金糸雀色の夕焼け

𝐄𝐢𝐜𝐡𝐢

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カナリア色の風

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 今日は、なんだかついていない。
 なにがついていないか、なんて、具体的にまとめられそうにないが、何をしても微妙にうまくいかず。
 空回りしている気がするのだ。

 そんな感じで、もやもやして、ずきんとくる心を洗い流すように、俺は学校の屋上に寝転び、夕焼けの空を見ていた。
 しかし、そんなことをしていても、晴れるのはある程度といったどころで。
 ほんの少しだけ、心が晴れたかと思えば、引いた波がかえってくるかのように、またずきんと痛みだすのだ。

 本当に、どうしたらいいんだろう。
 俺は何をしたいのだろう。
 なにもわからない。
 わからなくて、ただつらかった。

 そんな、憂鬱な空気の中。
 俺はできるだけ深い呼吸を繰り返す。

 吸って。吐いて。吸って。吐いて。

 それでもなお、重たい空気は肺に残り続け、

「ああ! くそっ……!」

 俺は声を上げ、地面を殴りつけた。
 すると、「ひっ」と、どこからか声が聞こえ。
 俺はあわてて状態を起こした。

 すると屋上の入り口のほう。
 こちら側から見ると、少し陰になっているところから、ショートヘアーの活発そうな女子がおずおずと姿を見せた。

「ご、ごめん……。そんなに、臭かった……?」

「へ? いや……、ん? 臭いって……、――ふぐっ!?」

 思わず声を上げる俺。
 唐突に、強烈な臭気が風に乗ってきたのだ。
 それはまるで、卵が腐ったかのような、そんな感じの悪臭で。
 なんとなく、あるものと結びつくような臭いだった。
 俺はそんな臭いを、思考の外へと追い出すようにして、目の前の人物に目を向けると、

「せ、先輩……?」

 俺は女の子の制服のリボンを見て。
 彼女が俺のひとつ上、3年生の生徒だということに気づく。
 その先輩は、あはは、と。苦笑いを浮かべると、

「いやぁ……、ごめんね……。そこまで臭うだなんて、思ってもみなかったから……」

 先輩は頭をかき、申し訳なさそうに言う。
 そして、どうやら、彼女は何かを誤解しているようだ。

「ちょっと、待ってください。俺は別に先輩に対して、どうとか思ってたわけじゃなくって……、さっきの憤りは、全然……、別件で……」

 と、俺がうまく説明できずにいると。
 「あ、そうなんだ」と先輩は案外たやすく理解してくれてた。
 それから、彼女は安堵するように息をはくと、

「なーんだ、勘違いだったかー。てっきり、私のおならが臭すぎて、怒らせちゃったかと思ったよー」

 あはは、と。愉快そうに笑う先輩。
 まあ、驚くほど臭かったのは確かだが、揚げ足をとらなくてもいいかと、俺はそれを胸にしまった。
 というか、いいのだろうか。
 放屁したことを、自分から白状してしまっているが。

 そんな風に思い、俺がぽかんとしていると、「そうだ」と。
 先輩はなにやら思いついた様子でつぶやく。

「そうだそうだ……。とりあえず……、自己紹介、しよっか?」

「へ?」

「へ? じゃなくて、自己紹介。とりあえず、私は、浅井あさい ゆめ……。君は?」

「……」

 本当に、次から次へとなんなんだろう。
 俺は、呆然としながら、口を開いた。

「俺は、網谷あみや 翔一しょういちって、いいます……」

「おお、翔一君ね。りょうかい。っていうか、話を戻すけどさ。なんか、あったの?」

「へ?」

 夢先輩の言葉に、俺は気の抜けた声を返す。
 話を戻すって、どこに戻ったんだろう。
 と、そんな風に俺が思っていると、

「だから、何かあったの? って」

「いや、別に聞き取れなかったわけじゃなくて。その……」

「あ。やっぱ、いいづらいことだったりする? ごめん、気がきかなくて……。だったら――」

「ちょっと」

 俺は夢先輩の声をさえぎるように言う。
 こうでもしないと、話のテンポについていけそうになかったからだ。
 そして、ようやくできた沈黙の中、俺は口を開き、

「なんだか。先輩って、面白い人ですね」

「面、白い?」

 俺の発言に、夢先輩は首をかしげる。
 そんな彼女に俺はうなずくと。

「俺とは、全然違うって言うか。前向きっぽいというか……。だから、面白いです」

 俺がそういうと、夢先輩は少しだけ沈黙し、「そっか……」と小さくつぶやいた。

「ならよかった。まあ、とにかく。私はこんな性格だからさ。うるさい、って思うこともあるかもしれないんだけど、仲良くしてくれると嬉しいよ」

「こちらこそ。先輩とは逆で、暗い、って思われるかもですが……。それでもよかったら……」

 俺がそう返すと、夢先輩は「うーん……」と、腕を組む。
 ひょっとして、何かよくないことをいってしまったのだろうかと、俺があせっていると、

「おとなしい、なら、まだしも。暗い、かぁ……」

 そう言って、夢先輩はさらに考え込むと。
 「あ、そうだ」と、何かをひらめく。
 そして、

「じゃあさ、こんなのはどう? 今度、また落ち込んでたら、私のくさーい、毒ガスの刑ってことで。それなら、どっちに転んでもいいんじゃない?」

「は? っていうか、どっちにころんでも、とは……」

 唐突な提案に、俺は思わず呆れてしまう。
 すると、夢先輩は少しむっとした様子で、

「こら、先輩に向かって、は? はないでしょ」

「あ……、すみません。けど、驚きすきて、思わずもれてしまったといいますか……」

「いいわけはしない。そんな悪い子には……」

 夢先輩はそういうと。
 おもむろに、自分の手をお尻のほうへ持っていく。
 その動作に、俺はある推測が思い浮かぶが、そんな脳の処理よりも早く、

 ぷううぅぅううううぅぅううううぅぅ~~……

 と、高音を尻から鳴らし。
 夢先輩は、“それ”を握る。
 そして、反射的に逃げようとする俺の動きをうわまわるようにして。
 夢先輩は握った手を、俺の鼻にかぶせてきた。
 すると――、

「――ぎゃひっぃぃ……!?!?」

 俺の口から奇声が漏れる。
 思わず、そんな声をあげてしまうほどの衝撃が、鼻からきたのだ。
 それは、どろっとした卵のような臭気で。
 脳を包み、ぐにゃりと揺らしていくかのような、強烈な臭いだった。
 さらに、夢先輩はなかなか手をどけてくれず、俺の背後へ回ると、

「私にさからうと、こうなるのだよ」

 ふっふっふー、と。芝居がかった声で言う。
 彼女はそれを、俺の耳の近くで言うもんだから、少しくすぐったくて、

「あ、こら。にげるなー」

 そう言って、身をよじって距離をとろうとする俺を、夢先輩は強引に自分のほうへ引っ張りこむと、

「っていうか、キミ。もしかして、嗅ぎたくて、抵抗してる?」

「ち、ちがう! そんなわけっ……!」

「ふーん……。っていうか、また、ため口になってる……。こう見えて、一応先輩なんだよ。出会ったばかりでその態度は、ちょっと、思うところがあるかなー」

「す、すみません! 違うんです! なんか、先輩! 良いにおいがするから! その、つい! ――っと……、ん?」

 唐突に、拘束がとかれ、戸惑う俺。
 どうしたんだろう、と俺が距離をとって先輩に振り向くと、

「良い匂いって……、私の、おならが……?」

「ちがーーーーう! なんでそんな解釈になるんだよ!」

「だって、いま……」

「いや、いやいやいや! 今の話をどう聞いたらそんな――」

「ため口」

「……へ?」

 夢先輩の声に、俺の勢いは鎮火させられる。
 ほんの少し、むっとしたような声が、なんだか聞き逃せなくて、俺は大人しくさせられてしまった。
 すると、夢先輩は再び、俺との距離をつめ――ぎゅっと。
 俺の体を捕まえると、

「これは、しっかり上下関係を教え込まないといけないようだねぇー……」

「ち、違うんです。さっきのは突っ込みといいますか、思わず――」

「いいわけしない」

 夢先輩はそう言うと、俺の視界の外で、なにやらごそごそ手を動かし。
 おそらく、尻に手を当てた状態で、

 すううぅぅぅぅううううぅぅ――すううぅぅ~~……

 と、すかし、

「おっと、良い感じのがでてしまった……。さて、キミは、この臭いにたえられるかな? というか――」

「むぐううううぅぅっ!?!?」

「良い匂い、なんだっけ? あれ……、それじゃあ、もしかして、ごほうびに、なっちゃうのかな……?」

 夢先輩はそう言いながら、想像通り、俺に握りっ屁を嗅がせ。
 それを受けた俺は、その臭いのあまりの衝撃に、自分の目から、うっすらと涙が出てくるのを感じた。
 すると、そんな俺の様子を見て、夢先輩は首を疑問を覚えたように「ん?」とつぶやくと、

「どっちなのさ。はっきりしてよ……。まあいっか……」

 「とにかく」と、夢先輩は続けると、

「私は先輩、キミは後輩なんだから……。わかった?」

 その言葉に、なんだか壁があるきがして、俺は思わず息が詰まりようになる。
 と、そこで。夢先輩がようやく俺を解放し。
 俺はふらつきながら「わかり、ました」と答えると、

「また臭いを嗅がされたら、かなわないですしね。きちんと守ります」

「いやー、どうだろうねー……。キミなら、私のニオイを嗅ぎたくて、やぶるんじゃないかな?」

「ちょ、それは誤解ですから。本当に勘弁してください……」

 夢先輩のおかしな発言に、俺は、やれやれ、と肩をすくめると、

「っていうか、夢先輩のおなかの中ってどうなってるんですか。臭いも量も、兵器級っていうか。本当に、毒ガスっていうか。嗅ぎ続けてたら、俺なんか、ころーっと逝っちゃいそうで、って……、あれ……?」

 と、俺はそこで口をつぐむ。
 なにやら、夢先輩が不機嫌そうにしている気がしたからだ。
 その様子に、今度は何だと、身構えていると、

「ふーん……。兵器級ねぇ……。それに、毒ガスかぁ……」

 へぇ……。と、冷たい声音で、夢先輩は言い、

「それって、女の子に言っていい台詞だと、思ってる?」

「い、いや……、今のは、かるーいジョークといいますか……」

 俺は、夢先輩の雰囲気に押されるように、弱気になり、

「す、すみません! ごまかしました!」

「……なにを?」

「その……、良い匂いって、思っているのばれたくなくて。俺――嘘をつきました」

 と、言うのが。まさに嘘で。
 言い返しが思いつかなかった俺は、とっさにそういった。
 すると、夢先輩は「うわー」と、引いたように言い、

「やっぱりそうなんじゃん……。ほんと、困った後輩だよ……」

 そう言いつつも、先ほどの雰囲気よりは、まだましで。
 しかし、だんだん酷くなっていくような印象に、俺がため息をついていると、

 ぷううぅぅううううぅぅ~~……

「……へ?」

 夢先輩のほうから聞こえてきた放屁音に、俺が呆然としていると、

「ほんと、こまった後輩だ――」

「むぶううぅぅっ!?!?」

 再び、いつの間にか握られていた屁を嗅がされ、驚愕する俺。
 その臭いは、先ほどのすかしよりかはだいぶ落ちるが、しかしかなりキツく。
 あまりにひどい卵系の臭気に、俺が目を白黒とさせていると、

「けど。元気が出たみたいで、よかったよ」

 夢先輩はそう言って、愉快そうに、小さく笑った。
 その様子に、俺は一瞬だけ、臭いの苦しみさえ忘れて、少しだけ、ぼーっとする。
 しかし、臭いの感覚がすぐにもどってきて。
 俺の思考は再び、苦しみの中に沈んだ。

 だが、確かに。
 夢先輩の言うとおりだった。
 つらかったことなど。
 もやもやとしていたことなど。
 すっかりなかったように、消えてしまっていた。

 どうやら、なんだかんだで、助けられてしまったらしい。
 そのことに、俺はやれやれといった感情をいだいていると、

「うわー、笑ってる……。やっぱり、おならを嗅がされて、喜んでるんだね。本当に、こまった、人だ……」

 夢先輩はそう言って、俺の鼻から手を離すと、

 す――しゅううううぅぅううぅぅ~~……

 と、再び屁を手の中にこめ。
 その手の中に、俺の鼻を優しく。
 閉じ込めたのだった――。
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