青と虚と憂い事

鳴沢 梓

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一章 遥か彼方

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意気揚々と僕の曲を口ずさみながら歩いていく彼女に踵を返し、帰路に着いた。
玄関のドアを開けて中に入るとグチャグチャなままの僕の部屋がある。
彼女がまだ生きていたらまた怒られてしまいそうだ。しかし整理する気も起きないので、無造作に置かれた本と一緒に積まれているCDを取り出す。
ふと思い出し、ついさっき碧ちゃんから受け取った文庫本を取り出して目に付いた所に置いた。
CDは埃で薄汚れていてこれまた汚らしい。
我ながら本当にだらしないなと思いながらも埃を拭き取り、CDプレイヤーにディスクを吸い込ませる。
拙い僕のギターソロから始まり、綺麗で儚げな彼女_叶多の歌声が聞こえてきた。
この曲は「追憶」、だった気がする。
いや「記憶」だったか?なんでもいい。きっと記憶が関係する歌だ。

"~~見つけて欲しい 今は亡き過去の私
                     仄暗い海の底で待っているんだ"

確か人魚をモチーフにした曲だったと思う。
ここのフレーズがまた、涙を誘うような切ない歌詞なんだよな…と懐かしさに浸りながら、やらなくてはならない事を思い出した。

彼女、碧ちゃん改め碧の為にやることは決まっている。
叶多の残した願いの為だ。生前、趣味の延長線上のような事しかしてあげられなかった。
それでも、叶多とバンドをやっていた時は人生で一番楽しかった。あのひと時をまた体験できるなら。彼女の願いを叶えられるならなんだってしたい。
僕の心は既に決まっていた。

ポケットからスマホを取り出す。
慣れた手つきで、ある番号に電話をかける。
プルルルル…と無機質な機械音が鳴った。
3コールほどで、その音が途切れる。
それと同時に「はい」と男の声が聞こえた。

「久しぶりだな、悠だ」

相手の男はしばし無言だったが、落ち着いた声で答えた。

「もう大丈夫なのか?」
「ああ、だいぶ落ち着いたよ。それで頼みがあって」

「大丈夫なのか?」は、叶多の訃報を知ってのことだろう。僕の事を心配してくれているらしい。

「俺に?何の用?」
「また一緒にバンドやらないか」
「…随分急だな」

相手の男、音無隼人おとなしはやとは少し動揺しているようだ。

神楽かぐらにはまだ伝えてないんだが、前のメンバーでやりたいと思ってる。新しいボーカルの女の子が加わる事になった」
「は?」

それを聞いて隼人は呆れたように返す。

「新しいボーカルって…叶多さん、いなくなったばっかりじゃないか」
「叶多と仲が良かった友達だ。詳しい事は会った時に話す。一先ず3人で話がしたい」

「いやいや、あんた馬鹿でしょ
俺はやらねえよ。新しい女見つけて鞍替えってか?ふざけんなよ
そもそもあんな終わり方、俺は絶対に納得できなかった。勝手に消えて無かった事にしたのあんたじゃないか」

隼人は途端に早口になる。僕の言ったことに腹を立てたように。

「……あれは、申し訳なかったと思ってる。本当にすまない。
でもどうしてもやりたいんだ。やらなくちゃいけないんだ。隼人、どうか頼むよ」

電話の向こう側で、ため息がはっきりと聞こえた。

「………すみません…………傷心中に。
でも俺は無理です。あんたとは」

最後の言葉を言い終わる前にブツっと通話の切れる音がした。
どうやら失敗みたいだ。

「……むずかしい、かあ」

思わず独り言が漏れる。


しかしメンバーはもう1人いる。そのメンバーにまた、電話をかけた。

「もしもし?」

今度は1コールで、いやに陽気な声が聞こえてきた。

「悠だ、久しぶり」
「待ってーー!悠?超久しぶりじゃーん!どったのー?てかもう大丈夫なのー?」

相手の男、神楽かぐらはいつもこんな調子だった。
今も変わらないなと思うと、少し安心したような気になった。

「大丈夫だよ、そんで頼みがあって」
「なになに?」
「またバンドやらないか」
「え!?やるやるやるやる!」

これまでに類を見ない即答だった。
神楽はキャッキャッと、まるで小さい子供のように詳細を聞いてくる。

「俺と悠だけ?音無は?」
「さっき電話をかけたけど、すごい怒ってた
断られちゃったよ」
「まーたあの頑固くんは…てかあれ?ボーカルどうすんの?」
「叶多と仲が良かった友達からやりたいって頼まれて。死ぬ前にそれを後押ししてたらしい。
詳しくは会って話しがしたい」
「へえ~そうなんだ、そんな事あるもんなんだねえ~。
俺はいつでもいいよ!
じゃあ音無の説得頑張ってねー!」

神楽はそう言って電話を切った。
こいつはなんの問題も無さそうだ。最初にバンドを誘った時も同様だった。

問題は音無の説得。
音無はドラムを担当してくれていて当然不可欠な存在だ。代わりを探す事などできない。

音無は叶多に特別な思いがある。
それが恋なのか憧れなのかはわからない。前者だとしたら彼氏の立場としては少々許せないが。
だがそんな薄っぺらい物ではなく、固執していると言っても過言ではない強い思いだ。
僕よりも叶多のいたバンドのことが好きなんじゃないかと思えるくらい、あの空間が大切なものだったのだろう。

どうしたもんか…と少し眠気がチラつく頭を働かせる。
とりあえずまた後日にかけ直してみる事にした。
一筋縄では行かなそうだ。
電話をかけている間に止まっていたCDプレイヤーのボタンを押してディスクを取り出す。
部屋の電気を消してベッドの周りの物を別の場所へと追いやる。
今度は忘れる事の無いよう、目立つ位置にCDを置いた。
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