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偽りの家族 4
その後、カレーライス祭となった扇家では、純と秀一が互いにおかわりを競い合い、和気あいあいとした夕食の時間を過ごした。鍋いっぱいに作ったはずのカレーは、作り手としては清々しくなるほど、綺麗に空となった。
狸のように膨れた腹を抱えた純は、自発的に後片付けや歯磨きを済ませると、一時間ほど秀一と遊んでから共に浴室へと向かった。そして入浴を済ませた後、今度は藍時の手を引いて「パパ、おやすみなさい」と夜の挨拶をしてから、自室に向かった。それからベッドに入ると、お気に入りの絵本を藍時から読み聞かせてもらい、純は眠りについた。
藍時はそろりと純から離れると、音を立てないよう足元に気をつけながらゆっくりと退室した。
五日前より、藍時は扇家に住み込みで働いていた。どうせ家に帰っても、誰かと会うわけでも、遊ぶわけでも、ましてや趣味の時間を過ごすわけでもない。それならばいっそ、働いた方が気が紛れると思い、自ら秀一に願い出たのだ。幸い、仕事に慣れてきたことや、秀一との会話も手話を介してできるようになったことで、少しだけ自信が生まれた。
(でもそれが、純を利用しているようで嫌になるけれど……)
扇家で純の「ママ」として働くことが、奇しくも藍時自身の心のリハビリとなっている。こんな自分を知ったら、追い出されてしまうだろうか。そんな不安がありつつも、藍時は扇家で得られる幸せと充足感に身を浸らせていた。
リビングへ戻ると、秀一がキッチンで飲み物を作っていた。香りからしてコーヒーだろう。ちょうど出来上がったのかマグカップを二つ両手に持つと、「ご苦労様です」の言葉とともにソファへ誘われる。
「どうぞ。夜なのでカフェラテです」
『ありがとうございます』
お礼を伝えてから、藍時は差し出されたマグカップを受け取った。もう一方は秀一用のコーヒーで、ミルクは入っていなかった。
一人分の間隔を空けてそれぞれがソファに座ると、藍時がカフェラテを一口飲んだタイミングで秀一が口火を切った。
「住み込みになってから五日が経ちますが、疲れていませんか?」
どこまでもこちらのことを考えてくれる雇用主に、藍時は緩やかに首を振った。そしてソファのひじ掛けについているドリンクホルダーにカップを置くと、秀一に向かって手指を動かした。
『純君がいい子なので、手がかからなくて困ってしまいます』
「ふふっ。そう言ってくださると助かります」
『それより、本当にいいんでしょうか? 俺が住み込みで働くために、わざわざ部屋を一つ空けてもらいました。なのにそこから家賃代は差し引かれず、逆にお給金を上乗せされるなんて……それこそ、大したこともしていないのに』
そこまで伝えると、秀一が「とんでもない」と口を挟んだ。
「大したことですよ。子ども一人の身をあなたに任せているんです。あなたがいなかったらこの先もずっと、純に親のいない負担をかけさせているところでした」
そう言って、秀一は目を細めた。それは彼の職種が、夜に時間を割くものだからだろう。
そもそも、藍時が秀一によって助けられた場所は夜の歓楽街だった。そんな時間にタイミングよく秀一が現れたということは、客として利用する側か、そこを仕事場として働く側のどちらかしかない。彼は後者で、裏付けはもらった名刺に載っていた住所だった。
(ホストクラブしかない……よな)
住所からそう推測した藍時は、秀一の仕事についてそれ以上詳しく聞くことも、調べることもしなかった。また、「仕事兼接客モード」の秀一は常に華やかなスーツを着ている。これで実は公務員です、と言われても到底信じることはできない。
夜を中心とする仕事なら、なおさら配偶者の存在が大きかったことだろう。妻以外の頼れる親族が近くにいないと言っていたので、シングルファザー状態の秀一には、保育園やベビーシッターが必要不可欠だったはずだ。
(でも、シッターさんは自分が来るまで頼んでいなかったって話していたっけ。秀一さんは帰ってくるのが基本的に遅いし、夜とかどうしていたんだろう? さすがに純一人にさせていたってことは……)
そんな疑問が顔に出ていたのか、秀一は躊躇いなく答えた。
「私の帰宅が遅くなる場合の夜の世話は友人に頼んだり、時には私の職場の休憩室に連れ込んだりしていました。純がしっかりしているとはいえ、さすがに一人にはできないので。幸い、あの子を見てくれる人間は多いんです」
(それは……いいの、か?)
休憩室とはいえ、ホストクラブである。健全な少年に、いささか英才教育が過ぎるのではないだろうかと、つい苦言を呈してしまいそうになる。
(奥さんが出ていった理由って、案外、秀一さんの職種が嫌なだけだったりして……)
部屋を持て余すほど広い新築マンションを買っていることや、自分に対して高額な給金をぽんと払ってしまえることなどから、さぞ指名が入るのだろう。
秀一は美しい男だ。高身長に加えて屈強そうな体躯に、首から上には誰もが羨むだろう美しい顔。強面ではあるが、女性やΩ受けをする顔立ちなのは間違いない。
そう思う反面、藍時自身はまだ、αである秀一を恐れている。綺麗だと思うのに、優しいと思うのに、初めて出会った時に抱いた恐怖が離れないのだ。それでも、今こうして普通に接することができるようになったのは純の存在と、秀一が取る絶妙な距離感のお陰だろう。
(これが自然とできちゃうんだから、実は店のナンバーワンですって言われても納得だなぁ。いったいどれだけの人が秀一さんを指名するんだろう? 中には本気にしちゃう人だっているよな。秀一さんだって奥さんがいるとはいえ、日々いろんな人を相手にしているんだ。仕事とはいえ、言い寄られたりしたら秀一さんも……)
「ところで、明日ですが……」
次第に妄想という脱線を始めたところで、藍時の頭の中へ秀一が切り込むように割って入った。我に返った藍時はわたわたと取り繕いながら彼を見る。秀一が聞きたかったのはスケジュールの確認だった。
「朝、純を保育園へ送り届けた後、昼まで休みを希望していましたよね。明後日の純の誕生日祝いもお願いしていますし、何なら純の迎えまで休んでいただいても構いませんよ。天気も晴れのようだし、いいお出かけ日和だ」
確かに明後日は純の誕生日祝いのために、保育園へ送り届けた後は休みを取った秀一と二人で、部屋の飾りつけやご馳走を作る予定になっている。プレゼントはすでに購入を済ませ、手元にあるので問題はない。また、一日仕事になるから残業代を弾むと言われていた。
その前日にあたる明日は、藍時に珍しく予定が入っており、数時間だけ休みを希望していた。遊ぶ予定ならまだしも、休みにしたい理由が楽しいものではない。
藍時はやんわりと断ってから、休む理由を伝えた。
『受診日なんです。精神科の』
狸のように膨れた腹を抱えた純は、自発的に後片付けや歯磨きを済ませると、一時間ほど秀一と遊んでから共に浴室へと向かった。そして入浴を済ませた後、今度は藍時の手を引いて「パパ、おやすみなさい」と夜の挨拶をしてから、自室に向かった。それからベッドに入ると、お気に入りの絵本を藍時から読み聞かせてもらい、純は眠りについた。
藍時はそろりと純から離れると、音を立てないよう足元に気をつけながらゆっくりと退室した。
五日前より、藍時は扇家に住み込みで働いていた。どうせ家に帰っても、誰かと会うわけでも、遊ぶわけでも、ましてや趣味の時間を過ごすわけでもない。それならばいっそ、働いた方が気が紛れると思い、自ら秀一に願い出たのだ。幸い、仕事に慣れてきたことや、秀一との会話も手話を介してできるようになったことで、少しだけ自信が生まれた。
(でもそれが、純を利用しているようで嫌になるけれど……)
扇家で純の「ママ」として働くことが、奇しくも藍時自身の心のリハビリとなっている。こんな自分を知ったら、追い出されてしまうだろうか。そんな不安がありつつも、藍時は扇家で得られる幸せと充足感に身を浸らせていた。
リビングへ戻ると、秀一がキッチンで飲み物を作っていた。香りからしてコーヒーだろう。ちょうど出来上がったのかマグカップを二つ両手に持つと、「ご苦労様です」の言葉とともにソファへ誘われる。
「どうぞ。夜なのでカフェラテです」
『ありがとうございます』
お礼を伝えてから、藍時は差し出されたマグカップを受け取った。もう一方は秀一用のコーヒーで、ミルクは入っていなかった。
一人分の間隔を空けてそれぞれがソファに座ると、藍時がカフェラテを一口飲んだタイミングで秀一が口火を切った。
「住み込みになってから五日が経ちますが、疲れていませんか?」
どこまでもこちらのことを考えてくれる雇用主に、藍時は緩やかに首を振った。そしてソファのひじ掛けについているドリンクホルダーにカップを置くと、秀一に向かって手指を動かした。
『純君がいい子なので、手がかからなくて困ってしまいます』
「ふふっ。そう言ってくださると助かります」
『それより、本当にいいんでしょうか? 俺が住み込みで働くために、わざわざ部屋を一つ空けてもらいました。なのにそこから家賃代は差し引かれず、逆にお給金を上乗せされるなんて……それこそ、大したこともしていないのに』
そこまで伝えると、秀一が「とんでもない」と口を挟んだ。
「大したことですよ。子ども一人の身をあなたに任せているんです。あなたがいなかったらこの先もずっと、純に親のいない負担をかけさせているところでした」
そう言って、秀一は目を細めた。それは彼の職種が、夜に時間を割くものだからだろう。
そもそも、藍時が秀一によって助けられた場所は夜の歓楽街だった。そんな時間にタイミングよく秀一が現れたということは、客として利用する側か、そこを仕事場として働く側のどちらかしかない。彼は後者で、裏付けはもらった名刺に載っていた住所だった。
(ホストクラブしかない……よな)
住所からそう推測した藍時は、秀一の仕事についてそれ以上詳しく聞くことも、調べることもしなかった。また、「仕事兼接客モード」の秀一は常に華やかなスーツを着ている。これで実は公務員です、と言われても到底信じることはできない。
夜を中心とする仕事なら、なおさら配偶者の存在が大きかったことだろう。妻以外の頼れる親族が近くにいないと言っていたので、シングルファザー状態の秀一には、保育園やベビーシッターが必要不可欠だったはずだ。
(でも、シッターさんは自分が来るまで頼んでいなかったって話していたっけ。秀一さんは帰ってくるのが基本的に遅いし、夜とかどうしていたんだろう? さすがに純一人にさせていたってことは……)
そんな疑問が顔に出ていたのか、秀一は躊躇いなく答えた。
「私の帰宅が遅くなる場合の夜の世話は友人に頼んだり、時には私の職場の休憩室に連れ込んだりしていました。純がしっかりしているとはいえ、さすがに一人にはできないので。幸い、あの子を見てくれる人間は多いんです」
(それは……いいの、か?)
休憩室とはいえ、ホストクラブである。健全な少年に、いささか英才教育が過ぎるのではないだろうかと、つい苦言を呈してしまいそうになる。
(奥さんが出ていった理由って、案外、秀一さんの職種が嫌なだけだったりして……)
部屋を持て余すほど広い新築マンションを買っていることや、自分に対して高額な給金をぽんと払ってしまえることなどから、さぞ指名が入るのだろう。
秀一は美しい男だ。高身長に加えて屈強そうな体躯に、首から上には誰もが羨むだろう美しい顔。強面ではあるが、女性やΩ受けをする顔立ちなのは間違いない。
そう思う反面、藍時自身はまだ、αである秀一を恐れている。綺麗だと思うのに、優しいと思うのに、初めて出会った時に抱いた恐怖が離れないのだ。それでも、今こうして普通に接することができるようになったのは純の存在と、秀一が取る絶妙な距離感のお陰だろう。
(これが自然とできちゃうんだから、実は店のナンバーワンですって言われても納得だなぁ。いったいどれだけの人が秀一さんを指名するんだろう? 中には本気にしちゃう人だっているよな。秀一さんだって奥さんがいるとはいえ、日々いろんな人を相手にしているんだ。仕事とはいえ、言い寄られたりしたら秀一さんも……)
「ところで、明日ですが……」
次第に妄想という脱線を始めたところで、藍時の頭の中へ秀一が切り込むように割って入った。我に返った藍時はわたわたと取り繕いながら彼を見る。秀一が聞きたかったのはスケジュールの確認だった。
「朝、純を保育園へ送り届けた後、昼まで休みを希望していましたよね。明後日の純の誕生日祝いもお願いしていますし、何なら純の迎えまで休んでいただいても構いませんよ。天気も晴れのようだし、いいお出かけ日和だ」
確かに明後日は純の誕生日祝いのために、保育園へ送り届けた後は休みを取った秀一と二人で、部屋の飾りつけやご馳走を作る予定になっている。プレゼントはすでに購入を済ませ、手元にあるので問題はない。また、一日仕事になるから残業代を弾むと言われていた。
その前日にあたる明日は、藍時に珍しく予定が入っており、数時間だけ休みを希望していた。遊ぶ予定ならまだしも、休みにしたい理由が楽しいものではない。
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