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第十話 十日夜
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輝宗は、その頃ひとりで考え込むことが多くなった。
隣国で最も脅威であった上杉謙信が亡くなり、*御館の乱により、上杉氏は弱体化した。一方で、本能寺の変以降、織田信長の天下取りの後釜に座った豊臣秀吉は、四国攻めに着手していた。
―時代は、動く---―
共通の強大な『敵』を失った奥羽は、まさに乱立の様相を呈していた。
威勢を高めていた蘆名氏の当主盛隆が暗殺され、輝宗が講じていた蘆名盛氏への次男の小次郎の養子縁組みが、佐竹氏の介入によって頓挫してしまっていた。
―佐竹---来るか---―
常陸で勢力を高めている佐竹義重が奥州へと侵攻してくるのは、既に時間の問題だった。
婚姻や縁組みによって維持されていた奥羽の均衡は崩れつつあった。
―だが---―
輝宗には、旧来の周辺との関係性を急速に変えるには、躊躇いがあった。だが、変えねば、潰される。
輝宗は、政宗が龍の宿りとなった祠に、ひとり足を運んだ。そこは既にぱっくりと口が空き、寂し気に濡れた岩肌を曝していた。
既に龍は孵化して、去って行った---もはや脱け殻でしかないそこに、茫然と輝宗は佇んでいた。
「殿---」
背後から急に呼び掛けられ、輝宗は後ろを振り返った。ぼうっと灯りが闇に浮き上がり、女の姿を浮かび上がらせた。
「お義か---」
妻の姿を見留めて、輝宗は、少し安堵した。義姫は、侍女を入口に待たせ、手燭を持って、ひとりで祠の中に入ってきていた。
「あの子の、---胞(えな)でございますな---」
義姫は、輝宗のそれと並べて手燭を置いた。
「お義---わしは、政宗に家督を譲って隠居する。」
輝宗は、寂しげに、だが、きっぱりとした口調で言った。
「さようにございますか---。」
義姫は、静かに応えた。義姫とて、戦国の女である。『最上の鬼姫』の異名はダテではない。周囲を取り巻く情勢の変化は、踏まえている。
「反対は、せんのか。」
「殿のお決めになったことです。いたしませぬ。」
はっきりと言い切った義姫の手が、龍の線刻に延べられた。
「水鳥とて、泳ぎを覚え始めるは『雛』のうちにございますれば---龍なれば、尚更、泳ぎ始めるも早うございましょう。」
半ば、消えかけた線をなぞるように、白く長い指を岩肌に滑らせて、彼女は言った。
「なれど、泳ぎを教えるものが無うては、鳥も魚も泳げるようにはなりますまい。」
輝宗は、無言で頷いた。
「ましてや、龍を内にはらむとは言え、あの子は人の子---人の世の難しさは、人にしか教えられませぬ。」
「そうじゃの---。」
―なれば---政宗が、あやつが人として、人の世を生きる糧と、わしはなろう。---たとえ龍神の贄になろうと、あやつが自らが人であることを忘れえぬよう、神仏に祈ろう。―
「もぅ、出よう。」
輝宗は妻を促し、祠を後にした。間もなく、輝宗の命により祠は再び閉ざされ、政宗は若干十七才で伊達家の家督を継いだ。
家中の反対も多い中での船出だった。(余談であるが、これに呼応するように、成実も大森伊達家の家督を継ぎ、『世代交代』を明確に示した。)
家督相続に伴い、輝宗は城内に隠居所を造って義姫、小次郎とともに移り住み、政宗が城主となった。
小十郎は、あの館ではなく、城外の、城のすぐそばに別に屋敷を賜り、嫁を迎えた。
もっとも---早朝から参内し、城に泊まり込むこともしばしばだった。が、巫女あがりの妻は、事態を言わずとも察しているようで、 小十郎の不在の折にも、替わって邸内での神事を滞りなくこなして、小十郎を支えた。
―貴方にとって、政宗さまが全てであるなら、私は喜んでその御心を守り支える僕(しもべ)となりましょう。―
婚儀のその日に、にっこりと笑って言った妻に、小十郎は晩年まで深く感謝した。
ただ---さすがに後日、小十郎が―主に世嗣ぎが無いのに、わしが先に後継ぎを持つ訳にはいかない。―
と、懐妊した妻に、生まれた子が和子(男の子)であれば、殺す---と言い切った時には、出来た妻も驚いて、主である政宗に嘆願した。
この件については、政宗直々に―どうか殺してくれるな―と切々たる手紙(ふみ)で懇願されて思い止まった。
この子が、後に『鬼の小十郎』という異名を取る片倉重綱である。父譲りの武勇-知略に秀でた武将で、政宗を扶け、忠義の臣として尽力しているのであるから、思い止まったのは、正解だったと言えよう。
隣国で最も脅威であった上杉謙信が亡くなり、*御館の乱により、上杉氏は弱体化した。一方で、本能寺の変以降、織田信長の天下取りの後釜に座った豊臣秀吉は、四国攻めに着手していた。
―時代は、動く---―
共通の強大な『敵』を失った奥羽は、まさに乱立の様相を呈していた。
威勢を高めていた蘆名氏の当主盛隆が暗殺され、輝宗が講じていた蘆名盛氏への次男の小次郎の養子縁組みが、佐竹氏の介入によって頓挫してしまっていた。
―佐竹---来るか---―
常陸で勢力を高めている佐竹義重が奥州へと侵攻してくるのは、既に時間の問題だった。
婚姻や縁組みによって維持されていた奥羽の均衡は崩れつつあった。
―だが---―
輝宗には、旧来の周辺との関係性を急速に変えるには、躊躇いがあった。だが、変えねば、潰される。
輝宗は、政宗が龍の宿りとなった祠に、ひとり足を運んだ。そこは既にぱっくりと口が空き、寂し気に濡れた岩肌を曝していた。
既に龍は孵化して、去って行った---もはや脱け殻でしかないそこに、茫然と輝宗は佇んでいた。
「殿---」
背後から急に呼び掛けられ、輝宗は後ろを振り返った。ぼうっと灯りが闇に浮き上がり、女の姿を浮かび上がらせた。
「お義か---」
妻の姿を見留めて、輝宗は、少し安堵した。義姫は、侍女を入口に待たせ、手燭を持って、ひとりで祠の中に入ってきていた。
「あの子の、---胞(えな)でございますな---」
義姫は、輝宗のそれと並べて手燭を置いた。
「お義---わしは、政宗に家督を譲って隠居する。」
輝宗は、寂しげに、だが、きっぱりとした口調で言った。
「さようにございますか---。」
義姫は、静かに応えた。義姫とて、戦国の女である。『最上の鬼姫』の異名はダテではない。周囲を取り巻く情勢の変化は、踏まえている。
「反対は、せんのか。」
「殿のお決めになったことです。いたしませぬ。」
はっきりと言い切った義姫の手が、龍の線刻に延べられた。
「水鳥とて、泳ぎを覚え始めるは『雛』のうちにございますれば---龍なれば、尚更、泳ぎ始めるも早うございましょう。」
半ば、消えかけた線をなぞるように、白く長い指を岩肌に滑らせて、彼女は言った。
「なれど、泳ぎを教えるものが無うては、鳥も魚も泳げるようにはなりますまい。」
輝宗は、無言で頷いた。
「ましてや、龍を内にはらむとは言え、あの子は人の子---人の世の難しさは、人にしか教えられませぬ。」
「そうじゃの---。」
―なれば---政宗が、あやつが人として、人の世を生きる糧と、わしはなろう。---たとえ龍神の贄になろうと、あやつが自らが人であることを忘れえぬよう、神仏に祈ろう。―
「もぅ、出よう。」
輝宗は妻を促し、祠を後にした。間もなく、輝宗の命により祠は再び閉ざされ、政宗は若干十七才で伊達家の家督を継いだ。
家中の反対も多い中での船出だった。(余談であるが、これに呼応するように、成実も大森伊達家の家督を継ぎ、『世代交代』を明確に示した。)
家督相続に伴い、輝宗は城内に隠居所を造って義姫、小次郎とともに移り住み、政宗が城主となった。
小十郎は、あの館ではなく、城外の、城のすぐそばに別に屋敷を賜り、嫁を迎えた。
もっとも---早朝から参内し、城に泊まり込むこともしばしばだった。が、巫女あがりの妻は、事態を言わずとも察しているようで、 小十郎の不在の折にも、替わって邸内での神事を滞りなくこなして、小十郎を支えた。
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ただ---さすがに後日、小十郎が―主に世嗣ぎが無いのに、わしが先に後継ぎを持つ訳にはいかない。―
と、懐妊した妻に、生まれた子が和子(男の子)であれば、殺す---と言い切った時には、出来た妻も驚いて、主である政宗に嘆願した。
この件については、政宗直々に―どうか殺してくれるな―と切々たる手紙(ふみ)で懇願されて思い止まった。
この子が、後に『鬼の小十郎』という異名を取る片倉重綱である。父譲りの武勇-知略に秀でた武将で、政宗を扶け、忠義の臣として尽力しているのであるから、思い止まったのは、正解だったと言えよう。
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