蓋のあたりにさわり、

「ア、アルト~……」

 名前を呼んでみるが、やはり反応がない。
 それからしばらく呼びかけてたが、反応がなかった。
 とはいえ、いつまでも、そんなことをしているわけにもいかないだろう。俺はある程度で踏ん切りをつけると――その日は諦めることにした。

 そして――あれから数日が経ち。

 アルトの存在がどうしても気になった俺は、何かしらのスイッチを押してみようと、覚悟を決めた。 
 が――適当なボタンを押してみても、反応が返ってくることはなく。
 全部のボタンを押して、一番のトラウマであるダイヤルまでいじってみた。
 しかしそれでも――なにも起きず。
 俺は少し寂しい気持ちに――、って。

 ――なんでだよ。

 俺は自身の気持ちに、戸惑いを覚える。
 思い返してみれば、最初は面白い出会いではあったけど、あとは酷い目に合わされっぱなしだったではないか。
 自分は決してそんなふうにされて喜ぶタイプの人間ではないし、だから、寂しいなんて思う要素は、なにもないはずなのだ。
 つまりこれは、

 ――なにかの気の迷いだろう。

 あの日驚きすぎて、その後遺症みたいな何かが、残っているだけなのだろう。
 そう俺は判断すると、黒い箱を置物として、適当にテーブルの上に置いた。
 別にそこがよく見えるからとかではなく、なんとなくだ。
 とりあえず、気分を変えようと、俺はコーヒーを入れにキッチンへ向かった。コーヒーはインスタントの安物のやつで、味にそこれほどこだわりはない。
 と、俺はその作業を一通り終わらせると、リビングに戻った、ところで――、

「――は?」

 あまりの驚きに俺の驚きの声をもらす。
 とんでもないことが起きた、というわけではなく、滑りやすい何かを踏んでしまっただけだった。とはいえ、今は片手にコーヒーを持っている。それを意識した瞬間、俺のとっさの思考は、手に持ったコーヒーを、こぼしたくない、だった。
 そこで、俺は部屋を汚すぐらいなら、と無理やりな姿勢で、どうにかカップを近くにあった適当な棚の上に置こうとし、それはどうにかうまくいった、のだが、

 ――おい……、あれって……。

 まるでスローモーションのに映る視界。
 その先に、開きっぱなしの黒い箱が見えた。
 奇跡的なのかは知らないが、このままいけば、俺の顔は、すっぽりと、開いた中央にある穴に納まってしまうような感じに、倒れてしまいそうだ。
 とはいえ電源のようなものは入っていないはずで。
 青白い光は――何故かついていたのだった。

 そして――そのまま倒れこんだ俺は、

 ……。
 ……。
 ……。


『――久しぶりですね、星川さん! お元気でしたか!?』

 そんな声を聞いて、俺は深々と溜息をついたのだった。 
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