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第十九話 晦月
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実のところを言えば、小十郎には予感があった。
ここのところ、小十郎の内の龍がひどく煩悶している。元々、小十郎の内の黒龍は、争いを好み、血を好む。その悪業ゆえに地に落とされた龍だ。
それ故、その龍と一体になった小十郎に戦場での敗北は、無い。
―しかし---―
泰平の世を希み、主の、政宗の安泰と幸福を平穏の内に希む小十郎の人としての願いとは相容れなくなっていた。
しかも、抑え込むには、膨大に成り過ぎていた。
―俺の生命をやる。お前はお前のあるべき場所へ帰れ。―
小十郎は、事毎にそう祈っていた。
そして---最後の大戦、大阪城責めも間近になった年の晩秋、黒龍は決心を決めた---らしい。
小十郎は、床に伏していた。
ゆるゆると、黒龍は、小十郎から離れていこうとしているらしく、少しずつ、体調は悪くなった。
「大丈夫か?」
白石の城に戻り、伏せっている小十郎の元を政宗は事あるごとに見舞いに訪れた。
「面目次第もございませぬ---しかし、この度の戦には、我が倅、重綱がお供つかりますゆえ---」
傍らで、逞しく育った息子が、力強く頷いた。
「殺さぬでおいて、良かったのぅ---」
政宗の言葉に、小十郎は苦笑するしかなかった。かつて政宗への忠義のために生命を奪おうとした息子は、身体ままならぬ小十郎に代わって立派に忠義を尽くしている。
―そうか、人の世とは、そういうものだった。---―
それが誤りでなければ、志は受け継がれていく。
―俺が、この世を去っても---。―
子が、孫が、政宗とその子孫を扶け、守っていく。
小十郎は安堵して、ふぅ----と息をついた。
不意に寂しさが胸を過った。それが、人である小十郎の寂しさか、黒龍の寂しさなのかは、小十郎自身にもわからなかった。
---------
冬と夏と---二回に及ぶ猛攻で、難攻不落だった大阪城は遂に落城し、豊臣秀頼と母の淀君は、炎の中に滅した。
「大御所は、余程、豊臣が憎かったのであろうのぅ---」
大阪からの帰途、小十郎の見舞いに立ち寄った政宗は、小十郎の枕辺に座して言った。
「重綱の働きは見事だったぞ。あの真田信繁(幸村)相手に勝ちを納めたのだからな。」
重綱は、鉄砲を駆使して後藤又兵衛を討ち取り、真田軍を散々に苦しめた。その戦績から『鬼小十郎』との異名を取った。
「まだまだでございますよ---」
小十郎は、膝元のあたりに座す息子を見た。
そして、わざと明るく振るまう政宗を眩し気に見詰め、涙を滲ませた。
―政宗さま、申し訳ございませぬ---。―
数日も経たぬうちに、良くない報せが、政宗の許に届いた。
小十郎は、真っ青な顔色でドカドカと駆け込んでくる政宗に気付き、苦笑した。
そして、重綱の手を借りて半身を起こすと、部屋にいた妻や子に外してくれ---と目配せした。最後に立った重綱が部屋の戸を閉め、立ち去る足音を確かめて、小十郎は政宗に言った。
「玄姶が---、立ち去ろうとしております。」
政宗は、はっ---と息を呑んだ。
「小十郎---。」
「政宗さま、長い間、良い夢を見させていただきました。」
「待て、待て小十郎!」
政宗は、小十郎の肩に獲りすがった。
「玄姶が去ったとて、何故、お前が逝かねばならぬのだ---。まだ、わしは天下を取っておらん。国造りも終わっておらん。まだまだ、お前の力が必要なのだ。それ以上に---」
政宗の左目から、ぼろぼろと涙が溢れ、零れ落ちた。政宗は、それを拭おうともせず、ひし---と小十郎の頭を胸元に掻き抱いて、絞り出すように言った。
「我れには、お前が必要なのだ。ずっと傍にいると、決して離れぬと言うたではないか---!」
―昔のままじゃ---梵天丸さまのままじゃ、このお方は---―
泣きじゃくる政宗の頬の涙をそっ---と手を述べて拭い、小十郎は優しく微笑みかけた。
「申し訳ございませぬ---しかし---肉体は滅しようとも、この魂は---未来永劫---政宗さまのお側に---おり---ます---ゆえ---」
ふ---と、差し伸べられた手が、力なく政宗の頬から滑り落ちた。
「こ、小十郎、小十郎!---誰か!誰かこれへ!」
政宗の悲鳴が、静かな秋の夕暮れを引き裂いて、響いた。
あわただしく城の者達が駆けつけてきた。---が、小十郎が目を開ける事はもう無かった。
項垂れて青葉城に帰った政宗は、自室に隠り、ただただ、膝を握りしめて涙をこらえていた。
どれくらいそうしていたか---ふっ---と二つの大きな手が、肩を抱くのを感じた。振り返ると、---開け放したままの障子の狭間を大きな黒い影が、耀変天目のような虹色の光を揺らしながら、ゆっくりと消えていった。
「小十郎----」
後には、有明の月がひっそりと輝いていた。
-------
―不如帰 鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる--―
片倉小十郎景綱、逝く。
享年五九才---早すぎる主従の別れだった。政宗は四十九才になったばかりだった。
ここのところ、小十郎の内の龍がひどく煩悶している。元々、小十郎の内の黒龍は、争いを好み、血を好む。その悪業ゆえに地に落とされた龍だ。
それ故、その龍と一体になった小十郎に戦場での敗北は、無い。
―しかし---―
泰平の世を希み、主の、政宗の安泰と幸福を平穏の内に希む小十郎の人としての願いとは相容れなくなっていた。
しかも、抑え込むには、膨大に成り過ぎていた。
―俺の生命をやる。お前はお前のあるべき場所へ帰れ。―
小十郎は、事毎にそう祈っていた。
そして---最後の大戦、大阪城責めも間近になった年の晩秋、黒龍は決心を決めた---らしい。
小十郎は、床に伏していた。
ゆるゆると、黒龍は、小十郎から離れていこうとしているらしく、少しずつ、体調は悪くなった。
「大丈夫か?」
白石の城に戻り、伏せっている小十郎の元を政宗は事あるごとに見舞いに訪れた。
「面目次第もございませぬ---しかし、この度の戦には、我が倅、重綱がお供つかりますゆえ---」
傍らで、逞しく育った息子が、力強く頷いた。
「殺さぬでおいて、良かったのぅ---」
政宗の言葉に、小十郎は苦笑するしかなかった。かつて政宗への忠義のために生命を奪おうとした息子は、身体ままならぬ小十郎に代わって立派に忠義を尽くしている。
―そうか、人の世とは、そういうものだった。---―
それが誤りでなければ、志は受け継がれていく。
―俺が、この世を去っても---。―
子が、孫が、政宗とその子孫を扶け、守っていく。
小十郎は安堵して、ふぅ----と息をついた。
不意に寂しさが胸を過った。それが、人である小十郎の寂しさか、黒龍の寂しさなのかは、小十郎自身にもわからなかった。
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冬と夏と---二回に及ぶ猛攻で、難攻不落だった大阪城は遂に落城し、豊臣秀頼と母の淀君は、炎の中に滅した。
「大御所は、余程、豊臣が憎かったのであろうのぅ---」
大阪からの帰途、小十郎の見舞いに立ち寄った政宗は、小十郎の枕辺に座して言った。
「重綱の働きは見事だったぞ。あの真田信繁(幸村)相手に勝ちを納めたのだからな。」
重綱は、鉄砲を駆使して後藤又兵衛を討ち取り、真田軍を散々に苦しめた。その戦績から『鬼小十郎』との異名を取った。
「まだまだでございますよ---」
小十郎は、膝元のあたりに座す息子を見た。
そして、わざと明るく振るまう政宗を眩し気に見詰め、涙を滲ませた。
―政宗さま、申し訳ございませぬ---。―
数日も経たぬうちに、良くない報せが、政宗の許に届いた。
小十郎は、真っ青な顔色でドカドカと駆け込んでくる政宗に気付き、苦笑した。
そして、重綱の手を借りて半身を起こすと、部屋にいた妻や子に外してくれ---と目配せした。最後に立った重綱が部屋の戸を閉め、立ち去る足音を確かめて、小十郎は政宗に言った。
「玄姶が---、立ち去ろうとしております。」
政宗は、はっ---と息を呑んだ。
「小十郎---。」
「政宗さま、長い間、良い夢を見させていただきました。」
「待て、待て小十郎!」
政宗は、小十郎の肩に獲りすがった。
「玄姶が去ったとて、何故、お前が逝かねばならぬのだ---。まだ、わしは天下を取っておらん。国造りも終わっておらん。まだまだ、お前の力が必要なのだ。それ以上に---」
政宗の左目から、ぼろぼろと涙が溢れ、零れ落ちた。政宗は、それを拭おうともせず、ひし---と小十郎の頭を胸元に掻き抱いて、絞り出すように言った。
「我れには、お前が必要なのだ。ずっと傍にいると、決して離れぬと言うたではないか---!」
―昔のままじゃ---梵天丸さまのままじゃ、このお方は---―
泣きじゃくる政宗の頬の涙をそっ---と手を述べて拭い、小十郎は優しく微笑みかけた。
「申し訳ございませぬ---しかし---肉体は滅しようとも、この魂は---未来永劫---政宗さまのお側に---おり---ます---ゆえ---」
ふ---と、差し伸べられた手が、力なく政宗の頬から滑り落ちた。
「こ、小十郎、小十郎!---誰か!誰かこれへ!」
政宗の悲鳴が、静かな秋の夕暮れを引き裂いて、響いた。
あわただしく城の者達が駆けつけてきた。---が、小十郎が目を開ける事はもう無かった。
項垂れて青葉城に帰った政宗は、自室に隠り、ただただ、膝を握りしめて涙をこらえていた。
どれくらいそうしていたか---ふっ---と二つの大きな手が、肩を抱くのを感じた。振り返ると、---開け放したままの障子の狭間を大きな黒い影が、耀変天目のような虹色の光を揺らしながら、ゆっくりと消えていった。
「小十郎----」
後には、有明の月がひっそりと輝いていた。
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―不如帰 鳴きつる方を眺むれば ただ有明の月ぞ残れる--―
片倉小十郎景綱、逝く。
享年五九才---早すぎる主従の別れだった。政宗は四十九才になったばかりだった。
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