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リヒト②
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「それで、オメガ同士でお話したいこととはなんでしょう?」
ティーポットから紅茶を注ぎながら、エミール様が尋ねてきた。
僕の前にもカップが置かれる。
僕はぼやけた視界に白いカップを映しながら、
「エミール様は、ユーリ様のお兄様のつがいだと聞きました」
と口を開いた。
「どうぞエミールと」
先ほどと同じことを言われて、僕は困って眉をしかめてしまう。
ユーリ様が僕をとてもとても甘やかしてくれるので、僕には常識が備わっていない。
だから身分の高い方に対してなにが良くてなにがダメなのかわからない。
どうして良いかわからずにまごついた僕に、エミール様が。
「わかりました。そのままで大丈夫です」
そう言って譲歩してくれた。
そして、
「ユーリ様のお兄様は、クラウス様と仰います。オレは確かにクラウス様のつがいです。うなじを噛んでもらいました」
僕へと説明をしてくれて、その最後に「見ますか?」と付け加え、それから「あっ!」と短く叫んだ。
「すみません。配慮が足りませんでした」
物があまり見えない僕に言う言葉ではなかったと、エミール様が頭を下げる。
僕はブンブンと首を横に振って、謝罪をやめてもらった。
僕の目に不具合がなかったなら、ぜひ見てみたいところだ。エミール様のうなじが、どうなっているのか。
ぼやけたシルエットではよくわからないが、エミール様の首には僕のような首輪はないように見える。
聞けば一度うなじを噛まれたオメガは、後からべつのアルファに噛まれたとしてもつがいの上書きはされないとのことだった。
だからつがい持ちのオメガに首輪は不要なのだ、と。
そうなんだ、と僕が頷いていると、エミール様が少し声を低くして、
「ご存知なかったんですか」
と問いかけてきた。僕は恥ずかしくなって項垂れた。
「僕は、頭が悪くて、皆が知っているようなことを知らないのです」
「リヒト、それはあなたの責任ではありません」
エミール様はそんなふうに僕の言葉を否定してくれたけど、続けてなにかをボソボソと呟いた。僕の耳にはほとんど拾えないほどの音量だったので、なにを言ったかはわからなかった。
僕があんまり物を知らないから、きっと呆れられてしまったのだろう。
胸の奥がひやりとしたけれど、オメガのひとと話せるせっかくの機会だ。僕は思い切ってエミール様にお尋ねした。
「エミール様、僕は、ふつうのオメガのひとは、アルファのひとに、どのようなことをしているのかが知りたいです。僕には発情期がありません。きっと僕はオメガとしても出来損ないなのです。だからふつうのオメガのことが知りたいです。オメガは、なにをすればずっとオメガでいられますか」
早口に言い切ってから、僕ははふはふと息継ぎをした。
話す、ということは僕にとってはわりと重労働だ。僕は耳も悪いから、声の音量や発音が正確かどうか自分では判断がしづらい。
ユーリ様は僕との会話に慣れているから、ユーリ様とお話するときはこれほど消耗しないのだけど、エミール様とは初めてだったから、いつも以上に神経を使ってしまう。
こんなことで疲れる僕は、本当に出来損ないだ。深呼吸をしながら、僕は自分が情けなくなった。
僕のオメガ、と言ってくれるユーリ様のために、僕はなにかお役に立つことがしたい。
けれどふだんは世話を焼かれるばかりで、僕にできることが見つからない。
そんな僕になにか価値があるだろうか考えたとき、オメガという希少な性を持っていることだけしか思い当たるものがなかった。
僕のオメガ。
僕は、いつまでもユーリ様にそう言われる存在でありたい。
でも僕には発情期がない。オメガとしても不完全なのだ。
では、完全なオメガとはなんだろう。僕はそれに近づくことはできないだろうか。
そう思ったけれど、僕は僕以外のオメガを知らないから。
だから、ユーリ様のお話に出てきたエミール様に、会ってみたかったのだ。
ふと見れば、エミール様のシルエットが丸まっていた。
頭を抱えていたのだとわかったのは、彼が両手を天井へ突き上げたときだった。
「あ~っ! ちょっと待って。色々無理!」
エミール様が叫んだ。
無理、と言われて僕は消えてしまいたくなった。
やはり、おかしなことを言ったのだ。
オメガのひとと話したい、なんて言わなければよかった。思い返してみれば僕がエミール様とお会いしたいとお願いしたときのユーリ様も、ひどく渋っていた様子だった。
ユーリ様にはわかっていたのだ。
僕がエミール様を困らせてしまうことを。
この場から逃げ出してしまいたい衝動が湧き上がってきたけれど、走ってこの部屋を飛び出したところで物やひとにぶつかって転んでしまうだろうことは容易に想像がついて。
僕は両手を握り締めて、じっと足元の絨毯の色を見つめた。泣いてしまいそうだった。でも泣いたらもっとエミール様を困らせてしまう。だから必死に我慢した。
膝の上にある僕の手に、エミール様の手が重なってきた。
僕がぎこちなく隣を見上げると、
「わかりましたか、リヒト」
とエミール様がやわらかな口調で問いかけてきた。
なんだろう。なにを言われたのかわからない。聞いていなかった。でも正直にそれを告げると、もっと呆れられてしまうだろうから、僕はこくりと頷いた。
「……はい」
「良かった。ユーリ様にはオレから話しておきますから、あなたは」
「ユーリ様には言わないでっ!」
エミール様の言葉を遮って、僕はそう懇願していた。
今日の僕の醜態をユーリ様が知れば、どう思われるだろうか。
お兄さんのつがいを困らせてしまった僕に、呆れるだろうか。腹立たしく思うだろうか。
どっちにしろユーリ様も気分を害してしまうだろう。
「ぼ、僕から言いますから、なにも言わないで」
僕は涙声になりながら、必死に訴えた。
エミール様は「う~ん」と困ったように唸って、それでも穏やかな声で、
「わかりました」
と言ってくれた。
「リヒト、リヒト、そんな顔をしないで。ユーリ様にはオレからはなにも言いませんから。ほら、楽しいことを考えましょう。きみにそんな顔をさせたと知られたら、オレは二度とここへ入れてもらえなくなるから」
どういう意味だろう。
また来てくれるということなのだろうか。
僕は震える唇を動かして、
「エミール様は、ここに、また来てくれるのですか」
と思い切って尋ねてみた。
「もちろん!」
「僕とお話するの、嫌じゃないですか」
「なぜですか? オレはとても嬉しかったし、また来たいと思ってますよ」
「……ありがとうございます」
僕の目は、すぐ隣に座るエミール様がどんな表情を浮かべているのかすらも見えないから。
ただの社交辞令を真に受けて喜んだ、と思われるのが怖くて、僕はただお礼を言って頭を下げるだけにしておいた。
エミール様はその後、異国の行商人の話を色々聞かせてくれたけど、僕はこれ以上非礼を重ねないよう細心の注意を払うことに気を取られてしまい、会話を楽しむことはできなかった。
その日の夜、仕事から戻ってこられたユーリ様に抱っこされて、
「エミール殿との話はどうだった?」
と尋ねられたとき、僕はろくな答えを返せずに、ただひと言、
「とても楽しかったです」
そう言うのが精いっぱいだった。
「それは良かった。どんな話をしたの?」
「えっと……今度来る、物売りのお話とか……」
「へぇ。それで、リヒトが聞きたかったことは聞けたのかな?」
訊かれるだろうと思っていた質問が落ちてきて、僕は「はい」と嘘をついた。
オメガについては、なんの話もできていない。
結局僕は、ユーリ様のためになにができるのだろう。
途方に暮れて、こころ細くなって僕はユーリ様の肩に腕を回し、全身をユーリ様に預けた。
ユーリ様は僕を抱いたままソファへと座り、僕の髪を撫でてくれた。
「ユーリ様から見て、エミール様はどんな方ですか」
ユーリ様以外のひとと数時間過ごした疲れが、瞼に圧し掛かってきて、僕はウトウトしながらそう尋ねてみた。
「ん~。リヒトはどんな印象だった?」
逆に問われて、僕は少し考えてから答えた。
「声が、やさしかったです」
「僕よりも?」
即座にそう返ってきて、僕はうふふと笑ってしまう。おかしなユーリ様。ユーリ様より上が、あるわけもないのに。
「リヒト? 眠たい?」
「ん……。あ、あと、ユーリ様よりも背が低いなぁと思いました」
眠気で動きにくい口を頑張って開いて答えると、ユーリ様が「そうだね」と応じてくださった。
「オメガは大体、華奢で小柄だね。それと、エミール殿のように見た目がうつくしい……が……リヒトは……けどね」
ウトウトと切れ切れの睡魔が襲ってきて、ユーリ様の声も途切れ途切れになる。
目を開けていられなくなった僕に気づいて、ユーリ様がおやすみのキスをくれた。
僕はユーリ様の腕の中で眠りに落ちながら、そうか、ふつうのオメガはうつくしいのか、と思った。
それからかなしくなって、夢の世界に早く行こうと瞼にぎゅと力を込めた。
夢の中ならきっと、目も見えるし耳も聞こえて発情期もあって。
ユーリ様にうつくしいと言ってもらえるふつうのオメガに、僕もなれるはずだ。
出来損ないの、こんな僕でも。
ティーポットから紅茶を注ぎながら、エミール様が尋ねてきた。
僕の前にもカップが置かれる。
僕はぼやけた視界に白いカップを映しながら、
「エミール様は、ユーリ様のお兄様のつがいだと聞きました」
と口を開いた。
「どうぞエミールと」
先ほどと同じことを言われて、僕は困って眉をしかめてしまう。
ユーリ様が僕をとてもとても甘やかしてくれるので、僕には常識が備わっていない。
だから身分の高い方に対してなにが良くてなにがダメなのかわからない。
どうして良いかわからずにまごついた僕に、エミール様が。
「わかりました。そのままで大丈夫です」
そう言って譲歩してくれた。
そして、
「ユーリ様のお兄様は、クラウス様と仰います。オレは確かにクラウス様のつがいです。うなじを噛んでもらいました」
僕へと説明をしてくれて、その最後に「見ますか?」と付け加え、それから「あっ!」と短く叫んだ。
「すみません。配慮が足りませんでした」
物があまり見えない僕に言う言葉ではなかったと、エミール様が頭を下げる。
僕はブンブンと首を横に振って、謝罪をやめてもらった。
僕の目に不具合がなかったなら、ぜひ見てみたいところだ。エミール様のうなじが、どうなっているのか。
ぼやけたシルエットではよくわからないが、エミール様の首には僕のような首輪はないように見える。
聞けば一度うなじを噛まれたオメガは、後からべつのアルファに噛まれたとしてもつがいの上書きはされないとのことだった。
だからつがい持ちのオメガに首輪は不要なのだ、と。
そうなんだ、と僕が頷いていると、エミール様が少し声を低くして、
「ご存知なかったんですか」
と問いかけてきた。僕は恥ずかしくなって項垂れた。
「僕は、頭が悪くて、皆が知っているようなことを知らないのです」
「リヒト、それはあなたの責任ではありません」
エミール様はそんなふうに僕の言葉を否定してくれたけど、続けてなにかをボソボソと呟いた。僕の耳にはほとんど拾えないほどの音量だったので、なにを言ったかはわからなかった。
僕があんまり物を知らないから、きっと呆れられてしまったのだろう。
胸の奥がひやりとしたけれど、オメガのひとと話せるせっかくの機会だ。僕は思い切ってエミール様にお尋ねした。
「エミール様、僕は、ふつうのオメガのひとは、アルファのひとに、どのようなことをしているのかが知りたいです。僕には発情期がありません。きっと僕はオメガとしても出来損ないなのです。だからふつうのオメガのことが知りたいです。オメガは、なにをすればずっとオメガでいられますか」
早口に言い切ってから、僕ははふはふと息継ぎをした。
話す、ということは僕にとってはわりと重労働だ。僕は耳も悪いから、声の音量や発音が正確かどうか自分では判断がしづらい。
ユーリ様は僕との会話に慣れているから、ユーリ様とお話するときはこれほど消耗しないのだけど、エミール様とは初めてだったから、いつも以上に神経を使ってしまう。
こんなことで疲れる僕は、本当に出来損ないだ。深呼吸をしながら、僕は自分が情けなくなった。
僕のオメガ、と言ってくれるユーリ様のために、僕はなにかお役に立つことがしたい。
けれどふだんは世話を焼かれるばかりで、僕にできることが見つからない。
そんな僕になにか価値があるだろうか考えたとき、オメガという希少な性を持っていることだけしか思い当たるものがなかった。
僕のオメガ。
僕は、いつまでもユーリ様にそう言われる存在でありたい。
でも僕には発情期がない。オメガとしても不完全なのだ。
では、完全なオメガとはなんだろう。僕はそれに近づくことはできないだろうか。
そう思ったけれど、僕は僕以外のオメガを知らないから。
だから、ユーリ様のお話に出てきたエミール様に、会ってみたかったのだ。
ふと見れば、エミール様のシルエットが丸まっていた。
頭を抱えていたのだとわかったのは、彼が両手を天井へ突き上げたときだった。
「あ~っ! ちょっと待って。色々無理!」
エミール様が叫んだ。
無理、と言われて僕は消えてしまいたくなった。
やはり、おかしなことを言ったのだ。
オメガのひとと話したい、なんて言わなければよかった。思い返してみれば僕がエミール様とお会いしたいとお願いしたときのユーリ様も、ひどく渋っていた様子だった。
ユーリ様にはわかっていたのだ。
僕がエミール様を困らせてしまうことを。
この場から逃げ出してしまいたい衝動が湧き上がってきたけれど、走ってこの部屋を飛び出したところで物やひとにぶつかって転んでしまうだろうことは容易に想像がついて。
僕は両手を握り締めて、じっと足元の絨毯の色を見つめた。泣いてしまいそうだった。でも泣いたらもっとエミール様を困らせてしまう。だから必死に我慢した。
膝の上にある僕の手に、エミール様の手が重なってきた。
僕がぎこちなく隣を見上げると、
「わかりましたか、リヒト」
とエミール様がやわらかな口調で問いかけてきた。
なんだろう。なにを言われたのかわからない。聞いていなかった。でも正直にそれを告げると、もっと呆れられてしまうだろうから、僕はこくりと頷いた。
「……はい」
「良かった。ユーリ様にはオレから話しておきますから、あなたは」
「ユーリ様には言わないでっ!」
エミール様の言葉を遮って、僕はそう懇願していた。
今日の僕の醜態をユーリ様が知れば、どう思われるだろうか。
お兄さんのつがいを困らせてしまった僕に、呆れるだろうか。腹立たしく思うだろうか。
どっちにしろユーリ様も気分を害してしまうだろう。
「ぼ、僕から言いますから、なにも言わないで」
僕は涙声になりながら、必死に訴えた。
エミール様は「う~ん」と困ったように唸って、それでも穏やかな声で、
「わかりました」
と言ってくれた。
「リヒト、リヒト、そんな顔をしないで。ユーリ様にはオレからはなにも言いませんから。ほら、楽しいことを考えましょう。きみにそんな顔をさせたと知られたら、オレは二度とここへ入れてもらえなくなるから」
どういう意味だろう。
また来てくれるということなのだろうか。
僕は震える唇を動かして、
「エミール様は、ここに、また来てくれるのですか」
と思い切って尋ねてみた。
「もちろん!」
「僕とお話するの、嫌じゃないですか」
「なぜですか? オレはとても嬉しかったし、また来たいと思ってますよ」
「……ありがとうございます」
僕の目は、すぐ隣に座るエミール様がどんな表情を浮かべているのかすらも見えないから。
ただの社交辞令を真に受けて喜んだ、と思われるのが怖くて、僕はただお礼を言って頭を下げるだけにしておいた。
エミール様はその後、異国の行商人の話を色々聞かせてくれたけど、僕はこれ以上非礼を重ねないよう細心の注意を払うことに気を取られてしまい、会話を楽しむことはできなかった。
その日の夜、仕事から戻ってこられたユーリ様に抱っこされて、
「エミール殿との話はどうだった?」
と尋ねられたとき、僕はろくな答えを返せずに、ただひと言、
「とても楽しかったです」
そう言うのが精いっぱいだった。
「それは良かった。どんな話をしたの?」
「えっと……今度来る、物売りのお話とか……」
「へぇ。それで、リヒトが聞きたかったことは聞けたのかな?」
訊かれるだろうと思っていた質問が落ちてきて、僕は「はい」と嘘をついた。
オメガについては、なんの話もできていない。
結局僕は、ユーリ様のためになにができるのだろう。
途方に暮れて、こころ細くなって僕はユーリ様の肩に腕を回し、全身をユーリ様に預けた。
ユーリ様は僕を抱いたままソファへと座り、僕の髪を撫でてくれた。
「ユーリ様から見て、エミール様はどんな方ですか」
ユーリ様以外のひとと数時間過ごした疲れが、瞼に圧し掛かってきて、僕はウトウトしながらそう尋ねてみた。
「ん~。リヒトはどんな印象だった?」
逆に問われて、僕は少し考えてから答えた。
「声が、やさしかったです」
「僕よりも?」
即座にそう返ってきて、僕はうふふと笑ってしまう。おかしなユーリ様。ユーリ様より上が、あるわけもないのに。
「リヒト? 眠たい?」
「ん……。あ、あと、ユーリ様よりも背が低いなぁと思いました」
眠気で動きにくい口を頑張って開いて答えると、ユーリ様が「そうだね」と応じてくださった。
「オメガは大体、華奢で小柄だね。それと、エミール殿のように見た目がうつくしい……が……リヒトは……けどね」
ウトウトと切れ切れの睡魔が襲ってきて、ユーリ様の声も途切れ途切れになる。
目を開けていられなくなった僕に気づいて、ユーリ様がおやすみのキスをくれた。
僕はユーリ様の腕の中で眠りに落ちながら、そうか、ふつうのオメガはうつくしいのか、と思った。
それからかなしくなって、夢の世界に早く行こうと瞼にぎゅと力を込めた。
夢の中ならきっと、目も見えるし耳も聞こえて発情期もあって。
ユーリ様にうつくしいと言ってもらえるふつうのオメガに、僕もなれるはずだ。
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