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第2章 梓弓
第22話 山茶花
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一年近い長丁場の戦のあと、直義は憮然とした顔で帰国した。
結局、吾桑との決着は着かなかった。思わぬ伏兵や裏切りで足をとられ、思うように軍を進められなかった---という。
ー手強いのぅ---ー
ぼやく直義の手枕に、じっと戦況を聞いていた頼隆は、ぽそっ---と呟いた。
「また、行くのか?」
「うむ。---寂しいか?」
「まさか----!」
あらぬ方を向いて、赤くなった顔を隠そうとする頼隆を腕の中に強く抱えこんで、直義は虚空に眼を走らせた。
昨年以来の吾桑との戦は思ったより困難な状態にあった。向坂まで兵を進めてきた吾桑の軍を撃破するのはそれほど難儀ではなかったが、本拠地に攻め入るとなると勝手が違う。
先の出撃ではそれなりに打撃を与えはしたものの、兵糧が尽きてきたため、やむなく兵を引いた。
ー我れを連れていかぬからじゃ。ー
と憎まれ口を叩く頼隆に、直義は渋い顔をしたが、やはり今回も留守番だと言い切った。
「お前がおっては気が散って戦にならぬ。此処で大人しくしておれ。戻ったら、たんと抱いてやるゆえな---。」
「いらぬ---!」
身を捩って逃れようとするのを組み敷いて、またひとしきり、口をづけの雨を降らせた。吸われるごとに細い身体がピクリと震え、しなる。
ー他のヤツになど、触れさせはせぬ。ー
自らを容赦なく潜り込ませ、最奥を突き上げる。吸い付くように絡み付いて奥深くへと誘うその妖しい蠢きに、直義の男は際限なく猛り狂う。
白磁の肌に点々と紅い花が咲き乱れ、甘い吐息を溢れかえらせて、頼隆は幾度も昇り詰め、啜り泣いた。
だが、その悦楽の波に揉まれながらも、頼隆もまた、密かに臍を噛んでいた。
ー仕掛けが甘かったか---。ー
『腐っても大樹ですな。なかなか折れませなんだ。---』
立ち戻った柾木が悔しげに口の端を曲げていた。
ー策が通じぬ。ーと柾木は苦々しげに言った。策とはつまり『内通』。めぽしい家臣に翻意を促すのだが、それが上手くいかない---という。
ー吾桑盛昌どのは、さして人望のある方ではないのですが---ー
頼隆は黙って頷いた。
かく言う頼隆も、直義には内密に『策』を仕掛けていた。ただし、頼隆の仕掛けた相手は、吾桑の家中ではなく、度々衝突を繰り返している海を隔てた隣国の領主だった。
ー共に吾桑を倒そうではないか---と再三持ち掛けたのだが、のらりくらりとはぐらかされた。結局、はっきりした答えを得ることが出来ぬまま、直義の帰城となった。
その領主がさりげなく口に出していた名前が、頼隆には引っ掛かっていた。
『吾桑自身は容易いが、柚葉がおってはな---』どうやら、その領主が攻めあぐねているのも、その『柚葉』とやらのためらしい---とトビは報告を入れていた。そして、九神との戦で吾桑の弱体化するのを待って、海路を奪取するつもりでいるらしい---というのが、トビの得てきた情報だった。
ー一筋縄ではいかぬのう--。ー
「何を企んでいる。」
じ---と見下ろす直義の目線に、頼隆は、は---っと我れに返った。
「何も---」
はぐらかそうとする二つの肩を直がむんず、と掴んだ。
「城を抜けようなどと思ってはおるまいな?」
頼隆は苦笑いをして、その首に手を回した。そして、そ---とその唇に口づけた。
「おらぬ。」
なおも疑り深いその眼に、やれやれ---と溜め息を漏らしながら、抱き寄せた。
「白勢の布陣が気になっただけじゃ。」
直義は、あぁ---と気付いたらしく、耳許に口を寄せた。
「此度は、白勢の出番はない。外様達を使う。」
外様---というのは、都への侵攻によって恭順した領主達だ。つまり、弾除けにすることで、忠義の度合いを図ろうというわけだ。
「裏切られたら、どうする?」
「質は取ってある。」
最近、妙に剣の弟子が増え、奥御殿が賑やかになったのは、そのせいか---と頼隆は得心した。
「通うてやらんでよいのか?」
つい軽口を叩いていた。直義は、くくっ---とおかしそうに笑った。
「儂には子供の守りは出来ぬ。それに---」
分厚い手が、頼隆の頬を軽くつねった。
「儂はお前の守りだけで手一杯じゃ。」
口を尖らせて抗議をしようとするところを再び密事に引きずり込み、黙らせて直義は天井を睨んだ。
ーいらんことを、させるな。ー
天井裏に控えるトビは、思わず首をすくめた。
「では、行ってくるぞ。」
山茶花が薄紅の花を散らし始めた頃、直義は城を発った。
正月気分も抜けやらぬ中、直義揮下の将兵は西に向かって旅立った。本来ならば、冬場の行軍は極力避けたいところだが、吾桑の本拠地、箕浦まではかなり遠い。しかも一万以上の兵を率いての行軍である。速やかに進んでも、軽く一月はかかる。既に先兵隊が前衛の支城との交戦に入ってはいるが、それもやや膠着状態が続いていた。
「下手な戦はするなよ。」
「抜かせ。---儂が帰ってくるまで、下手な真似はするでないぞ。」
格子越しに軽口を叩いて鼓舞する頼隆に半ば本気で脅して、直義は笑った。
「次の土産は打ち掛けじゃ。うんと豪奢なものを購のうてきてやらねばのぅ。ん?」
「止さぬか!」
真剣に嫌がる頼隆のむくれ顔をひとしきり笑ったあとで、直義は真顔に返ってじっと頼隆の眼を見詰めた。
「武運を祈ってくれ。」
「無論じゃ。死ぬなよ。」
頼隆は深く頷き、直義の眼を見詰め返した。戦場に生命を賭け、己れを賭ける、男と男の約束だった。
直義の出陣を居室の格子の中から見送った頼隆は、ふふん---と息を吐いて、早々に机の上に書状を拡げた。
ー我れを舐めるな---。ー
書状の送り主は、柚葉正親---。噂の男の手跡を前に、頼隆はニヤリ---と不敵な笑みを浮かべた。
ー吾桑随一の軍師の手練手管、とくと見せてもらおうか---。ー
頼隆の戦は、既に始まっていた。
ーそれにしても---。ー
頼隆は、静かになった城の中で再び思索を巡らせた。
吾桑との戦になって、九神の軍の動きが鈍い。丁々発止のやり取り---とまではいかないが、柾木の采配が冴えない。
ーあの男らしゅうない---。ーと思った。
これまでであれば、なんらかの裏の動きがあった。今回も無いとは言わないが、鈍い。読まれて、外わされている。力業で倒すには時間も物資もかかる。内側から崩すのが手っ取り早いが、先手を打たれて抑え込まれている。
ー柚葉正親---か。ー
頼隆は先の戦の後、直義から細かい戦の進捗を聞いた。柾木から成らなかった策の相手と経緯も聞いた。吾桑の情報を出来る限り集めた。吾桑は一度、崩れかけていた。それを建て直したのが、柚葉正親だった。九神と通じ、内乱を企んでいた旧臣をいともあっさり始末されてしまった。結果、家臣の中枢となったのは、吾桑に忠実な一族のもの、と柚葉だった。
そして、トビを使って柚葉の情報を徹底的に探らせた頼隆は、ある情報を手に入れた。
さすがに、頼隆も唸った。
ーこれでは、なぁ--。ー
柾木の策はあてにはならない、と悟った。
ー今回は、いかん。なれば---ー
頼隆は、直義にも柾木にも気付かれないよう、策を練った。幸い、頼隆に関する詳細な情報は吾桑の手には渡っていない---ようだ。
白勢の当主が九神に人質になっている---ということは知っている。葉室忠興を罠にかけたことを知られていないなら、近い手立ては打てる。ただし、前回より巧妙にやらねばならない。
ー兄上に手を借りるしかないか---。ー
白勢の軍の指揮権は頼隆に移っているとは言うものの、実際に動かすのはやはり幸隆だ。そして、おそらくは白勢にも入り込んでいるであろう吾桑の間者も利用して、事を運ばねばならない。
頼隆は、兄にあてて、書状を一通したためた。吾桑の息のかかっているらしい家臣の前で、一言漏らしてもらいたい---と。
実直な性格の幸隆には、それ以上は期待できない。が、半ば本気であろうその一言の効果は大きい。
ー頼隆を助け出してくれれば、吾桑に着いても良い---。ー
その呟きは思いがけず早々に吾桑に伝わり、幸隆のもとに柚葉からの密書が来た。
そしてそれは頼隆に密かに届けられた---。
頼隆は、遥かな西の空を仰いだ。
ー我れが行くまで、死ぬな---。ー
馬上に揺られる一枚胴の背中に向かって密かに囁いた。
結局、吾桑との決着は着かなかった。思わぬ伏兵や裏切りで足をとられ、思うように軍を進められなかった---という。
ー手強いのぅ---ー
ぼやく直義の手枕に、じっと戦況を聞いていた頼隆は、ぽそっ---と呟いた。
「また、行くのか?」
「うむ。---寂しいか?」
「まさか----!」
あらぬ方を向いて、赤くなった顔を隠そうとする頼隆を腕の中に強く抱えこんで、直義は虚空に眼を走らせた。
昨年以来の吾桑との戦は思ったより困難な状態にあった。向坂まで兵を進めてきた吾桑の軍を撃破するのはそれほど難儀ではなかったが、本拠地に攻め入るとなると勝手が違う。
先の出撃ではそれなりに打撃を与えはしたものの、兵糧が尽きてきたため、やむなく兵を引いた。
ー我れを連れていかぬからじゃ。ー
と憎まれ口を叩く頼隆に、直義は渋い顔をしたが、やはり今回も留守番だと言い切った。
「お前がおっては気が散って戦にならぬ。此処で大人しくしておれ。戻ったら、たんと抱いてやるゆえな---。」
「いらぬ---!」
身を捩って逃れようとするのを組み敷いて、またひとしきり、口をづけの雨を降らせた。吸われるごとに細い身体がピクリと震え、しなる。
ー他のヤツになど、触れさせはせぬ。ー
自らを容赦なく潜り込ませ、最奥を突き上げる。吸い付くように絡み付いて奥深くへと誘うその妖しい蠢きに、直義の男は際限なく猛り狂う。
白磁の肌に点々と紅い花が咲き乱れ、甘い吐息を溢れかえらせて、頼隆は幾度も昇り詰め、啜り泣いた。
だが、その悦楽の波に揉まれながらも、頼隆もまた、密かに臍を噛んでいた。
ー仕掛けが甘かったか---。ー
『腐っても大樹ですな。なかなか折れませなんだ。---』
立ち戻った柾木が悔しげに口の端を曲げていた。
ー策が通じぬ。ーと柾木は苦々しげに言った。策とはつまり『内通』。めぽしい家臣に翻意を促すのだが、それが上手くいかない---という。
ー吾桑盛昌どのは、さして人望のある方ではないのですが---ー
頼隆は黙って頷いた。
かく言う頼隆も、直義には内密に『策』を仕掛けていた。ただし、頼隆の仕掛けた相手は、吾桑の家中ではなく、度々衝突を繰り返している海を隔てた隣国の領主だった。
ー共に吾桑を倒そうではないか---と再三持ち掛けたのだが、のらりくらりとはぐらかされた。結局、はっきりした答えを得ることが出来ぬまま、直義の帰城となった。
その領主がさりげなく口に出していた名前が、頼隆には引っ掛かっていた。
『吾桑自身は容易いが、柚葉がおってはな---』どうやら、その領主が攻めあぐねているのも、その『柚葉』とやらのためらしい---とトビは報告を入れていた。そして、九神との戦で吾桑の弱体化するのを待って、海路を奪取するつもりでいるらしい---というのが、トビの得てきた情報だった。
ー一筋縄ではいかぬのう--。ー
「何を企んでいる。」
じ---と見下ろす直義の目線に、頼隆は、は---っと我れに返った。
「何も---」
はぐらかそうとする二つの肩を直がむんず、と掴んだ。
「城を抜けようなどと思ってはおるまいな?」
頼隆は苦笑いをして、その首に手を回した。そして、そ---とその唇に口づけた。
「おらぬ。」
なおも疑り深いその眼に、やれやれ---と溜め息を漏らしながら、抱き寄せた。
「白勢の布陣が気になっただけじゃ。」
直義は、あぁ---と気付いたらしく、耳許に口を寄せた。
「此度は、白勢の出番はない。外様達を使う。」
外様---というのは、都への侵攻によって恭順した領主達だ。つまり、弾除けにすることで、忠義の度合いを図ろうというわけだ。
「裏切られたら、どうする?」
「質は取ってある。」
最近、妙に剣の弟子が増え、奥御殿が賑やかになったのは、そのせいか---と頼隆は得心した。
「通うてやらんでよいのか?」
つい軽口を叩いていた。直義は、くくっ---とおかしそうに笑った。
「儂には子供の守りは出来ぬ。それに---」
分厚い手が、頼隆の頬を軽くつねった。
「儂はお前の守りだけで手一杯じゃ。」
口を尖らせて抗議をしようとするところを再び密事に引きずり込み、黙らせて直義は天井を睨んだ。
ーいらんことを、させるな。ー
天井裏に控えるトビは、思わず首をすくめた。
「では、行ってくるぞ。」
山茶花が薄紅の花を散らし始めた頃、直義は城を発った。
正月気分も抜けやらぬ中、直義揮下の将兵は西に向かって旅立った。本来ならば、冬場の行軍は極力避けたいところだが、吾桑の本拠地、箕浦まではかなり遠い。しかも一万以上の兵を率いての行軍である。速やかに進んでも、軽く一月はかかる。既に先兵隊が前衛の支城との交戦に入ってはいるが、それもやや膠着状態が続いていた。
「下手な戦はするなよ。」
「抜かせ。---儂が帰ってくるまで、下手な真似はするでないぞ。」
格子越しに軽口を叩いて鼓舞する頼隆に半ば本気で脅して、直義は笑った。
「次の土産は打ち掛けじゃ。うんと豪奢なものを購のうてきてやらねばのぅ。ん?」
「止さぬか!」
真剣に嫌がる頼隆のむくれ顔をひとしきり笑ったあとで、直義は真顔に返ってじっと頼隆の眼を見詰めた。
「武運を祈ってくれ。」
「無論じゃ。死ぬなよ。」
頼隆は深く頷き、直義の眼を見詰め返した。戦場に生命を賭け、己れを賭ける、男と男の約束だった。
直義の出陣を居室の格子の中から見送った頼隆は、ふふん---と息を吐いて、早々に机の上に書状を拡げた。
ー我れを舐めるな---。ー
書状の送り主は、柚葉正親---。噂の男の手跡を前に、頼隆はニヤリ---と不敵な笑みを浮かべた。
ー吾桑随一の軍師の手練手管、とくと見せてもらおうか---。ー
頼隆の戦は、既に始まっていた。
ーそれにしても---。ー
頼隆は、静かになった城の中で再び思索を巡らせた。
吾桑との戦になって、九神の軍の動きが鈍い。丁々発止のやり取り---とまではいかないが、柾木の采配が冴えない。
ーあの男らしゅうない---。ーと思った。
これまでであれば、なんらかの裏の動きがあった。今回も無いとは言わないが、鈍い。読まれて、外わされている。力業で倒すには時間も物資もかかる。内側から崩すのが手っ取り早いが、先手を打たれて抑え込まれている。
ー柚葉正親---か。ー
頼隆は先の戦の後、直義から細かい戦の進捗を聞いた。柾木から成らなかった策の相手と経緯も聞いた。吾桑の情報を出来る限り集めた。吾桑は一度、崩れかけていた。それを建て直したのが、柚葉正親だった。九神と通じ、内乱を企んでいた旧臣をいともあっさり始末されてしまった。結果、家臣の中枢となったのは、吾桑に忠実な一族のもの、と柚葉だった。
そして、トビを使って柚葉の情報を徹底的に探らせた頼隆は、ある情報を手に入れた。
さすがに、頼隆も唸った。
ーこれでは、なぁ--。ー
柾木の策はあてにはならない、と悟った。
ー今回は、いかん。なれば---ー
頼隆は、直義にも柾木にも気付かれないよう、策を練った。幸い、頼隆に関する詳細な情報は吾桑の手には渡っていない---ようだ。
白勢の当主が九神に人質になっている---ということは知っている。葉室忠興を罠にかけたことを知られていないなら、近い手立ては打てる。ただし、前回より巧妙にやらねばならない。
ー兄上に手を借りるしかないか---。ー
白勢の軍の指揮権は頼隆に移っているとは言うものの、実際に動かすのはやはり幸隆だ。そして、おそらくは白勢にも入り込んでいるであろう吾桑の間者も利用して、事を運ばねばならない。
頼隆は、兄にあてて、書状を一通したためた。吾桑の息のかかっているらしい家臣の前で、一言漏らしてもらいたい---と。
実直な性格の幸隆には、それ以上は期待できない。が、半ば本気であろうその一言の効果は大きい。
ー頼隆を助け出してくれれば、吾桑に着いても良い---。ー
その呟きは思いがけず早々に吾桑に伝わり、幸隆のもとに柚葉からの密書が来た。
そしてそれは頼隆に密かに届けられた---。
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