騎士団寮のシングルマザー

古森きり

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side真美【前編】

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 お父さんについて行きたい。
 そう言ったのだが、父は困った顔で「お母さんと行った方が真美の為になるんだよ」と言った。
 貧乏でもいい。
 虐められても真美は我慢するから。
 そう言ったけど首を横に振られた。
 父が困った顔をして、優しく微笑む。
 そんな経緯を経て、真美は母、歩美に手を引かれて駅へ向かっていた。
 父から離れ、九州に引っ越す。
 荷物は送り、新幹線で何時間も移動して……。
 確かに学校は嫌いだ。
 真美の父が売れない俳優である事が知られると、貧乏だからと虐められる。
 女の子たちはクスクス笑いながら見下してくるし、男子たちは物を投げたり叩いたり蹴ったりしてくる。
 先生に話しても、困ったね、と微笑まれて終わり。
 虐めは終わらない。
 遠くに引っ越して、そちらの学校で今更馴染めるのだろうか。
 不安でいっぱいだった。
 友達なんてきっと出来ない。
 そう思いながら、暑いコンクリートの上を母に手を引かれて歩く。
 その中で、悲鳴のような甲高い声が複数聞こえてきた。
 顔を上げて見ればキキー、というブレーキ音。
 目の前に高速で迫る白い車。
 真美は「お母さんが轢かれる」と感じた。
 その瞬間、白い光に目の前が覆われる。


「…………?」


 成功だ!
 と、叫ぶ声。
 見上げると、真っ暗な天井。
 真っ白な布に覆われた人々が何人も……。

「ひっ……!」

 顔半分まで布に覆われていた者たちが、わらわらと近付いてくる。
 唯一見える口元は笑っていたが、暗い部屋、そして、白い布……顔は笑顔とくればそれはもう完全にホラーだ。

「ぎゃあああああぁ! いやぁああぁぁあ!」
「!?」
「いやあああぁ! やだあぁぁぁ! おかあさーーーん! お母さんんん! うわああぁぁぁぁん! おとぉさぁぁぁん!」

 周りを見る。
 すぐ側にいたはずの母はいない。
 その代わり、自分を中心に囲む無数の白い布を被った人々。
 彼らがわら……と近付いてくれば、十歳の少女にとってどれ程の恐怖か。
 真美は泣いた。
 とにかく泣いて、泣いて、そのまま床に額を擦り付ける程体を丸めた。
 怖いものを見ないようにする為に。

「うああああぁん! うわぁぁぁぁぁぁぁん!」

 どうして、なぜ?
 道路を歩いていたはずなのにお化けの真ん中にいるのか。
 声が掛けられていた気はするが、耳を塞いで泣き叫び続けた。
 足も痛くなって、体育座りに体勢を変えた後も耳を塞ぎ目を瞑って耐える。
 お化けが一歩一歩、近付いてくる気配。
 それを察知したら、亀のようにうずくまった。
 繰り返していると、お化けたちは離れてなかなか近付いて来なくなる。
 唇を噛む。

(お母さん……お父さんんっ……お父さん……助けてぇ……)

 お父さんが助けに来てくれないだろうか。
 お母さんでもいいから。
 そんな風に祈り続けていると声がした。

「真美!」
「!」

 目を開けた。
 開け放たれた扉から、母がボロボロの姿で走ってくる。
 真美も立ち上がって、母のもとへ急いだ。

 ——それから、母に聞かされた話によるとここは異世界。
 真美は聖女として召喚されたそうだ。
 聖女……厄気という悪いものを浄化する力を持つ、聖なる乙女。
 なんでそんなものに、真美が選ばれたのか。
 その上、召喚されたら二度と元の世界に帰る事は出来ない。
 つまり……。

(……お父さんにもう会えない……)

 その事が深く、深く胸を抉った。
 母の事は嫌いではない。
 嫌いになる理由がない。
 けれど、それでも……真美の父親は真美を幼い時から世話してくれた。
 毎日遊んでくれたし、勉強を教えてくれた。
 小学校に上がってからは宿題も見てくれる。
 仕事で一日中いない母。
 仕方ないけれど、真美たちの生活費は母と母の実家に頼りきり。
 その事で両親が話し合っているのを幼い頃から聞いてきた。
 それは仕方ない。
 父の夢を、歩美も真美も応援していたかったのだ。
 でも、現実は優しくない。
 そしてついに、異世界に召喚されて会えなくなった。

「…………」

 真美には、お母さんしかいなくなってしまったのだ。
 不安げな母はその夜、真美を抱き締めて眉を寄せて寝ていた。
 そのなんとも小難しげな寝顔。
 それだけで十分過ぎるほど、母が追い詰められているなと思った。
 それに追い打ちを掛けたのが、翌日聖殿に行く際聞かされた事。
 真美が聖女を断れば、真美は殺されてしまう。
 今の聖女がいては新しい聖女を召喚出来ないのだそうだ。
 それでは選択肢などない。

「……………………いいよ、わたし」
「え?」
「殺されるんだったら、わたし、聖女っていうの、やるよ」
「ま、真美!? なに言ってるの!」

 母は叫んだ。
 しかし真美よりも大人であり、事情を理解している分苦しそうな表情で押し黙る。

「だから……お母さんにはひどい事しないでね……」
「…………っ、……よ、よろしいのですか?」
「うん。だってわたしがやらなきゃ殺されるんでしょう? ……お母さんも」
「…………」
「だったら、やる。……聖殿っていうところ、早く行こう」
「…………御意のままに」

 いや、泣きそうな顔だった。

「大丈夫だよ、お母さん……」
「…………っ」

 安心させるように言ったが、上手く笑えた自信はない。
 自分から表情が消えている事さえ気付かなかった。
 そうして連れて行かれた聖殿にいたのは、白く透けるような長髪の浮くしい姿の聖霊。
 大人の男のようでもあり、女性にも見える。
 それは『エウレイラ』と名乗った。
 聖霊の王だと。

『私と契約しろ、聖女』
「…………わたしは、真美だよ。有坂真美」
『ではマミ、魔女の放つ厄気は我ら聖霊にも影響がある。迷惑なのだ。私が力を貸す。あれをなんとかしてほしい』
「……うん、いいよ。……やりたくないけど……殺されるっていうから……」
『……殺される? そなたを? そんな事は私が許さんぞ?』
「新しい聖女を召喚するのに前の聖女がいると出来ないんだって」
『なるほど、それでそなたを殺すと? ……しかし私はそなた以上の聖女を未だかつて見た事がない。そなた以上に聖女と呼ぶに相応しい娘は今後も現れまい。それでもか?』
「うん、だからわたしがお母さんを守るの」
『なに、そなたが私と契約すれば、我が眷族たちがそなたもそなたの母も守ろう。約束する』
「そうなの?」
『そうだ。約束だ』
「うん、分かった……」

 守ってくれる。
 それなら、と、真美は手を伸ばした。
 この世界で生きていくしかないのなら、安全な生活を送りたい。
 自棄、と呼ばれる状態に近かったのかもしれない。

(もうどうでもいい)

 そんな風に思っていたのは事実だろう。
 しかし、その後は文字の読み書きの練習、偉い人たちと会合、会議、力の使い方の練習、そして食べ物の違い。
 母は色々話し掛けてくれるが、鬱憤のようなものが溜まりに溜まって爆発するのにそう時間は必要なかった。
 なにもかもが嫌になり、逃げてしまう。

(お父さんに会いたい。お父さんのご飯が食べたい。頑張りたくない)

 どうして自分が、自分だけがこんな目に……。
 真横に座るエウレイラは、真美を眺めているだけだ。
 エウレイラは『マミが望むのなら、そなたを聖霊界に連れて行く』という。
 遠回しに人間を見捨てる、と言っていたのだ。
 聖霊は聖霊だけの世界に引きこもる。
 だが、それには当然犠牲が伴う。
 そんな事をすれば、弱い多くの聖霊が取り残されて、厄気や魔女に呑み込まれてしまうのだ。
 エウレイラも出来る事ならやりたくはない、選択肢。
 それが分かっていたから真美は膝を抱えて耐えた。

「真美!」
「…………おかあ、さん……」

 そんな自分を迎えに来たのは母だった。
 母になにもかもをぶちまけて、大いに泣きじゃくる。
 そういえばこんな風に母に甘えた記憶がない。
 もしかしたら、初めてかもしれない、と気付く。
 母は思ったよりも温かいし柔らかいし、いい匂いもする。
 お父さんの方が好きなのは仕方ないけど、以前よりもお母さんの事が好きになれたと感じた。

(あ……)

 散々泣いて、城に帰る時に手を繋いで岩を降りた。
 その時にボロボロになった母のブーツや汚れて擦り切れたスカートの裾に気が付く。
 こんなになるまで探して走り回ってくれたのだ。

(…………お母さん……)

 家事もろくに出来ない母が、料理を頑張ると言い出した。
 最初はサラダのみ。
 それから魚を焼いたり、お肉を焼いたり。
 お母さんが頑張っている。
 なら、真美も頑張らなければとやる気が出た。
 そして、ついにある日……。

「え、魔物……」
「はい、聖女様には魔物の浄化をお願いしたく」

 そう言ってきたのは聖殿長と副聖殿長。
 聖殿長はリツシィ・ハウ。
 濃紺の髪と紫紺の瞳を持つ、とても綺麗な人。
 契約聖霊は風と水の二体。
 副聖殿長はマオイ・エーダ。
 紫の髪と目の、こちらもタイプが違った綺麗な顔立ちの人物。
 契約聖霊は火と土。
 二人は異母兄弟らしく、歳も近い。

「魔物の浄化……」
「聖女様、戦闘は我々が行います。一度見て頂くだけで良いのです。なにも不安に思う事などありません。我らの聖霊もまた貴女と眷属契約している。貴女の力で我らの聖霊も『浄化』を行えます」
「…………」

 聖殿長はいつも真美と目線を同じにして話してくれる。
 フードで顔を隠すのは、この世界の聖霊に携わる者の『礼儀』といい、聖殿長たちの姿はいつもこうして隠れていた。
 けれど声色は優しく、丁寧に話す。
 魔物を一度見る。
 それだけの事。

「分かった」
「はい、聖女様」

 聖殿長が望むなら、頑張ろう。

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