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第一章~王女の秘密~
6(加筆)
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マンナにしては珍しく慌てた様子で駆けて来た。私とネイノーシュの間に立ち、《申し訳ございません》と言う。
私には《大丈夫ですか?》と言っている様に聞こえた。
「ネイノーシュ様、ここは姫様のお庭で、姫様の許可なく立ち入りを許されておりません。いくらご婚約者様と言えども、無作法が過ぎるのではありませんか?」
「入り口で、私なら問題ないと言われ、そのような場所とは存ぜず入ってまいりました。大変申し訳ございません」
そうなのだ。彼を通したのは門番であり、彼は誹りを受ける言われはない。それに私に近しい者達が素通りであるのだから、私の恋人で婚約者の彼が通れるのは当然の様に思えた。
この場合無作法なのは、突然間に入り込み言いがかりをつけるマンナの方だ。ネイノーシュもそれを言いたいに違いない。
本当なら私がマンナを諫める所だろうけれど、私はただ彼女の背中に隠れ、息を吐いた。
1,2,3……
目を閉じて心の中で数を数える。そうすれば、心乱れた時落ち着くと教えてくたのは、ジージールだったろうか。
何にせよ、マンナのおかげで、突然現れた彼に乱された心を、落ち着かせる時間ができた。
4,5……
これから彼、アートは付き人としてネイノーシュと一緒に城に滞在するのだとすれば、私はいつでも彼に会えるが、同時に彼の目に晒されることになる。
ネイノーシュの恋人として傍にいる私を。夫婦として寄り添っているふりをする私を。それから、きっとネイノーシュに憎悪をぶつけてしまう私を、彼は見てしまうだろう。
こんな場所まで付いてくるのだから、彼らの兄弟仲は決して悪くないはずだ。
ともすれば、私に向ける笑顔が消える所じゃない。きっと今度はアートが私を、悪意や軽蔑と言った感情を持って見る様になるに違いない。
それは…………嫌、だな。
でも、ネノスに憎しみをぶつけないってのも、絶対無理。
本当なら、私が仲の良い兄弟として、彼と一緒にいられたはずなのに。それがどうして、憎い男と結婚する羽目になり、愛した男にそれをずっと見られるなんて。まるで拷問みたい。
でも。良く考えれば、逆であるよりずっとマシね。
それにすべてが解決したら、私なんてお役御免なのだから、本当の家へ帰れるかもしれない。ちょっと前までは、知らない人たちばかりの家に帰るのはどうなのかしらって思っていたけれど、彼がいるなら話は別。
私たちは兄弟だもの。ずっと一緒にいられるのではなくて?
そうよ!それだわ。
それでは、気合を入れて罠を考えなくて行けない。私を殺したいなら、人の出入りが激しくなる今はチャンスだから。絶対に動くはず。
黒幕を捕まえれば、私はもう王女じゃなくなる。
そうして終われば、アート一緒に遊べるし、屋台のお菓子を奢る約束も果たせる。
もう一度、鐘の塔に上って、あの景色を一緒に見て、それから今度こそ例の山に連れて行ってもらって、野菜を取りに行く。だって……わた、し……アートと…………同じ……?
嫌な予感がして、私の思考はそこで途切れた。
「え……」
本能がそれ以上考える事を拒否しているのは、思い出してしまったとある事実が、私にとってこの上なく不都合だからだ。
心臓がバクバクして、上手く息が吸えない。自分の息を吸おうとする音が煩くて、私は思わず怒鳴りそうになった。
「…………かれましては、少しでも早いご回復を……」
不意にネイノーシュの言葉が耳に届き、私はハッとして口を閉じた。
どんな会話をしていたのか想像がつく台詞。私が具合が悪くて休んでいたとか言ったのだろう。私はネノスの台詞の途中で、マンナに声を掛けた。
「私は大丈夫ですから、下がりなさい、マンナ」
「姫様、ですが……」
「下がりなさいと言ったの。聞こえなかったかしら?」
私の強い物言いに、マンナは驚きつつも、一礼すると黙って私の後ろに控えた。
意地でもこの場には残るつもりらしい。でもそれで良かった。マンナがいなかったら、今の私は、私自身の暴走を止められなかったと思う。
私の為に汚れ役をやらせてしまったのだから、しっかりと私も主人の務めを果たそう。
「マンナの無作法は、私を思うがあまりの暴走ですの。私が代わりに謝りますわ」
私は胸に手を当て、軽く頭を傾ける。これに慌てたのはネイノーシュだった。
「滅相もございません。私なら大丈夫だと言った兵士の言葉の意味を、もっとよく考えるべきでした。そうすれば、先にお伺いできたのに、怠ってしまいました。落ち度は私にございます」
「あら」
私はクスリと笑ってみせた。
「いつも通りもっと砕けた態度でいてくれないと、恋人にそんなに畏まれては、私寂しいですわ。そう、木の上から私を助けて下さった時の様に……ね?」
ネノスが目をぱちくりとさせ瞬いた。変わった自身の姿と、先程の私の様子から気付いていないと思っていたのかもしれない。
実際、気が付いたのはついさっきなので間違ってはいない。
「あ、の時は……状況が特殊だったと言いますか……それは、その……ご勘弁ください」
「そう、なら仕方ないわね。マンナ、あのソファーを片づけて、椅子とテーブルを用意してちょうだい。私もっと彼とお話ししたいの」
本当は顔をも見たくない……と言いたいところだけれど、先程より、少しだけ、ほんの僅かだけだが、彼と一緒にいたいと思ってしまっている。
それが前向きな感情からきた言葉ではないけれど、真実を知るのは恐ろしいのだけれど、どうしても確かめたい。
「姫様、ご無礼を承知の上で申し上げますが、今日はもうおやすみになられた方がよろしいかと存じます」
人前だからマンナの態度がかしこまっている気がする。こうなると、私って本当に偉そう。
でも、まあ、どうでも良い事よね。これでも一応姫ですから。偉いのは間違いないし。どういう風に見られても関係ないのだし。
それよりも大事な事があるのだから。
「いいえ、休みません。準備を」
私は先ほどよりもっと口調を強めて言った。私が引き下がるつもりがないと分かったのだろう。マンナは礼を取る。
「かしこまりました」
そう言ったマンナは、いつもの彼女だった。
「ねえ、ネノス?あなた、私を木の上から抱き留めた時、私の正体知ってましたの?」
準備をしている様子を眺めながら、唐突に私はネイノーシュに尋ねた。
ネイノーシュが一瞬言葉に詰まり、周囲を確認してから
「いいえ」
と答える。
「気付……覚えていらしたのですね。初めて会った日の事。忘れらえているのかと思いました」
後ろからハッと息を飲む音が聞こえてきた。
ネイノーシュにも聞こえたはずだが、澄まし顔のまま私を見ている。もちろん私も聞こえなかった振りをして、ネイノーシュに微笑みかけた。
「あの時の貴方のたくましい腕の中を忘れろなんてほうが無理ですことよ?あれはどんなご婦人でも虜になってしまいますわ」
「……貴方もですか?」
「まあ、恋人に対して、それは愚問ではなくて?」
「失礼致しました。木の上から飛び降りたアイナ様はまるで天使のようで、あの時から私は、貴方の虜になったのでございます」
「ほ……」
本気で言っているのか。言いかけて、それこそ愚問であると気がついた。
ここにいる以上、彼は恋人が演技であることを了承しているはずだ。
そうでなければ、こんな事を言うはずがない。あの時の彼からは、今の歯の浮いたセリフを言うような印象を受けなかった。彼はどちらかと言うと、アートに抱いた印象と似通っている。
そういえばあの時、初めに私を見つけたのはアートだった。口を開いたままポカンとして、私を見上げる彼を思い出し、あの時の羞恥心が蘇り、私は持っている扇子で軽く顔を仰ぐ。
「そ、そういえば、あの時もご兄弟と一緒でしたわね」
いくら演技のためでも、これ以上の賛辞は、虫酸が走るというものだ。これ以上はいらない。私は本来の目的を思い出し、彼の兄弟の話題を振った。
「はい、皆私の弟たちです」
ネノスが優しく微笑む。それだけで彼が兄弟思いの人間であるとわかるが、私は堪らなく嫌な気持ちになった。
そこに私がいるはずなのに、と思い浮かべた情景に、私はふと違和感を覚えた。だが、その正体が何だったのか、気が付く前に会話が進んでいく。
「三人兄弟ですのね。兄弟がおりますといつも楽しいのでしょうね。あの時も微笑ましく思っておりました」
「あの時は弟共々ご無礼を働きまして、申し訳ございません。それに本当は六人兄弟なのです」
「まあ、六人も弟が!?」
「ふふっ……六人ではなく、五人ですよ。私を抜き忘れております。それに末は妹です」
「あら?そうですわね。私ったら、ついうっかり。久しぶりにあなたに会えて、浮かれすぎてるのですわね」
私は表面は無邪気な笑みを浮かべながら、頭では全く別の事を考えてた。
確か妹は9歳だったはず。《末が》というのなら、他は男だけのはず。
私と王子が16歳で、六人兄弟であるなら年子か二つ違いになる。どちらかと言えば可能の範囲だけれど、王子を預かる身でそんな事するかしら。
私なら王子を預かる以上リスクを増やしたくないと考えるので、子供を作るにしても、王子がある程度大きくなってから。
でも、これはあくまでも私の想像だ。
私が世間とずれている自覚はある。王子という存在が、私が思うより軽いという場合も考えられるから……
「アイナ様?どうかなさいましたか?」
澄んだ空色の瞳が私を覗き込み、名前を呼んだ。黙った私を訝しんでいるのか、ネイノーシュが眉をしかめた。
「あぁ……」
途端、ずれていたものがピタリとはまり、私は矛盾に気が付いた。
王子なら私と同い年のはずだし、ネノスはどう見たって立派に成長した青年だ。それに、彼の目はお父様とちっとも似ていないし、お母様の物とも違う。
私のネノスに対する第一印象は《とても親しみを覚える顔立ち》だった。彼の顔は毎日必ず見る、見知った顔によく似ているのだ。
ああ、そういう事………………このネイノーシュが私の兄弟なのね。
私はゾクリとした。
気付いてしまった瞬間、いつくもの可能性が見え、恐ろしい気持ちになったからかもしれない。泣きはしなかったが、この時私は、本当は泣きたかったのだと思う。
「いえ……ちょっと、立ち眩みをしただけですわ。心配いりません」
彼らに気付かれてはいけない。私は咄嗟にそう思った。
だってそうでしょう。グレンウィル家は偽物を寄こしたのだ。目的が何かは知らないけれど、王家に対する謀反の可能性だってあるのだ。
「そう……でございますか?」
納得していない様子のネイノーシュの後ろで、静かに控えるアートが、不躾なくらい私を見ていた。
彼の視線が熱くて痛い。
心臓が嫌な音を立て、嫌に苦しく感じるのは、決して気のせいではないはずだ。
視界から外そうとすればするほど、彼が気になってしかなかったし、意識したくないと理性で拒否しても、心がどうしようもなく喜んだ。
だからこそ、私は、彼をまっすぐ見てはいけない気がした。
「何ともないご様子ではございませんね。やはり部屋でお休みになられた方が……」
私は首を横に振った。
「なら、少しお待ちください。せめて椅子をお持ちしましょう」
そう言ってネイノーシュが離れた後だった。
ネイノーシュがマンナに声を掛け、マンナがこっちらを振り返る。
私は、剣呑な表情のネノスと慌てた様子で指示を飛ばすマンナに対し、大げさなと溜息を吐いた。しかし次の瞬間、浅はかだったのは自分の方だと思い知らされる。
頭が激しく痛み、立っていられなくなった。手に持っていた扇子を落とし、頭を抱え蹲る私に、傍で見ていた彼が咄嗟に……だろう
「どうした!?」
と気持ち小声で言いながら、手を差し出した。
アートのとりすました仮面が剥がれ落ち、懐かしい顔が覗く。
私が焦れた彼だ。
「アイナ?どうした!?頭が痛むのか?やはり横になっ……」
彼にアイナと名前で呼ばれ、全身の血が沸騰したかのようだった。涙が滲み、無意識に息を止める。
私は一度は差し出されたアートの手に縋り、彼に身を預けた。彼の逞しい腕が背中から私を支え、厚い胸板に抱かれる。
彼が触れる場所が嫌に熱い。
私と彼の距離は息遣いを感じる程近く、このまま彼を求めても良いとさえ思い、それと同時に、時計塔に登ったの記憶が刺激された。あの時は、恥ずかしくて嬉しくて、ひたすらドキドキしていた。
でも、あの日の記憶が一気に駆け巡り、それだけで虫唾が走り、私は我慢ができなくなった。
「私に触らないで!」
強い言葉でアートを拒否し、手を振り払い、突き飛ばした。彼がショックを受けたが顔で私を見ている。
どうしたら良かったなんて、私が知りたかった。
生理的に無理というのはどうしたって無理で、手を払い突き飛ばしたのだって、反射的にそうしてしまっただけだ。
けれども、私はアートを傷つけた罪悪感よりも、自らの中に未だ残る嫌悪感にショックを受けた。
私はふらつき覚束ない足取りで、近くの太い幹の植木まで走った。
「申し訳ございません。俺、あっ……私はつい咄嗟に……ご無礼をお許しください」
アートが顔を真っ青にして謝罪を口にした。
私は幹に体を預けるつもりで、木に手を伸ばす。
あなたは悪くないの。
今からでもそう言うべきだろうか。考えながら私の意識は、そこで途切れてしまった。
私には《大丈夫ですか?》と言っている様に聞こえた。
「ネイノーシュ様、ここは姫様のお庭で、姫様の許可なく立ち入りを許されておりません。いくらご婚約者様と言えども、無作法が過ぎるのではありませんか?」
「入り口で、私なら問題ないと言われ、そのような場所とは存ぜず入ってまいりました。大変申し訳ございません」
そうなのだ。彼を通したのは門番であり、彼は誹りを受ける言われはない。それに私に近しい者達が素通りであるのだから、私の恋人で婚約者の彼が通れるのは当然の様に思えた。
この場合無作法なのは、突然間に入り込み言いがかりをつけるマンナの方だ。ネイノーシュもそれを言いたいに違いない。
本当なら私がマンナを諫める所だろうけれど、私はただ彼女の背中に隠れ、息を吐いた。
1,2,3……
目を閉じて心の中で数を数える。そうすれば、心乱れた時落ち着くと教えてくたのは、ジージールだったろうか。
何にせよ、マンナのおかげで、突然現れた彼に乱された心を、落ち着かせる時間ができた。
4,5……
これから彼、アートは付き人としてネイノーシュと一緒に城に滞在するのだとすれば、私はいつでも彼に会えるが、同時に彼の目に晒されることになる。
ネイノーシュの恋人として傍にいる私を。夫婦として寄り添っているふりをする私を。それから、きっとネイノーシュに憎悪をぶつけてしまう私を、彼は見てしまうだろう。
こんな場所まで付いてくるのだから、彼らの兄弟仲は決して悪くないはずだ。
ともすれば、私に向ける笑顔が消える所じゃない。きっと今度はアートが私を、悪意や軽蔑と言った感情を持って見る様になるに違いない。
それは…………嫌、だな。
でも、ネノスに憎しみをぶつけないってのも、絶対無理。
本当なら、私が仲の良い兄弟として、彼と一緒にいられたはずなのに。それがどうして、憎い男と結婚する羽目になり、愛した男にそれをずっと見られるなんて。まるで拷問みたい。
でも。良く考えれば、逆であるよりずっとマシね。
それにすべてが解決したら、私なんてお役御免なのだから、本当の家へ帰れるかもしれない。ちょっと前までは、知らない人たちばかりの家に帰るのはどうなのかしらって思っていたけれど、彼がいるなら話は別。
私たちは兄弟だもの。ずっと一緒にいられるのではなくて?
そうよ!それだわ。
それでは、気合を入れて罠を考えなくて行けない。私を殺したいなら、人の出入りが激しくなる今はチャンスだから。絶対に動くはず。
黒幕を捕まえれば、私はもう王女じゃなくなる。
そうして終われば、アート一緒に遊べるし、屋台のお菓子を奢る約束も果たせる。
もう一度、鐘の塔に上って、あの景色を一緒に見て、それから今度こそ例の山に連れて行ってもらって、野菜を取りに行く。だって……わた、し……アートと…………同じ……?
嫌な予感がして、私の思考はそこで途切れた。
「え……」
本能がそれ以上考える事を拒否しているのは、思い出してしまったとある事実が、私にとってこの上なく不都合だからだ。
心臓がバクバクして、上手く息が吸えない。自分の息を吸おうとする音が煩くて、私は思わず怒鳴りそうになった。
「…………かれましては、少しでも早いご回復を……」
不意にネイノーシュの言葉が耳に届き、私はハッとして口を閉じた。
どんな会話をしていたのか想像がつく台詞。私が具合が悪くて休んでいたとか言ったのだろう。私はネノスの台詞の途中で、マンナに声を掛けた。
「私は大丈夫ですから、下がりなさい、マンナ」
「姫様、ですが……」
「下がりなさいと言ったの。聞こえなかったかしら?」
私の強い物言いに、マンナは驚きつつも、一礼すると黙って私の後ろに控えた。
意地でもこの場には残るつもりらしい。でもそれで良かった。マンナがいなかったら、今の私は、私自身の暴走を止められなかったと思う。
私の為に汚れ役をやらせてしまったのだから、しっかりと私も主人の務めを果たそう。
「マンナの無作法は、私を思うがあまりの暴走ですの。私が代わりに謝りますわ」
私は胸に手を当て、軽く頭を傾ける。これに慌てたのはネイノーシュだった。
「滅相もございません。私なら大丈夫だと言った兵士の言葉の意味を、もっとよく考えるべきでした。そうすれば、先にお伺いできたのに、怠ってしまいました。落ち度は私にございます」
「あら」
私はクスリと笑ってみせた。
「いつも通りもっと砕けた態度でいてくれないと、恋人にそんなに畏まれては、私寂しいですわ。そう、木の上から私を助けて下さった時の様に……ね?」
ネノスが目をぱちくりとさせ瞬いた。変わった自身の姿と、先程の私の様子から気付いていないと思っていたのかもしれない。
実際、気が付いたのはついさっきなので間違ってはいない。
「あ、の時は……状況が特殊だったと言いますか……それは、その……ご勘弁ください」
「そう、なら仕方ないわね。マンナ、あのソファーを片づけて、椅子とテーブルを用意してちょうだい。私もっと彼とお話ししたいの」
本当は顔をも見たくない……と言いたいところだけれど、先程より、少しだけ、ほんの僅かだけだが、彼と一緒にいたいと思ってしまっている。
それが前向きな感情からきた言葉ではないけれど、真実を知るのは恐ろしいのだけれど、どうしても確かめたい。
「姫様、ご無礼を承知の上で申し上げますが、今日はもうおやすみになられた方がよろしいかと存じます」
人前だからマンナの態度がかしこまっている気がする。こうなると、私って本当に偉そう。
でも、まあ、どうでも良い事よね。これでも一応姫ですから。偉いのは間違いないし。どういう風に見られても関係ないのだし。
それよりも大事な事があるのだから。
「いいえ、休みません。準備を」
私は先ほどよりもっと口調を強めて言った。私が引き下がるつもりがないと分かったのだろう。マンナは礼を取る。
「かしこまりました」
そう言ったマンナは、いつもの彼女だった。
「ねえ、ネノス?あなた、私を木の上から抱き留めた時、私の正体知ってましたの?」
準備をしている様子を眺めながら、唐突に私はネイノーシュに尋ねた。
ネイノーシュが一瞬言葉に詰まり、周囲を確認してから
「いいえ」
と答える。
「気付……覚えていらしたのですね。初めて会った日の事。忘れらえているのかと思いました」
後ろからハッと息を飲む音が聞こえてきた。
ネイノーシュにも聞こえたはずだが、澄まし顔のまま私を見ている。もちろん私も聞こえなかった振りをして、ネイノーシュに微笑みかけた。
「あの時の貴方のたくましい腕の中を忘れろなんてほうが無理ですことよ?あれはどんなご婦人でも虜になってしまいますわ」
「……貴方もですか?」
「まあ、恋人に対して、それは愚問ではなくて?」
「失礼致しました。木の上から飛び降りたアイナ様はまるで天使のようで、あの時から私は、貴方の虜になったのでございます」
「ほ……」
本気で言っているのか。言いかけて、それこそ愚問であると気がついた。
ここにいる以上、彼は恋人が演技であることを了承しているはずだ。
そうでなければ、こんな事を言うはずがない。あの時の彼からは、今の歯の浮いたセリフを言うような印象を受けなかった。彼はどちらかと言うと、アートに抱いた印象と似通っている。
そういえばあの時、初めに私を見つけたのはアートだった。口を開いたままポカンとして、私を見上げる彼を思い出し、あの時の羞恥心が蘇り、私は持っている扇子で軽く顔を仰ぐ。
「そ、そういえば、あの時もご兄弟と一緒でしたわね」
いくら演技のためでも、これ以上の賛辞は、虫酸が走るというものだ。これ以上はいらない。私は本来の目的を思い出し、彼の兄弟の話題を振った。
「はい、皆私の弟たちです」
ネノスが優しく微笑む。それだけで彼が兄弟思いの人間であるとわかるが、私は堪らなく嫌な気持ちになった。
そこに私がいるはずなのに、と思い浮かべた情景に、私はふと違和感を覚えた。だが、その正体が何だったのか、気が付く前に会話が進んでいく。
「三人兄弟ですのね。兄弟がおりますといつも楽しいのでしょうね。あの時も微笑ましく思っておりました」
「あの時は弟共々ご無礼を働きまして、申し訳ございません。それに本当は六人兄弟なのです」
「まあ、六人も弟が!?」
「ふふっ……六人ではなく、五人ですよ。私を抜き忘れております。それに末は妹です」
「あら?そうですわね。私ったら、ついうっかり。久しぶりにあなたに会えて、浮かれすぎてるのですわね」
私は表面は無邪気な笑みを浮かべながら、頭では全く別の事を考えてた。
確か妹は9歳だったはず。《末が》というのなら、他は男だけのはず。
私と王子が16歳で、六人兄弟であるなら年子か二つ違いになる。どちらかと言えば可能の範囲だけれど、王子を預かる身でそんな事するかしら。
私なら王子を預かる以上リスクを増やしたくないと考えるので、子供を作るにしても、王子がある程度大きくなってから。
でも、これはあくまでも私の想像だ。
私が世間とずれている自覚はある。王子という存在が、私が思うより軽いという場合も考えられるから……
「アイナ様?どうかなさいましたか?」
澄んだ空色の瞳が私を覗き込み、名前を呼んだ。黙った私を訝しんでいるのか、ネイノーシュが眉をしかめた。
「あぁ……」
途端、ずれていたものがピタリとはまり、私は矛盾に気が付いた。
王子なら私と同い年のはずだし、ネノスはどう見たって立派に成長した青年だ。それに、彼の目はお父様とちっとも似ていないし、お母様の物とも違う。
私のネノスに対する第一印象は《とても親しみを覚える顔立ち》だった。彼の顔は毎日必ず見る、見知った顔によく似ているのだ。
ああ、そういう事………………このネイノーシュが私の兄弟なのね。
私はゾクリとした。
気付いてしまった瞬間、いつくもの可能性が見え、恐ろしい気持ちになったからかもしれない。泣きはしなかったが、この時私は、本当は泣きたかったのだと思う。
「いえ……ちょっと、立ち眩みをしただけですわ。心配いりません」
彼らに気付かれてはいけない。私は咄嗟にそう思った。
だってそうでしょう。グレンウィル家は偽物を寄こしたのだ。目的が何かは知らないけれど、王家に対する謀反の可能性だってあるのだ。
「そう……でございますか?」
納得していない様子のネイノーシュの後ろで、静かに控えるアートが、不躾なくらい私を見ていた。
彼の視線が熱くて痛い。
心臓が嫌な音を立て、嫌に苦しく感じるのは、決して気のせいではないはずだ。
視界から外そうとすればするほど、彼が気になってしかなかったし、意識したくないと理性で拒否しても、心がどうしようもなく喜んだ。
だからこそ、私は、彼をまっすぐ見てはいけない気がした。
「何ともないご様子ではございませんね。やはり部屋でお休みになられた方が……」
私は首を横に振った。
「なら、少しお待ちください。せめて椅子をお持ちしましょう」
そう言ってネイノーシュが離れた後だった。
ネイノーシュがマンナに声を掛け、マンナがこっちらを振り返る。
私は、剣呑な表情のネノスと慌てた様子で指示を飛ばすマンナに対し、大げさなと溜息を吐いた。しかし次の瞬間、浅はかだったのは自分の方だと思い知らされる。
頭が激しく痛み、立っていられなくなった。手に持っていた扇子を落とし、頭を抱え蹲る私に、傍で見ていた彼が咄嗟に……だろう
「どうした!?」
と気持ち小声で言いながら、手を差し出した。
アートのとりすました仮面が剥がれ落ち、懐かしい顔が覗く。
私が焦れた彼だ。
「アイナ?どうした!?頭が痛むのか?やはり横になっ……」
彼にアイナと名前で呼ばれ、全身の血が沸騰したかのようだった。涙が滲み、無意識に息を止める。
私は一度は差し出されたアートの手に縋り、彼に身を預けた。彼の逞しい腕が背中から私を支え、厚い胸板に抱かれる。
彼が触れる場所が嫌に熱い。
私と彼の距離は息遣いを感じる程近く、このまま彼を求めても良いとさえ思い、それと同時に、時計塔に登ったの記憶が刺激された。あの時は、恥ずかしくて嬉しくて、ひたすらドキドキしていた。
でも、あの日の記憶が一気に駆け巡り、それだけで虫唾が走り、私は我慢ができなくなった。
「私に触らないで!」
強い言葉でアートを拒否し、手を振り払い、突き飛ばした。彼がショックを受けたが顔で私を見ている。
どうしたら良かったなんて、私が知りたかった。
生理的に無理というのはどうしたって無理で、手を払い突き飛ばしたのだって、反射的にそうしてしまっただけだ。
けれども、私はアートを傷つけた罪悪感よりも、自らの中に未だ残る嫌悪感にショックを受けた。
私はふらつき覚束ない足取りで、近くの太い幹の植木まで走った。
「申し訳ございません。俺、あっ……私はつい咄嗟に……ご無礼をお許しください」
アートが顔を真っ青にして謝罪を口にした。
私は幹に体を預けるつもりで、木に手を伸ばす。
あなたは悪くないの。
今からでもそう言うべきだろうか。考えながら私の意識は、そこで途切れてしまった。
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