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二十 花朝三姉妹 2
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「まぁまずは一息ついて……」
玻璃の急須の中、茉莉花の花がふわふわと開き、良い匂いがあたり一面に漂う。
眼の前に並ぶ点心の皿に乙女たちの表情もわずかながら和らぐが、胡麻団子を手元に取り分けると、やはりつぶらな瞳にうっすらと涙が光る。
「どうしたの?」
怪訝そうに東雲が尋ねるが、小さく首を振って、じっと目の前の団子を見つめる。
しおれた花のような三姉妹の様にウェイインが小さく息をつき、こっそりと東雲に耳打ちした。
『蘭惟は胡麻団子が大好きでな。宴の後の茶菓子に胡麻団子が出るとひどく喜んでいた』
「そう……かぁ……」
何を見ても妹を思い出してしまうのかもしれない彼女たちの心境には今ひとつ心及ばぬ自分を東雲は密かに恥じた。
それは琉論も同じで、複雑な女心にはいつも頭を悩ませるが、正直、どう慰めていいか見当もつかないのが本音だった。
「無事だといいんだけど……」
ぽそりと呟く七榎は無口でやや男勝りな面があるが、誰よりも、活発だが傷つき易い妹のことを案じていた。
「ウェイインが傍にいてくれたら良かったんだけど……」
「ごめんよ……」
ふと彗蓮の口をついて零れた言葉に黒猫も深く項垂れた。
「あ、責めてるわけじゃないのよ。……ごめんなさいね。あの子は猫や小さい生き物が大好きだから、ウェイインがいてくれたら、あんな無茶なことしなかったかもしれない……って思って。華織もウェイインを可愛がってたし……」
「でも、誰かは行かなきゃならなかった。それは事実だよ……」
呟く七榎の瞳には明らかな苦悩の色が浮かんでいた。
「他の人に頼むわけには行かなかったの?」
尋ねる琉論に彗蓮が小さく首を振った。
「うちには男手が無くて……父上が旅立って、斡豈亥もどこかにふらりと去ってしまって……。流石に子どもに行かせるわけには行かないでしょ?」
「その……斡豈亥って李亜留大陸の開拓に徴収されたんじゃなかったの?」
不思議そうに尋ねる穂積に、彗蓮は僅かに眉を寄せ、躊躇いがちに答えた。
「十六夜国には戻ってきているみたいなんだけど……。時折り姿を見掛けたという人もいて……。けれど、花朝家にはなんの知らせも挨拶も無いの。……どうやらあちらの大陸との交易を仕事にしているみたいで、……家令の仕事に飽きてしまったんでしょうね」
礼儀と筋を重んじる彗蓮には、今の斡豈亥の振る舞いは許し難いのだろう。
ーー家は平和過ぎたのよね……ーー
仕方ないという口ぶりではあるが、その言葉の端々に苦々しさが滲んでいた。
ともあれ女所帯となった花朝家を、か弱い母を助けて彗蓮たち姉妹が必死に支えてきたのだ。その彼女たちの心の支えであった妹たちの失踪はその心を挫くには充分過ぎた。
「元気を出して……とにかく美味しいものを食べて、力をつけなきゃ。……そうだ、萬福楼のアヒルの丸焼きなんかどう?」
東雲が提案したところで、トントン……と堂の扉が叩かれた。
「え?誰?」
扉を開けた呉明須の眼の前に立っていたのは、ほかほかと湯気の上がる包みを抱えた桃色の衣の可愛らしい美少女だ。
同じ薄桃色の大きな兎耳を揺らしてにっこりと微笑むと堂の中にヒョコヒョコとためらいなく入っていく。
「トンちゃん、差し入れよ~」
「あれ、ゆぁたん?」
くりくりとした眼に薄桃色の兎耳……となれば、東雲たちの中では、あの森の妖精、ゆぁに間違いはない。
と同時に姉妹たちの顔がぱあっと明るくなる。
「ゆぁたん?」
「ゆぁたんなの?」
「本当にゆぁたん?」
口々に小さな叫びを上げて抱きしめようとする乙女たちに、小さな手で、待った、をかけて、ゆぁは包みを卓の上に置いた。
「これ、姫さまから皆んなに……って、萬福楼のアヒルの丸焼き。それと春巻と小籠包もあるけど、そっちは火を入れて調理してあげて」
「任せて」
ささっとゆぁから包みを受け取ると呉明須が高雪とともに厨房に消えていった。
「お茶もらえるかしら?」
「もちろん」
琉論の差し出した椅子にちょこんと腰掛けて、ゆぁは淹れたての茉莉花茶を美味しそうに飲み、ふぅと息をついた。
「空間を抜けるのって、疲れるのよね……。あ、そうだ萬福楼の陳さんがお礼を言っていたわよ」
「陳さんが?」
「そう。あの蛸を使った料理を作って店で出したら大流行で。まぁ太々からいただいたレシピを陳料理長がアレンジしたものらしいけど……。やっぱり一番人気はたこ焼きよね。なんか流行っちゃって、街道の屋台とかでも売ってるみたいだもの」
「そうなんだ……」
相槌を打つ琉論の眼の前に、ーあ、そうだーと小さく呟いて、ゆぁが一枚の紙を差し出した。
「これ、お土産。……今、王都じゃ手に入らないくらい大流行してるの」
「これって……」
紙を広げてよくよくと見れば、それはいわゆる美人画で猛る龍の背に乗った美女が剣を振りかざしている。
「もしかして、あの時の姫さま……?」
尋ねる東雲に、ゆぁがこっくりと頷く。
「災難除け、疫病除けにご利益絶大って凄い勢いで売れまくってるわ。龍神のご加護をもらえる……って」
「活躍したのは俺なんだけどな……」
むくれる琉論に苦笑を漏らしつつ、東雲はふと気に掛かっていたことを口にした。
「ゆぁたんも花朝家にいたんだ……」
「正確には花朝家の領内の森……だけどね。お屋敷にもよく遊びに行ったわ」
ゆぁの言葉にウンウンと三姉妹が懐かしげな眼差しで頷いた。
「で、なんで森を離れたの?」
東雲の問いにさあっとゆぁの顔が曇った。
「魔獣が出たの……」
「魔獣?」
ここは幻想小説の世界だったか?ーと東雲は一瞬首をひねったが、妖精やら妖猫のいる世界だ。魔獣の一匹や二匹がいてもおかしくはない。何せあんな大蛸がいるのだから。
「ひどい瘴気をまき散らしていて……花や木も萎れたり枯れたりで、私たち精霊にはとても住めなくなったの」
ゆぁの言葉に琉論がはっと顔を上げた。
「流行り病ってもしかしてそいつのせい……?」
「わかんない」
ゆぁはフルフルと首を振った。
「何処から来たのかも分かんないけど、朧月夜との国境付近の森とかひどい有り様よ」
「やっぱり行ってみなきゃか……」
ふぅ、と東雲は深く息をついた。
「まぁアヒルを食べてから考えよう!」
大事の前でもあくまでも、あ・かるい公子、琉論の笑顔に脱力しつつ、皆、和やかな夕餉の時を過ごしたのだった……。
玻璃の急須の中、茉莉花の花がふわふわと開き、良い匂いがあたり一面に漂う。
眼の前に並ぶ点心の皿に乙女たちの表情もわずかながら和らぐが、胡麻団子を手元に取り分けると、やはりつぶらな瞳にうっすらと涙が光る。
「どうしたの?」
怪訝そうに東雲が尋ねるが、小さく首を振って、じっと目の前の団子を見つめる。
しおれた花のような三姉妹の様にウェイインが小さく息をつき、こっそりと東雲に耳打ちした。
『蘭惟は胡麻団子が大好きでな。宴の後の茶菓子に胡麻団子が出るとひどく喜んでいた』
「そう……かぁ……」
何を見ても妹を思い出してしまうのかもしれない彼女たちの心境には今ひとつ心及ばぬ自分を東雲は密かに恥じた。
それは琉論も同じで、複雑な女心にはいつも頭を悩ませるが、正直、どう慰めていいか見当もつかないのが本音だった。
「無事だといいんだけど……」
ぽそりと呟く七榎は無口でやや男勝りな面があるが、誰よりも、活発だが傷つき易い妹のことを案じていた。
「ウェイインが傍にいてくれたら良かったんだけど……」
「ごめんよ……」
ふと彗蓮の口をついて零れた言葉に黒猫も深く項垂れた。
「あ、責めてるわけじゃないのよ。……ごめんなさいね。あの子は猫や小さい生き物が大好きだから、ウェイインがいてくれたら、あんな無茶なことしなかったかもしれない……って思って。華織もウェイインを可愛がってたし……」
「でも、誰かは行かなきゃならなかった。それは事実だよ……」
呟く七榎の瞳には明らかな苦悩の色が浮かんでいた。
「他の人に頼むわけには行かなかったの?」
尋ねる琉論に彗蓮が小さく首を振った。
「うちには男手が無くて……父上が旅立って、斡豈亥もどこかにふらりと去ってしまって……。流石に子どもに行かせるわけには行かないでしょ?」
「その……斡豈亥って李亜留大陸の開拓に徴収されたんじゃなかったの?」
不思議そうに尋ねる穂積に、彗蓮は僅かに眉を寄せ、躊躇いがちに答えた。
「十六夜国には戻ってきているみたいなんだけど……。時折り姿を見掛けたという人もいて……。けれど、花朝家にはなんの知らせも挨拶も無いの。……どうやらあちらの大陸との交易を仕事にしているみたいで、……家令の仕事に飽きてしまったんでしょうね」
礼儀と筋を重んじる彗蓮には、今の斡豈亥の振る舞いは許し難いのだろう。
ーー家は平和過ぎたのよね……ーー
仕方ないという口ぶりではあるが、その言葉の端々に苦々しさが滲んでいた。
ともあれ女所帯となった花朝家を、か弱い母を助けて彗蓮たち姉妹が必死に支えてきたのだ。その彼女たちの心の支えであった妹たちの失踪はその心を挫くには充分過ぎた。
「元気を出して……とにかく美味しいものを食べて、力をつけなきゃ。……そうだ、萬福楼のアヒルの丸焼きなんかどう?」
東雲が提案したところで、トントン……と堂の扉が叩かれた。
「え?誰?」
扉を開けた呉明須の眼の前に立っていたのは、ほかほかと湯気の上がる包みを抱えた桃色の衣の可愛らしい美少女だ。
同じ薄桃色の大きな兎耳を揺らしてにっこりと微笑むと堂の中にヒョコヒョコとためらいなく入っていく。
「トンちゃん、差し入れよ~」
「あれ、ゆぁたん?」
くりくりとした眼に薄桃色の兎耳……となれば、東雲たちの中では、あの森の妖精、ゆぁに間違いはない。
と同時に姉妹たちの顔がぱあっと明るくなる。
「ゆぁたん?」
「ゆぁたんなの?」
「本当にゆぁたん?」
口々に小さな叫びを上げて抱きしめようとする乙女たちに、小さな手で、待った、をかけて、ゆぁは包みを卓の上に置いた。
「これ、姫さまから皆んなに……って、萬福楼のアヒルの丸焼き。それと春巻と小籠包もあるけど、そっちは火を入れて調理してあげて」
「任せて」
ささっとゆぁから包みを受け取ると呉明須が高雪とともに厨房に消えていった。
「お茶もらえるかしら?」
「もちろん」
琉論の差し出した椅子にちょこんと腰掛けて、ゆぁは淹れたての茉莉花茶を美味しそうに飲み、ふぅと息をついた。
「空間を抜けるのって、疲れるのよね……。あ、そうだ萬福楼の陳さんがお礼を言っていたわよ」
「陳さんが?」
「そう。あの蛸を使った料理を作って店で出したら大流行で。まぁ太々からいただいたレシピを陳料理長がアレンジしたものらしいけど……。やっぱり一番人気はたこ焼きよね。なんか流行っちゃって、街道の屋台とかでも売ってるみたいだもの」
「そうなんだ……」
相槌を打つ琉論の眼の前に、ーあ、そうだーと小さく呟いて、ゆぁが一枚の紙を差し出した。
「これ、お土産。……今、王都じゃ手に入らないくらい大流行してるの」
「これって……」
紙を広げてよくよくと見れば、それはいわゆる美人画で猛る龍の背に乗った美女が剣を振りかざしている。
「もしかして、あの時の姫さま……?」
尋ねる東雲に、ゆぁがこっくりと頷く。
「災難除け、疫病除けにご利益絶大って凄い勢いで売れまくってるわ。龍神のご加護をもらえる……って」
「活躍したのは俺なんだけどな……」
むくれる琉論に苦笑を漏らしつつ、東雲はふと気に掛かっていたことを口にした。
「ゆぁたんも花朝家にいたんだ……」
「正確には花朝家の領内の森……だけどね。お屋敷にもよく遊びに行ったわ」
ゆぁの言葉にウンウンと三姉妹が懐かしげな眼差しで頷いた。
「で、なんで森を離れたの?」
東雲の問いにさあっとゆぁの顔が曇った。
「魔獣が出たの……」
「魔獣?」
ここは幻想小説の世界だったか?ーと東雲は一瞬首をひねったが、妖精やら妖猫のいる世界だ。魔獣の一匹や二匹がいてもおかしくはない。何せあんな大蛸がいるのだから。
「ひどい瘴気をまき散らしていて……花や木も萎れたり枯れたりで、私たち精霊にはとても住めなくなったの」
ゆぁの言葉に琉論がはっと顔を上げた。
「流行り病ってもしかしてそいつのせい……?」
「わかんない」
ゆぁはフルフルと首を振った。
「何処から来たのかも分かんないけど、朧月夜との国境付近の森とかひどい有り様よ」
「やっぱり行ってみなきゃか……」
ふぅ、と東雲は深く息をついた。
「まぁアヒルを食べてから考えよう!」
大事の前でもあくまでも、あ・かるい公子、琉論の笑顔に脱力しつつ、皆、和やかな夕餉の時を過ごしたのだった……。
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