落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第六章

32話 ごめんな

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 大地の声で水緒は我にかえった。
 溺死寸前の紅玉に気がついて、吽龍に「それまで!」と指示を出す。
 宙に浮いていた水の玉が一気にプールのなかへと流れ込む。その勢いはすさまじく、激しい水しぶきをあげて、水はグラウンドまで流れ出た。
 ようやく水の動きは落ち着くも、もはやプールの水は最初の半分以下の量にまで減っている。

「はぁ、は……ゲホッ、ゲホォッ」
 紅玉ははげしく噎せた。
 大丈夫か、とすばやく駆け寄った蒼玉と翠玉。
「龍のなかじゃ落ちこぼれと聞いとったが、やはりあの方の娘御なだけはある。認識を改めた方が良さそうだ──見事な水責めだった」
「鬼畜なアマだ。感動したぜィ」
 およそ兄弟を心配しているとは思えないふたり。翠玉にいたっては嬉しそうな顔をしている。
 大地も水緒のもとへゆき、背中の傷を覗きこんだ。目立つ裂傷になってはいるが、すでに痛みは引いているようだ。
「大丈夫か」
「うん──」
「ゲホッ……っああ」
 やがて、水を吐き出した紅玉が、ゆっくりと身を起こす。猛烈な殺意を向けられると覚悟していた水緒だったが、予想に反して彼は嬉しそうに膝を叩いた。
「うれしい誤算やったな。なかなかやるやねえか、おんしよ。まさか水がこれほど怖ェもんとはな──」
 と、紅玉はプールを見て苦笑した。
 その言葉に、水緒は疲れはてた顔をしながらも、
「母なる恵みの水には、万物の何物も敵わない。それを守護とする龍をあんまりなめないで」
 と胸をはる。
 しかしおまえ、とわらう紅玉は上機嫌のようだ。
「ここが水溜めやなかったら、確実にオレの勝ちやったぞ。なんやあの戦いかたは。まったくなっとらんやねえか」
「だ……だってこういうのやったことないもん! 何かあっても大体、眷属のだれかが助けてくれたし──」
「とんだ箱入りの嬢ちゃんだな。それよりそっちの、人間」
 と蒼玉が大地へと目を向けた。
 唐突に話を振られて、戸惑いがちに「おれは片倉大地ってんだよ」と名乗りをあげる。
 そうか、と蒼玉はうれしそうにうなずいた。
「大地よ。お前が止めてくれなんだら、弟は溺死しとったかもわからんな。礼を言うぞ」
「いや──こっちこそ。タイマンの要望を聞いてくれなかったら天沢は確実にやられてただろうし。ありがとう」
 しかし水緒は目くじらをたてる。
「ありがとうなもんかッ。背中がまだひきつってるよ。すっごく痛かったんだからね!」
「それなら俺の薬を塗ってあげやす。こいつは特効薬ですぜ」
「薬?」
 三男翠玉があっという間に水緒の背中にまわりこみ、薬壺をとりだした。
 指ですくったものを裂傷に塗り込む。
 その冷たさに水緒は肩を揺らしたけれど、痛みはないようだ。
「あっすげえ」
 大地が目を見開く。
 塗った瞬間から、傷口は綺麗にふさがり、まるでハナからなにもなかったかのように跡形もなく綺麗に消えていったのだ。
「なになに。見えない」
「なんの傷も残っちゃねえや。よかったな天沢」
「ホント? ありがとう!」
「ハハハ。敵にありがとうはねえでしょや。なあ大兄ィ。こいつはほんとに、とんだ箱入り娘ですぜ」
「そうのようだ」
 クックック、とわらった蒼玉。
 紅玉の様子を今一度確認したのち「ようし」と立ち上がった。

「今日のところはこれにて諦めるとしよう。が、またおんしがカケラを見つけ出したなら、そのときは穢れたままで奪い取ったるからな」

「…………」
 そして三兄弟は、風の渦となりたちまち姿を消してしまった。

 残された水緒と大地は、しばらく放心する。
 そして互いに顔を見合せた。
「…………」
 すると大地が、だまってユニフォームの上着を脱いで水緒の首にすっぽりとかぶせた。
「うわっ」
「いつまでも水着じゃ、風邪ひくぞ」
「…………汗くさァ」
 ホカホカと残る大地のぬくもり。水緒はそのユニフォームの襟元に顔を埋めて、こっそりと微笑んだ。
 頭上で「汗くさくてわるかったな」と憤慨する声に、水緒は嬉しそうにくすくすわらう。
 ああ、機嫌がもどった。
 大地はホッとした顔をした。そしていまだにプールサイドにへたりこむ水緒に視線を合わせようとしゃがむ。
「ごめんな」
「え?」
「昼間、余計なこと言っちまって」
「昼間──」
「あとさっき、無責任に行ってこいとかいったのもわるかったよ。ごめん。怖かったよな」
「…………」
 怖かったかと言われれば、ふしぎとそうでもない。水緒はううん、と首を振った。
「おれがついてるって片倉くん言ったから。大丈夫だったよ」
「……あ、そ。ならいいんだけどさ──」
 といったときである。
 グラウンドの方から、大地を呼ぶ英二の声がした。どうやらいくら待っても大地が戻ってこないので、わざわざ荷物までもってきてくれたらしい。
 水緒があわてて阿龍と吽龍を宝珠に戻す。
 それとタイミングを同じくして、英二がひょっこりとフェンス越しに中を覗いてきた。
「お前ら──」
 開口一番。
「さっきまで喧嘩してたと思ったら、今度は彼シャツオン水着って。ずいぶんいい趣味だな」
 といってプールサイドにへたりこむふたりを見つめて言った。
 その言葉に、水緒はようやく自分の状態に気がつく。
「えあっ、や、ちがこれは」
「そういうのやる前に、付き合ってる報告の一言くらいくれよな。ビックリするから」
「だから違うってば! どうしてすぐそういうのに結びつけるのよ石橋くんはッ」
「いやだってそりゃさぁ」
「違うのッ、さっき風がすごかったでしょ! そのせいで水着があっちこち切れちゃっ──」
「ハイハイハイ。大地、これお前の荷物。俺、先に帰るから」
「あ、荷物。サンキュー!」
 と。
 誤解を解くのに必死な水緒を横目に、大地は英二とにこやかにあいさつをし、帰宅する彼を見送った。
「さて、おれも着替えねえと。お前もはやく着替えておれのユニフォーム返せよ」
「わかってるよッ、もう!」

 学校を後にしたのはそれからおよそ十五分後のこと。

 水を抜かなくてよい、と月森千夏に言われていたプールの水が、三分の一に減ってしまったことで、
「抜かなくていいっていったのにィ」
 と月曜日に千夏からお叱りをうけることになるとは、まだ知らない水緒である。

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