ほんの少しの魔法

アスミメイ

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見習いサラサ、町に出る

足りなかったもの

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 ──ああ、どうしよう、どうしよう……。
 僕は頭を抱えていた。クラスで僕を標的に決めて絡んでくるイジメっ子三人組に、言われた。
『明日三千円、持って来いよ』
 学校にお金を持って来てはいけない決まりだし、そもそも大事なおこずかいやお年玉を渡すなんてことは嫌だし……だけど持って行かなかったら、びしょ濡れの刑にされてしまう。それこそ、教科書や、ノートや、体操服も、絵具セットも全部。
 あの時のことを後悔する。僕があいつらに目をつけられるきっかけになった出来事。係決めでじゃんけんになったとき、人気の学級委員のじゃんけんであいつらのボスに勝ってしまったこと。それまではたくさんいた友達も、僕が絡まれるようになってから去っていってしまった。今、僕に味方はいない。
 胃の辺りがずんと重くなって、ランドセルが倍の重さになった気がする。三千円渡して絡まれなくなるならそれでもいい気はする。だけど、またお金を持ってこいって言われない保証はない。次は一万円って言われるかもしれない。持ち物をびしょ濡れにされるのは嫌だ。だけど、一万円ともなれば僕には出せない。だから……お母さんの財布から、そっと盗むしかなくなる……。

「それはいけないわ!」

 急に前を歩いていた黒づくめの服装の女の人が振り返った。黒い日傘をくるりと回し、僕の行き先を阻むように立ちふさがる。

「私が魔法をかけてあげる。だから、そんなことは止めてちょうだい」
「ま、魔法? 何、おばさん」
「魔法使い見習いよ。だから、魔法って言ってもかんぺきな魔法はかけられない。ほんのちょっとの魔法……だけど、君が困らないようには出来る」
「本当?」

 半信半疑で尋ねると、おばさん……いや、やっぱりお姉さんかな。お姉さんはにっこり笑って「任せて」と言った。それから、僕の両肩に手を当てて、呪文みたいなものを唱えだした。ナントカカントカ……全然聞き取れない。

「さあ、これで明日から君は困らない。絶対にお金をあげてはだめよ。それから、この魔法のことは内緒よ。だれかに言ったら解けてしまうからね」

 僕は分かりました、と小さな声で言って、黒いブーツをカツカツいわせて去って行くお姉さんの後姿を見送った。

 ──本当なのかな。

 もし嘘なら……いや、魔法なんてあるわけないし……でも……僕は心をもぞもぞさせながら、家に戻った。

「おかえり、学校どうだった?」
「別に、普通だよ」
「何も困ったこと無い? 最近元気が無いように見えるけど」
「ないよ」

 お母さんやお父さんには、僕がイジメられていることやお金を持ってこいと言われていることを絶対に知られたくない。家の中くらい、平和に過ごしたい。そして何もかも忘れた振りをして、一日三十分と決められてるテレビゲームの電源を入れた。少しでも心が晴れるかと、レーシングゲームを選んだけど、心の中に鉛が沈んでいるようで、僕は一度も一位になれなかった。あいつらに絡まれるまでは、得意なゲームだったのに。

 翌朝が来てしまった。僕は身体を縮めるようにして教室に入り、授業の支度をひっそり始める。だけど、すぐに奴らに見つかって、トイレに連れて行かれてしまった。

「おい中野、三千円、持ってきたんだろうな。寄越せよ」

 三人組は手のひらを突き出し、僕の身体をその手で小突いてくる。掃除しても掃除しても綺麗にならないトイレの壁に、僕の背中がくっついた。

「な、無いよ……持って来てない」
「なんだと?」

 じゃあびしょびしょの刑だな! ボスの洋平が叫んだ時、偶然、先生がトイレに入って来た。

「何やってんだ、お前ら」

 しかも、怖いので有名な算数科の小出先生だ。

「三人で一人取り囲んで、何やってんだ、って聞いてるんだ。おい、津田、白井、増川。まさかイジメじゃないだろうな」

 ぎろりと睨まれ、三人は「違います」と言ってコソコソ去って行った。

──助かったあ~~。

 僕はその場にへたり込みそうになりながら、三人がいなくなってから、小出先生に「何も無いか」と聞かれたけど「大丈夫だ」と答えた。それにしてもすごいナイスタイミングだった。きっとこれが、「ほんのちょっとの魔法」に違いない。
 
 その予想は当たったらしく、あいつらが僕に近づいて来る度、邪魔が入るようになった。それは先生だったり、洋平が好きだという噂の女子・芦川さんだったり、授業の開始を告げるチャイムだったりした。僕の生活は一気に平和になった。「クッソ、なんだよ」洋平たちが吐き捨てて去って行く度、僕はお姉さんに感謝した。

 それから一週間程が過ぎ、洋平たちが寄って来なくなって数日後──僕は生徒相談室に呼び出された。
 入ってみれば、大人しいグループの男子、前田と洋平たち、それに知らない大人が数名いた。小出先生も、担任もいる。たくさんの人間で、部屋はぎゅうぎゅう詰めだ。

「中野、正直に話して欲しい。津田達に金銭を要求されたことはあるか? 他に嫌がらせをされたことは?」

 担任に尋ねられ、僕はぎょっとした。どうやら、洋平たちは標的を僕から大人しい前田に変更し、同じことをしていたらしい。

「してないわよね、そんなこと……まさか、うちの子が」

 しましまの服の女の人が、僕に詰め寄るけど、ここぞとばかりに僕はぶちまけた。廊下で小突かれたこと、わざと足を引っかけられたり、机に体当たりされたこと……それから、お金を持ってこないと持ち物を濡らすと脅されたことも、全部。

「そんな……洋平! あんた、なんてこと!」
「ごめんなさい、うちのバカが……!」

 口々に謝られ、洋平達はこれ以上ないほど下を向いて水が抜けたヨーヨーみたいになってる。

「二度と、こんなことはさせませんから……どうか、許して下さい」
「はい、二度とないなら……」
 
 それから本当に、三人組は大人しくなった。離れて行った友達たちも戻って来た。元イジメられた仲間として、前田とも話をするようになった。
 僕はほっと胸をなでおろし──ハッとした。前田は、イジメのことを親に話したのだ。だから、イジメが解決した。
「よく話せたな」と言えば、「自分だって嫌だった」と前田は言った。ただ、イジメられていることを知られる恥ずかしさより、イジメに耐える方がよっぽど嫌だったのだと。だから、

「勇気出して……言ったんだ。そしたら思ったよりおおごとになっちゃって、びっくりしたよ」
「……勇気」

 僕は大人しいと思っていた前田のことを勘違いしていたと思った。前田は大人しいけど、ちゃんと問題を解決しようと考えた。一方僕は、問題から目を逸らして逃げ回り、親からお金を盗むことさえ考えた。恥ずかしい。

「勇気、勇気だったのか……」

 どうやら、僕に必要だったのはほんのちょっとの魔法じゃなかったみたいだ。

 帰ったら、今日までのことを両親に話そうと、僕は心に決めた。

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