影武者は身の程知らずの恋をする

永川さき

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44 芽吹いた想いと恋心の寿命

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 ミカエラの成人の儀、前日。
 翌日が本番ということもあり、午前中にお茶会、午後から成人の儀の予行練習という予定だった。

 成人の儀の予行練習はミカエラのためのものだ。
 神聖な儀式のため、流石にライリーとミカエラが入れ替わるわけにはいかない。
 必然的に、ライリーが影武者となるための、本番前最後の予行練習は午前中になった。

 お茶会の相手は、幼い頃から共に勉学に励んだ友人たちだ。
 話題は当然、明日の成人の儀のことで持ちきりだった。

 成人の儀は、王都にある四大精霊を祀る神殿で執り行われる。
 出席者は、親族である王族と儀式を進行する神官、そして成人済みの貴族たちだ。
 オーウェンの成人の儀の時は当然のことながら成人していなかったミカエラの友人たちは、ミカエラよりも先に成人を迎えている。
 そのため、初めて出席する明日の儀式に興味津々。
 明日が待ち遠しくて仕方がない様子だった。

 その話を聞いていると、ライリーまで楽しみになってくる。
 きっと、隠し通路の中で待機しているミカエラも同じ気持ちのはずだ。

 楽しい時間はあっという間に終わるもの。
 彼らとゆっくり過ごすのもこれが最後だ。
 罪悪感に駆られ続けた日々だったが、ライリーは底抜けに明るくて愉快な彼らと過ごす時間が好きだった。

 寂寞の思いを密かに抱え、ミカエラが所有するサロンから、警備の関係上、ミカエラが足を伸ばしてもいい王城の区域まで彼らを見送る。

 その道中、明日はミカエラが主役ということもあり、王城を行き来する貴族や官吏たちからの視線が集中した。
 憧憬、羨望、嫉妬、蔑視――あるいは殺意。
 予行演習としてミカエラと入れ替わる前の一ヶ月、影として護衛をしていたからか、他人からの視線にどんな感情が込められているのかわかるようになったのは、幸か不幸か。

(歩くだけでこれか。王族も大変だな……)

 突き刺さる視線に辟易している中、ライリーを飛び越え、その背後を探る視線を感じた。
 さりげなく周囲を探れば、親の付き添いで登城しているのか、豪奢なドレスに身を包んだうら若い女性二人に行き当たる。
 彼女らは扇子で口を隠しながら、じっとこちらを見ていた。

「あら、今日はユリウス様が護衛じゃないのね」
「今日はついてないわ。他の近衛騎士の殿方も側近の皆様も見目麗しいですけど、ユリウス様は別格だわ」
「子爵家の方ですがご実家は上級貴族にも負けない資産家ですし、何よりご本人は花形の近衛騎士」
「額の傷は見ていて痛々しいですが、それも男らしさがあって魅力的よね」

 上品に囀る二人は、ユリウスの顔を思い浮かべているのだろう。
 魔獣に襲われたことになっているユリウスは、化粧で額に傷を描いて出勤している。
 傷があっても魅力的で、ライリーが見ても男前だ。
 
 令嬢たちも、その魅力に惹かれているらしい。
 その弾んだ声を聞けば、扇子で隠れている口元は見えなくても、弧を描いていることがわかる。

「未だにご結婚されていないのが不思議ですわ。引く手数多でしょうに」
「釣書も送り返されていると聞くわ」

 二人は物憂げな表情を浮かべ、落胆のため息を落とす。
 彼女たちが会話を隠す気があるのかないのかはさておき、距離のあるライリーの元にも、その囀りははっきりと届いた。
 
 初めて聞くユリウスの色恋の話。
 それを聞いて、ライリーは胸を掻きむしられるような痛みを覚えた。
 心臓に容赦なく立てられる鋭い爪は突き刺さったまま深く沈み込んでいく。
 
 感じたことのない胸の痛み。
 ぞわりと粟立つ肌に滲む嫌な汗。
 この話は聞きたくない。
 耳を塞ぎ、この場から逃げ出したい。
 
 しかし、それは決して許されないことだ。
 ライリーは今、第二王子ミカエラなのだから。
 
「それももうすぐ終わるのではなくて? 三男とはいえ貴族子息よ。もういいお歳ですし、そろそろどこかのご令嬢とご縁をもたれて跡継ぎを作るはずだわ」
「私、お父様に言って釣書を送ってもらおうかしら」
「試す価値はありそうね」
 
 くすくすと小鳥が囀るように話す彼女たちに悪意の色はない。
 純粋に、心を寄せる男性の話をしているだけだ。
 それなのに、何故こんなにもライリーの心は掻き乱されるのか。

 彼女たちの囀りは友人たちにも聞こえていたようで、彼らもユリウスの結婚話に興味深々だ。
 
「へえ、ユリウス様の人気は凄いもんだな」
「そう、だね」
「縁談の話は聞かないの? 掃いて捨てるほどあるみたいだけど」
「いいや、彼からは何も」
「報告があれば教えてくださいね。とても興味があります」
「もちろん、彼が話していいと言えばね」

 ライリーは必死に笑顔を浮かべ、友人たちに返事をした。
 ちゃんと笑えているだろうか。
 違和感はないだろうか。
 ライリーは気が気でなかった。

 ユリウスと友人たちは、ミカエラを通じた親交がある。
 実際、ミカエラと入れ替わるようになってから、ライリーはミカエラの護衛をしているユリウスと友人たちが親しげに話しているのを間近で見ていた。
 友人たちが近衛騎士のユリウスを兄のように慕っているのは、短期間でもよくわかった。

 彼らも、ユリウスがどこかの令嬢と結婚するのを楽しみにしている。
 当たり前の現実を突きつけられ、ライリーは体から一気に血の気が引くのを感じた。
 
「それもそうだ。っと、ミカエラ様はここまでだ」
「明日の成人の儀、頑張ってね」
「見守ることしかできないけど、俺たちが同じ場所にいることを忘れないで」
「うん、ありがとう。それじゃあ、明日」

 ミカエラが足を運べるギリギリの場所に着くと、友人たちはミカエラの手を握り、激励を送ってくれた。
 ライリーはそれを受け取るのに必死で、彼らが背中を向けるまできちんとミカエラを演じ切れていたのかわからない。

「ミカエラ殿下。ご友人と離れて寂しく思うのはわかりますが、ひとまず戻りましょう」

 ライリーがミカエラを保てなくなっていることに気付いたんだろう。
 周囲の視線を遮るように体をずらした影でもある近衛騎士に促され、ライリーは小さく頷いて歩いてきた道を引き返した。

 今日、ユリウスは影としてミカエラに扮するライリーの護衛についている。
 きっとこの廊下の裏あたりで、令嬢の囀りや友人たちとのやり取りも見聞きしていたはずだ。
 それを聞いて、彼はどう思ったのだろう。
 
 いつものことだと吐き捨てるのか、それとも女性に秋波を送られて得意げな顔をするのか。
 それがどうしようもなく気になる。
 しかし、壁一枚を隔てているユリウスの様子を、ライリーが窺い知ることは不可能だ。

 ライリーの心に嵐が吹き荒れる。
 この嵐の正体が何であるか。
 答えは既に出ていた。

 ユリウスの笑顔を見て嬉しくなるのも。
 ユリウスと刃を交えて楽しくて仕方がないのも。
 彼に香油を塗られるのが心地いいのも。
 そして、ユリウスと楽しそうに話している辺境伯に離れろと怒鳴りそうになったのも。
 令嬢たちがユリウスの結婚話に盛り上がっているのを見て胸が抉られるような切なさを感じるのも。

 それは、すべて。

――ユリウスが好きだからだ。

 共に過ごしたのは一年にも満たないのに、ライリーの心の深いところに彼の存在があった。
 いつの間にかユリウスの存在が、ライリーの心に根を張って息づいている。

 それに気付いたと同時、ライリーはチビたちに読み聞かせた童話を思い出した。
 それは、悲恋の物語だ。
 
 王城の外れにある小屋で暮らしていた王宮付き魔女の娘。
 彼女は息抜きと称して遊びにくる王子に惹かれ、いつかはその気持ちを告げようとしていた。
 ある嵐の日、王子が血相を変えて駆け込んできた。
 婚約者が呪いに倒れた、どうか助けてくれ。
 青褪めた顔の王子に懇願された娘は、母親とともに王子の婚約者の呪いを自身の身に移すという方法で王子の婚約者を救った。
 娘はその事実を王子に明かすことはなかった。
 そして、彼らの婚姻ののち、静かに息を引き取るのだ。

 ライリーは今まで、娘がどうしてそんな馬鹿な行動を取ったのか理解できなかった。
 なぜ想いをひた隠しにするのか。
 なぜ呪いをその身に移したことを王子に告げないのか。

 それが今、わかってしまった。
 彼を愛していたからだ。
 彼の幸せを願ったからだ。
 それが愛なんだと、ライリーは理解した。

 ライリーは元孤児で平民。
 ユリウスは貴族である上に、誰もが羨望する近衛騎士だ。
 ライリーがユリウスに恋慕の情を抱くこと自体、あまりにも身の程知らずだ。

 それに、だ。
 ユリウスがライリーの世話を焼くのは、ライリーに尽くしているように見えるのは、それが彼の仕事だからだ。
 優しくされたからといって、何を勘違いしているのだろうか。
 
 もしも仮に、あり得ないことだが、ユリウスと想いが通じたとして、その恋路に立ちはだかる障害は空よりも高く、海よりも深い。
 苦しく険しいいばらの道に、ユリウスを引き込むのか?

(そんなこと、できない。誰も望んでいない)

 この気持ちはひた隠しにするべきだ。
 いや、今すぐ捨て去るべきだ。

 しかし、その一方で、「でも」と言い訳するライリーがいる。
 
 自覚したばかりのこの気持ちを大事にしたい。
 だからせめて、明日が無事に過ぎ去り、ユリウスと離れる瞬間までは。
 
(それまでは、好きでいさせてくれ)

 凍てつく心の中に仄かに揺らめく灯火を抱えたまま、王城の窓から見える太陽を見上げた。
 燦々と輝く頭上の星は、希望を示すように燃え盛っている。
 
 国を変える大きな戦いは、明日。
 ライリーは胸の痛みに耐え、息を潜めながら、その火蓋が切られるのを静かに待った。
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