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第九章
49話 その胸にぬくもりを
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放課後。
あれから、大地からは『図書準備室で収穫を得た』という以外に話を聞くこともできず、水緒は悶々とした状態で学校を終えた。
こころとともに、昇降口へ降りる
「それで?」
唐突に彼女は口をひらいた。
んえ、と言葉にならぬ声を発し、水緒は上履きからローファーへと履きかえる。
「やっぱり彼と付き合ってるの」
「だッ、どーしてこころまでそんなこと言うの。何度も言ってるけど、片倉くんとあたしはべつにそういう関係じゃ」
「私べつに片倉くんとは言ってないんだけどね」
「…………」
ぐ、と下唇を噛んだ。
とはいえ、現在水緒が親しくしている男子など大地くらいのものだ。だからカン違いしただけ、と言い訳すると、下駄箱のとびらを閉めてこころはほほ笑んだ。
「そんなに否定しなくたって」
「だ、だって」
「片倉くんもA組のいろんな子から、あんたとの関係聞かれてるみたいだけど──さあ、とか、知らね、とかのらりくらりかわしてるよ」
ふたりは校門を出る。
今日は弟の迎えがあるため、こころもいっしょに大龍神社方面にすすんだ。
ここ最近、いろんな人に大地との関係性を聞かれる。彼がモテるのも理由のひとつだが、ありもしない事実で責められるから、この話題は水緒にとって地雷となっていた。
案の定むっすりと押し黙る。
しかしこころは気にせず「そういえば」とつづけた。
「校門のところにいた人、お兄さんって聞いたけど。水緒ってひとりっ子じゃなかった?」
「あ、それもあった……いやあの人は腹違いのお兄さんで、最近知ったの。なんかあんまり体調がよくないっていうんで、療養のためにうちに来てもらったんだよ」
「へえ。ま、美波さんはそういうの気にするような人ではないか」
「うん。そもそも自分が後妻なのは知ってたし、お兄ちゃんの顔見たらそりゃもうテンション上がっちゃって」
思い出すだけで胃が痛い。
きっと自分が学校にいるあいだ、さぞ水守が嫌がりそうなちょっかいを出しているのだろうと思うと、母の身すら案じてしまう。
あたしもだけど、と前置きして水緒はつづけた。
「お兄ちゃんも水があればなんとか体調保っていられるからだだからさ。うちのマイナスイオンたっぷりの滝場でゆっくりしてもらってるんだ」
「ふうん──なんか大変そうだね。困ったことがあったら力になるよ」
「ありがとうこころォ」
と、水緒はこころの腰元に抱き着いた。
余計な詮索をしてこないのが、こころである。いつも会話の引き際をわかっていて、それでいてフォローはわすれない。龍についての相談はできないものの、そばにいるととても心強い友人だ。
「先生、こんにちは」
ひまわり保育園に到着した。
声をかけると、まもなく弟のかおるが担任のひとみとともにあらわれる。ひとみはどこか夢見心地な表情で「あらぁ」と手をあげた。
「こころちゃん、こんにちは」
「先生……どうかしたんですか」
「ねーっ、ちょっと聞いてくれる? それがさ、今日かおるくんたちといっしょに商店街のお散歩に出たんだけどね。そのときにキラキラした髪の、俳優みたいな男の人とばったり遭遇しちゃって。もうなんていうか、なんて言ったらいいんだろ。麗人っていうかもはや神っていうか──ねっ、かおるくん」
興奮冷めやらぬ状態でひとみがかおるに目を向ける。
しかし、たいして話を聞いていないのか「ひとみセンセェ、れんらくちょーは?」と眉をしかめている。それを受けて、ひとみは「アッ」とあわてて園内へもどっていった。
「……なんかデジャブ」
「うん──すっごくすっごく、心当たりあるような気しかしない」
水緒がつぶやく。
ぜったいに水守だ。たしかに庚月丸も『時の変遷を見せるために連れまわしている』と言っていた。その視察のあいだに商店街を通るのは当然のことであろう。
だれかを八つ裂きになんてしていませんように……。
もはや祈るばかりである。
すると、かおるが水緒のスカートをひっぱった。
「あんね、でもおれね、おにいさんにちゃんとごめんなさいってしたよ」
「えっ。謝るようなことをしたの?!」
あわてて腰をかがめる。が、まもなく連絡帳を手に出てきたひとみが「ちがうのよう」とこころに言い訳をした。
「かおるくんが、ちょっと走ったらぶつかっちゃったの。ホントたいしたことじゃなくて」
「怒ってませんでした?」
連絡帳を受け取ったこころは、不安げである。
しかしひとみはキラキラと瞳を光らせて首をふった。
「一瞬、怒ってるのかなって思ったんだけどさ。でもそのあとその人どうしたと思う……?!」
「えっ」
八つ裂き、ということばが脳裏をよぎる。
いやしかしかおるは無事だ。もしや眼光するどくかおるを泣かせたか──。水緒の手のひらが汗ばんだ。しかしそれは杞憂におわった。
こうやってね、とひとみがかおるの前に膝をついたのである。
「かおるくんと目線を合わせて、『大事ない、気をつけよ』って! もう胸がしびれて死ぬかとおもったわ」
笑顔が素敵すぎて、とひとみが身体をくねらせる。
えがお──?
(…………)
かおるが「はやくかえろ」と帰りをせかすのをきっかけに、保育園をあとにするまで、水緒は不可解な顔をして立ち尽くしていた。
※
帰宅早々、水緒は豪瀑へと立ち寄る。
なぜなら離れに、これまで滝場にいたはずの鎌鼬衆がたむろしていたからだ。彼らは、水守から追い出されたのだと、なぜかすこしうれしそうに言った。
「…………」
草陰から、滝場をこそりと覗く。
いた。
水守はどうどうと流れ落ちる滝壺まわりの岩に、背筋をただして腰かけている。その瞳は伏せられ、まるで地面に生えた草花や大木たちと話でもするように手を伸ばしている。
綺麗だ。
水緒はほう、とため息をつく。
するとうしろから白ウサギがぴょんこと寄ってきた。
「水緒さま、おかえりで」
「うん。……」
と、いったその顔はすこし浮かない。
いかがされました、と白月丸が首をかしげる。
いっしゅん躊躇した水緒だったが、わずかに微笑んでつぶやいた。
「……水守って、きれいな人だね」
と。
意外なことばに白月丸が耳をピンと立てる。
「なにをしみじみとおっしゃるかと思えば。そうですとも、龍族のなかでもとびきりおうつくしい方なのですよ。もちろん、大龍さまの気を継いでいらっしゃるというのもありますが。それでも水守さまは、御身も御心もとびきりおうつくしい方だとそれがしは思うておりますよ」
「うん」
──このとき、水緒は決意した。
胸元にしまっていた水守のカケラを取り出して、そのなかからひとつをやさしくつかむ。
いったいなにをする気か、と白月丸はウサギながら眉間にしわを寄せた。
「水緒さま?」
「あたし、このカケラを返そうとおもう。水守に」
なんと──と反論しかけた白月丸を手で制し、水緒はつづけた。
「このカケラはもう二度と、ぜったいに穢れない。はじめて宝珠のカケラを手にして、その記憶を見たときからわかったの。玉嵐やダキニがこのカケラを穢そうとしたってきっと大丈夫。あたしが保証するよ」
最初のカケラ。
それは奥多摩で見つけた、水緒にとって忘れられない記憶のカケラであった。
しかし白月丸は半信半疑だ。
「いったいなにゆえそこまでの自信を……」
「本当にあったかかったの。記憶のなかの世界も、カケラ自身も。二つめ、三つめのカケラを手にしてすぐに違いがわかったくらいに。あの映像が本当に水守の目を通して見た世界なら、きっと水守は、……そのときすっごくしあわせだったんだとおもうから」
──水守に温かさを返してあげるの。
そして、水緒はにっこりわらった。
あれから、大地からは『図書準備室で収穫を得た』という以外に話を聞くこともできず、水緒は悶々とした状態で学校を終えた。
こころとともに、昇降口へ降りる
「それで?」
唐突に彼女は口をひらいた。
んえ、と言葉にならぬ声を発し、水緒は上履きからローファーへと履きかえる。
「やっぱり彼と付き合ってるの」
「だッ、どーしてこころまでそんなこと言うの。何度も言ってるけど、片倉くんとあたしはべつにそういう関係じゃ」
「私べつに片倉くんとは言ってないんだけどね」
「…………」
ぐ、と下唇を噛んだ。
とはいえ、現在水緒が親しくしている男子など大地くらいのものだ。だからカン違いしただけ、と言い訳すると、下駄箱のとびらを閉めてこころはほほ笑んだ。
「そんなに否定しなくたって」
「だ、だって」
「片倉くんもA組のいろんな子から、あんたとの関係聞かれてるみたいだけど──さあ、とか、知らね、とかのらりくらりかわしてるよ」
ふたりは校門を出る。
今日は弟の迎えがあるため、こころもいっしょに大龍神社方面にすすんだ。
ここ最近、いろんな人に大地との関係性を聞かれる。彼がモテるのも理由のひとつだが、ありもしない事実で責められるから、この話題は水緒にとって地雷となっていた。
案の定むっすりと押し黙る。
しかしこころは気にせず「そういえば」とつづけた。
「校門のところにいた人、お兄さんって聞いたけど。水緒ってひとりっ子じゃなかった?」
「あ、それもあった……いやあの人は腹違いのお兄さんで、最近知ったの。なんかあんまり体調がよくないっていうんで、療養のためにうちに来てもらったんだよ」
「へえ。ま、美波さんはそういうの気にするような人ではないか」
「うん。そもそも自分が後妻なのは知ってたし、お兄ちゃんの顔見たらそりゃもうテンション上がっちゃって」
思い出すだけで胃が痛い。
きっと自分が学校にいるあいだ、さぞ水守が嫌がりそうなちょっかいを出しているのだろうと思うと、母の身すら案じてしまう。
あたしもだけど、と前置きして水緒はつづけた。
「お兄ちゃんも水があればなんとか体調保っていられるからだだからさ。うちのマイナスイオンたっぷりの滝場でゆっくりしてもらってるんだ」
「ふうん──なんか大変そうだね。困ったことがあったら力になるよ」
「ありがとうこころォ」
と、水緒はこころの腰元に抱き着いた。
余計な詮索をしてこないのが、こころである。いつも会話の引き際をわかっていて、それでいてフォローはわすれない。龍についての相談はできないものの、そばにいるととても心強い友人だ。
「先生、こんにちは」
ひまわり保育園に到着した。
声をかけると、まもなく弟のかおるが担任のひとみとともにあらわれる。ひとみはどこか夢見心地な表情で「あらぁ」と手をあげた。
「こころちゃん、こんにちは」
「先生……どうかしたんですか」
「ねーっ、ちょっと聞いてくれる? それがさ、今日かおるくんたちといっしょに商店街のお散歩に出たんだけどね。そのときにキラキラした髪の、俳優みたいな男の人とばったり遭遇しちゃって。もうなんていうか、なんて言ったらいいんだろ。麗人っていうかもはや神っていうか──ねっ、かおるくん」
興奮冷めやらぬ状態でひとみがかおるに目を向ける。
しかし、たいして話を聞いていないのか「ひとみセンセェ、れんらくちょーは?」と眉をしかめている。それを受けて、ひとみは「アッ」とあわてて園内へもどっていった。
「……なんかデジャブ」
「うん──すっごくすっごく、心当たりあるような気しかしない」
水緒がつぶやく。
ぜったいに水守だ。たしかに庚月丸も『時の変遷を見せるために連れまわしている』と言っていた。その視察のあいだに商店街を通るのは当然のことであろう。
だれかを八つ裂きになんてしていませんように……。
もはや祈るばかりである。
すると、かおるが水緒のスカートをひっぱった。
「あんね、でもおれね、おにいさんにちゃんとごめんなさいってしたよ」
「えっ。謝るようなことをしたの?!」
あわてて腰をかがめる。が、まもなく連絡帳を手に出てきたひとみが「ちがうのよう」とこころに言い訳をした。
「かおるくんが、ちょっと走ったらぶつかっちゃったの。ホントたいしたことじゃなくて」
「怒ってませんでした?」
連絡帳を受け取ったこころは、不安げである。
しかしひとみはキラキラと瞳を光らせて首をふった。
「一瞬、怒ってるのかなって思ったんだけどさ。でもそのあとその人どうしたと思う……?!」
「えっ」
八つ裂き、ということばが脳裏をよぎる。
いやしかしかおるは無事だ。もしや眼光するどくかおるを泣かせたか──。水緒の手のひらが汗ばんだ。しかしそれは杞憂におわった。
こうやってね、とひとみがかおるの前に膝をついたのである。
「かおるくんと目線を合わせて、『大事ない、気をつけよ』って! もう胸がしびれて死ぬかとおもったわ」
笑顔が素敵すぎて、とひとみが身体をくねらせる。
えがお──?
(…………)
かおるが「はやくかえろ」と帰りをせかすのをきっかけに、保育園をあとにするまで、水緒は不可解な顔をして立ち尽くしていた。
※
帰宅早々、水緒は豪瀑へと立ち寄る。
なぜなら離れに、これまで滝場にいたはずの鎌鼬衆がたむろしていたからだ。彼らは、水守から追い出されたのだと、なぜかすこしうれしそうに言った。
「…………」
草陰から、滝場をこそりと覗く。
いた。
水守はどうどうと流れ落ちる滝壺まわりの岩に、背筋をただして腰かけている。その瞳は伏せられ、まるで地面に生えた草花や大木たちと話でもするように手を伸ばしている。
綺麗だ。
水緒はほう、とため息をつく。
するとうしろから白ウサギがぴょんこと寄ってきた。
「水緒さま、おかえりで」
「うん。……」
と、いったその顔はすこし浮かない。
いかがされました、と白月丸が首をかしげる。
いっしゅん躊躇した水緒だったが、わずかに微笑んでつぶやいた。
「……水守って、きれいな人だね」
と。
意外なことばに白月丸が耳をピンと立てる。
「なにをしみじみとおっしゃるかと思えば。そうですとも、龍族のなかでもとびきりおうつくしい方なのですよ。もちろん、大龍さまの気を継いでいらっしゃるというのもありますが。それでも水守さまは、御身も御心もとびきりおうつくしい方だとそれがしは思うておりますよ」
「うん」
──このとき、水緒は決意した。
胸元にしまっていた水守のカケラを取り出して、そのなかからひとつをやさしくつかむ。
いったいなにをする気か、と白月丸はウサギながら眉間にしわを寄せた。
「水緒さま?」
「あたし、このカケラを返そうとおもう。水守に」
なんと──と反論しかけた白月丸を手で制し、水緒はつづけた。
「このカケラはもう二度と、ぜったいに穢れない。はじめて宝珠のカケラを手にして、その記憶を見たときからわかったの。玉嵐やダキニがこのカケラを穢そうとしたってきっと大丈夫。あたしが保証するよ」
最初のカケラ。
それは奥多摩で見つけた、水緒にとって忘れられない記憶のカケラであった。
しかし白月丸は半信半疑だ。
「いったいなにゆえそこまでの自信を……」
「本当にあったかかったの。記憶のなかの世界も、カケラ自身も。二つめ、三つめのカケラを手にしてすぐに違いがわかったくらいに。あの映像が本当に水守の目を通して見た世界なら、きっと水守は、……そのときすっごくしあわせだったんだとおもうから」
──水守に温かさを返してあげるの。
そして、水緒はにっこりわらった。
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