ふたりの恋

ゆり

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それぞれの道

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※田中聡子視点です





 橘と距離を置いて、早1ヶ月ほど過ぎた。その間、何か特別なことがあったわけでもなく、授業とサークル活動をこなす日々が、淡々と過ぎていった。

 鈴木くんと話をしたい気持ちはあれど、今さら『橘とのことは、はじまりは私の意志じゃなかったの』と説明するのもなんだか白々しく感じ、もうこのまま時の流れに身を任せようと思っていた。ある種の贖罪のつもりだった。

 自分の努力だけではどうにもならないことがある。世の中はそっちの方が多いのかもしれないということを知った。

 

ーーー


「はい、では今日はここまで」

 教授の声が響き、それを合図に室内がざわざわし始めた。

 本日の授業が終わった。「おつかれー」「じゃね」の声が行き交う中、さて私も帰ろうとテキスト類をカバンに押し込む。
 これから学内のカフェに行って簡単に今日の復習をして、それから管弦楽サークルへ顔を出す。
放課後のルーティンを守るべく、椅子から立ちあがろうとしたとき。

 ふわっ、と懐かしい香りが鼻腔をかすめた。

 この香り。

 この、優しい香りは




「……聡子」




 ずっと。

 ずっと、ずっと会いたくて話したくてーー抱きしめたかった鈴木絢斗くんの香りだった。



「……少し、話せる?」



 想定外のことに私の脳は全く機能せず、「あ、うん」と返事できるまでにだいぶ時間を要した。

「よかった。……って言ってもここじゃなんだから、移動しよっか」

「う、うん」

「ドライブでも行かない?久しぶりに」

 勇気を振り絞って、思い切って顔を上げると、鈴木くんの優しい瞳と目が合った。あたたかな、春の日差しのような穏やかな眼差し。
その瞳に囚われて、私は一瞬呼吸をすることを忘れた ーーーー。






 車に揺られ、着いたのは海だった。海からの風が気持ちよい。海面が日に照らされきらきらと輝いて、とてもきれいだ。日が沈む頃は、また美しい夕日が見られることだろう。

 車から降り、2人で砂浜に座る。鈴木くんがぴたっとくっついているので、そちらがほんのり暖かかった。

「…………………………」

「…………………………」

 何を話すでもなく、寄せては返す波をぼんやりと眺めていた。ざざ……ざざ……という波音が心地よい。

「聡子」

 先に口を開いたのは鈴木くんだった。

「ごめんな。……橘から聞いた。はじまりのこと」

 顔が一気に赤くなる。『橘から聞いた』って、何を?どこまで?というか、橘と鈴木くん、話したなんて初耳だ。

「あ、あの」

「……聡子の意志じゃ、なかったんだね」

 鈴木くんが、言葉を選んでくれたのが伝わってくる。思わず、彼の手を握ってしまった。

「それなのに俺さ、責めるようなこと言って。話も聞かないで。……ごめんな」

 鈴木くんが今にも泣きそうな顔で私を見る。胸が、ズキンとした。

「私の方こそ、ごめん……」

「ふふっ、なんで聡子が謝るの。謝るのは俺だよ」

「……だって……」

 鈴木くんが私の頬に手を添えた。見つめ合う。鈴木くんのきれいな瞳に、私が写っている。

 期待する心、戸惑う心がないまぜになって、私の心を乱した。

 気づけば陽の光がオレンジ色にかわってきていた。



 鈴木くんが、そっと、手を下ろした。



「…………………………ごめん」

 長い沈黙の後、ぽつんと呟いた。

「本当は、このまま聡子を俺のものにしたい。……けど、」
 
 夕日のオレンジ色に照らされる鈴木くんは、すごく麗しくて、しばらく見ないうちにかっこよくなったなぁと見当違いのことを思った。そして同時に、そんなことを感じるくらい、会っていなかったのだということに気付いた。

「何かあったときに、絶対橘の顔がちらついて、聡子を責めると思う……」

「だから、ごめん。今は…………今は…………」 

 はっきりと言葉にしないところに彼の迷いと弱さを感じた。けれど私にはそれを責めることはできない。

 深呼吸して、目を閉じた。


「聡子」

「……っ……」

 抱きしめられた。鈴木くんの香りに包まれ、涙が溢れる。
 鈴木くんの肩も震え、泣いているようだった。

「大好きだよ。ごめんね」

 こんなに好きなのに。ごめん。ごめんね。

 鈴木くんが何度も謝った。

「…………………………」

 好きだからこそ、もう一緒にはいられない。
 ラブソングの歌詞のような状況を、自分が体験するとは思っていなかった。

「聡子……」

「鈴木くん……ごめんね。お互い、遅すぎたね。なんでこうなったんだろうね……」

 夕日に照らされながら、2人ずっと泣き続けた。夕日が水平線に完全に沈んでしまったとき、ふたりの恋の終わりを、悟った。




 帰りの車も無言だった。なんの意図もなかったが、たまに、手を握ったりした。

 鈴木くんがマンションの前まで送ってくれた。エンジンは止めない。

「……それじゃ。話せてよかった」

「うん。私も」

「この駐車場、もう解約しなきゃね」

 鈴木くんが寂しそうに笑った。ああ、私の心の支えでもあったのに。

「鈴木くん」

「うん?」

「……あれ?何言おうとしたんだっけ?」

「ははっ、なんだよそれ。思い出したらまた言って」

「……うん、そうだね」

 小さく深呼吸する。降りないと。いつまでも乗っているわけにはいかない。

「それじゃあね」

 意を決して、ドアを開ける。

 ふと、はじめてのデートのときのことが頭をよぎった。ドキドキしながらシートベルトをしたっけ。

 私を降ろして自分の駐車スペースでUターンしてきた鈴木くんが、窓を開けて、言った。

「おやすみ」

 優しい声に、思わず涙が出そうになる。

「うん、おやすみ。気をつけて帰ってね」

「ありがと。……それじゃ」

 柔らかく微笑んで、ゆっくりと、静かに発進した。

 だんだん小さくなっていくテールランプを見ながら、さよなら、と呟いた。



 
 ーー知り合った初めの頃は、なんて怖い人だろうと思っていた。
 仏頂面で、話しかけても「ああ」とか「うん」とかしか言わない人で。
 打ち解けるまで少し時間がかかったけれど、仲良くなってしまえば、友情が恋にかわるまでそう時間はかからなかった。

『好きなんだけど。付き合わない?』

 告白されたときは嬉しくて嬉しくて。その夜は中々寝つけなかったことを覚えている。

 毎日のおしゃべり。優しいキス。はじめて結ばれた日のこと。

 目を閉じれば鮮明に思い出せる、きらきらした宝石みたいな思い出たち。

 鈴木くん。大好きだったよ。




 私は泣いた。

 涙が後から後からこぼれてきて、止められなかった。

 鈴木くん。

『聡子』

 頬をなでてくれた柔らかい手。

 私を慈しむように見つめる眼差し。

 「大好き、鈴木くん」

 あなたは、私の


 








 初恋でした。
 













ーーーーーーそしてそれからあっという間に1年が経ち。私は相変わらず学業とサークル活動に精を出す日々を過ごしていた。

 放課後は今でもカフェで勉強をしていた。サークルへ行く前のルーティンだ。

 今日も今日とて淡々とこなしていると、テーブルをとんとん、と叩く音がした。

 顔を上げた先には、懐かしさすら覚える見知った顔。

「君、かわいいね。名前なんていうの?」

 はじめて出会ったときを思い出させるセリフ。

「……田中です」

 苦笑いして、答えた。

「田中ちゃん。下の名前は?」

 私がのってきたことに気をよくしたのか、笑みを深めた。

「聡子です」

「聡子ちゃんか、かわいいね。俺と付き合わない?」

「お久しぶりですーーーー橘さん」

「え~~~~?名前で呼んでくれないの?」

 ガタガタと椅子を引き、目の前に座るのは橘悠介。姿を見かけることはあれど、こんな風に話しをするのはあの日以来だった。懐かしさについ口元も綻ぶ。

「はい、チョコレートケーキ」

「わっ、いいんですか。嬉しい。ありがとうございます」

「……最初はなぁ、『お代払いますぅ』なんてかわいらしかったんだけどなぁ……」

「女は年をとるごとに強くなっていくんです」

 もぐもぐしながら答えた。お前うまそうに食うなぁと言われた。

「で、なんの御用ですか?」

「なにって……はは、きいたぜ?」

「運動部の横のつながり、ですか?」

 何を言いたいのかは、からかいたいのかは、現れた瞬間からわかっていた。

「そうそう。ははは、鈴木のぼっちゃん、彼女できたんだってな?ははは」

 橘がからかうように言ってきた。殴ってやろうか。

「……お相手は法学部の子らしいですよ。1年の共通科目のときに知り合っていて、鈴木くんが弱ってるときに支えていた女の子らしいです」

「……お前よく知ってんなぁ」

「よっしーをしめあげて吐かせましたから」

 言い渋るよっしーを居酒屋で飲ませ、洗いざらいしゃべってもらった。その日は私も深酒して、よっしーの部屋で雑魚寝した。当然ながら何もない。

「…………………………」

「今度はチーズケーキ食べる?」

 橘が可哀想なものを見る目で私を見ながら言った。

「いいです。……鈴木くんのことは、美しい思い出としてとっておきます」

「うんうん。そうしろ。ぼっちゃんが幸せ掴んだから、お前ももう心置きなく幸せになれるだろ」

「?」

 橘が笑った。相変わらず犬みたいだ、と思った。

「俺さ、刺されて気を失う瞬間『聡子と出会い直したい』って思ったの」

「はぁ」

「はぁじゃねーよ。どんだけ鈍いんだよ」

「…………!」

 橘がにこっと笑って言った。その笑顔を直視してしまい、私はなんだか恥ずかしくなってきた。忘れていたけれど、こいつは超がつく美形だった。ミスター医学部2連覇という偉業を成し遂げた奴だ。

「とりあえずさ、飯でも行かね?」

 何かの罠かと勘繰ったが、もうその必要もないことに気づいた。ふっ、と肩の力が抜けた。

「いいですね。お供します」

 私の返事をきいた橘が、にっこり笑う。
 それを見てなんだか私も笑ってしまった。

「笑うなよ」

「そっちこそ、ふふ」

 込み上げてくる笑いを誤魔化すように、残っていたコーヒーを一気に飲み干した。その苦味とチョコレートケーキの甘味が、丁度よい具合に調和した。
 柔らかな日差しの中、優しい眼差しで私を見る橘。
 その甘やかな視線が無性にくすぐったくなり、私は目をそらした。
 白い花々が咲き乱れ、まるでお辞儀をするように、風に揺れた。
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