落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第八章

43話 水緒怒る

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 カブトの死骸が無造作に投げ捨てられた。
 滝壺のなかに沈む。
 水が、みるみるうちにカブトの乾いた血を溶かして、水面を朱殷に染めた。玉嵐はおなじ色の瞳をゆがめて、わらう。
 鉾をにぎる銀月丸は牙を剝いた。
「どういうことだ玉嵐。なにゆえカブトを」
「それを知って如何とする。くだらん、鬼人というわりには歯ごたえのない輩だった。憂さ晴らしのひとつもならず時を無駄にしたわ」
「口を慎めッ」
 どなったのは、朱月丸だった。
 どなると同時に銀月丸の襟元を掴む。翠玉もずいと銀月丸の前に出た。蒼玉と紅玉は水緒の前に出て、玉嵐を見上げる。
「これほど早くにまたお前ェさんと相まみえるとは思わんかったぜ。主人はどうした?」
 どうせ見てるんだろ、と蒼玉は凛々しい眉をけわしく歪めた。
 しかし玉嵐は嘲笑して「なるほど」とつぶやく。
「いい度胸だ。ダキニさまを裏切るつもりとは──大龍方に媚を売るほど、その水緒とやらを気に入ったか?」
「笑止。裏切るもなにも、もともとダキニの配下についた覚えはない。幼きころに切り捨てたのはあちらのほうだ」
「ならば使えぬ駒に用はない。貴様ら鎌鼬ごとき、鬼人族のついでと根絶やしにするは、吾輩にしてみれば容易いことよ。どうする、別れを惜しむ時間くらいはくれてやろう」
 紅玉は気が短い。
 目の色を変えて肩をふるわせる。しかし、意外にもその怒りを抑え込んだのは銀月丸だった。
「まて、カブトを殺した男ぞ。冷静にならねばかならず殺られる」
「……ほいじゃけ黙っとれいうんか、おんし──」
 と、紅玉が飛びかからんと腕から鎌の刃を出したときである。祠のそばにいた水緒が、いまのうちにと欠片に手を伸ばしたのだ。
 しかし玉嵐は見逃さない。
 水緒に向け、剣を振り下ろしてきた。水緒は咄嗟に吽龍を呼ぶ。
 玉嵐はわらった。
「ハッ、貴様のような貧弱な力に、吾輩の剣が止められると思うてかッ」
 パキィ。
 と甲高い音を立てて、吽龍の結界は一瞬にして破られてしまった。水緒は身を翻したが間に合わず、ざっくりと身体を切られる。
 ギャッ、とさけんで地面に転がった。
「天沢ッ」
 大地が駆ける。
 それを見た玉嵐は連撃を打ち、大地をも斬り払って、──。

「愚か者どもがッ」
 と、穢れたままの欠片を手に取った。

 水緒は動かない。
 そんな彼女を庇うように伏せた大地もまた、身じろぎひとつしない。慎吾が思わず飛び出して、ふたりと玉嵐の間に身を入れた。
「きさまァ!」
 眷属。
 ふたりが、玉嵐をなぎ払うように鉾をぶん回して大地から突き放した。朱月丸は翠玉を見る。
「…………」
 ことばはないが伝わった。
 翠玉は、薬壺を脇にかかえてふたりに駆け寄る。
 それと同じくして、紅玉と蒼玉、そして銀月丸が玉嵐に斬りかかった。

「無茶すんなと言うたアンタが無茶して、どうすんですかィ──」
 翠玉が薬を塗る。
 痛みに耐えていた大地は、ほどなくして身を起こした。まだ痛いだろうに、かまわず自分の下にいた水緒の無事を確認している。
「天沢──だいじょうぶか」
「…………」
 水緒は喋らない。
 翠玉の薬と龍の力も相まって、傷は少しずつ塞がってきた。ゆっくりと身体を起こすその腕がかすかにふるえる。
「水緒」
 慎吾がいった。
 けれど水緒の耳には届いていない。
「…………」
 ギリ、と歯を食いしばる。
 顔をあげて、上空で三人を相手に戦う玉嵐を睨み付けるその目は、明らかにいつもの水緒ではない。
 水緒は立ち上がった。
 そして宝珠に唱える。

あだなへの魔をやぶる、神威かみいきおい御利物みとものとませ。阿龍」

 と。
 阿龍は剣となって水緒の手中に入る。
 つづけて水緒はさけんだ。

あま駈けろ、吽龍ッ」

 すると、吽龍が宝珠の力を借りてその身を大きくする。水緒はその背に乗った。
 宙を飛ぶ玉嵐のもとへと天を駈け、右手に光る阿龍の剣を思いきり玉嵐に斬りつけたのだ。彼は避ける。
 が、水緒はその手をゆるめずに玉嵐との距離を詰めた。玉嵐が舌打ちをする。
「くどいな!」
「うるさいっ」
 鍔迫り合いの最中。
 水緒は唐突に剣を手放して身を交わした。玉嵐がわずかにバランスを崩す。

「水守のカケラッ──返せ!」

 水緒がさけんだ。
 吽龍は玉嵐に体当たりをする。蒼玉と紅玉が隙をつき、鎌の刃でカケラを握る玉嵐の手を切り落とした。

「お、おのれェッ」
 
 左手が地に落ちる。
 それを拾わんと、水緒はおもわず玉嵐に背を向けた。吽龍から飛び降りて手を伸ばすためである。
 しかし玉嵐はその隙を逃さなかった。
「させるか!」
 と。
 右手で剣を振り上げ、水緒に向かって振り下ろしたのである。
「水緒さまっ」
 銀月丸と朱月丸が手を伸ばした。間に合わない。斬られる──とだれもが思ったそのとき。

 キン。

 刃がかち合う音がした。
 同時に、地面に落ちたカケラを拾う手。一瞬おそく地面に着地した水緒が、ハッと顔をあげた。
「み、──」
 水守。
 剣で玉嵐を受け止めながらカケラを拾い上げるは、水守だった。
 玉嵐は眉根をひそめる。
「水守さま……なにゆえ邪魔を」
「玉嵐」
 水守の声がひびく。

「貴様に──私のカケラに触れる許可を出した覚えはない」

 目が、合った。
 その瞬間にからだがずしりと重くなり、玉嵐は地に膝をつく。以前にもこんなことがあった。これも、この半龍の力だというのか。
「……も、申し訳ありません──」
「去ね」
 と水守がつぶやくと、玉嵐は挑戦的な目を向けて、風を巻き起こすやすがたを消した。
 しかしまだ欠片の争奪戦はおわらない。
 水緒だ。
「まだダメ。そのカケラはあたしが浄化するのッ」
「必要ない」
「必要ある!」
 水緒は、いまだに目の色を変えて水守に掴みかかった。
「み、水緒さま──」
 銀月丸の声が弱々しく漏れる。
 この娘が水守に敵うわけがない。下手をしたら殺されてしまう。しかし、どちらも大龍の実子である以上、鉾先を向けるわけにもいかない──。
「しつこい」
「あたしは知ってるもん!」
 水守の腰元に抱きつく。これまでの水守ならば八つ裂きにされる──が、水守は意外にも動きを止めた。
「水守の気が、浄化されることを願ってる。だからぜったい浄化するんだもんッ」
「…………」
「それ貸してってば!」
 そして水緒は水守の手からカケラをとった。
 おおっ、と一同がざわつく。
 しかし、
(水守さまはなにゆえ──)
 とひとり浮かない顔の銀月丸が、ちらと水守を見た。
 彼の、いつも能面のように変わらぬ表情がわずかに歪む。そして身体を折るように膝をついてしまった。
「…………」
「水守さま!?」
「水守、だいじょうぶ?」
 水緒がその背に手を添える。
 しかし水守はすぐに手を払い、ふたたびふらりと立ち上がった。
 忌々しい、と吐き捨てるようにつぶやく。
「……どいつもこいつも好き勝手なことを」
「え?」
「────」
「あの、水守……助けてくれてありがとう。あたしのことも、銀月丸のことも」
 手を払われてもなお、水緒はふたたび水守の手に触れた。しかし水守はまたその手を払う。
 勘違いするな、といって水守は踵を返した。
「私の欠片に──きたない手で触れられたくなかった。それだけだ」
「…………」
 そして水守は、ふわりと宙を浮かんで山の奥へと消えていく。

 周囲には、風が草木を撫でる音だけが響く。
 こうして三つ目の欠片は、ようやく水緒のもとへと戻ってきたのである。

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