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第十五章
81話 恋の芽生え
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母は水緒を見るなり強くつよく抱きしめた。
よく頑張ったね、とか心配したのよ、とかいうことばはひとつもなかったけれど、美波はただだまって娘を腕に閉じ込めた。
「おはよう、おかあさん」
「…………おはよ」
「朝ごはん出来てるよ」
「うん。ありがと──」
くぐもった声で美波は言った。
めずらしい母のすがたにくすっとわらって水緒は身を離す。
「それより、母屋に大地が泊まってるなんて知らなくてびっくりしたよ。朝ごはん作ってるときに庚月丸が教えてくれて」
「ちょっと」
突然、水緒のことばをさえぎった美波は目を丸くした。
「あんた、髪どうしたの」
「え」
髪、と水緒の襟足をさわる。
「生まれてからきのうまでショートじゃなかった?」
「髪? …………」
水緒はじぶんの襟足に手を伸ばした。
なぜだかいままで気がつかなかったが、これまで首のうしろを隠すほどもなかった襟足が、肩につくほどまでになっている。
「えっ。なんで、髪が伸びてるッ」
「やだあんた、起きてから二時間も経ってていま気がついたの。鏡くらい見なさいよ」
「わっわァ、わーッ。ねえ阿龍、庚月丸見て髪がッ。どうしてご飯つくっているとき教えてくれなかったのよ!」
「い、いや。あんまりにも髪の毛についてなにもおっしゃらないものだから、てっきりそれがしらが起きる前、水緒さまが起きてすぐに気がつかれたものだと」
と庚月丸がにがっぽくわらった。
しかし水緒は話半分に、興奮したまま洗面所へと駆けこんでいってしまった。
いそがしいヤツ──と言ったのは、すでにダイニングで待機していた大地である。となりに座る慎吾もくっくっと肩を揺らして庚月丸を見た。
「しかしおどろいたなァ。アイツ赤ん坊から幼稚園のころにあそこまで髪が伸びて以来、すっかり伸びなかったってのに。なにか龍のことと関係があるのか」
「はあ。髪には力が宿っとりますからの、水緒さまの潜在的なお力が増えればその分髪の毛も伸びる。現にカケラがすべて戻られた水守さまはいまや膝裏を隠すほどまでおぐしが伸びましたぞ」
「へえ。そりゃすごい……」
と、感心したところで洗面所から悲鳴があがる。どうやら水緒から出た歓喜の雄たけびのようだ。
その声は、境内にもどってきた水守一行や、聖域内ですでに朝餉をとっていた朱月丸、白月丸にも聞こえていた。
「まーた水緒さまが奇声あげとる。白月丸じゃのうても聞こえるわ」
「どうせ鏡で伸びた髪を見たとかそんなとこじゃろ」
「ははは」
いつものごとく可愛げのない眷属たちである。
※
朝餉を終えたあと。
大地と水緒はふたりで境内の一角に腰かけた。こうしてふたりで話すのも、ひどく懐かしい気分だ。
とはいえ、いざふたりきりになるとなにを話してよいのやら。水緒は高鳴る胸を抑えるのに必死で、あまり頭もまわらない。
対して大地は沈思したまま、身動ぎひとつしなかった。その沈黙に、先に音をあげたのは水緒だった。
「……龍宮まで、来てくれたって聞いた」
「ああ、うん。──門前払いだったけどな」
「ありがとう。あの水守を説得してくれたんでしょう」
「おれはなんも。天沢のお母さんと大龍さまが言ってくれたおかげだよ。それに水守さんも、やっぱりなんだかんだで優しいからさ。たぶん説得なんかなくたって、いっしょに行ってくれていたとおもう」
「そうかな」
「うん」
それよりもさ、と大地は興奮したように水緒を見た。
「さっき、水守さんと朝飯食ったけど──ホントに髪長くてビックリしたよ。いやさ、お前の髪が伸びてたのは昨日も見たから知ってたけど、水守さんは昨日まであんなに長くなかったし」
「今朝ね、カケラをぜんぶ渡したの」
「そっか。…………それで天沢」
大地がそわそわと自分の指をいじる。
虚空を見つめていた瞳を、ゆっくりと水緒に向けて、大地は水緒の瞳を奥深くまで見つめた。
「な、なに」
「もう平気か?」
「…………」
「幽湖の上で、阿吽龍からちょっと聞きかじったんだ。お前が相当ツラい思いして、試練を乗り越えてきたって」
あのとき、と大地はふたたび瞳をそらす。
「そんなのなんにも知らないで、ただ水守さんのカケラのなかにお前が見えたから嬉しくってさ。能天気に話しかけちまったなあって、なんか申し訳なくて」
「そ、そんなこと。そんなことないよ。大地が──あのとき呼んでくれなかったら、あたしあのまま禍津陽の間で死んでたかもしれない。ホントだよ。そのくらい切羽詰まってたの」
「……そんなだったのか」
「正直、それから先はほとんど記憶にないんだけどね。でも、あの大地の声が、あたしがいまここにいられる理由なのはわかる」
ホントだよ、と水緒はまたつぶやいた。
つぶやいてからあわてて顔を伏せる。自分の言葉を反芻して、いまさら気恥ずかしくなってしまった。
とはいえ、言われた方もたまったものではない。胸がむず痒くってたまらず、相づちもそこそこに大地は黙り込んでしまった。
(なんか言ってよ)
水緒が、ちらと彼を見る。
彼もこちらを見ていた。
ばっちり合った視線は、まるで磁石のように引き合って離れない。きっと十秒にも満たないであろうその時間は、水緒のなかで五分、十分よりも長い時に思えた。
が、その邂逅を切らしたのは、大地だった。
水緒の髪の襟足へと手を伸ばしたからだ。
「おまえどうすんだよ、この髪」
「え──か、髪。なにが」
「なにがって、そりゃ。昨日までショートだったヤツが週末明けたらボブになってました、なんて。どう説明するつもりだ?」
「あ」
「どうせお前のことだから、なにも考えていなかったんだろうけど」
といって大地はふたたび黙り込んだ。
その視線はまた水緒の瞳にそそがれる。なぜだかどうして、この視線から逃れることができない。
水緒の心臓がドクドクと脈打って、頬が熱くなる。
(大地。……)
せつなさで、人は呼吸を乱すものだということを、水緒は初めて知った。
同時に気付いてしまった。
大地が好きだ。どうしようもなく。
胸につかえた切なさによって、込みあがる涙が瞳にたまる。それに大地が気付いたときだった。
「お熱いところを邪魔するぜ」
と。
背後で聞こえた声。
大地がすばやくうしろを振りあおぐと、制服姿の石橋英二が荷物を抱えてそこにいた。
「え、英二!」
「今日も今日とて部活だが、どうせお前はそんなこと忘れて、まだここでのんびりしているだろうと思って早めに寄ってやったんだよ。ほら、お前の部活着」
と、英二は手さげ袋をかかげる。
ここに来る前に片倉家へ立ち寄り、部活用具一式をピックアップしてきたのだという。
おお、と大地が感心したようにわらった。
「何から何まですまねえな」
「こっちこそ邪魔してわるかったよ。俺は先いくけど──まだちょっと時間あるから、どうぞ続けて」
(なにを続けろってのよ)
という言葉も、なぜだか今日は喉奥に引っ込んだまま出てこない。代わりに頬が熱くなるのを感じて、水緒はあわてて顔をそむけた。
しかし大地はすっかり部活モードになったらしい。あろうことか「おれも行く」と立ち上がってしまった。
「お前マジか……あ、じゃあ天沢が見に来たらいいじゃん。今日は練習試合だから楽しめると思うよ」
「サッカーの試合?」
「うん。俺たちもスタメンだから、応援してよ。ほかに友だちでも誘ってさ」
と、英二はスマートにわらう。
しかし水緒は最後の一言で理解した。彼はこころを誘えと言っているのだ、と。
「はいはい」
「それより天沢おまえ、髪伸びたな。ずいぶんと、一晩で。……」
「週明け、お前も同じクラスとして、この言い訳について考えといてやってくれ。じゃあな天沢、眷属や水守さんも誘ってさ、あとで見にこいよ」
「う、うん」
水緒は胸の前で手を握る。
その返事に満足げな大地は英二の肩を抱き、早々に学校へ向かった。
頬が火照る。
恋をした。気付いてしまった。
(大地が、すき)
思うだけで胸がうずいて、水緒は奇声を発し飛びはねた。
よく頑張ったね、とか心配したのよ、とかいうことばはひとつもなかったけれど、美波はただだまって娘を腕に閉じ込めた。
「おはよう、おかあさん」
「…………おはよ」
「朝ごはん出来てるよ」
「うん。ありがと──」
くぐもった声で美波は言った。
めずらしい母のすがたにくすっとわらって水緒は身を離す。
「それより、母屋に大地が泊まってるなんて知らなくてびっくりしたよ。朝ごはん作ってるときに庚月丸が教えてくれて」
「ちょっと」
突然、水緒のことばをさえぎった美波は目を丸くした。
「あんた、髪どうしたの」
「え」
髪、と水緒の襟足をさわる。
「生まれてからきのうまでショートじゃなかった?」
「髪? …………」
水緒はじぶんの襟足に手を伸ばした。
なぜだかいままで気がつかなかったが、これまで首のうしろを隠すほどもなかった襟足が、肩につくほどまでになっている。
「えっ。なんで、髪が伸びてるッ」
「やだあんた、起きてから二時間も経ってていま気がついたの。鏡くらい見なさいよ」
「わっわァ、わーッ。ねえ阿龍、庚月丸見て髪がッ。どうしてご飯つくっているとき教えてくれなかったのよ!」
「い、いや。あんまりにも髪の毛についてなにもおっしゃらないものだから、てっきりそれがしらが起きる前、水緒さまが起きてすぐに気がつかれたものだと」
と庚月丸がにがっぽくわらった。
しかし水緒は話半分に、興奮したまま洗面所へと駆けこんでいってしまった。
いそがしいヤツ──と言ったのは、すでにダイニングで待機していた大地である。となりに座る慎吾もくっくっと肩を揺らして庚月丸を見た。
「しかしおどろいたなァ。アイツ赤ん坊から幼稚園のころにあそこまで髪が伸びて以来、すっかり伸びなかったってのに。なにか龍のことと関係があるのか」
「はあ。髪には力が宿っとりますからの、水緒さまの潜在的なお力が増えればその分髪の毛も伸びる。現にカケラがすべて戻られた水守さまはいまや膝裏を隠すほどまでおぐしが伸びましたぞ」
「へえ。そりゃすごい……」
と、感心したところで洗面所から悲鳴があがる。どうやら水緒から出た歓喜の雄たけびのようだ。
その声は、境内にもどってきた水守一行や、聖域内ですでに朝餉をとっていた朱月丸、白月丸にも聞こえていた。
「まーた水緒さまが奇声あげとる。白月丸じゃのうても聞こえるわ」
「どうせ鏡で伸びた髪を見たとかそんなとこじゃろ」
「ははは」
いつものごとく可愛げのない眷属たちである。
※
朝餉を終えたあと。
大地と水緒はふたりで境内の一角に腰かけた。こうしてふたりで話すのも、ひどく懐かしい気分だ。
とはいえ、いざふたりきりになるとなにを話してよいのやら。水緒は高鳴る胸を抑えるのに必死で、あまり頭もまわらない。
対して大地は沈思したまま、身動ぎひとつしなかった。その沈黙に、先に音をあげたのは水緒だった。
「……龍宮まで、来てくれたって聞いた」
「ああ、うん。──門前払いだったけどな」
「ありがとう。あの水守を説得してくれたんでしょう」
「おれはなんも。天沢のお母さんと大龍さまが言ってくれたおかげだよ。それに水守さんも、やっぱりなんだかんだで優しいからさ。たぶん説得なんかなくたって、いっしょに行ってくれていたとおもう」
「そうかな」
「うん」
それよりもさ、と大地は興奮したように水緒を見た。
「さっき、水守さんと朝飯食ったけど──ホントに髪長くてビックリしたよ。いやさ、お前の髪が伸びてたのは昨日も見たから知ってたけど、水守さんは昨日まであんなに長くなかったし」
「今朝ね、カケラをぜんぶ渡したの」
「そっか。…………それで天沢」
大地がそわそわと自分の指をいじる。
虚空を見つめていた瞳を、ゆっくりと水緒に向けて、大地は水緒の瞳を奥深くまで見つめた。
「な、なに」
「もう平気か?」
「…………」
「幽湖の上で、阿吽龍からちょっと聞きかじったんだ。お前が相当ツラい思いして、試練を乗り越えてきたって」
あのとき、と大地はふたたび瞳をそらす。
「そんなのなんにも知らないで、ただ水守さんのカケラのなかにお前が見えたから嬉しくってさ。能天気に話しかけちまったなあって、なんか申し訳なくて」
「そ、そんなこと。そんなことないよ。大地が──あのとき呼んでくれなかったら、あたしあのまま禍津陽の間で死んでたかもしれない。ホントだよ。そのくらい切羽詰まってたの」
「……そんなだったのか」
「正直、それから先はほとんど記憶にないんだけどね。でも、あの大地の声が、あたしがいまここにいられる理由なのはわかる」
ホントだよ、と水緒はまたつぶやいた。
つぶやいてからあわてて顔を伏せる。自分の言葉を反芻して、いまさら気恥ずかしくなってしまった。
とはいえ、言われた方もたまったものではない。胸がむず痒くってたまらず、相づちもそこそこに大地は黙り込んでしまった。
(なんか言ってよ)
水緒が、ちらと彼を見る。
彼もこちらを見ていた。
ばっちり合った視線は、まるで磁石のように引き合って離れない。きっと十秒にも満たないであろうその時間は、水緒のなかで五分、十分よりも長い時に思えた。
が、その邂逅を切らしたのは、大地だった。
水緒の髪の襟足へと手を伸ばしたからだ。
「おまえどうすんだよ、この髪」
「え──か、髪。なにが」
「なにがって、そりゃ。昨日までショートだったヤツが週末明けたらボブになってました、なんて。どう説明するつもりだ?」
「あ」
「どうせお前のことだから、なにも考えていなかったんだろうけど」
といって大地はふたたび黙り込んだ。
その視線はまた水緒の瞳にそそがれる。なぜだかどうして、この視線から逃れることができない。
水緒の心臓がドクドクと脈打って、頬が熱くなる。
(大地。……)
せつなさで、人は呼吸を乱すものだということを、水緒は初めて知った。
同時に気付いてしまった。
大地が好きだ。どうしようもなく。
胸につかえた切なさによって、込みあがる涙が瞳にたまる。それに大地が気付いたときだった。
「お熱いところを邪魔するぜ」
と。
背後で聞こえた声。
大地がすばやくうしろを振りあおぐと、制服姿の石橋英二が荷物を抱えてそこにいた。
「え、英二!」
「今日も今日とて部活だが、どうせお前はそんなこと忘れて、まだここでのんびりしているだろうと思って早めに寄ってやったんだよ。ほら、お前の部活着」
と、英二は手さげ袋をかかげる。
ここに来る前に片倉家へ立ち寄り、部活用具一式をピックアップしてきたのだという。
おお、と大地が感心したようにわらった。
「何から何まですまねえな」
「こっちこそ邪魔してわるかったよ。俺は先いくけど──まだちょっと時間あるから、どうぞ続けて」
(なにを続けろってのよ)
という言葉も、なぜだか今日は喉奥に引っ込んだまま出てこない。代わりに頬が熱くなるのを感じて、水緒はあわてて顔をそむけた。
しかし大地はすっかり部活モードになったらしい。あろうことか「おれも行く」と立ち上がってしまった。
「お前マジか……あ、じゃあ天沢が見に来たらいいじゃん。今日は練習試合だから楽しめると思うよ」
「サッカーの試合?」
「うん。俺たちもスタメンだから、応援してよ。ほかに友だちでも誘ってさ」
と、英二はスマートにわらう。
しかし水緒は最後の一言で理解した。彼はこころを誘えと言っているのだ、と。
「はいはい」
「それより天沢おまえ、髪伸びたな。ずいぶんと、一晩で。……」
「週明け、お前も同じクラスとして、この言い訳について考えといてやってくれ。じゃあな天沢、眷属や水守さんも誘ってさ、あとで見にこいよ」
「う、うん」
水緒は胸の前で手を握る。
その返事に満足げな大地は英二の肩を抱き、早々に学校へ向かった。
頬が火照る。
恋をした。気付いてしまった。
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