R.I.P Ⅳ 〜来迎の夢〜

乃南羽緒

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第三夜

第17話 夢と現

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 障子丸窓をのぞき込んでいた一花がふいに、
「恭ちゃん」
 とつぶやいた。
 傍で書物に通していた三橋の目が一花に向く。
 彼女はすこし泣きそうな顔で微笑んでいる。
「そうよ。あたしと綾ちゃん、マレビトって歓迎されてンの。でも、でもさア恭ちゃん──あたし。あたしは、……」
「イッカちゃん?」
 傍から見ればようすのおかしい一花に戸惑い、おもわずその肩に触れた三橋。直後、耳元にノイズと耳鳴りが走ったとおもった瞬間、どこからともなく声が届いた。

「心配するな。僕がすぐに道を作ってやる」

 と。
 この声は、恭太郎か?
 ハッと障子丸窓の方を見る。一見変わったところは見えない。一花はちいさく頷くと、ほう、と細く息を吐いた。これまで余裕なそぶりを見せていた彼女も、やはり内心は張りつめていたのだろう。
 どういう原理か、ここにいるはずのない者との邂逅を目前にしても、三橋の心情は落ち着いている。一花という娘とともにいれば『不思議だ』とおもう事象すら『そんなこともあるか』という気になる。
 三橋自身、職に似合わず柔軟だというのもあるが。
「恭太郎くんと──お話できたの?」
「なんかねー、道つくるって。どういう意味か知らないけど」
「そう。なんというか、彼もたいがい柔軟よね」
「エ? 恭ちゃんは身体硬いよ。あっちこっち暴れまわるくせにねエ」
 といって、一花はケタケタわらった。
 先ほどまでのセンチメンタルな表情は消えている。フィジカル的な柔軟さを言ったわけではないが、彼女が元気になったのならまあいいだろう。三橋は苦笑して部屋のなかをいま一度ぐるりと見回した。ハッとした。
 いつの間にいたか、部屋の入口にあの翁面の男が立っている。
 音も気配もなく登場した男を前に、三橋はすかさず一花を自身のうしろに隠して、警戒態勢に入る。
「あなた、いつからそこに」
「いましがたですよ。先ほどはすみませんでした、ふたりぼっちにさせてしまって」
「まったくです。なんだか村の人たちは様子がおかしいし、これからどうしようかと考えていたんですよ。ここに居続けたらまずいですか? そもそも彼らの目的は? マレビト信仰と関係が?」
「ふむ──そうですねえ。取り急ぎ」
 というや、翁面の男はつかつかとふたりの前に歩み寄り、ふたりがつなぐ手に自身の手を重ねた。
「ひとつ目の質問に対しては、ご自分の目で見てご判断いただくとしましょうか」
「?」
 男は自身が身に着けていた朱色の長襟巻を、三橋と一花をまとめるようにふたりの肩に掛けた。廊下から足音と話し声が聞こえてまもなく、小気味よい音を立てて襖が開く。
 入ってきたのは、黒々と日に焼けた大柄男である。

「マレビトはどこや⁉」

 開口一番にさけんだ。苛立ちも隠さず、男は手近な棚を蹴っ飛ばす。
 一花はびくりと身をふるわせて三橋にしがみついた。
 三橋もまた、一花の手を握りしめながらもう片方の手で男に掛けられた長襟巻に触れる。目前に荒くれ者がいるというに、ふしぎと緊迫した心が凪いでいく。
 いや──なにより不思議なのは、この男が目の前にいるはずの自分たちを認識していないことだろうか。
 どこだ、どこだとわめきながら大男が部屋のなかを物色する様を、三橋は一花と翁面の男とともに大男の傍らで見物しているのである。第三者が見たらさぞ滑稽だろう。しかし大男はこちらが見えていないのか、部屋のなかをひとしきり荒らしたところで部屋の外へ顔を出した。
「────!」
「────⁉」
 訛りがひどくて聞き取りづらいが、どうやら”マレビトが逃げた”と報告しているらしい。その後も幾人かの老人が部屋のなかを覗きに来たが、いまだ変わらず部屋のなかに立ち尽くす三橋たちには目もくれず、あわただしく部屋を出て廊下を駆けていってしまった。
 三橋と一花は、唖然としたまま固まっている。
 しかし翁面の男はひとり涼しげに、
「うむ、間一髪でしたな」
 とかたちのよい顎をあげて撫でた。
 訳が分からない。
 三橋がわずかに声を荒げる。
「どういうこと? あの人たちの目が節穴ってわけじゃないでしょ。いったいどうして」
「いけません」
 言いながら長襟巻を肩から外そうとした三橋に、男がピシャリとたしなめた。
「とくにこの屋敷にいる内は、その襟巻は身に着けておいでなさい」
「どういうことなの」
「夢ですよ、綾乃さん」
「────」
 ひく、と三橋の喉がひきつる。
「これは夢だ。その襟巻が、きっとあなた方をうつつに戻す道しるべとなる」
「夢──?」
「そう。夢です。けれどせっかくならば覚める前に、待ち人に会うてゆかれるのもよい」
 翁面の男は、上品な口元をゆるめてゆっくりと歩き出した。
 一花が三橋の手をクッと引く。
「行こう。綾さん」
「────」
 これは夢か。
 夢なのだ。
 夢ならば──仕方ない。
 三橋はもう、考えるのをやめた。

 ※
 蔵内の書物をあらかた見終えた浅利は、外に出てぐっと背筋を伸ばした。
 泰全からすれば途方もない量の書物を片っ端から読みあさり、内容をすべて把握しつつものの一時間も経たぬうちに読み終えたのである。
「お、お疲れだな。浅利くん」
「いや。君を待たせているとおもったからなるべく流し読みしていたのだけど、結果的にずいぶん待たせちゃったな。ごめん」
「まさか全部読むとは思わなかった。しかも、あの量を一時間で──」
「おかげでいろいろ、いいもの見つけたよ」
 言いながら彼は脱力した。
 さすがに疲れたか、と様子をうかがうと、表情には疲労とは別の陰鬱さが漂っている。およそ『いいもの』を見つけた者がする顔ではない。
 浅利はくるりと踵を返し、北に伸びる道をぎろりとにらみつけた。
「この村は──君たちがまだここにいた当時から、すでに廃村話が出ていたようだよ。そこには民間の会社もかかわっていて、土地開発の話も上がっていたとかで」
「え、マジ? そういうことが書かれてた?」
「うん。詳細部分は破られていたから分からなかったけれど、……」
「けど?」
「いや。おれ個人的に、気になる単語を見つけただけだ」
 といって、弱弱しく微笑んだ。
 ──気になる単語?
 きっと自分ならいっさい引っかからないことなのだろう、と泰全はいっしゅん流そうとしたが、いつも涼しい顔を崩さない彼がここまで深刻な表情をしていることが気がかりで、すこし踏み込んでみた。
「ちなみに、なんて?」
「────」
「え?」
「有栖川地域振興財団。プロジェクト名は」

 ──R.I.P(アールアイピー)。

 つぶやいた彼の顔は、苦々しくゆがんでいる。
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