【R18】蕾の乙女は手折る花を誰に捧ぐ【完】

鯨井兀

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エピローグ・Ⅲ・


 休日、私達は皇宮に招かれていた。
 とはいえ若い二人が住む離宮であり、馬車も閑静な木立の中を進んでいた。

「すっかり秋めいてきたわね。うちの庭木もようやく赤くなってきたし」
「はぁ、もう家に帰りたい……俺は週末の休みの為に働いてるようなものなのに。二人の時間を奪う人間が心底憎い」

 婚約者は私の肩にもたれかかり、ずっとこの調子だ。
 彼は魔塔に勤めているが、仕事はかなり大変のようだ。
『行きたくない・辞めたい』が毎朝の口癖なので、よほどブラック企業かと思えば、きっちり夕食の時間には帰宅してくれていた。

「王子様も慣れない御公務でお疲れみたいね……。頼りのお妃様も身重だし、彼に優しくしてあげてね。喧嘩なんてしちゃダメよ」
「俺も疲れてるのにいぃ。あいつに優しくするなよ、つけあがるから」
「そう言われてもねぇ……私が、まだ幼い王子様から兄の存在を奪ったようなものだもの。ずっとお一人で次期皇帝という重圧にご苦労されてるかと思うと、胸が痛むわ。兄を返せと言われても、今更返せないし」
「俺を返品するなよおぉ。俺だって苦労したんだ、魔塔に連れて行かれた時は生き延びるのに必死だった」
「そういえば……」

 私は以前、皇后様から聞いた話を思い出していた。
 確か、神聖力を持つ者にとっては、魔塔はそれはそれはつらい場所なのだと。

「エリオン……あなたまさか、今も魔塔で苦しい思いをしているの? そんな場所に私は……頑張れと背中を押して送り出していた、の……?! 」
「いや、違うよ。今は平気だ」

 彼は慌てて姿勢をただし、私の手をとった。

「成長期だったせいか、急に魔力量が爆増して。それからは魔塔の暮らしも平気になったんだ。だから朝の、やめないで。頑張れって言ってくれないと本当に頑張れない」
「そんなに仕事がつらいの? 困ったわね……誰かに意地悪されてるの?」
「そうじゃないけど。俺は早く家に帰りたいから、毎日必死なんだ。なのに朝行くと机に大量のゴミが置かれてて」
「——えええっ、そんなの、いじめじゃないの!」
「いや、正確にはゴミみたいな計画案や報告書が山積みなんだ」

 と、げんなりと肩を落とす。

「そのゴミを確認して分別するのが仕事なんだけど、ゴミは突き返しても、どうせまた別のゴミになって戻ってくる。だから自己処理した方が合理的だし、毎日必死で片付けてるんだけど、翌朝またゴミ山で。全然綺麗にならないし、むしろ日々増えていくばかりなんだ」
「エリオンたら……」

 項垂れる彼を見て、呆れて溜め息をついていた。
 優秀な魔塔主がすべて解決してくれるなら、アレもコレもと押し付けられて当然だ。

「職場の皆さんと、しっかり話し合わなきゃダメよ。仕事を任せて分担しないと、あなたが倒れちゃうわ」
「任せたら終わらない、残業は絶対嫌なんだ……。なのに休日まで邪魔されて最悪だ。ねえ、慰めてよ」
「それは、いいけど」

 彼の美しい顔面が迫り、ドギマギしてしまう。
 熱い吐息とともに、指が私の唇に触れ、

「今日は休日だから口にして欲しいな。あいつの前で大人しくしてると約束するから……えろいやつしてよ……」
「……だ、だめよ、そんなことしたら、へ、変なこともしようとするもの」
「変なことって何? 分からないから教えてよ」

 窓に手を突き、私の逃げ場を失くしていく彼。
 時々見せる意地悪で妖艶な眼差しは、禁句だが、義弟にそっくりなのである。

「だめだってば、あ……ちょっとお」
「寝室じゃないのに襲わないよ。ほら……ちゅーして」

 今朝も寝台では情熱的な接吻を交わした唇が、甘やかに囁く。
 しかし確かに彼の言う通りなのだ。
 私の婚約者は花畑でしたいと襲ってきたきり、寝室以外で淫らな行為をしようと迫る事はなかった。
 抱きしめたり甘える事はあっても、それだけなのだった。

(だけ、だなんて。まるで私の方が、いつもどこでも淫らな行為を期待してたみたいじゃない)

「ねえ、ちゅーは?!」と騒ぐ彼を完全に無視し、赤面した顔を両手で覆っているうちに、馬車は離宮に到着していた。

「エマ~」

 秋色に染まった見事な庭園と、自然豊かな木々に囲まれた離宮。
 豪華絢爛な皇宮に比べれば、落ち着いた閑静な城だ。
 その玄関口で、正妃自ら出迎え、手を振っていた。

「ユーテル!」

 再会の喜びに、手を振り返した田舎娘。
 するといつの間にやら、馬車を黒装束の隠密軍団が取り囲むのだった。

「ひっ、妃殿下への不敬罪で地下牢に収監後日の出と共に打首獄門に刑に処され?!」
「いえ」

 慄く田舎娘を一瞥し、隠密軍団は一斉に跪礼する。

「エリオン殿下、陛下がお呼びです」
「はあ?」

 行方を阻む軍団に対し、殿下はあからさまに迷惑そうに顔をする。
 そして私の手を握りしめ、「行かない」と睥睨へいげいするのだった。

「今日は婚約者の付き添いで詣でただけです。それに俺は殿下と呼ばれるような身分ではないし、無礼な呼び出しに応じる魔塔主でもないと。そう伝えてください」
「どうかお願いします。ご同行いただけなければ、日の出を待たずして我々の首が飛びます」

 隠密軍団は殿下には畏まりつつ、チラチラと私に視線を向けていた。
 まるで、
《早く説得しろ、この貧乳の田舎娘が!》
と胸の内で罵られているようである。
 私は胸元を隠しつつ、命惜しさに彼の手を握り返す。

「エリオン、殿下……。陛下は、その、何か、重要なお話があるのでは?」
「いや、無いよ。俺の邪魔ばかりするくせに。弑逆しぎゃくされないだけマシだと思え、クズ野郎が」
「あああああ」

 何かとてつもなく不敬な発言を聞いた気がして、田舎娘は絶叫して揉み消していた。

「そ、そうだわ!あなたが顔を見せたら、陛下もご機嫌になって天下の勅令を取り消して下さるかも?! エマは~早くエリオンと結婚したいなぁ~」
「えっ」

 貧乳の田舎娘に媚びを売られ、買ってくれる男など、この場に一人しかいない。
 むしろ、
《殿下、目を覚まして下さい!》
《傾国の佳人たる母君の早世で、性癖に難が》
《おいたわしや、殿下……》
 などなどと。廃王子を不憫を嘆き、涙する男達しかいなかった。

 しかし殿下だけは「そうか」と頬を染めて、頭をかいていた。

「……じゃあ、ちょっとだけ顔見せてくるかな」
「すてき!今すぐ行ってきて!」

 こうして田舎娘は己の命惜しさに、愛しい婚約者を御前に差し出すのだった。

「すぐに戻るよ、婚約者さん」

 繋いだ手に口付けし、去っていく彼。
 その後ろ姿は、隠密軍団と共に陽炎のように消えてしまっていた。

「はぁ……殿下だなんて。やっぱりエリオンは雲の上の人みたい」

 口付けされた手を胸に抱き、深く溜め息をつく。
 そして田舎娘は、さらに雲上となった友人の元へと急ぐのだった。

 ◆

「もうこんなにお腹が大きくなって。ふふ、待ち遠しいわね、赤ちゃんに会えるのが」

 高貴な皇子を宿した妃は相変わらず美しく、大きなお腹を撫でる姿は聖母のようであった。
 私はユーテル妃と並び、庭に面した外回廊を歩きながら、怪訝に辺りを見回していた。

「ねえ、侍女どころか警護も見当たらないけど……大丈夫なの?」
「それが私……王子様を騎乗位で襲って身籠った淫女だと、皆から冷遇されていて……」
「なんてことなの。あなたが追い出したのね」
「あはは~。まあ、そんなとこ~」

 妃自ら客人を出迎え、自ら城内を案内し、自ら部屋の扉を開け放っていた。

「無駄な人件費は削減中なんだー。私以上に私を守れる奴なんて居ないし。それにばばあが寄越す人員なんて寝首かかれそうじゃない」
「あなた、まだそんな事言ってるの……」

 妃は「よっこいしょ」と大きなお腹を抱え、席につく。
 そして田舎娘にも円卓の向かいの席を薦め、

「昼はちゃんと食堂に用意して貰うからさ。お茶はセルフでいい? 私はハーブティーにするよ」
「あ、私、淹れてみたい。仕事で茶葉の勉強もしてるの。ライラには不味いって評判なのよ」
「まじか~」

 ここはプライベートな部屋なのか、テーブルの上には編み道具や、読み掛けの本が置かれていた。
 ユーテル妃は私の不味いお茶を待ちながら、傍に置かれていたブランケットを手に取り、

「ねえエマ! 私も編み物を始めたの。エマから貰った、このブランケット、とっても素敵だったからさ~。まずはキリアンの分を編んでみて、上達したら子供にも作るつもりだよ」
「ふふ、喜んでくれて私も嬉しい。夫にもだなんて、仲良しなのね。そういえば王子様は……お仕事中なの?」
「そうだけど、すぐに飛んで来ると思うよ~。エマに会えるの、ドン引きするほど楽しみにしてたからさあ」
「ふふ、光栄ですね。私も楽しみにしてたの。知ってると思うけど時々お手紙下さるのよ。ユーテルやお腹の子の事も沢山教えてくださって」
「まじでさ~。あいつ、エマからの手紙で夜な夜な抜いてるからね?」
「え? 抜いてる?」
「このブランケットも何度ちんこ擦り付けられたか知れないの。流石に巨根でボロボロに犯されたらブチ切れそうだから、ダミーを作ってやろうと思ってさ~。オナニー用に」
「え、待って。何の話をしているの」
「でも、仕事はまじで大変そうでさ~。泣きながらしごいてるからエマも許してあげてよ」

 上流階級の高貴な会話術についていけず、戸惑っていると、

「エマ!」

 扉が開いて、帝国の唯一の王子様が駆け込んできた。

「まあ、王子様……きゃあっ」
「会いたかった……!すごく会いたかったよ……!」

 正妃の目の前で女給に抱きつき、頬を擦り寄せる王子様。
 戸惑いながらも背をポンポンと叩き、《離して下さい》と念を送っていた。

「お疲れですか? お茶が入りましたよ。あ、でも王子様には別に紅茶でも淹れましょうか?」
「ああ、そうだな、挿れようか、エマ」
「え?」
「ああ、なんてことだ、これは夢ではないのか……いや、夢でもいいんだ。ハハ、夢なら早く挿れないと。悪い女給さんだな、妻の前で旦那様を誘惑するなんて……」
「だ、旦那、様……?」
「恥ずかしがって可愛いね……ほら、早く……誰も怒らないから、エマの恥ずかしいところを旦那様に見せて。スカートたくしあげて、おねだりすんだ……挿れて下さい、旦那様って……」
「早く座って下さいぃ、旦那様あああん」

 妻の嬌声がすると、ようやく旦那様はハッと我にかえったようである。

「すまない、エマ。僕は君に、何か変な事を言ったかな」
「いえ、旦那様」  
「よかった……座ろうか」

 王子様は私の椅子をひき、自身も隣の席につく。
 一息つきがてら女給が淹れたお茶を飲み、「茶番が腐ってるな」と驚いていた。
 それにしても大変なやつれようである。
 顔色も悪く、目の下にも深いクマが見てとれた。

「王子様……お疲れのようですね。眠れていないのですか」
「ああ、うん。西の大陸で戦争が起こりそうだし、同盟国からは関税率に不満が出ていて……。疲れて帰ってきてからは彼女に性奴隷のように扱われて……夜は殆ど眠れないんだ。エマ、慰めて下さい」

 どこかで聞き覚えのある台詞である。
 私は聖母の如き微笑みをたたえた、性奴隷の女主人の方を見た。
 女主人は「いやですわ~」と。
 性奴隷の子を宿した大きな腹を撫でていた。

「ほとんど私が奉仕しておりますのに。大切な友人をズリネタにされないように、変態王子から守っているだけですよ」
「え? ズリネタって何?」
「誤解だよ、女給さん……疲れてソファに横になっていたら偶然女給さんの匂いが染み付いたブランケットがあって、偶然女給さんで自慰しただけだよ。それなのに毎晩、卑しい変態だと罵られて子種がカラになるまでされるのです」
「あらあらまあまあ~。〝戯言なら地獄の閻魔の前で宣え〟と。そこの変態王子のおちんちんを踏み付けて罵ってくださいませんこと? 女給さん」

 どうやら女給を介して夫婦喧嘩をしているようであった。

(なんだ。喧嘩はしても二人とも仲良くヤってる……いえ、やってるのね)

 なんだか微笑ましく二人を眺めていると、ようやく愛しい婚約者がやってくるのだった。


 ◆


「今日はお招きいただき感謝します、妃殿下」

 彼は今日の昼食会の主催者である妃に礼を尽くし、胸に手をあてた。

「あら、残念ですわ。魔塔主様、今日は手に口付けして下さらないのね?」
「ハハ、まるで以前は口付けしたように言いますね。愛する人にしかしない主義なのです〝本物〟は」

 笑顔の下に隠しきれない不快感を漂わせてたが、挨拶をしようと席を立ちかけた身重の義妹を制していた。

「俺への儀礼は結構です。気分が悪ければいつでも退座して下さい。お身体が大事な時ですから」
「まあ、ありがとうございます。お義兄様」

 既に私の隣りには王子様が座っており、彼は必然とユーテル妃の隣に座る。
 なんだかお似合いにも見える二人を前にして、私は少し落ち込むのだった。

(本来の彼は、こういう場所にいるべき人で、場違いなのは私だけね。小さな中古の家で過ごしている時は、こんな気持ち、忘れているのになぁ)

 いつの間にか硬く握り締めていた手に、王子様の手が触れる。
 そして「どうしたの」と、疲弊しきった己が身より、田舎娘を案じてくれるのだった。
  
「ふふ、大丈夫です。今朝はバタバタしていて、朝食を抜いてしまって。お二人に会えるのが楽しみで、昨夜もなかなか寝付けなかったんですよ」
「そんな、僕が恋しくて、一晩中身悶えしていただなんて……。可哀想に、あいつでは少しも満足出来てないんだね」
「え?」

 そう心配そうに語りかけ、何故か私の太腿を撫でていく。

「えっと……でも、もうすぐ昼食ですよね! ユーテルが皇宮の豪華な料理をご馳走してくれるって言うから、何日も前から期待しちゃって。もうお腹がぺこぺこで待ちきれないです」
「何日もだって……? そんなに僕のものを食べたいと、中がぐちょぐちょで待ちきれないだなんて」
「そうなんです。王子様のものを、ええええ」

 太腿を這う手が、足の付け根へ——そしていつの間にやら秘部に辿り着く。

「王子様、手が……っ」
「……手じゃ満足出来ない? 困ったな……僕はもう結婚したんだよ、エマ。どうしてこんなドレスを着てきたの、悪い子だ」
「え……」

 着ていたドレスは《ブランケットの御礼に》——
 そう手紙にしたため、ユーテルが贈ってくれたものだ。
 学生時代のドレスらしく、手紙には、

《社交界とは無縁だったし、殆ど新品だよ! 前が編み上げ式だから、はちゃめちゃに絞ったらエマでも着れると思うんだ~。よかったら着てみて♡》

 贈り主からのメッセージに胸をはちゃめちゃに痛めながらも、上等なドレスに大感謝した。
 スカート部分もセパレートになっており、軽くて歩きやすく、先週の同期の披露宴にも着て行ったばかりだった。
 庶民には有り難すぎる、大切な大切な一張羅だったが——
 なんとスカートのフリルの合間から、今まさに、王子様の手が侵入してくるのだった。

「え、え? 前が、破けて……?」
「ふふ、こういう仕掛け隠されているドレスなんだよ……亡国の伝統的な縫製術だから知らぬ者の方が多いけどね。ああ、内腿もよく締まって……妻帯者を誘惑するなんて、悪い子だよ、エマ」
「あ……っ」

 ショーツの股布を擦られ、思わず声が漏れてしまう。
 指を喰み、必死で向いの正妃と婚約者に助けを求めた。
 でも向かいからは、既に嬌声が聞こえるのだった——

「お義兄様ぁ……どうか私の、はち切れそうな膨らみを触って下さいまし。お義兄様の、いやらし……美しい御手が欲しいと、体が疼いているのです」
「ここ?」
「ああん、そこはだめぇ……もっと下……強くしないでぇ、気持ちよくなっちゃうぅ」
「こっち?」
「そこぉ……っ、あん……っ、虐めないでぇぇ、優しくしてぇぇ」
「あっ、本当だ、動いてるな!」

 子宮壁ごしになんとも微笑ましい、家族の触れ合いを楽しんでいた。

(いけない、この冠婚葬祭で久しぶりに集まった親戚みたいな和やかな雰囲気を壊してはダメよ、エマ……!)

 私は唇を噛み締め、王子様の手を押さえた。

「王子様、ダメです……やめて下さい」
「どうして? エマのここ、満足出来ていないよね? あいつは閨の教育もまともに受けてないから、女の扱いが下手だろう……馬鹿みたいに好きだと囁いて、口付けしながら腰を振るだけ……まるで駄犬だな」
「……んッ」

 チュプ、と指が割れ目に触れ、声が漏れた。
 私の中を知り尽くした指が、至極の快楽を与えようと蠢き出した。
 その時、

「腹の子はきっと妃似だな」

 そう彼の声が聞こえた。 
 正妃は腹に触れる彼の腕にもたれかかり、「どうしてぇ?」と、甘えた声で身をくねられせていた。

「そう断言されるとぉ、なんだか私が不貞を働いたみたいに思われますぅ。あ、もしかして、あの日かなあ? 魔塔主様と、愛の汁まみれになった夜の・コ・ト」

 それを耳にするなり、王子様の指はグリグリと肉芽を嬲ってきた。
 私はその手を押さえ、必死に喘ぎ声を我慢する。
 そして、かつて正妃と汁まみれになった魔塔主はというと、
「あれは体だけの関係だ」
 などと、余計な誤解を生むだけの言い訳を必死にしていた。

「……と、とにかく。あいつは母親の腹の中にいた時も、全く苦労をかけなかったと聞いた。優しくて思いやりのある子だ。昔は剣術も好きじゃなくて、相手が痛いのは嫌だと泣いてばかりいたし。だからこんな風に腹を蹴るのは、絶対、妃殿下に似たはずだ」

 義兄の話を聞いたとたんに、王子様は執心していた手淫の手を止めるのだった。

「その上、不義の子で女装までしてる俺を、あいつは初見で〝あにうえ〟と呼んだんだぞ? 誰もそんな風に呼ばないのに、なんて聡く優しい子なんだ!って。俺は嬉しくて、自分の母親に何度も報告したんだ」
「あらまあ、なんて素敵な家族のエピソードなのかしら? 聞いてまして、キリアン殿下?」

 正妃はまるで私達の不貞行為を見透かしているかのように、流し目に不敵な笑みを向けてくる。
 その隣の彼はというと、婚約者が痴漢されたとも知らず、まだ他の女の腹を撫で回していた。

「本当に元気な子だな。ハハ、この子の父親になるのは、中々に大変そうだな?」

 ご機嫌になり、ついうっかり義弟に向けた笑顔は、すぐに凍りつく。

「おおおお、おまえ、どうした、その顔は……?! 腹でも壊したのか? まさか……この女に、毎晩いじめられているのか?」
「い、いえ」

 動揺しているのか、さっきまで義兄の婚約者の股座を弄んでいた手を、膝の上で震わせていた。

(お可哀想に……きっと疲労で頭がイカれてしまったんだわ。魔が差しただけだもの……こんなに震えてしまって)

 私は彼がしてくれたように、そっとその手に触れ、労わる事しか出来なかった。

「そうか、そういえば西の戦争の影響で外交が大変らしいな。そういう時は一人で抱え込まず、皆で仕事を分担するんだ。そうでないと倒れてしまうぞ」

 彼はどこかで聞いたような説法を、神妙な面持ちで流用していた。
 そんな理解ある上司を装う彼に、正妃は目を輝かせて擦り寄った。

「聞いてくださいよお。同盟国という名のお荷物列国がまじでうざくて~。彼が平和的に金で解決してやるって譲歩してるのに、つけ上がり半端なくてぇ。お義兄様の無駄に余りあるお力でワンパン喰らわして欲しいくらい~」
「ユーテル!」

 王子様は珍しく声を荒げ、妃を睥睨していた。

「余計な事を言うな。何も……問題はない。近々話し合いの場を設けるつもりで、大した事案ではないのです」
「なるほど」

 義兄はハーブティーに口をつけ、微妙な顔をしつつも話を続けた。

「同盟国というのは東南諸国か? ならば、その話し合いには俺が出向こうか」
「え……」
「あそこは鉱山があって資源も豊富だ。そこに魔塔の一部を移そうかと考えている。溶鉱炉も必要だしな。雇用と産業が生まれれば関税への不満も多少削がれ、交渉の助けになるかもしれないだろ」
「そんな、どうして」
「どうして?」
「……何故、僕に協力するのですか。ああ……先程父上に呼び出されたのは、そういう事ですか。僕が無力で役立たずだから、貴方にそう命じたと」
「はあ?」

 彼は顔をしかめ、うんざりした様子で天井を仰いだ。

「一体なんの話だよ。単にその和合に、俺にも利があるから申し出ただけだ。嫌なら断ればいい、あのクズ野郎は関係ない。死んだ妾を重ねて、いやらしく顔を拝まれてきただけだ」
「……どちらにしろ断れませんね。魔塔主からの、こんな有り難い申し出はないから。ただ……そのように即断されると、惨めです。自分にも皇帝に相応しい力があればと。貴方を前にすると、自分が嫌になる」
「ハハ、力など。そんな物は国を腐敗させる権力を生んだだけだろ。魔塔も神殿も力を持ち過ぎたな。このままではいずれ国民の反発を削ぐ為、また戦争でも起こすだろう、あのクズならば」
「僕は……父上や貴方のように強くもないし、戦争は、望みません。民が血を流さぬ国を作りたいと、そう思っていて……でも、見果てぬ夢です」 
「なるほど、見果てぬ夢か」

 すると、彼はおもむろに立ち上がり、そして——
 なんと魔塔主は王子様の前に頭を下げ、跪くのだった。

「かような見果てぬ夢ならば、魔塔の主として。この身尽きるまで、王子殿下に仕えると誓いましょう」
「なにを……同情など、やめてください……!」
「生憎、出自がクソだからそんな高貴な感情は持ち合わせてないな。魔塔主として、あのクズではなく王子殿下になら忠誠を誓ってもいいと、心からそう思えただけだ。……キリアン、何も心配する必要はない。お前なら必ず帝国の黎明となろう」
「ううっ、なんで、そんな……僕は、酷い事ばかり、貴方に……ううっ、兄上——」

 王子様は義兄に胸に抱きつき、幼子のように存分に泣き喚いていた。
 その様はブラック企業に搾取され続けた、不憫な一人の若者の姿なのであった。

「ハハ、どうした? デカい図体で泣いていては子に笑われるぞ。……ん、本当にデカいな」
「兄上ぇぇ、僕が、僕が、愚かでしたぁぁ……ごめんなさいぃ、もう絶対、二度と、兄上の前ではエマにしないと誓います……でも自慰は、自慰は、まだ誓えません許してください兄上ええええうわあああ」
「ん、なんだ、自慰? 」

 とち狂い、全てを懺悔しようとする旦那様を、女給は必死に止めていた。
 そして嗚咽するほど泣きじゃくる王子様を、正妃はまこと聖母の如き慈愛の眼差しを向け、微笑むのだった。
 

 ◆


 私達は昔話から近況まで。
 会話はいつまでも尽きず、帰宅したのはすっかり夕暮れ時であった。

「エリオン、本当に本当に、とっても格好よかったわ!私、こんな素敵な人と一緒にいられて本当に幸せ。魔塔主様のお仕事を、もっと気合い入れて毎朝全力で応援するわ!」
「うん……」
「あなたは勿論、一番に格好よかったけど。でもなんだかユーテルの手のひらで転がされていた気もするわね。王子様はとっても素晴らしい妃を娶られたのよ、エリオンもそう思わない?」
「うん……」

 私は普段着にも着替え、はしゃいだままに夕飯の支度を始めた。
 豪華な宮廷料理のあとでは見劣りしかしないが、どうしても二人でお祝いしたかった。

「今夜はエリオンの好きなジャガイモのスープをいっぱい作るわ! お肉も焼くし楽しみにしていてね。あなたも着替えてきたら?」
「いや、俺は……娼館に行かなくてはならない」
「えー?なになに、娼館ー?」

 鼻歌混じりに聴き流しては、二度見も三度見もして振り返っていた。

「——エッ。娼館、って……綺麗な女の人がいっぱい居るところよね……?! え、何しに行くの?!」
「抱かせてもらう為に……ちんこ、ちゃんと勃つか自信ない……出来るかな」
  
 私はフラリと普通に目眩し、床に崩れ落ちていた。

「何故……私、何か悪い事した……? ……したわね……けど、あれは事故よ、王子様も普通ではなかったし」
「……? 何の話?」
「待って。とりあえず、どうして娼館に行きたいのか理由を聞きたいわ。言わずに行くなら、私を踏みつけて行って……!」
「俺だって行きたいわけじゃないよ……でも、女について学ばなくてはならない。俺は……あまりに無知過ぎたんだ」

 そういって取り出したのは、革張りの立派な本。
 思い返せば、帰路の馬車内でも片時も肌身離さず持っていた。

《外交についてお話があります》——と。

 王子様が彼を連れ出し、小一時間後。
 二人が戻ってきた時には、既に彼はこの本を持っていたのだ。

「そういえばあなた、その本を手にしてから上の空だったわよね。帰りの馬車の中でも私一人で喋っていたし……その本、なに?」
「これは皇家に伝わる、男系の閨事の手習本だ」
「閨事?」

 項垂れた彼は、今にも泣き出しそうに声を震わせていた。

「俺が幼い頃、母親に教わった唯一の教えは……同意なく女に触れてはいけない、という事だった」
「え……それは、素晴らしい教えね。エリオンはちゃんと守ってるもの。お母様に心から感謝します」
「でも、全部嘘だった!」
「え………」

 彼は食卓のテーブルに本を叩きつけ、突っ伏していた。

「女は強い男を好み、特に閨では主導権を握られる事を好む。アレコレ聞いてくる男は頼りないと感じて女は総じて外に愛人を作ると、そう本に書いてあった……!」
「ええええ」

 悲嘆に暮れる彼を横目に、本を手に取った。
 革張りの立派な表紙で、一見して閨事の教本には見えなかった。
 けど、ページを捲れば男女のアレコレの図解が目に飛び込んでくるのだった。

「俺は体位なんて知らない、考えた事もなかった。向かいあって抱き合う事が俺の知る閨事で、それが全てだった……なんて惨めで愚かなんだ」
「そ、そこまで落ち込むことじゃないと思うけど……でもあなた、実習担当の修道士だったわよね?」
「うう……やれと言われた事をしただけだ。道具で弄ぶ夜伽なんて俺に関係ないし、興味なかったから。でもあれが変態の道楽ではなく、エ、後ろから……?! エマのお尻を撫でて尻穴もマジマジと見て、本物のちんこ突っ込む行為があるなんて考えられるか?! 手はどこに、尻か?! 」
「ちょお、やめて、言葉にしないで」

 私も恥ずかしさのあまり、テーブルに突っ伏していた。

(つまり彼は……閨事に疎いことを嘆き、娼館に行こうとしているって事よね。他の女の人に目移りしたとか、興味があるわけじゃないんだわ) 

 硬く握り締めた彼の拳に触れ、

「エリオン、娼館に行く必要はないわ」
「でも……実践しないと間違うかもしれない。作法の流れを乞いたいんだ」
「そういうのは、わ、私と!勉強すればいいでしょ、私に聞いて。これでも一応、夜伽教育を受けた女だもの」
「うわあああ愛人を作るつもりかよぉぉ、閨中にアレコレ聞く男は嫌われるって書いてあるって言っただろううエマに聞けるかよおおお」

 髪を振り乱し、テーブルに顔を埋める彼。
 あんなに堂々と国の行末を説いていたエリオン殿下の面影は、陽炎のように消えていくのだった。

「エリオン」
「うう」
「私が口淫が下手だとしても、あなたは怒ったり、嫌いになったりしないでしょ?」
「しない……」
「私も同じよ。だから、その……い、色々試してみたいなら、してみましょう。本の一頁目から実践していくのでもいいし」
「いいの……?」
「勿論よ!一冊やり終えたら私達、すごい事になるはずよ」
「エマ!」

 私達は抱き合い、未来を誓った。
 本のページを一枚ずつ捲るように、少しずつ、二人で成長していけたらいい。
 私達の物語は、これから始まるのだから——

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