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前部

part.エリン【前編】

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「エリン!」
「…………」

 瞬歩と短距離型転移で飛びながら崖まで来て、浮遊魔法で引っかかっていた人物に近付いた。
 遠視で見えていた通り、そこに引っかかっていたのはエリン。
 返事はなく、気絶してるようだった。
 周囲を探ると三人の人間の気配が山の裏側を降っている。
 恐らく、なんらかの理由でエリンが崖から落ちたのだろう。
 彼女らが迎えに来るまで、エリンをこのままに——しておけるはずもない。

「強化」

 身体強化をプラスして発動する。
 このくらいの身体強化魔法なら、もう詠唱も魔法陣もいらない。
 ゆっくりエリンを抱き上げて、降りられそうな場所を探す。
 探知を広げると、上の方に洞窟を見つけた。
 そこまで飛行して、着地。

「!」

 エリンを下ろして洞窟の奥を見る。
 不可思議な魔力の気配。
 ふわり、と首に下げていた『魔陣の鍵』が浮かび上がって洞窟の奥を指し示す。

「……入り口……」

 探していたのはどうやらここだったらしい。
 立ち上がって、手のひらを上に向ける。
 少し念じると『学習済み』の魔法が自動で発動した。
『灯火』の魔法。

「ん……」
「! エリン、だ、大丈夫!? け、けが……してたら、おれ、治す、から!」
「……ミ、クル?」

 ゆっくりと起き上がるエリン。
 そして少しだけぼんやり、ミクルの姿を上から下まで眺める。
 確認しているようにも見えた。

「ミクル……? ミクル、なの? 無事だったの……!?」
「ぐぇっ!?」

 ものすごい勢いで肩を掴まれて揺さぶられる。
 というか首に軽く指が埋め込まれたような……あたりどころが悪すぎた。

「あ、ご、ごめん……つい……」
「え、あっ、う、うん……げふっ……お、おれ、はだ、だ、だいじょ、ぶ……リ、エリン、は……」
「え? アタシ……?」

 体を離し、全身をチェックするエリン。
 怪我はなさそうだが、エリンに関しては気になる事がある。
『勇者の声』を、聴く。
 最後に会った時、エリンの様子が変だったのでずっと気になっていたのだ。
 今のエリンは、ミクルの知る彼女のようだけれど——。

「大丈夫……みたい。ミクルが助けてくれたの? ……でも、どうやって?」
「……怪我、ないなら、良かった……。……えっと、ま、魔法で……」
「魔法……?」

 立ち上がってあたりを確認するエリンは、まず入り口の方を覗き込む。
 しかし、洞窟の下は断崖絶壁だ。
 ここに至るまでの道もない。
 ミクルは魔法で飛行可能。
 エリンにも飛行魔法を掛けて、空を飛んで道まで戻ればいいのだが……ミクルはこの洞窟の奥に用がある。

「魔法で? 魔法でここまできたの……? そんな事、魔法で出来るっていうの?」

 入り口の下を見てから、至極もっともな質問が飛んできた。
 素直に「魔法で飛んできた」と答えるとかなり変なものを見る顔をされる。
 本当の事なので、簡単な浮遊魔法を使いその場で浮かんで見せた。
 ギョッとするエリン。

「なにそれ! どういう事なの!? それが魔法!?」
「……オディプスさんに、魔法、を、お、教わって、る。あの人……すごい、よ」
「オ、オディプス? ……誰?」
「え? えーと……師匠……かな……魔法の……」
「ミクルの、魔法の師匠? そんな奴いた?」
「そんなやつ……」

 記憶にない?
 しかしあの場にエリンもいた。
 確かにどこかぼんやりとしていて心配していたが……。
 しかし「そんなやつ」扱いとは。

「……エリン、覚えてる? ……あの天空の魔城が現れた日の事……」
「! ……。…………ううん……あんまり覚えないんだ。そういえばミクルが変な奴に攫われのって、アタシがおかしくなってた日、なんだっけ。もしかして、その時にミクルを攫った奴?」
「攫われたというか……、……ううん、あの時は、あれで、良かった……と、思ってる。おかげで、前よりも……魔法、色々、たくさん、覚えられた……から」
「そう、なんだ。酷い目に遭わされてるとかじゃないんだね?」
「うん。それはない」

 キッパリと否定する。
 確かに厳しい生活は強いられているが、その分自分自身が成長しているのは感じるのだ。
 恩を感じこそすれど、そこから逃げたいとは決して思わない。

「エリン、こそ……『勇者の声』……って?」
「え? あ、ああ……なんか男の声が頭の奥で聞こえるんだよ。魔女を倒せ、魔王を倒せって……そのためには『魔陣の鍵が必要だ』とかなんとか……」
「…………」

 胸元から『魔陣の鍵』を取り出して、見せた。
 エリンは驚いて「それ!」と叫ぶ。
 しかし渡すわけにはいかない。
 これから鍵が指し示す方向に行かなければならないのだ。

「魔王の事、し、らべて、る……」
「? この先に手掛かりがあるの? …………。アタシも行っていい?」
「ん……」

 鍵の先端が指し示す、洞窟の奥。
 それを、見据える。

「みんなと、合流しなくて、いいの」
「…………。うん。……少し、声が聴こえる気がする、から……」
「エリン……」

 頭を抱え、どことなく辛そうな表情。
 大丈夫、と聞くと「へいき」と頷かれる。
 本当に大丈夫なのだろうか?

「早くこの鬱陶しい声とおさらばしたいんだよね
「……ん。そっか……そうだよね……うん、行こう」
「うん!」

 足下を確認しながら、洞窟の奥へと踏み出した。



「暗いね……ミクル、転ばないようにしなよ」
「うっ……むう、灯火」
「!」

 手を差し出して前方と後方に火を生み出す。
 驚いた顔をされたが、灯火はまだ下級の魔法だ。
 ただ炎が出るだけ。
 本当はオディプスが使っている『ランプ』が使いたいのだが、まだそこまで習得出来ていない。
 夜間本を読む時に使いたいと思いつつ、広範囲を照らす光量と、美しい球体を維持するのが存外難しいのだ。

「……こ、これも魔法? ミクル、こんな魔法使えたっけ?」
「お、教わった……あの人に……」
「オディプスさん、だっけ? ミクルの師匠?」
「うん」
「ふーん。ワイズが『ミクルを攫って行った変態!』って叫んでたけど……マジで普通に修行してたんだね」
「ん……うん」

 ……ミクルを攫って行った、変態。
 ワイズの中でオディプスのイメージがなかなかに酷い事になっているらしい。
 いつか訂正出来ればいいのだが。

「……魔法、たくさん……すごい、魔法……教えてくれる」
「……魔法って、身体強化や焚火やランプに火をつけるだけじゃないんだね」
「うん」

 まだまだ修行中の身ではあるが、防御、補助、結界などはセンスが良いと褒められた。
 攻撃系も四大元素と呼ばれる『土』『水』『火』『風』の初級の三十種類程「もう完璧だ」と言われている。
 初級魔法に関してオディプスが使えるものは千を超えているので、三十ばかりなどささやかな数だが……。

「!」

 探知魔法に複数のモンスターの気配。
 そして、その奥に不思議な魔力の塊を感じた。
 おそらく一番奥のものが『魔陣の鍵』。

「ミクル? どうしたの? 何かあった?」
「モンスター。大きい。三体……」
「え? どこに?」
「ん……八メートル先に一体、十メートル先に少し広いところがある……そこに一体……手前のやつより大きい。その下の降る道の先の広いところにもう一体。……動かないけど、一番大きい、モンスター……多分人工のモンスター……魔女の罠……ガーゴイル……」
「………………」

 一番奥にいるのは『魔陣の鍵を守る者』だろう。
 魔女クリシドール。
 彼女はモンスターを操る力を持っていたという。
『ゴーレム』『ガーゴイル』などの人工のモンスター。
 そういう事か、と一人頷く。

「……モンスターの種類……そんな事まで分かるんだ?」
「ん……うん、探索の魔法で……」
「探索魔法……そんな魔法あるんだ?」
「うん」

 行こう、と今度はミクルがエリンの手を引いて前を歩き出す。
 その姿に、エリンは目を丸くした。

「……ミクル、どんな生活してたの……?」

 呟くようにエリンが問う。
 それに、素直にこれまでの生活を教えた。
 オディプスは厳しいが、素晴らしい魔法使いだ。
 彼の指導のおかげでミクルの魔法の知識、実力は信じられない程に伸びている。
 しかし、それでもオディプスの足元に及ばない。

「あの人は、すごいんだ……すごいけど……」
「すごいけど?」
「…………さみしそう」

 目を細める時。
 ふと、目線を外へと向けた時。
 彼の眼差しの奥にあるのは途方もない孤独。
 魔女クリシドールもまた、深い悲しみと孤独を滲ませた瞳をしていた。
 同じ紫色の瞳で、どこまでも哀しい。
 そして、聞いてもきっと答えてはくれないだろう。
 ごまかされるか、流されるか。
 ミクルには理解し難いのかもしれない。
 けれど、あの寂しさに満ちた瞳を眺めていると、少しでも側に——いなければいけない、と思うのだ。

「……寂しそう……か……」
「うん……」
「リズが言ってた。アタシと同じ『禁忌の紫』の人だったって……」
「…………」

 顔を背けられる。
 紫色の瞳。
『魔女』であり『魔王』だったクリシドールと同じ瞳の色を持つ者をそう呼ぶ。
 ただの迷信だと笑い飛ばせる人間は……あまりに少ない。

「あの人は、そういうの関係ないと思う……」
「? どういう事?」
「この世界の、人じゃないから」

 えっ、と小さく声が上がる。
 とはいえ、ミクルも詳しく聞いたわけではない。
 ただ彼の世界ではこうで、こちらの世界はこう。
 あちらの世界はこうで、など、そんな話をよくされる。
 彼の世界はこの世界とは比べ物にならないほど豊かで、便利なのだそうだ。
 あの『観測所』にも、最初は見覚えのないものがたくさんあった。

「そう、なの……そんな事、あるんだね?」
「うん……」

 しかし、穏やかに会話していられるのもここまでだ。
 目の前の岩の奥は広まったところ。
 そこには、がぶがぶと岩を喰う大型モンスターがいた。

「あ、あれって……ロックゴーレム? でも、普通の大きさじゃないよね?」
「ビッグロックゴーレム……」
「や、やっぱりそうなの? ……そんな……」

 この辺りを広場のようにしたのはあのロックゴーレムだろう。
 しかも、周囲の岩などを食べすぎてエヤミモンスターのように巨大化してしまっている。
 エリンは剣の柄を握り締め、ビッグロックゴーレムを睨む。

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