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リヒト⑦
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「リヒト様。残念ながらベルンハルトは昨年天に召されてしまいましてなぁ。私はベルンハルトの弟子のシモンです。先生からあなたのことはすべて申し送りを受けておりますから、どうぞ安心してください。先日も……ひと月ほど前でしたかな? ユリウス殿下に呼ばれて往診いたしましたが、そのときはあなたはよく眠っておられたので、こうしてお話するのは初めてですなぁ」
「……話し方が、ベンさんに」
「似ておりますか? そうでしょうなぁ。先生は私の育ての親ですから」
「育ての親」
「はいな。先生は生涯を医術に捧げましてなぁ。ついぞ結婚はされませんでした。子どもをつくる代わりにあの方は、未来を支える医師団を育てたんです。先生直属の弟子になれたことが、私の誇りですなぁ」
そんな話を、ユーリ様からも聞いたことがある。
そうだ。ベンさんがお亡くなりになったというお話をしてくださったときだ。
大往生だよ、ベンは。
我が王家と我が国の発展にすべてを捧げて尽くしてくれた。ベンの意思は山ほど居る彼の弟子が引き継いでゆくだろうね。ベンの名は語り継がれ、医師団の中で彼は生き続けるんだ。
明るい口調でユーリ様はそう語っていた。
大往生ってなんですか、と僕が尋ねたら、ユーリ様はすこし迷って。
そうだねぇ、憂いなく、天寿をまっとうすることかな、と教えてくれた。
それにベンはすごい長生きだったんだよ。
弾むようにそう言っていたユーリ様は、ベンさんの国葬にも出席されたけれど、僕はいつものようにお留守番をしていた。
だからどんなふうにベンさんが弔われたのか、知らない。
「……さびしいですか?」
ユーリ様はベンさんの死をそのようには言わなかったけれど。
育ての親が居なくなってしまっては、シモンさんはさびしいだろう。
僕はそう考えたのだけれど、シモンさんは、
「いいえ。先生は大往生でしたから」
と、ユーリ様と同じことをおっしゃった。
「大往生」
「ええ。葬儀もとても荘厳で……もしも先生がご自分の葬儀をご覧になったら、きっと、こんな派手に送られるのは性に合わんなぁとおっしゃられたでしょうねぇ」
シモンさんが声を出して笑った。
それから掴んでいた僕の手首を、そっと毛布の中に戻して、
「ユリウス殿下もとても凛々しくていらっしゃった」
と教えてくれた。
「ユーリ様が……」
「はいな。殿下だけでなく、柩の周りを正装した王国騎士団が取り囲みましてな、最敬礼を以って先生を送ってくれたんです」
「最敬礼……」
それは知っている。前にエミール様が教えてくれた。
あれは……あれは、ユーリ様が出立されたときのことだ。
騎士が跪くのは本当に特別なときなのだと、エミール様は言っていた。
特別なときというのはなにかを尋ねたら、王様に剣を授けてもらうときで、騎士は基本的に王様にしか跪かないのだと説明された。
王様以外に最敬礼をする場面があるとしたら……とエミール様は言いかけて、それから唐突に言葉を途切れさせていた。
「あのときはまるで先生が国王陛下になってしまったかのような光景でしたなぁ。先生も驚いたでしょう。ご自分がまさか騎士の最敬礼で送られるなんて」
はっはっは、と笑うシモンさんの横には、エミール様とテオバルドさんが立っていた。
二人がシモンさんになにごとかを話しかけ、シモンさんがそれに答えている。
視界はまだぐるぐると不安定だ。でも、僕に見える世界はいつも暈けているから、それに揺れが追加されたぐらいで、どうということもなかった。
僕は、そうか、おわかれのときにするのか、と思った。
騎士の最敬礼は、ベンさんの葬儀で披露されたように、永久のおわかれのときに、見せるものなのかもしれない。
そうなのだとすると、僕に向かって最敬礼をしたユーリ様は。
やっぱり、僕のところへは戻って来てはくださらないのだろう。
エミール様たちはそれを知っていて、でも僕がショックを受けるから内緒にしてくれているのだ。
僕がユーリ様を諦めるまで。
ユーリ様は帰ってきますよ、と。やさしい嘘を、つき続けてくれるのだろう。
僕はごそりと胸元を探った。
そこにはユーリ様からの手紙が入っている。
首には、ユーリ様の髪と同じ色の宝石がついた、首輪がある。
手紙と、首輪。
もう充分じゃない、と僕は自分に言い聞かせた。
ユーリ様は帰ってこない。
あのときの最敬礼が、おわかれの合図だった。
たぶん僕以外の全員が、それをわかっていた。
ユーリ様は僕じゃなくて、ほかの……ちゃんと発情期もある完璧なオメガのところへ行かれたのだ。
そして残された僕のために、エミール様やテオバルドさんがこうして僕に尽くしてくれている。
もう充分だよね。
もう一度自分へと話しかける。
もう充分。
だって、僕はとてもしあわせだった。
ユーリ様に拾っていただいて、僕のオメガと呼んでいただいて、ユーリ様に抱っこしてもらえて、ユーリ様に名前をつけていただいて、ユーリ様と一緒に眠ることができて、ユーリ様の膝の上でご飯を食べることができて、本当に本当に本当にしあわせだったから。
きっと、僕が元気で居ないと、ユーリ様は心配される。
おやさしい方だから、僕が食事をしなくなったときのように、また手紙を書かれるのかもしれない。
この手紙も恐らく、僕が食事を拒否しているとテオバルドさんから報告を受けて、食事をさせるためにわざわざ書いてくださったのだろう。
僕について詳しく書かれたあの事典も。
ユーリ様はもう戻ってこないから、ユーリ様が不在でも僕が困らないように、間違ってもユーリ様を呼び戻そうとしないように書かれたものなのだ。
僕は息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
ユーリ様からもらったたくさんのしあわせが、僕には詰まってる。
もう充分。
ユーリ様に心配はかけない。
「リヒト、果実水は飲めそうですか?」
シモンさんと話し終わったエミール様が、僕へとそう問いかけてくる。
僕ははいと頷いた。
「失礼します」
テオバルドさんが僕の背を支え、持ち上げてくれる。
起き上がった僕の口元へ、エミール様の持つグラスのふちが当たった。
流れ込んできた液体を、僕はこくりこくりと嚥下した。
ぜんぶ飲み切った僕を見て、エミール様が「良かった」とホッとしたようにおっしゃった。
テオバルドさんが、
「少しだけ背を起こしておきましょうね」
と言って背中にクッションを置いて、僕の体勢を整えてくれる。
このやさしいひとたちに。
もう嘘はつかなくていいですよと言ってあげなければならない。
僕は大丈夫です、と。
ユーリ様が居なくても大丈夫です、と。
言わなければならない。
でも、それは明日でもいいだろうか。
いまはなんだか胸が苦しくて、上手く話せないから。
ぐるぐる動く視界が収まってからで、いいだろうか。
「リヒト。今日はここへ泊まってくださいね。朝になって体調が良ければ、朝食を一緒に食べましょう」
エミール様に誘われて、僕はまた「はい」と答えた。
ご飯はちゃんと食べる。
飲み物もちゃんと飲む。
ユーリ様が居なくても大丈夫。
明日になったら、そう言って……。
それから、中央教会の、あの祭壇のある部屋へ戻りますと言おう。
ハーゼとして、信者のひとたちのために祈ります、と。
次のハーゼを迎えられるように、ちゃんとします、と。
エミール様たちに話そう。
僕はそう決めて、まぶたを閉じた。
「……話し方が、ベンさんに」
「似ておりますか? そうでしょうなぁ。先生は私の育ての親ですから」
「育ての親」
「はいな。先生は生涯を医術に捧げましてなぁ。ついぞ結婚はされませんでした。子どもをつくる代わりにあの方は、未来を支える医師団を育てたんです。先生直属の弟子になれたことが、私の誇りですなぁ」
そんな話を、ユーリ様からも聞いたことがある。
そうだ。ベンさんがお亡くなりになったというお話をしてくださったときだ。
大往生だよ、ベンは。
我が王家と我が国の発展にすべてを捧げて尽くしてくれた。ベンの意思は山ほど居る彼の弟子が引き継いでゆくだろうね。ベンの名は語り継がれ、医師団の中で彼は生き続けるんだ。
明るい口調でユーリ様はそう語っていた。
大往生ってなんですか、と僕が尋ねたら、ユーリ様はすこし迷って。
そうだねぇ、憂いなく、天寿をまっとうすることかな、と教えてくれた。
それにベンはすごい長生きだったんだよ。
弾むようにそう言っていたユーリ様は、ベンさんの国葬にも出席されたけれど、僕はいつものようにお留守番をしていた。
だからどんなふうにベンさんが弔われたのか、知らない。
「……さびしいですか?」
ユーリ様はベンさんの死をそのようには言わなかったけれど。
育ての親が居なくなってしまっては、シモンさんはさびしいだろう。
僕はそう考えたのだけれど、シモンさんは、
「いいえ。先生は大往生でしたから」
と、ユーリ様と同じことをおっしゃった。
「大往生」
「ええ。葬儀もとても荘厳で……もしも先生がご自分の葬儀をご覧になったら、きっと、こんな派手に送られるのは性に合わんなぁとおっしゃられたでしょうねぇ」
シモンさんが声を出して笑った。
それから掴んでいた僕の手首を、そっと毛布の中に戻して、
「ユリウス殿下もとても凛々しくていらっしゃった」
と教えてくれた。
「ユーリ様が……」
「はいな。殿下だけでなく、柩の周りを正装した王国騎士団が取り囲みましてな、最敬礼を以って先生を送ってくれたんです」
「最敬礼……」
それは知っている。前にエミール様が教えてくれた。
あれは……あれは、ユーリ様が出立されたときのことだ。
騎士が跪くのは本当に特別なときなのだと、エミール様は言っていた。
特別なときというのはなにかを尋ねたら、王様に剣を授けてもらうときで、騎士は基本的に王様にしか跪かないのだと説明された。
王様以外に最敬礼をする場面があるとしたら……とエミール様は言いかけて、それから唐突に言葉を途切れさせていた。
「あのときはまるで先生が国王陛下になってしまったかのような光景でしたなぁ。先生も驚いたでしょう。ご自分がまさか騎士の最敬礼で送られるなんて」
はっはっは、と笑うシモンさんの横には、エミール様とテオバルドさんが立っていた。
二人がシモンさんになにごとかを話しかけ、シモンさんがそれに答えている。
視界はまだぐるぐると不安定だ。でも、僕に見える世界はいつも暈けているから、それに揺れが追加されたぐらいで、どうということもなかった。
僕は、そうか、おわかれのときにするのか、と思った。
騎士の最敬礼は、ベンさんの葬儀で披露されたように、永久のおわかれのときに、見せるものなのかもしれない。
そうなのだとすると、僕に向かって最敬礼をしたユーリ様は。
やっぱり、僕のところへは戻って来てはくださらないのだろう。
エミール様たちはそれを知っていて、でも僕がショックを受けるから内緒にしてくれているのだ。
僕がユーリ様を諦めるまで。
ユーリ様は帰ってきますよ、と。やさしい嘘を、つき続けてくれるのだろう。
僕はごそりと胸元を探った。
そこにはユーリ様からの手紙が入っている。
首には、ユーリ様の髪と同じ色の宝石がついた、首輪がある。
手紙と、首輪。
もう充分じゃない、と僕は自分に言い聞かせた。
ユーリ様は帰ってこない。
あのときの最敬礼が、おわかれの合図だった。
たぶん僕以外の全員が、それをわかっていた。
ユーリ様は僕じゃなくて、ほかの……ちゃんと発情期もある完璧なオメガのところへ行かれたのだ。
そして残された僕のために、エミール様やテオバルドさんがこうして僕に尽くしてくれている。
もう充分だよね。
もう一度自分へと話しかける。
もう充分。
だって、僕はとてもしあわせだった。
ユーリ様に拾っていただいて、僕のオメガと呼んでいただいて、ユーリ様に抱っこしてもらえて、ユーリ様に名前をつけていただいて、ユーリ様と一緒に眠ることができて、ユーリ様の膝の上でご飯を食べることができて、本当に本当に本当にしあわせだったから。
きっと、僕が元気で居ないと、ユーリ様は心配される。
おやさしい方だから、僕が食事をしなくなったときのように、また手紙を書かれるのかもしれない。
この手紙も恐らく、僕が食事を拒否しているとテオバルドさんから報告を受けて、食事をさせるためにわざわざ書いてくださったのだろう。
僕について詳しく書かれたあの事典も。
ユーリ様はもう戻ってこないから、ユーリ様が不在でも僕が困らないように、間違ってもユーリ様を呼び戻そうとしないように書かれたものなのだ。
僕は息を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。
大丈夫。大丈夫。大丈夫。
ユーリ様からもらったたくさんのしあわせが、僕には詰まってる。
もう充分。
ユーリ様に心配はかけない。
「リヒト、果実水は飲めそうですか?」
シモンさんと話し終わったエミール様が、僕へとそう問いかけてくる。
僕ははいと頷いた。
「失礼します」
テオバルドさんが僕の背を支え、持ち上げてくれる。
起き上がった僕の口元へ、エミール様の持つグラスのふちが当たった。
流れ込んできた液体を、僕はこくりこくりと嚥下した。
ぜんぶ飲み切った僕を見て、エミール様が「良かった」とホッとしたようにおっしゃった。
テオバルドさんが、
「少しだけ背を起こしておきましょうね」
と言って背中にクッションを置いて、僕の体勢を整えてくれる。
このやさしいひとたちに。
もう嘘はつかなくていいですよと言ってあげなければならない。
僕は大丈夫です、と。
ユーリ様が居なくても大丈夫です、と。
言わなければならない。
でも、それは明日でもいいだろうか。
いまはなんだか胸が苦しくて、上手く話せないから。
ぐるぐる動く視界が収まってからで、いいだろうか。
「リヒト。今日はここへ泊まってくださいね。朝になって体調が良ければ、朝食を一緒に食べましょう」
エミール様に誘われて、僕はまた「はい」と答えた。
ご飯はちゃんと食べる。
飲み物もちゃんと飲む。
ユーリ様が居なくても大丈夫。
明日になったら、そう言って……。
それから、中央教会の、あの祭壇のある部屋へ戻りますと言おう。
ハーゼとして、信者のひとたちのために祈ります、と。
次のハーゼを迎えられるように、ちゃんとします、と。
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