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第33話 百合のリフレクション

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(ぎょえっぴ!)

 私の目の前には剣を構える軍服の女性が待ち構えている。
 一難去ってまた一難、もうたまりません!

 せっかくエルサが濡れないようにまとめた髪型が解けてしまい、だらりと垂れ下がった。
 顔にかかった髪をかき分けたいが、動いたら危険なので私は棒立ちで我慢していた。

 そんな時、私の胸が騒ぎ出した。
 胸騒ぎを確かめるため、恐る恐る自分の胸元を見た。
 そこには私を見つめるつぶらな瞳のオオサンショウウオがへばりついていた。

「コォォォ!(お姉ちゃんはボクが守るね!)」

「⁉︎」

 胸のオオサンショウウオは、なにか私に訴えているかのように唸り声をあげた。

「コォォォ!(お姉ちゃんをイジメるな!)」

 今度は目の前の軍人さんに対して唸り声をあげた。
 人の温もりを知ってしまったオオサンショウウオは、身を挺してこの人を守ろうと決意したのだった。
 なんと愛溢れる生き物なのでしょう。

「うぃやぁぁ‼︎」

 そんな愛が見える私は、胸にへばりついている愛溢れるオオサンショウウオを掴み取り投げ捨ててしまった。
 彼は宙を舞った。
 驚いた彼の目はさらに小さくなり点になっていた。

「コォォォ?(どおしてー?)」

 なぜなら私はオオサンショウウオ語が分からないからです。
 ただただ気持ち悪いだけです。
 なので、はい、さよなら。

 オオサンショウウオは放物線を描いて目の前の軍人さんの方へと飛んで行く。

 “ベチャ!”
「キャアアア!」

 綺麗に飛んだオオサンショウウオは綺麗な顔立ちの軍人さんの顔面に当たった。
 どんぴしゃです。

「あじゃぱぁ!(私、やらかした!)」

 軍人さんは顔にオオサンショウウオを付けたまま微動だにしない。
 私も恐怖で逃げ出せない……ひ弱な私はもう漏れそう……いえ、もう漏らしてしまった……内緒です。
 このあと、どうしましょう?
 そう、これは夢、フェクションです。
 私は不安を払拭しようと、すべてなかった事だと思う事にした。
 そう思わないとやっていけない……地球にいた頃はいつもそんな考え方で逃げていたから……

「ふぇ、ふぇっくしょん!」

 私は長い間、湖に浸かっているので身体が底冷えで冷え冷えだ。
 しかし、なぜ軍人さんは動かないのだろう?
 恐怖で動けない私は不思議でたまりません。


   ***


 白い衣をまとった少女はこの世の者とは思えない神々しさがあった。
 しかも胸に抱いているのは子供のドラゴン?
 その姿はまさに母がいつも読んでくれた『湖の女神教』の布教用テキスト『美しき湖の女神』の挿絵、そのままの姿で目の前に現れたのだ。

「うぃやぁぁ‼︎」

 女神が大声で叫んで子供ドラゴンを解き放った。
 
(子供ドラゴンがワタシに向かって来る? なぜ?)

 “ベチャ!”
「キャアアア!」

 なんと子供ドラゴンはヌゥベルの顔にへばりついたのだ。
 しかも少し粘液質の皮膚の子供ドラゴン。
 ヌゥベルは気持ち悪さよりも、正義の使者である子供ドラゴンが自分を攻撃して来たの事に驚きと不安を感じていた。

(ワタシが悪者だから女神が子供ドラゴンを向かわせた? なぜなら神の怒りに触れたから?)

 これが神の罰であるのならば子供ドラゴンに手を出したらバチが当たるのではと考えたヌゥベルは払い落とすことは出来なかった。

「あじゃぱぁ!」

 ヌゥベルの悲鳴を聞いた部下二人が駆け寄って来た。

「バレッシー親衛隊長!」
「どうしましたか?」

 部下は微動だにしないヌゥベルのうしろ姿を見て不安になって前に回ってみた。

「ギャァァ!」
「ヒェェェ!」

 ヌゥベルの顔を見て二人は悲鳴をあげた。

「ンッ、どうした?」

 顔にへばりついたオオサンショウウオで、こもった声で返答したヌゥベル。

「た、隊長……」
「だ、大丈夫ですか?」

 当然のように心配する部下二人。

「気にするな」

 ヌゥベルは何事もないかのように返事をした。
 彼女は湖の女神の許しがもらえるまで子供ドラゴンを取らない事に決めたのだ。

 それに子供ドラゴンの生命溢れる心臓の鼓動が自分に安らぎを与えて、胴体で目を塞がれた事でグロテスクな姿が見えず布教用テキストの子供ドラゴンの挿絵そのままのファンシーな姿だとヌゥベルは想像した。

 そして子供ドラゴンことオオサンショウウオから薔薇の良い香りがしていた。
 それはユリが毎日のティータイムで薔薇のエキス入りの紅茶を飲んでいたので、その成分が彼女の体内から恐怖の冷や汗となって皮膚から溢れ出し、オオサンショウウオに匂いが移ったのだ。

 ヌゥベルは居心地が良くなってこのままでも良いとまで思うようになっていた。

 そうとも知らず、部下の二人は原因がずぶ濡れの少女だと判断してライフル銃を突きつけた。

「オマエがヤッタのか⁉︎」
「とんでもないオンナだ!」

「ちょべりば!」


   ***


 二人は私にライフル銃を突き付けて、とんでもない因縁を吐いた。
 私が一体ナニをしたというのでしょう。
 ただグロテスクなオオサンショウウオをあの軍人さんの顔に投げ付けただけです。

「なんとか言え!」

「ひぃ!」

 怖くて声があげられない私はお手上げのハンズアップをしようと手を上げた。

「動くな!」

「ぴぃ!」

 私の手は中途半端な所で止まった。
 まるでパントマイムの見えない壁を表現しているかのような位置で。

 二人はさらにライフル銃を近付けた。
 ……私のお爺ちゃんは害獣駆除用のライフル銃を持っており、口癖が『人に向けちゃ何ねぇだぁ!』と日頃から忠告していた。
 お二人さん、お爺ちゃんがいたら激オコですよ。
 ……でもここにはお爺ちゃんはいない……

「このオンナ、地面を這いずり回してワンワン言わせましょう!」
「イヤ、このオンナは長い間鼻フックをしてブヒブヒ言わせた方が面白いです!」

 酷い提案です。
 私はまた漏らしてしまいました。
 私をはずかしめた罪として“ざまぁ”で反撃してあげましょうか。
 しかし、動いたら今度こそライフル銃を撃って来るかも……皆んなの話では帝国の軍人さんは人と思えないくらい凶暴らしいから……どうしましょう……軍人さんにはバリアは効かなそうだし……空気のような存在にもなれなそうです。

「オマエ達、ナニをやっている! 持ち場に下がれ!」

 なんと顔にオオサンショウウオをつけた軍人さんが助けてくれた?

「?? ハッ、スミマセン!!」

 二人の部下は渋々ヌゥベルの命令を聞いて村娘の方へ去って行った。

 “サッサッ”

 顔にオオサンショウウオを付けて前が見えない軍人さんこと隊長のヌゥベルが私に近付いて来た。
 怖い怖い! 前が見えないのにこっちに向かって来る!
 目が見えないのに戸惑う事なく剣を鞘に戻した。
 湖の手前で止まり、軍人さんはなぜかワタシの前でひざまついた。

「……ずっと……会いたかった……」

「ぎょえっぴ?」

 軍人さんが顔を上げた瞬間、顔のオオサンショウウオが外れて黒い瞳の美人さんが現れた。

「オーマイ、ゴッデス……」

「?」

「イエ、それはありえませんよね……サア、手を取って湖から上がりましょう」

 黒い瞳の美人さんは、首を振ったあと私に手を差し伸べた。
 私は湖から早く出たくて彼女の手を取って、湖からの脱出に成功した。

「ど、どおも、ありんす……」

 私は礼を言って彼女の手を離そうとしたが、なぜか彼女は手を離してくれない。
 不思議に思った私は彼女の顔を見つめたが、彼女はずっと私を見つめ続けている。

 まさか、またですか! この女性も残念な人ですか? 異世界にやって来てから何度も百合な目に遭ってますから、また百合案件ならもう身体が保ちません。
 私は恐怖と不安と……好奇心で震えが止まらない。
 いえ、私は百合であって百合ではありません。
 こう何度も百合に出くわすと心が壊れて逆に興味すら湧き上がって来ます。
 そんな私は残念です。

「名前はなんと言いますか?」

 “びくぅ!”

 とても怖いですが質問に答えなくてはいけないでしょう。

「わ、わ、私の名前は……」

 でも安易に名前を出して良いのでしょうか。
 知らない人に個人情報は教えてちゃダメって家族から言われてたし……

「湖の主です!」

 とっさに思い付いた答えがおバカな私……恥ずかしい……
 私の答えを聞いた美人さんは目を見開き震えているようだ。
 あ~ん、やっぱり、怒りで身体が震えてらっしゃる。
 どうしましょう……身体は乾き始めているのに下半身のぐちょぐちょはもう止まりません!
 怖くて膀胱が壊れました。

「バレッシー親衛隊長!」

 私に酷い提案をした部下が戻って来ました。

「なんだ! 良い所だったのに」

 なにが良い所なのか私にはさっぱり分かりません。

「ハイ? あっ、村の娘たちの話ではその怪しすぎるオンナ、例のリボンヌ子爵家の次女のユリ・リボンヌ嬢だと言うことです」

「ナニ! アノ訳の分からない養女の次女が彼女なのか?」

 なんだか悪口に聞こえます。
 美人さんはがっかりした表情で私を見返した。

「所詮は夢物語だったのだ……ヨシ、この娘を連れてリボンヌ家に向かうぞ」

「ハッ、ついて来い!」

 部下がまた銃口を私に向けた。
 くたくたの私は素直に従った。

 皆んなの所へ行くと村娘はいなく、エルサとテルザと部下一名だけだった。

「ユリお姉様!」
「ユリお姉ちゃん!」

 二人は安堵の表情を見せ私に抱き着こうとしたが、もうひとりの部下がライフル銃を身構えていて動けなかった。

「リボンヌ家まで案内してもらおうか」

 そう言ったヌゥベルに合わせて、うしろにいた部下が私に銃口を突きつけて来た。

「お姉様になんて・・・!」
「乱暴な事をしたら・・・!」
「コォォォ・・・!(お姉ちゃんに手を出・・・!)」
「キサマ! ナニをやっているか! 大切な人に失礼だ!」

 私のために声を荒げたヤッセーノ姉妹を制して、軍服の美人さんが部下を叱りつけた。

「ハッ……申し訳ございません」

 部下は納得いがなかったが、親衛隊長には逆らわなかった。
 大切な人というくだりは意味が分からないが助けてくれたのはありがたい。

「アナタ方の馬車にワタシも相席してもよろしいか」

 美人さんは質問というより命令に近いものがあった。
 エルサは前に出て自己主張した。
 
「出発の前にユリお嬢様のお着替えをさせてください、このままではユリお嬢様が風邪を引いてしまいます」

 エルサは彼女らの手前、私の事をお嬢様と呼んだ。
 早く着替えたい、薄着が乾き始めてお漏らしの匂いがしてきます。
 部下たちにバレたらまた酷い提案をされます。
 それに、やっぱり寒くなって来た。
 そういえば、さっきくしゃみをしたっけ。

「り、りふれくしょん!」

 今、またくしゃみが……

 美人さんは私のくしゃみに驚いた表情をした。
 あん、もっと普通のくしゃみがしたかったのに……

「馬車までの道中、男性兵士にユリお嬢様の薄着姿が見られないよう配慮して欲しいのですが」

 エルサはさらに自己主張した。

「そうだぞ!」

 テルザがいらない相槌を打った。

「そ、そうだな……配慮しよう」

 美人さんは考え事をしながら部下に命令した。


   ***


 馬車には私とテルザと美人だけが乗り、エルサと部下のひとりが御者の席に座った。
 そして我が家に向けて進み始めた。

 馬車の中では美人は一言も喋らず、私をじっと見ながら考え事をしていた。
 目で訴えるタイプの百合でしょうか……まさか視姦されてる……私の身体がうずいて怖いです。

(リフレクション……自分の行動を振り返り、見つめ直す)

 ヌゥベルは私のくしゃみをきっかけに今までの自分の生き方を考えていた。
 母が離縁させられ消息不明になってから、ヌゥベルは自分に厳しく他人にも厳しい態度をとって生活して来た。
 そのせいか、自分を見ていた部下たちが知らず知らずの間に他人に厳しいだけの傲慢な態度になっていた。
 今度、大タルソーニア皇国に戻ったら鍛え直さなくてはならない、自分も含めて。

 そして自分を見つめ直すきっかけを作ってくれた目の前の少女はやはり女神の化身かもしれない。
 ヌゥベルはますます勘違いの道を進み始めた。
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