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第十章
55話 ダキニの復讐
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「この子で最後──」
と、水緒が額の汗をぬぐった。
けっきょく翠玉の薬を塗ったもののいのちを落とした動物たちの墓を作っていたのだ。
三兄弟と瑠璃がともに掘った土のなかへと遺骸を埋めて、土を戻す。盛られた土に木の棒を刺せばそれなりに墓らしくなった。
だけどさ、とうしろを振り返る水緒の顔は穏やかだ。
「上空から見たときはみんな死んじゃってると思ったけど──半分でも生きててくれて良かったね」
「動物は人間よかよっぽど生命力が強ェからな。いのちに関わる傷を負ったんで、死なねえようにじっとしてたんだろうさ」
「一生懸命生きてくれたんだ」
「そりゃあな。自らいのちを捨てんなァ人間くらいのもんだよ」
「…………」
蒼玉のことばに、水緒はなにも言えなかった。
ほ、と息を吐く。
とはいえ半数の動物が死んでしまったのだ。たった、たったひとりに反抗しただけなのに。
「……あの年増、ぜってえ許せんな」
「おいこら紅玉、お前はまた──」
「ホントのことやねえか。年増、年増、年増!」
「そーだそーだァ。上裸痴女の年増ババア」
「翠玉!」
いったいどこから覚えてくるのだろうか──。水緒はブフッと吹きだした。その笑いに乗じて、調子にのった紅玉と翠玉はさらに悪口を述べはじめる。
そのときだった。
ゴウ、と空から炎の雨が降ってきた。
「ぅわッ」
「っあ」
ダキニの姐者ッ──と瑠璃が空を見上げる。
つられて見上げた三兄弟と水緒。するとこんどは真上から槍がとめどなく降り落ちてくる。
水緒はとっさに鎌鼬五人を抱き寄せて「吽龍ッ」とさけんだ。
しかし最後に降ってきた特大の槍には敵わず、吽龍の結界は破られる。とはいえそこでめげる水緒ではない。
「外は虚空の化然形、神触れなせそ御注連引け!」
父の宝珠ならば勝てる。
五人を守るように吽龍が結界を張った。が、槍が激しくうち当たってその結界はバチッと切れてしまう。
(うそでしょ…………)
まさか、大龍の結界と互角の力を持つなんて。
水緒は絶句する。やがて目の前にふわりと降り立つ白狐と、その上に腰かけた上裸の女──。
「ずいぶんと積極的に喧嘩を売ってきたねェ。そんなに死にたいのかい、エッ?」
ダキニという女。
細いつり目は妖艶に、首からさがる念珠のネックレスは彼女を強欲に見せる。美しいながらも畏怖のぬぐえぬその威風に、水緒はごくりと息を呑んだ。
「おや──そこな娘は大龍の娘御だねェ。水緒ってんだろ、やっと会えたよ。なかなかアンタのお父上が会わせちゃくれないもんでサ」
「う、…………」
「なるほどねえ。……アンタを見るかぎりじゃぁ、女のほうもたかがしれてるさね」
と鼻で笑い、ぎろりと鎌鼬姉妹に視線をむけた。
「日向の」
「は、はい」
「あんたたちも大概情けないねえ。まったく稲荷の亜種ってのは使えないヤツばかりだよ」
「…………」
瑠璃はひどくショックを受けたらしい。いまだからだのしびれが取れない玻璃を抱きしめてぐっとうつむく。
ダキニは気にせず、ニタァと三兄弟に笑いかけた。
「ねえ飛騨の、動物がずいぶんと惨いことになっていたじゃないか。エッ、見たかい」
「このアマ──見たどころか、さっきまで墓つくっとったんぞッ」
「やめろ紅。姐御、愚弟ふたりの非礼は謝ります。が、この森に住むやつらには関係ないことだ。どうか手出しはやめてくださらんか」
「あっはははは、オイオイ蒼玉──勘違いはよくないよ。やったのは人間、アタシはただ心を痛めて見ていただけさ。なにせ生きとし生けるもののいのちをいじることは、神がいちばんやっちゃあいけないことだからサ」
「その人間の心で遊んだのはアンタでしょ!」
吐き捨てるように翠玉がいった。
心で遊ぶ──どういうことだろう。水緒がちらと瑠璃を見ると、彼女は疲れきった顔で教えてくれた。
「神はいのちある者に助言を与える。どうすればいいか悩んだとき、なにかを見たのがきっかけで答えが湧くことがあるでしょう。それが助言よ。だけどその助言は時に誤った方へと導くこともある──」
姐者はわざとこうなるようにひとを導いたんでしょう、というやじっと黙りこむ。
このやろう、と紅玉は悔しそうに唸った。
その拳は、血が滲むほどに強く握られている。
彼らだって分かっていた。この荒神と自分たちの力の差がどれほどのものか、ということが。
だからといって、おのれの信念を曲げてまで彼女に付き従うことなどできない。おそらくはダキニもそれを分かっていて、この龍族の争いに巻き込んだのだ。
なんてひどい、と水緒は肩をふるわせた。
「なんて神さまなの……ひどい、ひどすぎる!」
「おや。口もきけない木偶かと思ったけど、すこしは主張もあるんだね」
「馬鹿にしないでよッ。神さまだかなんだか知らないけど、自分が気に入らないからってなんでも好き勝手なことして……あげく動物のいのちを奪って、いったいどういうつもり?」
と、まくしたてる水緒。
しかしダキニは「おほほほほほ」と一笑に付した。
「そうはいうけれど、ならば神が殺生を好まぬなどいったいだれに聞いたの?」
「…………」
「都合よくお考えでないよ。アンタたち人間がいのちを大事にし始めたのなんざ、ついこの間っからの話じゃァないか。それを、あたかもこの世の定理とでも言いたげに。アタシたち神は、草々の肉体が滅びようとどうともせぬもの。たいせつなのはその中身さね」
けらけらとわらってダキニは腰かける白狐の頭を撫でる。
「いじわるで言ってるんじゃないんだよ。この世は、肉体をもって生き続けりゃァいいってもんじゃあない。じゃあなんのためこの世に生まれるの? そりゃあもちろん理由があるからサ。それをアンタたちはその御霊にしっかりと刻み込んで、それぞれが選んだ母体から肉体を得て生まれくるの。だけれど人ってのは愚かなものだ、……」
みんなそれを忘れちまうのサ、ということばとともに、これまで厭らしく浮かべていた笑みをなくす。彼女はゾッとするほどするどい目を水緒に向けた。
「赤んぼのころが一番かしこいかもね。草々はいつしか、おのれらがつくった、空虚な定義で頭を満たして──いちばん大切なものをすべて忘れっちまうんだ。そんな愚かな者たちに、アタシら神々が教えてやってるんじゃあないか」
「…………そ、そんなの」
「その身に教え込んでやってもいいんだよ」
と、ダキニが白い腕を水緒にむけた。
そのとき。
「そこまでだ」
突如として地に降り立った影がある。
長い白銀色の髪をなびかせる、水緒が父──大龍がそこにいた。
と、水緒が額の汗をぬぐった。
けっきょく翠玉の薬を塗ったもののいのちを落とした動物たちの墓を作っていたのだ。
三兄弟と瑠璃がともに掘った土のなかへと遺骸を埋めて、土を戻す。盛られた土に木の棒を刺せばそれなりに墓らしくなった。
だけどさ、とうしろを振り返る水緒の顔は穏やかだ。
「上空から見たときはみんな死んじゃってると思ったけど──半分でも生きててくれて良かったね」
「動物は人間よかよっぽど生命力が強ェからな。いのちに関わる傷を負ったんで、死なねえようにじっとしてたんだろうさ」
「一生懸命生きてくれたんだ」
「そりゃあな。自らいのちを捨てんなァ人間くらいのもんだよ」
「…………」
蒼玉のことばに、水緒はなにも言えなかった。
ほ、と息を吐く。
とはいえ半数の動物が死んでしまったのだ。たった、たったひとりに反抗しただけなのに。
「……あの年増、ぜってえ許せんな」
「おいこら紅玉、お前はまた──」
「ホントのことやねえか。年増、年増、年増!」
「そーだそーだァ。上裸痴女の年増ババア」
「翠玉!」
いったいどこから覚えてくるのだろうか──。水緒はブフッと吹きだした。その笑いに乗じて、調子にのった紅玉と翠玉はさらに悪口を述べはじめる。
そのときだった。
ゴウ、と空から炎の雨が降ってきた。
「ぅわッ」
「っあ」
ダキニの姐者ッ──と瑠璃が空を見上げる。
つられて見上げた三兄弟と水緒。するとこんどは真上から槍がとめどなく降り落ちてくる。
水緒はとっさに鎌鼬五人を抱き寄せて「吽龍ッ」とさけんだ。
しかし最後に降ってきた特大の槍には敵わず、吽龍の結界は破られる。とはいえそこでめげる水緒ではない。
「外は虚空の化然形、神触れなせそ御注連引け!」
父の宝珠ならば勝てる。
五人を守るように吽龍が結界を張った。が、槍が激しくうち当たってその結界はバチッと切れてしまう。
(うそでしょ…………)
まさか、大龍の結界と互角の力を持つなんて。
水緒は絶句する。やがて目の前にふわりと降り立つ白狐と、その上に腰かけた上裸の女──。
「ずいぶんと積極的に喧嘩を売ってきたねェ。そんなに死にたいのかい、エッ?」
ダキニという女。
細いつり目は妖艶に、首からさがる念珠のネックレスは彼女を強欲に見せる。美しいながらも畏怖のぬぐえぬその威風に、水緒はごくりと息を呑んだ。
「おや──そこな娘は大龍の娘御だねェ。水緒ってんだろ、やっと会えたよ。なかなかアンタのお父上が会わせちゃくれないもんでサ」
「う、…………」
「なるほどねえ。……アンタを見るかぎりじゃぁ、女のほうもたかがしれてるさね」
と鼻で笑い、ぎろりと鎌鼬姉妹に視線をむけた。
「日向の」
「は、はい」
「あんたたちも大概情けないねえ。まったく稲荷の亜種ってのは使えないヤツばかりだよ」
「…………」
瑠璃はひどくショックを受けたらしい。いまだからだのしびれが取れない玻璃を抱きしめてぐっとうつむく。
ダキニは気にせず、ニタァと三兄弟に笑いかけた。
「ねえ飛騨の、動物がずいぶんと惨いことになっていたじゃないか。エッ、見たかい」
「このアマ──見たどころか、さっきまで墓つくっとったんぞッ」
「やめろ紅。姐御、愚弟ふたりの非礼は謝ります。が、この森に住むやつらには関係ないことだ。どうか手出しはやめてくださらんか」
「あっはははは、オイオイ蒼玉──勘違いはよくないよ。やったのは人間、アタシはただ心を痛めて見ていただけさ。なにせ生きとし生けるもののいのちをいじることは、神がいちばんやっちゃあいけないことだからサ」
「その人間の心で遊んだのはアンタでしょ!」
吐き捨てるように翠玉がいった。
心で遊ぶ──どういうことだろう。水緒がちらと瑠璃を見ると、彼女は疲れきった顔で教えてくれた。
「神はいのちある者に助言を与える。どうすればいいか悩んだとき、なにかを見たのがきっかけで答えが湧くことがあるでしょう。それが助言よ。だけどその助言は時に誤った方へと導くこともある──」
姐者はわざとこうなるようにひとを導いたんでしょう、というやじっと黙りこむ。
このやろう、と紅玉は悔しそうに唸った。
その拳は、血が滲むほどに強く握られている。
彼らだって分かっていた。この荒神と自分たちの力の差がどれほどのものか、ということが。
だからといって、おのれの信念を曲げてまで彼女に付き従うことなどできない。おそらくはダキニもそれを分かっていて、この龍族の争いに巻き込んだのだ。
なんてひどい、と水緒は肩をふるわせた。
「なんて神さまなの……ひどい、ひどすぎる!」
「おや。口もきけない木偶かと思ったけど、すこしは主張もあるんだね」
「馬鹿にしないでよッ。神さまだかなんだか知らないけど、自分が気に入らないからってなんでも好き勝手なことして……あげく動物のいのちを奪って、いったいどういうつもり?」
と、まくしたてる水緒。
しかしダキニは「おほほほほほ」と一笑に付した。
「そうはいうけれど、ならば神が殺生を好まぬなどいったいだれに聞いたの?」
「…………」
「都合よくお考えでないよ。アンタたち人間がいのちを大事にし始めたのなんざ、ついこの間っからの話じゃァないか。それを、あたかもこの世の定理とでも言いたげに。アタシたち神は、草々の肉体が滅びようとどうともせぬもの。たいせつなのはその中身さね」
けらけらとわらってダキニは腰かける白狐の頭を撫でる。
「いじわるで言ってるんじゃないんだよ。この世は、肉体をもって生き続けりゃァいいってもんじゃあない。じゃあなんのためこの世に生まれるの? そりゃあもちろん理由があるからサ。それをアンタたちはその御霊にしっかりと刻み込んで、それぞれが選んだ母体から肉体を得て生まれくるの。だけれど人ってのは愚かなものだ、……」
みんなそれを忘れちまうのサ、ということばとともに、これまで厭らしく浮かべていた笑みをなくす。彼女はゾッとするほどするどい目を水緒に向けた。
「赤んぼのころが一番かしこいかもね。草々はいつしか、おのれらがつくった、空虚な定義で頭を満たして──いちばん大切なものをすべて忘れっちまうんだ。そんな愚かな者たちに、アタシら神々が教えてやってるんじゃあないか」
「…………そ、そんなの」
「その身に教え込んでやってもいいんだよ」
と、ダキニが白い腕を水緒にむけた。
そのとき。
「そこまでだ」
突如として地に降り立った影がある。
長い白銀色の髪をなびかせる、水緒が父──大龍がそこにいた。
応援ありがとうございます!
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