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第一章~王女の秘密~

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 消えたと言っても、存在がどこかへ行ってしまったわけではない。ジージールは姿が見えない様になっているだけで、今も私の傍にいる。

 その証拠に――今すぐそばで息を呑む音が聞こえた。

 さっき背を向けていたから分からなかったのね。私たちに声を掛けて来た人物がアートだって。

 ジージールが息を呑む程驚いた、その理由までは分からない。
 ただアートはさっきは持っていなかった自分の背丈ほどもある杖を構え、連絡通路の外側で空に浮いている。

 もしかすると単純に驚いたのかも。

 まさか彼がこんな所に一人でいるは思わなかったのかもしれない。



「姫様?こんな所で何を?」


「それは私の台詞です。あなた、ネノスの付き人でありながら、こんな時に彼から離れるなんて……何を考えているの?」


 付き人の在り方を説き、いくら凄んでも、ケムリんを顔に付けたままだと、今一格好がつかない。

 間抜けにしか見えないわよね?
 よく考えなくても、人に見られたい姿じゃないわ。

 ほら見てよ。アートだって、どうしたら良いのか分からないって顔でこっち見て…………見て……ないわね。


 アートは眼光鋭く、私と対峙する格好になっても杖を下ろそうとはしない。でも目線は常に周囲に向けられている。
 となると、襲撃を警戒しての行動だと思うのだけれど、一つだけ疑問が残る。


…………そもそも、あなた戦えるの? 模擬戦を見ているだけで、あんなにビクついていたのに?


 戦うのが怖くても、私を守ってくれようというのかしら。



「私は大丈夫です。お前は自分の仕事に戻りなさい」


 と言ったところで、はいそうですかって大人しく従うわけもなく。
 アートはスイっと連絡通路に降りると、私を守る様に背中に手を回し、杖を通路の先へ向ける。


「姫様、早くこちらへ……」


 もちろん、彼は私に一切触ていない。ただ促すだけの仕草。

 だけれど彼の体温を感じ取れるだけの距離間で、温もりと共に清潔感のある爽やかな香りが鼻をくすぐる。


 はこんなんじゃなかった。確か、お日様と汗と一緒に食べた菓子の匂いで、私は差し出された手を取って。


 余計な記憶が鮮やかに思い出され、鼓動が強く胸を打つ。

 苦しかった。

 私は通路の先をまっすぐ見据え、いつもと同じ様に振舞うフリをしたけれど、既に彼の香りが脳裏に焼き付けられてしまっていた。


 ジージールの存在をすっかり忘れていた事に気が付いたのは、駆けつけた兵士たちが私の護衛に付いき、アートがネイノーシュの元に帰ってからだった。


 でも、あの日の出来事はジージールも知っているのだから、関係ないんだけどね。ほら、こういうの身内に見られるのって恥ずかしいじゃない。






 兵士たち連れられ、案内された先には見知った顔があった。


「おじ様?」


 そこにいたのは、お父様の弟であるエグモンドおじ様だった。

 お父様と同じく白い髪に黒い目。お父様と似ていないわけでもないけれど、母親似のお父様とどちらかといえば父親似のエグモンドおじ様。

 若い頃は女遊びが派手だったなんて、お母様が言っていたのを聞いたことがあるけれど、今は愛妻家で子供も二人いる。

 従兄弟にあたる彼の息子たちには、たぶんだけれど、私は嫌われている。もちろん表立って何かを言われた事はない。けれど、私を見る時の目や、言葉の端々に感じる嫌悪の感情は、彼らの母親とそっくりだった。


 エグモンドおじ様と奥さんのシャリーおば様は大恋愛の末に結婚したらしい。私はその時代まだ生まれていなかったので、直接は知らないのだけれど、かなり巷を賑わせたってマンナは話していた。


 略奪愛の末の結婚だもの。それは皆、気になって当然よね。

 王族としての資質に関わると問題なったらしいけれど、エグモンドおじ様は王位継承権を放棄してシャリーおば様と結婚したっていうし。


 まるで物語みたいで、聞いてるだけでドキドキしたもの。

 
 けれど、物語と違うのは、その後も続くというところね。

 エグモンドおじ様が王位継承権がなくなっても王族であることには変わらず、シャリーおば様は心ない噂に晒され続けた。
 身分目当てだの、娼婦だっただの、お父様の子が続けて死に始めてからは、妬みから殺したのだとまでいわれた。

 シャリーおば様が私に会いたがらないのはきっとそれが理由だと思うの。

 とても綺麗な人で、私自身は嫌いではないのだけどね。エグモンドおじ様も気さくで楽しいお人だし。



 そんなエグモンドおじ様が、ひどく驚いた様子で私の顔を凝視し、瞬きを繰り返している。


「……アイナか? 見間違い……じゃないな?」


「ええ、エグモンドおじ様。お久しぶりでございます」


「会う度に綺麗になっていく。内から放たれる輝きが君を美しく飾り立てているのだな」


 親しき仲にも礼儀あり。私は淑女の礼をとり、挨拶をする。
 エグモンドおじ様は困惑しつつも、律儀に礼を返すし、お世辞も忘れない。

 たぶんだけれど、エグモンドおじ様が女性にモテたのは、きっとこういうところね。


「それで?どうしてここに?兄上も来ているのか?視察は私だけと聞いていたが……」


「いいえ、おじ様。私だけですわ……その、あの……おじ様にお会いしたくて!」


 エグモンドおじ様はため息を吐いた。


「確か今日は婚約者殿がいると聞いているが……まさか……な?」


「そう!まさかですわ!……まさか、ネノスの様子を見ようとして、こっそり出てくるなんて……姫にあるまじき行為です!私は………」


「婚約者殿に会いに来たのか。お前というやつは………………………たまにだが、血の繋がりを感じてしまうよ」


「おじ様に似てるなんて、光栄ですわ」


 エグモンドおじ様はもう一度深いため息を吐き、こめかみを押さえながら首を軽く横に降る。


「おい、すぐに王宮に連絡しろ。私が連れて帰ると伝えておけ」


「まあ!おじ様?私、一人でも帰れます。これでも護身用に色々習ってますのよ?暴漢なんて、簡単に投げ飛ばしてしまいますわ」


 私はえいっと掛け声と共に投げ飛ばす仕草を見せる。

 エグモンドおじ様はクスリと笑みをこぼした。


「久しぶりに会った姪っ子を、王宮に送り届ける栄誉も与えてはくれないのか?」


「では、私おじ様とおば様の馴れ初めが聞きたいですわ」


「それは…………車の中で話そうか」


「それではすぐに着いてしまうではないですか。今が良いです」


「いや、参ったな。勘弁してくれ」



 兵士たちが外の安全の確認に翻弄している間、私たちは呑気な会話を続けていた。





 



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