落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第八章

41話 銀月丸の葛藤

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 宿にもどるころには、すでに空が白みはじめていた。
 ひと晩中寝ずに、その帰りを待っていた朱月丸。傷だらけの銀月丸を見て飛び上がり、水緒の布団でねむっていた翠玉をたたき起こしたのだった。

 みなが眠る部屋の隣室。
 人型の銀月丸があらわにした上半身に、翠玉が薬壺のぬり薬を塗布する。
「見かけほど深くは切れてねェみたいです。これだけ塗ったら痕も残りやせん、安心しなせェ」
「かたじけない翠玉どの。さすがは飛騨の鎌鼬だ、業も腕も薬も一流ですな」
「そこいら粗野のイタチとは違いますからねィ。転ばせの蒼玉に斬りつけの紅玉、そして瑕癒しの翠玉といったらこの僕のことでさァ」

 ──飛騨の鎌鼬は、三人ひとつの攻撃をするという。

 先駆ける者が標的を転ばして、二番目が斬りつけ、そして殿しんがりを走る者がその傷に薬をつける──とか。
 この三兄弟でいえば、長男蒼玉が転ばし、次男紅玉が斬りつけ、三男翠玉が傷を治すという担当なのである。翠玉がもっぱら薬壺をいじるのもそのためだ。

「それがし」
 朱月丸が銀月丸の傷を覗きこむ。
「水守さまのことは話に聞く程度しか知らぬが……よほどに冷酷無比なお方だったと白月丸から聞いとるぞ。腹を蹴られてよく無事じゃったな」
 知らぬのも当然である。
 庚月丸と朱月丸の二匹が大龍に拾われたのは、紅来門の大戦より後のこと。水守のことは躯のすがたしか知らない。
 うーん、と銀月丸も首をひねった。
「それがしも三度ほど死を覚悟したが、水守さまはいったいどうしたというのか」
「おいおい、ころされなかったことを不思議がってどうすんでさ。もっと喜びなせえ。強いお人ってなァ気まぐれなんでしょ」
 と翠玉が苦笑する。
(気まぐれか)
 そうかもしれない。
 銀月丸は空をあおいだ。とはいえ、あれほどの口答えをしても爪ひとつ向けてくることはなかった。引き裂かれてもおかしくなかったのに──。

 ──私はいま、それがほしい。

 あのことばの意味はもしかすると、こちらが思うよりも深刻なことになっているのかもしれない。

「どうしたの?」

 時計の針が五時をさす。
 襖が開き、水緒が隣室を覗いてきた。
 ずいぶんと早い起床だが、彼女は日頃から朝の滝浴びのために早起きをしているので、それほどめずらしいことではない。
 切り傷を負った銀月丸を見るや、息を呑んで駆け寄る。
「銀月丸──ひどい怪我してる。これ鬼人族が」
「はい。しかし水守さまにお助けいただきました」
「み、水守が来てるの?」
 水緒が目を丸くする。
 これまでに起こったことを、銀月丸はかいつまんで説明をした。
 水守がキクナを殺したこと、銀月丸がカブトを逃がしたこと。そして水守がカケラを欲してここまで来たこと──。
「……それじゃ、今日もしかしたら水守本人が奪いに来るかもしれないってことだね」
「はい。しかしあの水守さまが焦っておいででした。欠片が欲しいというのも、力を得る以外になにか目的があるのやもしれませぬな」
 と険しい顔をするオオカミ。
 ねえ、と水緒が身を乗り出した。
「浄化した欠片がふたつあるでしょ。これを先に渡してあげるのはダメなの?」
「あの野良龍が、その欠片にふたたび穢れた気をいれてしまう可能性もあります。そうすれば水緒さまのご苦労が水の泡になってしまいますぞ」
「でも──」
「完全に浄化された宝珠にもどれば、水守さまは清いお心を取り戻される。さすれば玉嵐めなど足元にも及ばぬ」
「ギョクラン?」
 水緒にとっては初めて聞く名だ。
 代わりに説明をしたのは翠玉だった。
「左頬に大きな傷のある男でさァ。お嬢も見たことはおありでしょ、野良龍です。僕らのもとにダキニの姐者がやってきたとき、供としてついてきてやがりました」
「ああ」
 忘れもしない。
 鶺鴒山で、水緒と大地に風を仕掛けてきた大男。視線を交わしただけでゾッとした。野良龍というだけあって、その身心がよほど穢れているということか。
「しかし水守さまは、あの男と手を結んだ覚えはないとも仰せでした。あの男とダキニの姐さまの目的がなんなのか──それによりますが、水守さまはいまだ目覚めたばかり。カケラを求めるのも、ただ己の気を取り戻したいという一心かもしれませぬ」
 という銀月丸のことばを最後に、場は一瞬沈黙した。
 小鳥のさえずりが部屋にひびく。

「銀月丸」
 と、その静寂を破ったのは水緒だった。その顔はいつになく真剣で、すこし怒っているようにも見えた。
「勇ましいのはいいけど、水守が来てくれなかったら危なかったんでしょう。お願いだから、あたしの知らないところで死んじゃうのはやめて。つぎ無茶したら怒るからね」
「も……申し訳ござらん」
「あたしの眷属も、あたしのお兄ちゃんも、ぜんぶぜんぶあたしが守るから。ダキニとかギョクランとかに好き勝手になんかさせないよ」
 いつになく挑戦的である。
 彼女の力が、いまだに鬼人族にすらかなわないことくらい、この場にいるだれもがわかっている。しかし彼女の意志は固い。朱月丸と翠玉は顔を見合わせてちいさく笑んだ。
 銀月丸は内心で、大龍に先立つ不孝を詫びたおのれを恥じた。
 この水緒がいるかぎり、自分の役目はいまだ終わってはいないというのに。
「だから本当は──」
 水緒はつづけた。
 その声はいつものおだやかなものにもどっている。
「鬼人族のカブトも、あたしが痛めつけてやろうと思ったんだけど。……銀月丸が助けた命だもんね」
「…………」
 銀月丸はうつむいた。
 きっといま、この場に白月丸がいたら「判断ミスだ」と怒ったかもしれない。水緒に仇なさんとする以上、眷属としてあの場で見逃してはいけなかった。しかし銀月丸にはどうしてもできなかった。
 その種さいごのひとりをこの手で殺めることは、どうしても。
 水緒は銀月丸の葛藤がわかったのだろう、うつむくオオカミの頭をやさしく撫でる。
「カブトも、いつか銀月丸みたいに──種を越えた仲間を見つけられたらいいのにね」
「……そうで、ございますな」

 夜が明けていく。
 隣室では、慎吾や大地が起きる気配がした。

 
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