落ちこぼれの半龍娘

乃南羽緒

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第十一章

58話 鶺鴒山の石塔

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 鶺鴒山。
 学校の裏にそびえるちいさな山は、そんな名前だと聞いたことがある。英二の母方がこの町に所縁があったこともあり、幼いころはこの隣町の山までよく遊びに来ていたものだ。
 高校進学をこの平陵高校に決めたのも、親しみ深い土地だったからという理由もある。

「抜けちゃまずかったかな……」
 英二が山に入る。
 保健医のいないうちに、書置きを一枚置いて出てきてしまった。
 中学校にあがってからはとんとご無沙汰のこの場所。景色は、記憶のなかとそう違わないけれど、自分の身長が伸びたせいか印象よりも狭かった。
(…………)
 記憶をたよりに足を進める。
 たしか本道をそれた横道を入った先──ひとつの石塔があったはずだ。幼いころ、山のなかで迷わないように決めていた目印だった。
 昔にくらべて周囲の草は背が低い。
 生え盛る草々をかき分けて、およそ十分。ようやく目的の場所にたどり着いた。
「あった石塔」
 なつかしい、と声がはずんだ。
 小学校のころの記憶がよみがえる。幼いながらに、この石塔が『だれかの墓』だと感じていた英二は、周囲の花を摘んではよく供えたものだった。
「考えもせずに来ちまったけど……なにもここまですることなかったなァ」
 英二はポリ、と頭をかく。
 裏山にくればあのふたりの距離が近付いた秘密がわかるか、と思って来てみたが、懐かしのあの頃へ想いを寄せるうちにすっかりどうでもよくなってしまっていた。
「やっぱり授業に出ようと思います」
 というひと言メモを置いてきた以上、また保健室に戻るわけにもいくまい。
 五時間目に間に合うよう、ここいらですこし時間をつぶしてしまおうか。昔のように周囲に咲く花をすこし摘んで、石塔の前に供えたときである。

 がさり、と音がしてひとりの影があらわれた。

「…………」
 ──白銀色の髪に濃紺色の装束をまとった、ずいぶんと雰囲気のある男である。
 どこかで見たな、と記憶をめぐらせてまもなく思い出す。
 以前、庚月とともに学校の校門前で天沢水緒と話していた男だ。たしか彼女は、「腹違いの兄だ」と言っていたように思う。
「……────」
 気まずい。
 ひじょうに声をかけづらい雰囲気だ。あまり人見知りをしない性格である英二でさえ、この男の威風に圧されてどぎまぎする。
 しばらく、見つめ合う。
 そして気がついた。

 彼はこの石塔をじっと見つめているのである。

 墓参りか──?
「…………あ、すみません」
 英二は立ち上がった。
 ずいぶんと古い墓だろうが、知り合いの墓なのかもしれない。もしかしたら天沢家に関わる人のなのかも……。
(もしかして)
 大地と天沢水緒が仲良くなった理由も、これにあるのか。
「…………」
 男がふたたびこちらを見る。
 濃い瑠璃色の瞳があまりに綺麗で、英二は見とれてしまった。彼の白い手が石塔前に添えられた花に伸びる。英二はハッと身を乗り出した。
「すみません勝手に。僕がその花、置いちゃって」
「…………」
「あの、天沢のお兄さんですよね。おれ水緒さんのクラスメイトで石橋英二と申します。その──だれのお墓なのか知らなくて、勝手なことを。すみません」
 と、頭を下げた。
 謝罪を繰り返したのは、水緒の兄である彼の感情がいっさい読み取れないため、とりあえず知り合いの家族からの心象を悪くしたくはない──と思ってのことだった。
 しかし男はなにを言うでもなく、ゆっくりと石塔の前に腰をおろした。
 よほど無口な男らしい。
 とはいえここにいることを批難するようすもない。英二はすこしホッとして、すこし離れた大木の根元に腰かける。

「なにゆえ花を」

 男はいった。
 その声色は穏やかだ。英二はエッと声を出して赤面する。
「あ、その。まだチビの頃、チビなりにここがだれかのお墓だっていうのが分かって、お花供えてたんですよね。その癖でなんとなく……すみません」
「──草々は、花に想いを託したがるものだと聞いたことがある」
「え?」
「この墓に入った者のことばだ。かつては世迷言をとおもうていたが──あながちそうでもなさそうだな」
「…………」
 英二がちらと石塔を見た。
 長く手入れがなされておらず、石の表面は苔むしている。数百年の月日は経過しているであろう古ぼけた墓。ここにねむる人というのはいったいいつの話なのだろうか。
 とはいえ、それを聞く勇気もない。
 涼し気な横顔をちらと見て「そう、いうもんですかね」と曖昧なことばをつぶやいた。
 サワサワと葉が揺れる。
 心地よい風と音を聞こうと瞳をとじたときである。なにかが風を切る音がして、同時に自分の身体が地面に押し倒された。あわてて身を起こすといつの間にあらわれたのか、小学生程度の少女が英二に覆いかぶさっている。
「えっ、え、な──だれ?」
「水守さまッ天狗礫にございます!」
「杠葉、その男を山からおろせ。……父上の不在につられ寄ってきたか、愚か者が」
 というや水守がゆっくりと立ち上がる。
 なにに対して言っているんだ──と、英二は周囲を見わたすが、杠葉と呼ばれた少女が強い力で英二の手を引き山道を下りだした。
「こっちです、はやく!」
「いやちょっとキミ……」
 と、英二が少女を止めようとする。しかしうしろから「小僧」という声がした。水緒の兄の声だった。
「死にたくなければ御託を言わずにそれについてゆけ」
「えっ……」
「…………」
「は、はい」
 言い返せる空気でもない。
 再度少女に腕を引っぱられ、英二はそれにしたがって駆けだした。

 ※
 一気に山を駆け下りた。
 体力に自信はあったけれど、手を引く少女があまりにも速いので、さすがの英二も肩で息をして汗をぬぐう。
「なあ、キミ、さっきなにがあったの」
「はやくここからお逃げなさい。学校、学校がいい。あそこならば大龍眷属の者もいらっしゃる」
「……えッ」
「おはやく!」
「でも」
「水守さまがお助けくださったのです、そのいのちを無駄になさりますな。お早く学校へお戻りを」
「…………」
 有無を言わさぬ雰囲気があの男によく似ている。
 ひどく目を惹く少女は、そう言ったきりふたたび山のなかへと駆け入った。その風のような速さに、もはや英二はうしろを追うこともかなわない。
 学校には大龍ケンゾクの者がいる──彼女はそう言った。
 いったいどういう意味なのか、いまは考えても仕方がない。とにかく彼女が言うように一度学校に戻るべきなのかもしれない。
「……よし」
 英二はいま一度呼吸をととのえて、ゆっくりと学校の方へ歩き出した。

 ────。
 鶺鴒山山中。
 石塔前に立つ水守がじろりと宙をにらみつける。
 この穢れた気は玉嵐か。水守にカケラがひとつもどったことで彼がどう動くのかなど、水守からすれば安易に予想がつく。
「神社からあとをつけてきたようだが──この水守になんの用がある」
「ずいぶんと冷たいことをおっしゃる」
 と、声がした。
 水守の横に姿をあらわした龍の天羽が木々の間につっこむ。樹上から影が落ちてきて、玉嵐が水守の前に着地した。
「躯からしばらく、龍の気を分けたこの玉嵐に」
「たのんだ覚えはない。まして貴様の穢れた弱気など」
「水守さま──そこにある石塔を見てようく思い出されませ。かつて愚かな草どもが起こした仕打ちを。妬み嫉み、畏怖からくる情によって人間は修羅に寄ってしまった。そのために、奇しくもその女は信頼していた仲間たちの手で」
「だまれ」
 水守が手を横に払った。
 瞬間、天羽が玉嵐に襲い掛かる。玉嵐がすかさず身をひるがえしてかわすが、目の前に水守がせまっていた。その身を引き裂かんと爪を振りおろす。
 玉嵐はそれもかわした。
「らしくないですな、水守さま!」
「……貴様、ダキニと手を組みたくらむのは野良によくある草々への復讐か? それにしてはやり口がずいぶんと遠回りだ。なるほどたしかに、現代の世ではそうそう野良一匹が動いたところでその影響も微々たるものだろうが。それにしてもこの私に執着するのは、別の目的があるということだろう」
 水守は指の骨を鳴らしてわずかに口角をあげた。
 なにをおっしゃる、と玉嵐も頬をひきつらせてわらう。
「水守さまが野良の筆頭となれば、この世の草々を、あの大戦以来の滅却を図ることもそうむずかしいことではござらん。ともなればふたたび龍宮をその手にするも」
「龍宮を──」
 と、水守の眉がぴくりと動いた。
 一瞬の沈黙が森にただよう。やがて、山を駆けのぼってきた杠葉を見て構えを解いた水守がふん、と鼻でわらった。
「そんなことであの鬼女が手を貸すとも思えんがな。……いずれにせよこの水守、貴様ごときに手を貸すほど安くはない。向後、姿をあらわすな。不愉快だ」
「いいえ、きっとまた相まみえるでしょうな。妹御前もどうやらその時期に来たようですから」
「…………」
 言い捨てて、玉嵐は風とともにそのすがたを消した。
 人に化けた天羽、杠葉はこわごわと水守を見上げる。
 サワサワ、サワサワ。
 森がざわめく。
 水守は木々の声を聞くように目を閉じた。
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